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世羅と資料

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 晶の家を、直接尋ねたことはない。
 突然行ったら迷惑になるだろうというのと、本人に知られずに何度も家の周りを見に行ってた時の罪悪感があって、今となっては、逆に近づくことができていなかった。
 だが……。
 上原の話が本当なら、こんな俺の態度のせいで、晶を苦しませている……のかも、しれない。
 俺は、晶の住む、古めかしい学生マンションの一室――その錆びた扉の前に立ち、インターホンを鳴らした。
「……ひゃっ、ひゃいっ。どちら様ですか」
 晶の声が妙にうわずっている。
「俺だ。世羅」
 名乗った途端、薄い扉の向こうから、何か家具が倒れるような、ガタガタと忙しない音がする。
『な、な、なに、世羅!? 来てくれたの!?』
 雑音の混ざるインターフォン越しの晶の声に、俺は答えた。
「ごめん。邪魔だったら、帰るが……」
『そそそっ、そんなことないよ……! は、入って!』
 バタバタと足音が聞こえて、ガチャリとチェーンを外す音がした。
 ドアが開き、隙間から、上下ともスウェット姿の晶の顔が見えて……。
 その頬が、紅く火照っていて、額も汗ばんでいた。
「……筋トレでもしてたのか?」
「えっ? ア、うんっ、原稿の合間にねっ」
 ニコッと目を細めて笑う晶の笑顔に、いますぐキスしたい。
「中、入って……?」
 俺を招き入れようとする晶に、俺は首を振った。
「いや……別にここでも……」
「ううん、入ってっ」
「……っ、分かった……」
 覚悟して、今まで一度も入ったことのない聖域に足を踏み入れる。
 ばあちゃんちに来たみたいな、少し甘ったるいような古い建材の匂い。
 狭くて、暗い玄関。
 入ってすぐ左が洗濯機置き場兼脱衣所。その次がユニットバス。
 短い廊下の向こうがワンルーム……。
 中の作りは、上階の部屋が賃借人募集してた時に広告の間取り図で見たことがあった。
 居室の壁には棚が作ってあって、なかみは晶の好きなものでいっぱいだった。
 色んなタイプの白夜雪子のフィギュアと、2頭身のぬいぐるみ。
 その前にハマってたジャンルのキャラたちの3頭身フィギュア。
 某有名アニメ映画の近未来風の赤いバイク、某有名アニメ映画監督の描いた伝奇ファンタジー漫画、少年漫画、青年漫画、大量の薄い本、それから絵やデッサン、背景の資料が何十冊も……。
 ゲーミングチェアのあるPC机には、モニターとデスクトップパソコンとタブレット。
 壁ぎわにはベッドが置いてあり、すぐそばにサイン入りのアニメ映画のポスターが貼ってある。
 晶の好きなものは全部把握してたつもりだったが、いざこの部屋の中に入ってみると、俺の把握していなかった「推し」も多くて、圧倒された。
「散らかっててごめんね。一回片付けたんだけど、好きなものが多いから、やっぱり整理しきれなくて……」
「別に、ちゃんと整理されてるじゃん。……お前、宮沢隼人監督のアニメ、好きだったんだ?」
「うん。幼稚園の頃からずっと好きなんだ。全部ブルーレイ持ってるよ……」
「あとこっちの赤いバイク……映画の『テツヲ』に出てくる羽田のバイクだよな。凄ぇかっこいいやつ」
「知ってるの? 嬉しいな。僕、メカは苦手で描けないんだけど、憧れはあるんだっ」
 俺の知らない晶の一面が、次から次へと顔を出す。
 ああ、俺は……晶のことを全部分かってるつもりで、全然そんなことはなかった。
 俺の知らない間にも、晶は色んなものを吸収して、成長し、変化し続けている。
 そのことがすっと理解できた途端に、なぜか、俺を縛っていた呪縛のようなものが解けたような気がした。
 ずっと俺の方が年上のような気がしてたけど……晶はもう、子供じゃない。
 ……いろんなこと心配して、過剰に気を使ったりする必要も無かったのかもな。
 俺は自分の感情ばかりに目が行っていて、本物の晶のことをきちんと見られていなかった。
 一言、謝ろうと思って改めて晶の方を見ると、顔がユデダコみたいに赤くなっている。
 なんだ? 
 さっきよりも汗ばんでいるような気がする……?
「晶、調子でも悪いのか?」
「そっ、そんなことないよ。それよりごめんね、座るところがなくて……。そこのベッドに座ってくれる? あっ、あと、なんかお茶とか……っ」
 ベッドに座るのは流石に気が引ける。
「いや、床でいい」
 俺はフローリングの床に胡座をかいて座った。
「……気を遣わなくていい。すぐに帰るし。ところで、原稿は……」
「あー……原稿は、今日はもういいかなぁ。世羅も来てくれたし……会いたかったんだ、本当は」
 もじもじしながら晶が微笑む。
 背筋が痺れるほど、ジンときた。
「そうか。じゃあ……。ちょっと、話したいことがある。いいか?」
「うっ、うん。いいよ……あー、長くなりそうだったら、その前にちょっとトイレに行ってもいいかな……」
「いや、すぐに済む。そこの椅子に座って聞いてくれ」
「そ、そう?」
 俺が促しても、晶は不自然に後ろで手を組んだまま、突っ立っている。
「……? 何で座らないんだ」
「うん……立ってた方がいいかなぁと……」
「……?」
 なぜに、挙動不審……?
 長年のストーカーで磨かれた勘がうっかり働く。
 まさか、俺に見せられないような、何かを後ろに隠してるのか……?
「晶、何か俺に隠してることないか……?」
「ひぇっ。何もないよ」
「じゃあ、その手は」
 指摘すると、晶は手を両方とも前に出した。
「ないない。何も持ってない」
 確かに、その両手はカラだ。
「じゃあ、後ろ向いてみろ」
 晶はビクッして、本棚を背に後退り始めた。
「な、何もないよ。なんにも」
 ……明らかに何かある。
 俺からは隠したいような秘密が、晶の背中に。
 俺はゆっくりと立ち上がり、晶の方へジリジリと近づいた。
「何もないなら、何で後ろを見せない」
「別にいいじゃん……! 何にもないってば……っ、アッ」
 晶の尻が、後ろの棚にドンとぶつかる。
 途端に、真っ赤になった晶がギュッと目を瞑り、ヘナヘナと崩れ落ちながら艶かしい嬌声を上げた。
「はあぁん……っ!」
 そのまま晶の身体が四つん這いみたいに床に這いつくばり――そして俺は、違和感に気付いた。
 晶のスウェットのズボンの尻が、尻尾でも隠してるみたいに、妙に出っ張っている……?
 ま、まさか突然の獣人もの展開……!? 
 って、そんな訳があるか。
 かなり動揺しながら膝でにじり寄り、晶の背中の上に覆い被さるようにして、『それ』に手を伸ばした。
「おい、晶、それ」
 硬い感触のそれに途端、晶がビクビクと腰を浮かせ、四つん這いで仰け反る。
「あっ、ちょっ……触らないで……」
 ――言われて、はいそうですかと手を引っ込められる訳がない。
「……一体、尻に、何を……?」
 強引にスウェットのウエストゴムに手を掛け、ぐいと下に引き下げる。
「あああっ!!」
 晶の尻の間から、何かがはみ出ている……。
 色といい形といいサイズといい、どう見ても男のイチモツ――を、かたどった、シリコン製の物体が。
 しかも、ご丁寧にゴムまで被せてある……。
 頭が真っ白になった。
「おい……。こいつはただの資料じゃなかったのか……」
「し、資料だよ!? お尻の穴に入ったところをリアルに描きたくて……」
「いや、商業誌の基準でそこまで描く必要ないだろ……」
「よ、よくご存知で……」
 目を逸らした晶の手首を握り、グイッと引く。
「で。俺という恋人がいるのに、何でお前はこいつを尻に入れてんだ……しかも俺の前で」
「入れたくて入れた訳じゃ……うっかり、ちょっと入れてみようかなって思いついて、お尻の準備してたら……そしたら、ピンポーンって。慌ててたから、他に隠し場所がなくて」
「あるだろ! 隠し場所くらい!」
「ないよ! 僕の家狭いし、収納は推しグッズと本でギチギチだし! こ、これだっていつも机の上のオブジェ化してるし……!」
「オブジェって……俺がリビングにコピー本飾ってるの見て、同人誌は普通隠すものだとか何とか言ってきたくせに……!?」
「ぼ、僕は僕自身と家自体が『陰《いん》の者』だからいいんですぅ……!」
 なんてダブルスタンダードだ……!! って、今突っ込むべきはそこじゃねぇ。
「いや、だから、ちょっと入れてみるならそいつじゃなくて俺にすればいいじゃねえか……!」
「それは……だって、急に『ちょっと入れにきて』とか電話できないよぉ……! それでなくても、最近世羅に避けられてる気がしたし、いつもlimeそっけない上に、僕から連絡するばっかりだし……」
「それは、お前が死ぬほど忙しいと思ってっ」
「……忙しいのはそうだったけど、でも、だからって、ちょっとの間だけわざわざ呼び出すとか、迷惑かなぁって……。どうしようもなくて今日頼んじゃったサークルのことも、本当に申し訳なかったし。だから、性欲ぐらいは自分で何とかしようかと」
「何でそういう結論になる!? 近くに住んでんだから、5分でも10分でもいいから呼べよ。……いや、呼んでくれ……誤解されるような態度とって、悪かった……」
 俺は力なく床に両手をついた。
 畜生、これじゃまるであの上原が言ったことがそのまんま、大当たりじゃねぇか。
 晶も、どうしたらいいのかわからないといった感じで尻にハンパにディルド入れたまんま四つ足で佇んでいる。
 俺はそんな相手に深く頭を下げた。
「……正直言うと……まだ、晶と恋人づきあいっていうのが、どうしていいのかよくわからねぇんだ。だって、匿名で見守るのが、当たり前だったし……。そもそも俺は、ネット以外でお前に接触したことは一度もないし。お前は今まで、俺なんか居なくたって十分楽しそうに漫画描いてたし……」
「そりゃ、漫画描くのは楽しいよ。でも……なんで楽しくかけてたかって、それは応援してくれたマシュマロさんがいたからで……恋人になった途端、両方で遠巻きにされるのは、寂しいよ……っ」
 晶の大きな目が潤んでる。
 全身が後悔で震えた。
 ……もう二度と、悲しい思いなんかさせたくなかったのに……。
「晶。……悪かったっ……! 俺はただ、お前の邪魔になりたくなくて――」
 膝立ちになって両腕を伸ばし、ガバッと肩を抱きしめようとして、サッと避けられた。
「……なんで逃げる!?」
「ごめん、これ、抜きたいから、ホント……トイレ行かせてぇ……」
 晶がドアに向かい、Gみたいな動きでカサカサと床を這う。
「いや、ここで抜けばいいだろうが……!」
 つい下心で叫んだら、えらい剣幕で言い返された。
「やだよ! ここで抜いたら、その汚れたのどこに置くの!? あと、大事な資料だからちゃんとすぐに洗面所で洗いたいよお!!」
 ……いや、もういっそのこと、素直に俺のチンポを資料にしてくれよ……いつでも、どのアングルでも、どの角度でも、二十四時間体制で写真送るから……。
 と思ったが、それは流石に変態すぎる申し出かと思って、渋々頷くしかなかった……。
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