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 男がジャンパーのポケットから素早く何かを取り出し、俺の眉間に突き付けた。
 それが小型のピストルだと気づき、ゾッと全身から血の気が引いていく。
「安心しろ、俺はお前らを追ってた中国人みたいに、命までは取らねえよ。……そもそも、俺の雇い主は別の連中だしな」
「……!? どういうことですか……。それに、あなたは一体……」
「俺が誰かなんてことは、あんたにとっちゃどうでもいい話だろ。俺はここで依頼主と落ち合って、あんたを生きたまま引き渡せば報酬が貰える、それだけさ。まあ、もし暴れたりしたら、手とか足には風穴が開くかもなぁ」
 物憂げにそう言った男に、俺は驚愕した。
 それってまさか、ヤンミンの組織以外にも俺を狙ってる人達がいる、ってこと……?
「い、依頼主って誰なんです……!? 何で、こんなただの大学生の俺のことなんかっ……」
 男がニットキャップを無造作に外して膝に落とし、短い黒髪を擦る。
「さあなあ。俺は金で雇われただけの人間だから、そんなことは知ったこっちゃない。守秘義務もあるしな。まあ、あんた、相当ヤバいのに目を付けられてるってことだろ」
 彼は物憂げにそう言うと、後部座席の方を顎で差した。
「ところで、一つ素朴な疑問なんだが……後ろのコイツ、何でお前と一緒にいた? 随分怪我して弱ってるみたいだけどなぁ、珍しく……」
 ゴクッと唾を飲み込む。
 この人はミーシャのことを知っているらしい。
 恐怖でガチガチになりながら辛うじて疑問を口にする。
「あなたは、ミーシャのことを知ってるんですか……?」
 これだけはどうしても言わなければと、銃口に怯える気持ちを必死で捩じ伏せ、付け加える。
「……俺のっ、大事な……大事な友達なんです。何でも言うことは聞きますから、もしあなたが彼の知り合いならっ、彼のことだけは助けてあげて下さい……」
 男が濃い眉毛を片方上げて、驚いたような顔をした。
「はは……お前が、こいつの友達……? 一体何の冗談だ」
 男は腹を抱えて笑い出した。
「こいつは冷酷な殺人マシーンだぜ。感情なんか何一つ持ち合わせてないし、殺せと命令されれば顔色ひとつ変えずに何百人でも殺す男だ。何でも、子供の頃に頭打って、良心がイカレちまったんだって話だからなぁ。そんな奴が友達……あんた、絶対騙されてるぜ」
 ゲラゲラと笑いながら男が言った言葉に、俺は怖いのも忘れ、大きく首を振った。
「ミーシャはそんな人じゃない……! 今までずっと命がけで俺のことを守ってくれたんだっ……」
「『血の大天使』が? お前を守った、だって?」
 銃を持ったまま、信じられない、というジェスチャーをして、男は嘲笑った。
「一体どんな行き違いがありゃそうなるんだ。そいつは本物の悪魔だぞ。ロシア対外情報庁じゃ一番腕のいい諜報局員(スパイ)だったんだからな」
「ちょ、諜報局……!?」
「……俺はこいつの元同僚で、別々の孤児院から政府に目を付けられて拾われたのさ。お互い亡命して、こいつは殺し屋稼業を始めたが、俺の方はもう、殺しはウンザリでなぁ。運び屋とか、情報屋とか、チンピラの使いっ走りみたいな仕事ばかりだ。コイツみたいに向いてねぇんだよな、暗~い仕事が」
「元、スパイの、殺し屋……ミーシャが……」
 俺の頭の中で全てが繋がった気がした。
 ミーシャが俺を殺しにきた男だってことは薄々分かってたけど――。
 何人も殺してる、冷酷な暗殺者……?
 本来なら、俺のことなんかターゲットの一人でしかなく、ましてや好きになるはずがない人間。
 なのにこうなってしまったのは、偶然が重なった結果で……。
 今から拉致されて殺されるかもしれないのに、俺の心はミーシャのことでいっぱいだった。
 俺が好きになったミーシャは、殺し屋で元スパイで、人を殺すのを何とも思わない男、なんかじゃない。
 ……もしかしてそうだったとしても、それでも、俺が好きになった『彼』を、守らずにはいられない――。
「それでも……ミーシャは俺の大事な人なんです……、だから」
 言葉を続けようとすると、後部座席から目にも留まらない速さで太い腕がバッと飛び出してきた。
「っ!?」
 驚く俺の目の前で、運転席の座席越しに二本の腕が男の首を締め上げ始める。
「うぐうぅ……っ!!」
 頚動脈を止められた男が白眼を剥き、口からヨダレを垂らした。
 首を絞めているのは恐ろしい形相を浮かべたミーシャだ。
 いつのまに起きていたんだろう――。
「やめて、ミーシャ、死んじゃうよ!?」
 制止する俺の前で、男の体がどさりと力を失い、ダッシュボードに寄りかかるようにして倒れた。
 銃が座席の間にごとりと落ちて、ひいっと鳥肌が立つ。
「……殺してない。銃持ってたから、頚動脈塞いで気絶させただけだ……あいててて」
 ミーシャが額を痛そうに押さえ、言葉を続けた。
「マコト、そいつが誰なのかはともかく、外に捨てて、この車で逃げよう。イタリアも危険だから、そうだな――もう一つ国境を越えるか……。ミラノよりも先へ」
「えっ、でもこんな雪だらけの山奥に置いてったら凍死しちゃわない!?」
「大丈夫だ。携帯だけ置いてってやれば目が覚めたとき自分で勝手に助け呼ぶだろ……本当に甘いな、マコトは。――そんなとこも好きだけどな」
 そう言ってニヤッと笑った彼はボロボロだけどいつものミーシャで、俺は思わず座席の間から手を伸ばし、彼の身体をギュウッと強く抱き締めた。
「ミーシャ……っ。俺も好きだよ、大好きだ、無事で良かった、ミーシャ!」
「痛っ、こら、マコト……いきなり積極的になってないか? 俺が寝てる間に一体何があったんだ……」
「何もない。――何にもないよ、」
 首筋に齧り付くみたいにして思い切り力を込めてから、腕を離した。
 ――彼は、俺と、この運び屋とのさっきの会話は聞かなかったんだ。
 それなら、余計な心配をさせるようなことは言わない方がいい。
 俺を狙ってる人間が、ヤンミン達のほかにもいるらしい、なんてことは……。
 でも、ミーシャの過去の事は……どう話したらいいんだろう……。
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