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 ――オメガだってことが分かった思春期の頃、学校で性教育を受けたことがある。
 同学年に数人だけいるオメガが集められて、抑制剤の種類と飲み方、ピルやコンドームの使い方を教わった。
 それから……万が一避妊を失敗した場合、性交後72時間以内に飲む、緊急避妊薬のことも。
 アルファとオメガの「失敗」率は、普通の男女の十倍以上はあるとかで……。
 でもまさか、自分が世話になる日が来るなんて思ってもいなかった。
 今は昔よりも薬がずっと良くなってて、身体への影響や副作用とかもあまりないって話で……それは実際飲んでみてもその通りだったけど。
 俺の心の落ち込みの方は、かなり激しかった。「……何で、こんな事になったんだ……」
 両親に連れられて病院から帰った後、俺は一人自室のベッドにぼんやりと横たわっていた。
 恥ずかしいし情けないしで、最悪の気分だ。
 暗い天井を見上げながら、布団の中であやふやな記憶を一つ一つ思い出す。
 ……あの青磁とのセックスの後、正気を取り戻した俺はめちゃくちゃに取り乱した。
 オメガの発情期の妊娠率はかなり高い。
 まだ大学一年で、妊娠するなんてどう考えても早すぎるし、そもそも俺と青磁は結婚も就職もしてないし……。
 神聖な剣道場の横で、しかも練習中に、居合道着のまましてしまった事も死ぬほど後悔した。
 本能だけで暴走してあんな場所で青磁を襲うなんて、自分がまともな人間とは思えない……もう、死にたいぐらいだった。
 しかもそんな俺を、青磁はちゃんと後始末まで面倒を見てくれて……。
 病院にもついて来てくれたし、普通なら恥ずかしがるところを、平然とした態度で医者に事情も話してくれた。それで、アフターピルを出してもらって……。
 俺一人だったら多分、うろたえすぎてどう対処していいのかも分からなかったと思う。
 診察を受けている間、病院に両親と航が来てくれて、入れ替わりに青磁は帰らされていた。
 航は表面上優しかったけど、内心怒ってるのが丸分かりだった。
 普段優しい獣人のパパも無口になり、帰ってくるなり自分の部屋に閉じこもっちゃうし、多分青磁に対してもあんまりいい態度では無かったことは間違いない。
 俺のせいで、こんなにいろんな方面に迷惑をかけるなんて。
 青磁とつがいになった時も色々あったから初めてじゃないけど、尚更ひどい。
 自分に心底うんざりして両手で顔を覆っていると、枕元でスマホの振動音が鳴り出した。
 ハッと横を見ると、バックライトのついた画面に白い虎のアイコンと名前が浮かんでいる。
 俺は瞬間的にスマホを取り、相手の名前を呼んだ。
「……っ、青磁……!?」
『……岬。お前身体大丈夫か』
 青磁の低く静かな声が鼓膜に響く。
 ああ、この声、好きだ……心配してくれてるの、嬉しい。
 涙ぐみながら俺は頷いた。
「うん……。ほんとうにごめん、俺……」
『謝るな。最初に煽っちまったの俺だし、止められなかったのも悪かった……そもそも、前回の発情期の時から、そろそろ色々何とかしねえとヤバいだろうなとは思ってたしな』
 ヤバい……?
 前の発情期は大学に入る前だ。
 何かおかしなことあった覚えはないけど……。
「何かあったんだっけか……?」
『覚えてねぇのか。お前、あの時俺に何言ったのか』
「ごめん、分からない。俺、この頃発情期になると……その、気持ち良すぎてだと思うけど、記憶があやふやで」
『……。もう家に帰らない、このまま俺と一緒に暮らすって言ってたぞ。それで、早く赤ん坊産ませろって俺に迫ってきた』
「うっ、嘘だろ⁉︎」
 ビックリし過ぎて、思わず電話を布団の上に落としてしまった。
 慌ててスマホを拾い直して、青磁に聞き返す。
「俺、そんなこと言った覚えない……!!」
『……やっぱりか……。あの時はピル飲んでたからデキることはなかったけどな。――本気にして、必要な金のこととか色々考えてた俺が馬鹿みたいだろうが』
「……え」
 ど、どういうことだ……!?
『この二年――発情期のたびに少しずつ、普段のお前と、発情期の時のお前の、言動の落差が激しくなってるよな』
「そ、うかな……?」
『気になって、後で医者に電話して聞いてみた。……そいつが言うには、既につがいになって何年も経つのに離れて暮らしてるっていうのは、オメガにとって精神的にも肉体的にも負担が強い環境らしい。情緒不安定になりやすいし、発情期の渇望感も酷くなるんだと』
「なるほど、それで俺はやたら不安に……って、それはいいけど、ちょっと待ってくれ。それ以前に質問したい」
『ん?』
「えっと……青磁、金貯めてたの、もしかして俺の為……? 困ってるんじゃなかったのか」
『そんな貧乏じみた生活してねえだろが。締めるとこ締めてるだけで』
「バイトとかで、忙しかったのも?」
『……。もう、その話はいい』
 青磁は黙ってしまったけど、多分そういうことだよな。
 俺にとっては本当に寝耳に水で、鼻の奥がツーンとして、涙が出てきてしまった。
「……っ、青磁……」
 ぐすぐす鼻をすすりながら、電話口に訴える。
「お前、ちゃんと俺のこと好きだったんだな……っ」
『はあ⁉︎ ふざけてんのか』
 呆れたような声で言われたけど、それさえも嬉しかった。
「ごめん、俺、お前のいう通り、不安定になってるのもあるんだろうけど、……凄い誤解してた……。お前、なかなか連絡くれないし、ワガママだし、俺の扱いは色々酷いし」
『そんな覚えは全然ねえな』
「いやいや……」
 うう、俺より青磁のほうが色々無自覚なんじゃないか……?
 でも、取り敢えずよかった……。
「青磁……。会いたい……」
『発情期終わるまで待て。今会ったらまた同じ事になるぞ』
「そ、そうだった……うん……」
『しかも今日、お前の親……特に犬の方の親と弟、俺のこと滅茶苦茶に怒ってたしな。何でか人間の方のオッサンは俺に同情的だったけど……』
 人間の方のオッサンって。
 俺の人間の父のことだろけど、本人が聞いたら怒りそうな言われようだ。
「あー……。父さんはオメガだから、何となく俺が原因なの分かってたんじゃないかな……」
『お前の弟なんか、帰り際、病院の裏の駐車場に俺のこと呼び出してきたんだぜ。絶対に俺のこと認めないって犬顔で牙剥き出しで怒鳴ってきやがって、まるで俺がお前に中絶でもさせたかってぐらいの剣幕だった。俺が学校で、お前を無理矢理襲ったとでも思ったんだろうが』
「うわあ……」
 俺と青磁も拗れてたけど、航と青磁は二年前からそれ以上にこじれてたことを思い出した。
 どうしよう、どう誤解を解いたらいいんだ⁉︎
『で、俺もあのブラコン野郎に心底ムカついて、殴りそうになって』
「ちょっ、俺のいない所で勝手に何してくれてんだっ」
『……だけどまあ、お互いあの時よりかは大人になってるしな。事情を一応説明して、それでも納得行かなそうな顔だったから、殴り合う代わりに別のことで勝負して、俺が勝ったら二度と俺らのことに口、出すんじゃねえって話になった訳だ』
「……うん……?」
『で、俺もミスコン出る事になったから。……ちなみに、アイツが勝ったらお前は一生あのブラコン野郎と犬の群れで暮らす事になるらしいぜ。ちゃんと俺の味方しろよ』
「はあ……⁉︎ 勝手に決めんなよ……大体、俺、航がミスコン出る話、お前にしたっけ……⁉︎」
『……前から広研の連中にしつこく誘われてたから、そのツテでなんとなく聞いた。面倒だしキャンパス違うし、出ねえつもりだったけどな』
 そんなの初耳で、固まってしまった。
 でも、青磁の容姿の派手さは折り紙付きだから、スカウトを受けてたってのは確かにあり得る話だ。
『そっちのキャンパス行く機会が増えるから、お前にも会えるし、いいんじゃねえの』
「そりゃ、会えるのは嬉しいけど……っ」
『だろ。あと、発情するたんびに頭が飛んじまうお前の方の問題もそろそろどうにかしねえとなあ。――少し考える。またな、岬』
 一方的にブツッと電話を切られて、あっと声が出た。
 もっと話してたかったのに。
 青磁はいつもこうだ。
 でも、何でか、さっきまでと違ってフワフワ心があったかい……。
 青磁はお金を貯めたら、ほんとに俺と一緒に暮らして、赤ちゃん産ませる気だったんだろうか。
 本当に妊娠したら、休学もしなきゃいけないし、大変になってただろうな。
 でも……。
 淡いため息をつきながら、俺はベッドに倒れ込んだ。
 初めて青磁との具体的な未来が頭に浮かんで、涙が出てくる。
 俺は中途半端な犬獣人だし、どんな子供が生まれるのかさっぱり想像がつかないけど……。
 ――青磁がちゃんと前向きに考えてくれてるなら、俺も彼と家族になる未来を、ちゃんと考えてみようかなって、そう思えてきたんだ――。
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