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田中の現実

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 正月が終わると、地味な現実の生活が戻ってくる。
 僕は久々に電車に乗り、お茶の水にある明正大学の、三、四年生用のキャンパスへと向かった。
 全く興味ない楽器店とか、どこにでも見かけるファーストフードチェーン店ばかりが軒を連ねる明正通りの街並みは相変わらずだ。
 オシャレ感のカケラもない、街中に聳え立つ無骨なタワービル型の教室棟に入って、級友の誰とも言葉を交わさないまま、すみっこの席で授業を受ける。
 締め切りに追われて授業をよく休むから、僕の成績はあまりよくないし、知り合いはいても、友達はいなかった。
 文学部の史学地理学科を選んだのも、たまたま中国の歴史漫画にハマっていたからで、級友とそんなに深い話が出来るわけじゃないし、そもそも同専攻に男が少なくて……。
 授業の後、正月越しの再会を喜び合う女の子達を尻目に、僕はそそくさとエレベーターに乗り、学食に向かった。
 不味くもないけど美味いとも言えない、狭くて微妙な学食は、同じタワーの十七階だ。
 カフェテリアコーナーでおばちゃんにワカメうどんを注文すると、体型と顔と注文をセットで覚えられてるせいか、勝手に大盛りにされて出てきた。
 トレイを手に飲食スペースを見渡すと、私立なのに「硬派」がウリの地味なウチの大学には珍しい、ひときわ賑やかで目立つテーブルが目に飛び込んでくる。
 恐らく付属からの持ち上がり組と思われる、学生なのに妙に身なりのいい、カースト上位然とした女子達――甲高い話し声や、笑い声に包まれたそのテーブル。
 その真ん中にただ一人、つまらなそうに座っている男は、「あの」世羅《せら》公英《きみひで》だった。
 スパイラル・パーマのかかった長めの前髪をセンター分けにした、目つきの鋭いコワモテ系イケメン。
 トラックパンツ、パーカーにコーチジャケット、シューズも全部、黒ずくめのファッションで、華やかな女子たちの中で、彼の周囲の空気だけが張り詰めて見える。
 影騎士と呼ばれた彼は前世でも、いつも漆黒を身にまとっていた。いや、中高時代は学ランだっただけだけど。
 前世の彼は、凛とした美貌と秀でた体躯、素晴らしい剣の実力を持ちながら、決して目立とうとしない武人気質の男。
 幼い時から言葉数は少ないが、影のように僕のそばについていてくれた――。
 いざ記憶を取り戻して彼の姿を目にすると、涙が溢れ出てくる。
 そんな僕の姿はハタから見たら凄まじい絵面だったのか、不穏な声が世羅の周りから上がりはじめた。
「ウゲ、何あのキモメン。うどん山盛り持って立ったまんま泣いてんだけど。カツアゲにでもあったのかな」
「デカいから後ろの人通れなくて困ってんじゃん」
 い、いかん。
 僕はわざわざここに来たのは、世羅に少しでも話しかけようと思ったからだ。
 何しろ、二月半ばすぎからは二ヶ月に渡る大学の春休みで当分会えなくなる。
 その前に、毎日彼にアプローチして、僕のことを思い出してもらう!
 僕はうどんのトレイを持ったまんま、世羅のすぐ背後にツツツ……と寄り、なるべく爽やかに話しかけた。
「や……やあ! 久しぶり。元気? お昼、入れてもらえない?」
 すると、世羅が振り返り、小学校三年生の時ぶりに僕を見た。
 アメジストのかけらを閉じ込めたみたいな紫色の瞳と目が合って、間違いなくアスワドだと確信する。
 ところが世羅は首を傾げながら、まるで「不審者」を見るような視線を僕に向けてきた。
「誰だ、お前?」
 ガーーーーン。
 小学校からの幼馴染なのに……何回か同じクラスにもなったのに……覚えてすらいらっしゃらないだと!?
 まさかそう来るとは思わなくて、僕が真っ白になっていると、周りの取り巻き女子が勝手に僕の他己紹介をしてくれはじめた。
「こいつ、史学地理学科の田中じゃない? チョーオタクの。授業中、紙に美少女の絵とか描いてる変態のロリコンがいるって、同じ学科の子が噂してたよ」
 なっ!
 聞き捨てならない。
 今推してるキャラは17歳のフクロウを元にしたトリ娘だし、幼女系には断じて手を出したことはない。
 授業中に描いてたのは、原稿がどうしても間に合わなくて描いてた表紙の下書きだ。
 やばい、このままじゃアスワド――世羅に、間違った僕の情報が刷り込まれてしまい、一生前世を思い出してもらえないハメに……!!
 僕はうどんのトレイを持ったまま、必死で弁解した。
「ぼ、僕はロリコンじゃないです。どっちか言うと、幼馴染ものとかが守備範囲で」
 言いかけた途端、女子たちの顔面がサーッと蒼白になり、犯罪者を見る視線が僕を苛む。
「え……キモ……なに公共の場で聞かれてもいない性癖暴露してんのコイツ……」
 し、しまったーーーーーーー!
 どっちに転んでも僕の印象がどんどん前世から遠ざかっていく……!!
 慌てふためいていると、きっぱりと、棘を含んだ声で世羅が言い放った。
「おい、さっきからどっちもうるせぇんだけど。飯が不味くなる」
「ご、ごめん……っ」
 慌てて謝ったら、その拍子に大盛りのうどんがトレイに盛大にこぼれた。
「汚なっ。早くあっち行きなよ、田中。世羅君があんたなんかとお昼一緒に食べる訳無いじゃん!!」
 大人っぽい女子に一喝され、僕はチャプチャプするうどんトレイを持ったまま、脱兎のごとくその場を逃げ出した。
 食堂の一番暗くて狭い端っこにやっと席を見つけて、そこにやっとトレイを置く。
 お尻のはみ出る椅子に座り、泣きながらノロノロとうどんをすすった。
 とんでもなく惨めな気分だ。
 ……世羅は僕のことなんか、覚えてなかった。
 僕は前世のことがなくたって、世羅のことを覚えてたのに。
 まあ、当たり前だよな。
 絵ばっかり描いて、あんまり人と関わってこなかったし。
 ……絵を描くのは、前世の時から本当に好きだった。
 前世の僕は、あの世界の神の血を引いているせいで大抵のことが一般の人よりも出来たけれど、絵だけは特別だったのだ。
 もしも王子に産まれたのでなければ、画家になりたかったのにと密かに思ってた。
 普通、王族の趣味は馬に乗ったり狩りをしたりすることの方が主流で、絵描きなんてものは卑しい民衆の職人がなるものだと言われていたけど。
 でも、僕は娯楽のために動物を殺したりするのは好きじゃなくて……。
 だから、父や母や、みんなに内緒で、僕とアスワドだけが知る秘密の隠し部屋で絵を描いていた。
 アスワドは僕のそんなところも理解してくれていて、僕も、僕の絵も、心から愛してくれていた……。
 でも、今は――。
『誰だ、お前?』
 向けられた冷たい視線を思い出すと、身体が凍りつく。
 アスワドの僕を見る時の優しい瞳を覚えているだけに、それが悲しかった。
 エレクチオン玉置さんが言う通り、前世の記憶は全て僕の思い込みだったんだろうか。
 それか、彼は実は僕のアスワドじゃないのかも……。
 アスワドなら、僕のこと絶対に覚えてくれてるはずだから……。
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