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 ――ロシアで起こった列車脱線事故は、世間的には殆ど報道される事がなかった。
 というのも直後に、俺の父さんの国に対して、テロ主導と大量破壊兵器保持を理由とする多国籍軍侵攻の機運が高まって、世界中のニュースがそれ一色になったからだ。
 けれど結局、大きな戦争は起きなかった。
 中国がここまでの事態を招いたあの国の政府を見限り、「自国民の保護と人道的支援」を表向きの理由に軍隊を派遣して、一時的に半島の北側を占拠してしまったからだ。
 俺の叔父に当たると思われる最高指導者は国外逃亡の末、東南アジアで謎の死を遂げた。
 そして政治的な空白はまもなく、中国の支援する政権によって埋められた。
 もちろん他の大国は一斉に抗議したけれど、そんな事で何がどうなるはずもなく……。
 新たな主導者は、先代の最高指導者の血を引く正当な後継者という触れ込みで、ついに歴史が動くかと思われた半島は結局、あっという間に元の木阿弥になった。
 後継者の名前は、李誠。
 「長い間中国に秘密裏に保護されていた、先代の最高指導者の孫」だ。
 つまりまさかの、俺の偽物だった。
 本物か、偽物かなんてことは、結局世界のリーダー達にとってはどうでもいいことだったらしい。
 大国同士のバランスを崩さない為には緩衝地帯が必要で、その為なら幾らでも新しい憎まれ役が連れて来られる――そんなカラクリだったみたいだ。
 でも皮肉な事に、そのお陰で、俺は命を狙われる生活から解放されることになった。
 最高指導者の血を引く「李誠」は、今、自分の父親の祖国に居るはずで、さらに言うと、日仏両国籍の「岡野誠」も、あのロシアの列車事故で死んだ事になったからだ。
 日本に逃げる必要もなくなり、ロシア国内で暫く潜伏して過ごしていた俺とミーシャは、一週間程度かけてパリへと帰国した。
 ミーシャは――あの列車事故の直後に知った事だけど――術後、奇跡的に12歳までの記憶と、それ以後の記憶、それに俺と一緒に過ごした時間のことも、全てを思い出したらしい。
 イタリアでの手術後に、彼は病院からロシアに送還された。
 その輸送役に雇われたのはまさかの、イタリアで出会った運び屋で(名前はイタリア風にマリオというらしい。偽名だろうけど)、ミーシャは逆に彼を買収して俺の行き先を吐かせ、かえってスムーズにロシアに入国したらしい。
 そして、二人で昔の仲間やネットワークを利用して、俺の居場所を突き止めてくれた。
 マリオさんは雪原でヘリコプターに乗って俺たちを迎えに来てくれて、何も知らなかった俺は死ぬほどビックリした。
 吊り梯子で中に乗り込んだ後、彼は肩を竦めながら笑っていて――。
「この悪魔が俺に頭下げて人助けなんかしたいって言うから、面白すぎて思わず助けちまったじゃねぇか。二度とこんな暗くて寒い国になんか、戻りたくなかったのによ」
 それを聞いて、この人たちもしかして、案外昔から仲が良かったのかも? なんて思った。
 俺の勘違いかもしれないけどね。
 そして、俺を助けに来てくれたミーシャは、殺し屋としての記憶も持ち、そして俺との生活の記憶も持つ、新しい大人の彼。
 それを知った時は、正直戸惑った。
 何故、わざわざそんなに危ない橋を渡ってまで、俺を助けてくれたのかなって……。
 だって、12歳のミーシャが俺を好きになってくれたのは殆ど思い込みみたいなものだったと思うし。
 実際、助けてくれてからロシアの田舎に1ヶ月ほど滞在してる間も、ミーシャはずーっと「怒ってる?」って感じの仏頂面をして、言葉数もとにかく少ないし、やっぱり12歳の彼とは全然違ってた。
 勿論、エッチなことどころかキスもハグも全然なく……寝起きする部屋も完全に別々で、一日中顔を見ることもない日もあるくらいだった。
 そりゃそうだよね……大人に戻ったミーシャが俺なんかを恋人にするはずがなくて……。
 そんなだから、パリに帰った後も当然、もう二度と会わない感じでサヨナラするのかなぁ、なんて思ってたんだ。
 でも、また何かあるといけないからって言われて、俺がミーシャの家にルームシェアみたいな感じでお世話になる事がいつのまにか決まっていた。
 オカノマコトは死んだはずだから、今の俺の名前は、マコト・マルタン。
 どんな手段だか分からないけど、新しい身分証とフランス国籍はマリオが用意してくれた。
 しかも、ミーシャの偽名と同じ姓とか……。完全に面白がってるとしか思えない。
 ミーシャは嫌がってるんじゃないかとビクビクしてたけど、大人の彼は寡黙過ぎて、何を考えてるのかサッパリ分からなかった。
 俺たちの関係って、一体何なんだろう……?
 未だによく分からないままなんだよね……。


「ただいまー」
 夏の訪れも近い、爽やかな五月のある日――。
 入り直した大学の授業から帰り、俺は16区にある高級アパルトマンの年代物のエレベーターで我が家にたどり着いた。
 扉を開けると、黒デニムに黒ニットのミーシャが玄関先に立っている(黒い服が元々、好きらしい)。
 腕を組んだまま、彼は相変わらずの無表情で俺をじろっと見下ろし、尋ねてきた。
「……誰にも尾行されていなかっただろうな?」
「ウン」
「声を掛けられたりは?」
「しないよ! 心配してくれなくても、もう大丈夫だから……」
 このやり取りを、実は一緒に暮らしてから毎日、帰宅のたびにしている。
 大人のミーシャも、随分心配性な性格だったらしい。
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