上 下
19 / 29

田中とマシュマロ

しおりを挟む
 ……本当に、マシュマロさんはこんな所まで来るんだろうか。
 右を向いても、左を向いても、男同士がイチャイチャしている本と、ポスターしかない、腐女子の牙城みたいなこの場所に。
 ドキドキしながら待っていると、通りすがる若い女の子の参加者さんが、何人か本を買ってくれた。
 初めて描いたボーイズラブだけど、手にとってもらえたのはちょっと嬉しい。
 一人だけ若い男の人も来て、腐男子の人かなぁ、と思わず顔をじっと見てしまった。
 すごくハンサムで、年は20代後半ぐらいだろうか。
 世羅にちょっと似ていたから、切なくなった……。
 お昼の12時を過ぎる頃になると、僕のスペースの前を通る人は滅多にいなくなり、本当に暇になってしまった。
 マシュマロさんらしき人はまだ来ない。
 いや、もしかしてもう、すでに来たのか?
 まさか、さっきのハンサムな男の人?
 でも、買う前に試し読みって感じでパラパラなかみを見てたし、名乗ったりしてなかったし、どう考えても通りすがりっぽかったよな。
 暇なせいで、時間が経つのが異様に遅い。
 会場は冷房なんてかかってないし、風も殆どなかった。
 外はかんかん照りで、朝よりも気温が上がったせいか、かなり蒸し暑い。
 さらに、連日の寝不足がたたったせいか、気分が悪くて……僕の体調は、だんだんと厳しくなってきていた。
 マシュマロさんは、もう、来ないのかもしれないし……もういっそ、駅や電車が混む前に、撤収してしまいたいな……。
 そもそもこういうイベントは、お昼を過ぎると一気に客足が減るので、閉会よりも前にいなくなるサークルさんが殆んどだ。
 頭が痛い……。
 吐き気もする。
 どうしよう……誰か売り子さんがいてくれれば、気を抜けるんだけど、今は一人だ。
 ちょっと席を外して救護室に行くとしても、スペースが心配で……。
 ミキちゃん達に連絡しようかな。
 でも、撮影の最中かもしれないし、迷惑だよな……。
 仕方がない。せめてお金だけ持って、スペースを外そう。
 パイプ椅子から立ち上がり、敷き布を本にかけ、釣り銭ケースをカバンに仕舞い、通路に出ようとした――その時。
 周りのサークルの人たちから、ざわざわっとどよめく声が聞こえてきて、僕は足を止めた。
「ねぇ、あれ、何のコスプレ……?」
「え……お餅……? 蝋燭……?」
「マシュマロじゃない……?」
「……その発想はなかったわ……」
 マシュマロ、という単語にハッとして、僕は一般参加者の入ってくる出入り口の方を振り向いた。
 会議机で作られた島と島の間、人の行き交う通路をヨチヨチと歩いてやってきたのは――コミケのコスプレの規則ギリギリの、高さ二メートル、幅一メートルに従い、ギリギリの円筒形を攻めた、巨大なマシュマロの着ぐるみを着た何か、だった。
 しかもお腹のあたりに、何だか癒される感じのほっこりした笑顔が描かれている……。
 うっかり通行人がぶつかっても、フワン……と押し返す低反発素材で出来ているのか、かなり邪魔な割には、周りの人に温かい視線で受け入れられていた。
「やだー、可愛い……!」
「後で写真撮らせてくださーい」
「こっち来てー!」
 声をかけられるたびに、マシュマロは済まなそうに低姿勢に腰を折りながら、だんだんとこちらに近づいてくる。
 呆気に取られている僕の目の前で、いよいよそれは僕のスペースに近づいてきて――ついに、目の前で立ち止まった。
 四角いお餅のような体の側面から、ニュッ……と出ている、白い全身タイツっぽいものに包まれたでかい手の上に、500円玉一枚と、100円玉3枚が載っている。
「スミマセン……ワタシ、いつもお世話になってます、マシュマロらぶです。新刊一冊ください……」
 その声を聞いて驚愕した。
 くぐもっていてよく分からないけど、この人、男だ。
 いや、男なのはなんとなく想定内だけど、多分、この人凄いイケボ(=イケメンボイス)だ……。
 見た目はこんなシュールなのに……?
 僕が完全に凍りついてしまっていたせいで、マシュマロはもう一回催促してきた。
「あの、新刊。ください」
「は、……はい……800円ちょうどですね……って、そうじゃなくて! あなたのために作った本なんで、お金はいりません……!」
 僕はお金をつっかえすと、机の上に積んでいた本を一冊取って、マシュマロさんに渡した。
 どこからどう目が見えているのか分からないけど、マシュマロさんはまじまじと表紙を見て、それから会議机ごしに僕を見た。
「これって……あの……今回、『トリ娘』じゃないんですね……」
「はい。スミマセン。ご期待に添えなくて……」
 覚悟していたことだけど、ちょっと傷つく。
 僕はマシュマロの顔(?)色を伺いながら、自分から声をかけた。
「あの……。マシュマロさん、素顔、じゃないんですね……」
「ええ……シャイなので……」
 ……シャイ……。マシュマロのコスプレをする方が、よほど恥ずかしい気がするけども……?
 とりあえず、このまんまサヨナラになるのは何となく嫌で、僕は声を上げた。
「あの……! マシュマロさん。イベントの後で、ご予定あったりしますか……。せっかくなので、お話とか……」
 勇気を出して誘ってみたら、巨大なマシュマロは首(?)を振った。
「いえ。飛行機の時間があるので」
 マシュマロさん、そんな遠いところから来てるんだ……?
 え……この、自作の着ぐるみを持参して……?
 よく飛行機乗れたな……。
 そこのところも、ちょっと話が聞いてみたい。というか、どんな人なのか、素顔がやっぱり見たい……!
「あの……。良かったら、lime、交換しませんか」
 僕が食い下がると、マシュマロはぷいと横を向いた。
「ネットで知り合った人とは、交換しない主義なんで。すみません」
 にべもなく言われて、心臓が凍った。
 すごい、用心深い人……、てよりも……。
 この人は、僕の絵は異常に好きだけど、作り手の僕のことには興味がない……というか、むしろ接触したくないタイプの人なんだろうな……。
 僕、外見は多少変わったけど、人に嫌われがちな空気読めないオタクなところは変わってないしな。
 うん、よくある……むしろあるあるだ。
 そんなこと、本来、普通に当たり前だ。作品と作り手は、あくまでも、別なんだから。
 当たり前のことなのに、無性に悲しい。
 最後にこの人と、もしかして心を通わせられるかもって勘違いしてた自分が、のたうちまわりたくなるほど恥ずかしくて、情けなくて、寂しい。
 僕は本当のところ、ずっとこの人に依存してたんだ。
 この人のくれる、深い、無償の愛情にも近いような、温かい言葉に。
 今まで、僕は何のためにマンガを描いてたのか――。
 原作が好きとか、キャラが好きとか、そういうのも確かにあったけど、自分の承認欲求を満たす為……というか、同じものを好きな誰かに認めてほしい、そんな誰かと繋がって、寂しさを満たしたかっただけだったのかも……っていう、あんまり目を向けたくない事実を突きつけられて、吐きそうなほど辛かった。
 ああ。これできっと、未練なくやめられる。
 漫画を……オタクを。
 僕は、マシュマロさんに向かって深々と頭を下げた。
「……困らせて、ごめんなさい。長い間、こんな僕を応援してくださって、本当に嬉しかったです。最後、こんな本しか描けなくて、本当にごめんなさい……。今まで、有難うございました……っ」
 頭を上げた途端、脳みそに血が上りきらずに、足元がフラーっとした。
 目の前が真っ暗になって、前のめりに身体が崩れ落ちる。
 そんな僕の身体を受け止めたのは、机越しに立っていたマシュマロさんの着ぐるみだった。
「おいっ、大丈夫か、しっかりしろ……!!」
 低反発素材の中から、妙に男らしい叫び声が聞こえる。
「田中、おい、返事しろ、田中……!!」
 ――おかしい。
 なんで、コミケ会場で僕の本名を呼んでる人がいるんだ……?
「……ましゅ、まろさん……?」
 僕の意識はそのままそこで、プツンと途切れてしまった――。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

前世から俺の事好きだという犬系イケメンに迫られた結果

はかまる
BL
突然好きですと告白してきた年下の美形の後輩。話を聞くと前世から好きだったと話され「????」状態の平凡男子高校生がなんだかんだと丸め込まれていく話。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~

戸森鈴子 tomori rinco
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。 そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。 そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。 あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。 自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。 エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。 お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!? 無自覚両片思いのほっこりBL。 前半~当て馬女の出現 後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話 予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。 サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。 アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。 完結保証! このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。 ※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

身代わりになって推しの思い出の中で永遠になりたいんです!

冨士原のもち
BL
桜舞う王立学院の入学式、ヤマトはカイユー王子を見てここが前世でやったゲームの世界だと気付く。ヤマトが一番好きなキャラであるカイユー王子は、ゲーム内では非業の死を遂げる。 「そうだ!カイユーを助けて死んだら、忘れられない恩人として永遠になれるんじゃないか?」 前世の死に際のせいで人間不信と恋愛不信を拗らせていたヤマトは、推しの心の中で永遠になるために身代わりになろうと決意した。しかし、カイユー王子はゲームの時の印象と違っていて…… 演技チャラ男攻め×美人人間不信受け ※最終的にはハッピーエンドです ※何かしら地雷のある方にはお勧めしません ※ムーンライトノベルズにも投稿しています

婚約破棄された悪役令息は従者に溺愛される

田中
BL
BLゲームの悪役令息であるリアン・ヒスコックに転生してしまった俺は、婚約者である第二王子から断罪されるのを待っていた! なぜなら断罪が領地で療養という軽い処置だから。 婚約破棄をされたリアンは従者のテオと共に領地の屋敷で暮らすことになるが何気ないリアンの一言で、テオがリアンにぐいぐい迫ってきてーー?! 従者×悪役令息

処理中です...