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田中の晴れ舞台

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 玉置さんに言われるまでもなく、年末は大学も休みなので、結局のところ、僕は原稿の続きををやるしかなかった。
 そして、異常に手の早い玉置さんのアシストもあり、僕が出すことを公言していた『トリ娘これくしょん』ジャンルの冬コミ新刊は、どうにか間に合ったのだった――。
 そんな同人作家としての僕の晴れ舞台は、海からの寒風吹き荒ぶ湾岸地域、勝手知ったる国際的展示場、通称ビックリ・サイトだ。
 朝、いつもの電車で会場のある駅に辿り着いて改札を出ると、駅前広場のあらゆる場所が老若男女あらゆるオタクで溢れかえっていた。
 最寄りのコンビニもちょっと他では見られないような臨戦体制で、おにぎりだけでも数百は並んでいるのでは?と思うような鬼気迫る品揃えと接客で僕らを迎え撃ってくる。
 バタバタしていて家で食べられなかった朝ごはんと水のペットボトルを買ってから、僕は待ち合わせしている売り子の二人とスマホで連絡を取った。
「もしもし、着いてますか?」
 すると――電話口と背後の両方から、甲高いアニメ声の女の子の声が響いた。
「もっちー! こっちこっちー!」
 僕のペンネームをあだ名にして叫ぶのは、先っぽが青紫になったツインテールに、白いロリータ風のコートを着た美少女……に見えるけど実年齢三十?歳のコスプレイヤー女子、「ミキちゃん」だ。
 その隣が、黒いゴスロリ風のコートを着た、先っぽが赤紫のツインテールの「マキちゃん」、実年齢同じ。
 二人とも既婚者の子持ちだけど、メイクテクと自己研鑽の鬼で、どこからどう見ても高校生にしか見えない。
「ミキちゃん、マキちゃん!」
 この人混みの中で無事会えたことにホッとしながら、僕は彼女たちに駆け寄った。
 彼女たちは、僕が以前、イベント慣れしていなかった頃から同人誌の売り子の手伝いをしてくれているお姉さん達だ。
 ちなみに、年齢バレを避けるために、僕は徹底した「ちゃん付け呼び」と、「敬語禁止」を言い渡されている。
「もっちー、デッカいから人混みでもすぐ分かるよー!」
「ベンリー!」
「あはは、良かったー。じゃあ、出発!」
 僕たちは三人で連れ立って、駅から展示場前に続く屋根付きの通路を歩き始めた。
「晴れて良かったねー!」
「ねー! 人、いっぱい来るといいねー!」
 ミキちゃんとマキちゃんがキャイキャイとはしゃぎながらリボンのいっぱいついたカートを転がす。
 売り子さんとイベント会場に向かう朝のワクワク感は、他の何にも例えようのない高揚感があって、いつもなら僕も、一緒にはしゃぎながら向かうのだけど――。
「もっちー、どしたの? 暗いよ? 昨日、寝てないの?」
 二人が遅れがちな僕の両隣に寄ってくる。
「イベントの準備してたら遅くなっちゃって……」
 流石にこの二人には、『前世の記憶、思い出しちゃって』とは言えない。
「全く、もっちーは真面目過ぎるんだよ!!」
「楽しんで!! 今日もたくさん売るよー!!」
 バンバン背中を両側から叩かれて、ちょっと気合が入った。
 そうだな、思い悩んでも仕方がない。
 今できることを、精一杯頑張らなくちゃ……!
「う、うん……!」
 友達というのとは違うんだけど、心強い仲間。
 ミキちゃんとマキちゃんはそんな存在だ。
 有り難くて、ちょっと泣きそうになった――。
 そんな二人と会話しながら、駅前から歩くこと、7分。
 途中で一列になってエスカレーターをのぼり、湾岸に聳え立つ巨大な逆三角形型の建物に入ると、そこはもうコミケの大会場だ。
 サークル入場受付で、ホログラムの入った三人分のサークル入場証を提出し、代わりにもらった紙製のバンドを腕に巻く。
 僕たちはカートを引きながら、あらかじめ割り当てられたスペース番号を探して、自分のサークルの配置された館まで、人でいっぱいの広い通路を延々と歩いた。
 体育館の何倍もの広さと高い天井の、まさに「展示場」って感じの会場に入ると、暖房なんかあったとしても効く訳もなく、かなり寒い。
 壁際のシャッターがほぼ全部開いてるから、とにかく風が吹き込むのだ。
 ちなみに、逆に夏は風が無いとかなり辛いことになる……。
 広大な館内には、超縦長のロの字型に整然と並べられた会議机の一群、「島」が数え切れないほど並んでいる。
 同人イベントでの会議机は、同人誌を置いて販売するための「店」そのものだ。
 人が並ぶ想定の壁側には所々間を開けながら一列に、シャッター前にはポツンポツンと会議机が置かれている。
 島の端っこにはサークルの位置を表すアルファベットやカタカナ、平仮名の記号の紙が貼られていて、パンフレットの配置図と見比べると、自分の居場所が分かる。
 それらを頼りに自分のサークルスペースにたどり着くと、僕がオンライン入稿した原稿は、きちんと「本」の形になり、いくつもの段ボール箱に入ってそこに届けられていた。
 ちなみに、サークルスペースと言うのは、同人誌の頒布物を置く為に用意された会議机が置かれた面積・空間のことを示す。
 会議机半分が1スペース、会議机一つまるまる分は2スペースと数えることになっている。
 ミキちゃんとマキちゃんは、持ってきた荷物を解くと、勝手知ったるなんとやらで、会議机に敷き布を広げ、テキパキとスペース設営を始めた。
 僕は新刊の箱を開け、本を纏めてある茶色い封紙を切って一冊取り出し、パラパラと開いて中身をチェックする。
 インクと新しい紙のいい匂いを胸いっぱいに吸い込むと、うっとりした気持ちになった。
 でも、あんまりゆっくりしてる時間はない。
 見本誌を巡回のスタッフさんに提出して、頒布OKを貰ったら、大急ぎでどんどん封を切って、机いっぱいに新刊と既刊を塔のように重ねて並べてゆく。
 その前に値札を立て、背後の壁には新刊表紙を引き伸ばしたイラストに、スペース番号とサークル名を表示した、巨大なA0ポスターを貼った。
 A0――エーゼロなんて言葉、一般の人は聞き慣れないと思うけど、あのよくあるA4コピー用紙の16倍、開いた新聞紙2枚分の大きさがA0だ。
 1スペースは案外狭く、90センチしかない。
 それに対して、イベント会場はあまりに広過ぎるので、背中にそのぐらい大きなポスターを背負わないと、周囲に埋もれてしまい、参加者に認識されなくなってしまう。
 巨大ポスターは売上を左右する、大事な要素なのだ。
 ちなみに、島中とか、誕生日席とか言われる会場中央のスペースでも、これより一回り小さなサイズでポスターを立ててるのは珍しくない。
 同人誌即売会イベントならではの光景だ。
 交代で荷物を見張りながら(人混みに乗じた盗難が多いので要注意だ)、会議机の上に山のように置かれたチラシや、余計な段ボール箱を潰して捨てに行ったり、女の子二人は着替えに行ったり、ドタバタするうちに飛ぶように時間が過ぎる。
 10時――開会の拍手と共に、始発から並んでいたであろう、一般参加者の人の波がうわーっと津波のように押し寄せてきた。
 ほぼ全員、始発から並んでる本気の男達だ。
 手に手製のサークルリストの載ったチェック表やバインダーを持ってる人もいる。
 ほぼ男だらけなのは、女性向けサークルとは配置が分かれてるからだ。
 『トリ娘』のコスプレをして、万全の体制で待ち構えていたミキちゃんマキちゃんがプロの手捌きでお金を受け取り、本を売っていく。
 僕はいつものように、午前中のうちは列の整理と、身分証明書を提示してもらっての、18歳以上の年齢確認係に徹した。
 人から人の手に次々と回されていく、昨日の夜中に僕が作った、「サークル『もちもち横丁』最後尾、こちらです」のフダ。
 あっという間に束になるほど貯まる千円札、次々と開けられていく新刊段ボールの箱。
 用意しておいた釣り銭用の小銭は、お釣りが出ないように気遣ってくれる参加者さんが多いせいか、そんなには減らない。
 今回の本は、飼い主と初めて結ばれるトリ娘の話。
 忙しくてあまり宣伝できなかった割には売上はまずまずで、ホッとした。
 そして、新刊が無事に出せたことにも……。
 壁サークルになると、周囲のサークルはみんな売れてる人たちだから、そんな中で自分のサークルだけ閑古鳥が鳴いていたりすると、悪目立ちしてしまうのだ。
 海が割れるのに例えて「モーゼ」などと陰口を叩かれることもあって、ちょっと恥ずかしかったりする……。


 たくさんの人たちのお陰で、僕の今年の冬コミも無事に終わった。
 新刊や既刊を段ボールに詰め直して自宅や書店に送り、スペースは撤収。
 札束になった売上から二人の売り子さん達にお礼のバイト代を渡し、ささやかな打ち上げ会の後、家に帰るともう夜の10時になっていた。
 カートの中は、午後の手の空いた時に買ってきた同人誌でパンパンになっている。
 ――Zで、今日来てくれた人たちにお礼をしなきゃ。
 スマホの画面を立ち上げると、常連読者の「マシュマロらぶ」さんと思われる人から早速、今回の新刊が出たことへの喜びと、感想の長文メッセージが届いていた。
 匿名なのに、僕がメッセージをくれる相手に気付いてしまったのは、マシュマロさんが感想で送ってくれたのと全く同じ内容を呟いたりすることがあるからだ。
 本はたくさん売れるけど、こんなに早く、しかも長文で感想をくれるのは、この人しかいないから、つい気になって……。
 マシュマロさんは多分、今日も会場に来てくれたのだろう。
 一度も顔を合わせたことはない。
 一応、相手は僕が認識していることを分かってると思うんだけど、スペースに来ても名乗ってはくれないし、マシュマロさんの素顔を僕は分からない。
 全く謎の存在だけれど、マシュマロさんは僕にとって、とても有り難く、特別な存在だった。
 でもその反面、いつか急にこの人に見捨てられて、ぷっつり感想がこなくなったりしたら、ショックで描けなくなるかもなぁ……と怖くなったりもする。
 次の日、会場で貰った差し入れと、カートに入りきらなかった戦利品の同人誌が山ほど自宅宛に届いたけど、全部整理できないうちに、大晦日が来た。
 今年も僕は寝正月だ。
 冬コミに参加していると、年末年始に実家に帰るタイミングを失ってしまう。
 その年もいつの間にか、干支が変わっていた……。
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