18 / 113
悪魔と騎士
18
しおりを挟む
タルダンの最北端の町、ロキが陥落した知らせは数日の内に大陸中を駆け巡った。
大陸最強と謳われたデンメルング聖騎士団も打ち破られ、一時はロキの町に逃げ延びたという、騎士団一の剣士も行方知れず。
更に数週間が経つと、タルダンの他の都市も次々とエルカーズに降伏し、事実上、小王国は崩壊した。
人ではない者を兵士とし、恐ろしい強さを誇る恐怖の軍団。
その噂は遥か南の大国、バルドルの港湾都市、ヘズの町にも届いた。
ヘズは石灰岩を含む白い石作りの町が並ぶ、海に面した明るい南の街である。
タルダンの崩壊は、バルドルとエルカーズを隔てる国がなくなったことを意味する。
人々は漠然とした恐れを抱きながら、異教の国の噂を口にしていた。
そして、図らずもこの町に流れ着いていた不死の騎士もまた、自分の故国が滅びたことを、一人身を寄せていた海沿いの宿で知った。
「滅びた……タルダンが……」
――あのロキの町への襲撃の夜。
レオンは人気のない場所から川沿いに出て、一晩南へ南へと歩き続けた。
何の旅の用意も無かったが、運良く途中で戦乱を避けて逃げて行く商人達に出会い、その用心棒になることでようやく食料と金銭とを得ることが出来た。
彼らの目指すのはタルダン王国の南境を越え、更に進んだ先にある大国バルドルであった。
故郷であるタルダンの首都に戻れば、敵前逃亡をした騎士として裁かれかねない。
レオンは祖国を後にし、商人たちと共に彼らの目的地を目指すほか選択肢が無かった。
しかし、今やその祖国も既に無いとは――。
真夜中の蒸し暑い部屋の中に、潮騒の音が響いている。
レオンは下着だけを身に付けた姿でベッドに横たわり、懊悩していた。
慣れないこの土地の気候が身に応えてしまったのか、今までの旅路の疲れが出たのか、もう数日この場所から動くことが出来ないでいる。
命がけで自分を救ってくれたジーモン神父に報いる為には、この安穏とした場所をすぐにでも出発しなければならないのに。
こうしてやむを得ず一つの場所にじっとしていると、今まで考えなくて済んでいたことがどうしても思い出された。
あの、悪魔のことを。
(カイン……)
まるで親しい者に呼びかけるように、久々に心の中でその名を口にする。
もう二度と会うことは無いだろう、この身に呪いを掛けていった悪魔。
だが思い出したことをすぐに後悔し、レオンは汗で額に張り付いた黒髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。
(意味のないことをした……)
自嘲し、もう一度眠ろうと瞼を閉じた――その時。
「――呼んだか」
空耳か、あの艶のある声がすぐそばで聞こえたような気がした。
すぐに消えるかと思ったが、ベッドの傍でもう一度、今度は衣擦れの音が聞こえ、体の横を気配が通り過ぎてゆく。
幻聴だと思った。
悪魔がこんな場所に現れるはずがない。ロキの町はエルカーズに近かったが、今レオンがいるのは遥か南のバルドルだ。
だがその幻は狭い部屋を見定めるように勝手に歩き回り、挙句の果てにガタガタと音を立てて海側の窓を勝手に開け始めている。
「ほーお、これが海か。夜は真っ暗でつまんねえな」
無理やりに開かれた立て付けの悪い窓から、涼しい風までがさわさわと吹き込んできた。
――幻ではない。
確信し、レオンはベッドを軋ませながらゆっくりと上半身を起こした。
風でむき出しの背中の汗が乾き、寒気すらする。
海の匂いが強くなり、男の腰まで届く銀の髪が風に舞う。
星明かりに輝く丸く曲がった山羊のような角、異国の軍服にローブを纏ったその下から伸びている長い尾――その異形の姿を目にした途端、レオンはリンネルのシーツの上に手を滑らせ、いつも寝る時に傍に置いている剣の鞘に手を掛けた。
静かに引き寄せて左手で強く鞘を握り、音を立てぬように利き手で剣を抜く。
つま先をそっと床に下ろし、両手に剣を握りしめて、ゆっくりと窓の前の男に近付いた。
すぐ背後まで抜き足で近付き上段に剣を構えても、まだ男は気付かない。
「死ね、悪魔……!!」
叫びと共に首筋を狙い薙ぎ払った剣を、カインは振り向きざまにあっさりと避けた。
光を帯びた銀髪が一筋断ち切られ、絹糸のようにさらさらと床の上に落ちてゆく。
「っと! あっぶねえなあ、どういう歓迎だよ」
その美貌には艶やかな笑みが浮かび、焦りの気配は見えない。
レオンはもう一度無言で剣を振り下ろしたが、今度は白くしなやかな尾に剣を持つ手首を素早く拘束され、目的を阻まれた。
尾の触れた部分に痛みが走り、痺れて力を奪われた手の平が開く。
剣は床に音を立てて落ち、縛めだけがレオンの腕に残った。
「くっ……離せ……!!」
半ば意固地になってもがき、振り向いた相手の赤い瞳を睨み上げる。
「分かったから少し落ち着け、レオン・アーベル。――俺と話がしたかったんだろう」
穏やかに掛けられた言葉と共に悪魔が両腕を広げ、レオンの裸の上半身がしっかりと抱きしめられた。
「――あ……っ」
その力強さと温かさに、がくんと膝から力が抜ける。
こんな風にされたくて思い出した訳ではない。そう思うのに、ハリネズミのように張り詰めていた神経が凪いでゆく。
「う……っ」
同時に何故か喉元をこみ上げるものが襲ってきて、レオンは軍服の男の胸に額を預けてそれを堪えた。
自分は誇り高い騎士だったはずなのに、何故この男の前では弱く取り乱してしまうのか、それが全く分からない。
カインは最早一人で立つことが出来なくなったレオンの腰を抱き寄せると、ドサリと狭いベッドに倒れ、一緒に体を横たえた。
「よく泣くよなお前」
頬を指で包まれ、呆れたように言われる。
そんなことは無いと否定したかったが、声が裏返りそうになり止めた。
「そんなに辛かったのか」
妙に優しい言葉と、背中を何度も優しく撫でる力強い手に、また嗚咽が喉を突く。
すぐ至近距離にあるカインの美貌が、自分を見つめている。
細く通った高貴な鼻筋と、高慢な切れ長の瞳に、いつもどこか微笑みをたたえている薄い唇――。
まだ数度しか会ってないのに、既にこの男の顔を懐かしいと思い始めている自分が恐ろしくなった。
大陸最強と謳われたデンメルング聖騎士団も打ち破られ、一時はロキの町に逃げ延びたという、騎士団一の剣士も行方知れず。
更に数週間が経つと、タルダンの他の都市も次々とエルカーズに降伏し、事実上、小王国は崩壊した。
人ではない者を兵士とし、恐ろしい強さを誇る恐怖の軍団。
その噂は遥か南の大国、バルドルの港湾都市、ヘズの町にも届いた。
ヘズは石灰岩を含む白い石作りの町が並ぶ、海に面した明るい南の街である。
タルダンの崩壊は、バルドルとエルカーズを隔てる国がなくなったことを意味する。
人々は漠然とした恐れを抱きながら、異教の国の噂を口にしていた。
そして、図らずもこの町に流れ着いていた不死の騎士もまた、自分の故国が滅びたことを、一人身を寄せていた海沿いの宿で知った。
「滅びた……タルダンが……」
――あのロキの町への襲撃の夜。
レオンは人気のない場所から川沿いに出て、一晩南へ南へと歩き続けた。
何の旅の用意も無かったが、運良く途中で戦乱を避けて逃げて行く商人達に出会い、その用心棒になることでようやく食料と金銭とを得ることが出来た。
彼らの目指すのはタルダン王国の南境を越え、更に進んだ先にある大国バルドルであった。
故郷であるタルダンの首都に戻れば、敵前逃亡をした騎士として裁かれかねない。
レオンは祖国を後にし、商人たちと共に彼らの目的地を目指すほか選択肢が無かった。
しかし、今やその祖国も既に無いとは――。
真夜中の蒸し暑い部屋の中に、潮騒の音が響いている。
レオンは下着だけを身に付けた姿でベッドに横たわり、懊悩していた。
慣れないこの土地の気候が身に応えてしまったのか、今までの旅路の疲れが出たのか、もう数日この場所から動くことが出来ないでいる。
命がけで自分を救ってくれたジーモン神父に報いる為には、この安穏とした場所をすぐにでも出発しなければならないのに。
こうしてやむを得ず一つの場所にじっとしていると、今まで考えなくて済んでいたことがどうしても思い出された。
あの、悪魔のことを。
(カイン……)
まるで親しい者に呼びかけるように、久々に心の中でその名を口にする。
もう二度と会うことは無いだろう、この身に呪いを掛けていった悪魔。
だが思い出したことをすぐに後悔し、レオンは汗で額に張り付いた黒髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。
(意味のないことをした……)
自嘲し、もう一度眠ろうと瞼を閉じた――その時。
「――呼んだか」
空耳か、あの艶のある声がすぐそばで聞こえたような気がした。
すぐに消えるかと思ったが、ベッドの傍でもう一度、今度は衣擦れの音が聞こえ、体の横を気配が通り過ぎてゆく。
幻聴だと思った。
悪魔がこんな場所に現れるはずがない。ロキの町はエルカーズに近かったが、今レオンがいるのは遥か南のバルドルだ。
だがその幻は狭い部屋を見定めるように勝手に歩き回り、挙句の果てにガタガタと音を立てて海側の窓を勝手に開け始めている。
「ほーお、これが海か。夜は真っ暗でつまんねえな」
無理やりに開かれた立て付けの悪い窓から、涼しい風までがさわさわと吹き込んできた。
――幻ではない。
確信し、レオンはベッドを軋ませながらゆっくりと上半身を起こした。
風でむき出しの背中の汗が乾き、寒気すらする。
海の匂いが強くなり、男の腰まで届く銀の髪が風に舞う。
星明かりに輝く丸く曲がった山羊のような角、異国の軍服にローブを纏ったその下から伸びている長い尾――その異形の姿を目にした途端、レオンはリンネルのシーツの上に手を滑らせ、いつも寝る時に傍に置いている剣の鞘に手を掛けた。
静かに引き寄せて左手で強く鞘を握り、音を立てぬように利き手で剣を抜く。
つま先をそっと床に下ろし、両手に剣を握りしめて、ゆっくりと窓の前の男に近付いた。
すぐ背後まで抜き足で近付き上段に剣を構えても、まだ男は気付かない。
「死ね、悪魔……!!」
叫びと共に首筋を狙い薙ぎ払った剣を、カインは振り向きざまにあっさりと避けた。
光を帯びた銀髪が一筋断ち切られ、絹糸のようにさらさらと床の上に落ちてゆく。
「っと! あっぶねえなあ、どういう歓迎だよ」
その美貌には艶やかな笑みが浮かび、焦りの気配は見えない。
レオンはもう一度無言で剣を振り下ろしたが、今度は白くしなやかな尾に剣を持つ手首を素早く拘束され、目的を阻まれた。
尾の触れた部分に痛みが走り、痺れて力を奪われた手の平が開く。
剣は床に音を立てて落ち、縛めだけがレオンの腕に残った。
「くっ……離せ……!!」
半ば意固地になってもがき、振り向いた相手の赤い瞳を睨み上げる。
「分かったから少し落ち着け、レオン・アーベル。――俺と話がしたかったんだろう」
穏やかに掛けられた言葉と共に悪魔が両腕を広げ、レオンの裸の上半身がしっかりと抱きしめられた。
「――あ……っ」
その力強さと温かさに、がくんと膝から力が抜ける。
こんな風にされたくて思い出した訳ではない。そう思うのに、ハリネズミのように張り詰めていた神経が凪いでゆく。
「う……っ」
同時に何故か喉元をこみ上げるものが襲ってきて、レオンは軍服の男の胸に額を預けてそれを堪えた。
自分は誇り高い騎士だったはずなのに、何故この男の前では弱く取り乱してしまうのか、それが全く分からない。
カインは最早一人で立つことが出来なくなったレオンの腰を抱き寄せると、ドサリと狭いベッドに倒れ、一緒に体を横たえた。
「よく泣くよなお前」
頬を指で包まれ、呆れたように言われる。
そんなことは無いと否定したかったが、声が裏返りそうになり止めた。
「そんなに辛かったのか」
妙に優しい言葉と、背中を何度も優しく撫でる力強い手に、また嗚咽が喉を突く。
すぐ至近距離にあるカインの美貌が、自分を見つめている。
細く通った高貴な鼻筋と、高慢な切れ長の瞳に、いつもどこか微笑みをたたえている薄い唇――。
まだ数度しか会ってないのに、既にこの男の顔を懐かしいと思い始めている自分が恐ろしくなった。
0
お気に入りに追加
771
あなたにおすすめの小説
受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店
ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。
美しき側近、羞辱の公開懲罰
彩月野生
BL
美しき側近アリョーシャは王の怒りを買い、淫紋を施され、オークや兵士達に観衆の前で犯されて、見世物にされてしまう。さらには触手になぶられながら放置されてしまい……。
(誤字脱字報告はご遠慮下さい)
淫紋付けたら逆襲!!巨根絶倫種付けでメス奴隷に堕とされる悪魔ちゃん♂
朝井染両
BL
お久しぶりです!
ご飯を二日食べずに寝ていたら、身体が生きようとしてエロ小説が書き終わりました。人間って不思議ですね。
こういう間抜けな受けが好きなんだと思います。可愛いね~ばかだね~可愛いね~と大切にしてあげたいですね。
合意のようで合意ではないのでお気をつけ下さい。幸せラブラブエンドなのでご安心下さい。
ご飯食べます。
EDEN ―孕ませ―
豆たん
BL
目覚めた所は、地獄(エデン)だった―――。
平凡な大学生だった主人公が、拉致監禁され、不特定多数の男にひたすら孕ませられるお話です。
【ご注意】
※この物語の世界には、「男子」と呼ばれる妊娠可能な少数の男性が存在しますが、オメガバースのような発情期・フェロモンなどはありません。女性の妊娠・出産とは全く異なるサイクル・仕組みになっており、作者の都合のいいように作られた独自の世界観による、倫理観ゼロのフィクションです。その点ご了承の上お読み下さい。
※近親・出産シーンあり。女性蔑視のような発言が出る箇所があります。気になる方はお読みにならないことをお勧め致します。
※前半はほとんどがエロシーンです。
【R18】奴隷に堕ちた騎士
蒼い月
BL
気持ちはR25くらい。妖精族の騎士の美青年が①野盗に捕らえられて調教され②闇オークションにかけられて輪姦され③落札したご主人様に毎日めちゃくちゃに犯され④奴隷品評会で他の奴隷たちの特殊プレイを尻目に乱交し⑤縁あって一緒に自由の身になった両性具有の奴隷少年とよしよし百合セックスをしながらそっと暮らす話。9割は愛のないスケベですが、1割は救済用ラブ。サブヒロインは主人公とくっ付くまで大分可哀想な感じなので、地雷の気配を感じた方は読み飛ばしてください。
※主人公は9割突っ込まれてアンアン言わされる側ですが、終盤1割は突っ込む側なので、攻守逆転が苦手な方はご注意ください。
誤字報告は近況ボードにお願いします。無理やり何となくハピエンですが、不幸な方が抜けたり萌えたりする方は3章くらいまでをおススメします。
※無事に完結しました!
新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~
焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。
美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。
スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。
これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語…
※DLsite様でCG集販売の予定あり
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
美しい側近は王の玩具
彩月野生
BL
長い金糸に青目、整った顔立ちの美しい側近レシアは、
秘密裏に奴隷を逃がしていた事が王にばれてしまった。敬愛する王レオボールによって身も心も追い詰められ、性拷問を受けて堕落していく。
(触手、乱交、凌辱注意。誤字脱字報告不要)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる