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 トンネルをくぐり抜けた感動もつかの間、トンネルに入っていく数台の青いパトカーとすれ違ってギョッとした。
「すぐ気付いて戻ってくる。車を捨てるぞ」
「う、うん!」
 駐車場に素早く滑り込み、トラックの間に隠すように入って車を止める。
 俺はリュックを背負い、助手席側からドアを開けて出た。
 ミーシャも自分の荷物を取り、運転席を出てすぐに歩き出したけど――何故か数歩でふらりとへたり込んでしまった。
「ミーシャ!?」
 片膝をついてうつむく彼に声をかける。
「……何でもない。少し頭痛がするだけだ……」
「ほ、本当に大丈夫!?」
「ああ。急ごう」
 長身がどうにか立ち上がり、彼は支えにするように俺の腕を掴んで歩き出した。
 やっぱり、とても無事とは思えない。
「休んだ方がいいんじゃ」
 言いかけた俺の横で、長い指がガードレールの外を差した。
「……道を避けて、森の中へ」
「わ、分かった」
 そうは言っても、舗装された道路の外は雪が深く積もったひどい急斜面だ。
 しかも日がすでに沈みかけているせいで、どんどん周りは暗くなっている。
 気温もどんどん下がるし、俺はともかく、ミーシャがたえられるんだろうか。
 心配になりながらも二人でガードレールを跨ぎ、木の間を殆ど滑るようにして斜面を下りはじめた。
 雪に足がとられて、思うように進めない。
 頭痛が酷いのか、ミーシャはフラフラで、俺は彼の脇の下から手を入れるようにして肩を貸した。
 吹きかかる呼吸が既に、かなり荒い。
 早く、身を隠せる場所にたどりつかないと。
 膝下まで埋まる深い雪を踏む内に、靴も靴下もすぐにずぶ濡れになり、足先の感覚がなくなり始めた。
 このままじゃ、俺も彼も凍傷になる。
 緊張と寒さがたえがたくなってきた頃に、ようやく木々の間に低い三角屋根の家の並んだ小さな集落が見えてきた。
 確かフランスを出る前、地図でこの辺に村があるのを確かめた気がする。
「ミーシャ、村だ! あそこで少し休もう――」
「ダメだ……すぐにこの谷から離れないと……」
 そう言われたきり、言葉が途切れた。
「!? ミーシャ……!?」
 振り返って彼の方をうかがった瞬間、ホワイトブロンドの髪がふわっとひるがえり、俺の肩を辛うじてつかんでいた手から力が抜けた。
 分厚い身体がバランスを崩し、重力に引っ張られてぐらりと前に傾く。
「危ない!」
 両腕を伸ばして彼の上半身を咄嗟に受け止めたけど、この急斜面ではとても支えきれない。
「あっ――」
 巻き添えになる形で、俺たちはもつれ合いながらゴロゴロと雪の上を転がり落ちていた。
 途中で何度もあちこちの木の根元にぶつかり、身体中に痛みが走る。
「うあっ……!」
 最後に、ゴツゴツしたアスファルトで辛うじて舗装された、川沿いの狭い山道に転がり落ちて、ようやく止まれた。
 身体中が打ち身とすり傷でズキズキするけど、それどころじゃない。
「ミーシャ、大丈夫!?」
 道の真ん中でミーシャの重い上半身を抱き起こして揺さぶる。
 血の気のない白い頰はまるで死人だ。
 気を失っているのか、全然反応がない。
 俺も傷だらけだけど、ミーシャの顔も体も怪我をしてあちこち血が滲んでいる。
 よく見ると髪も血にそまっていて、俺は青ざめた。
「ミーシャ!!」
 まさか、頭の傷が開いたんじゃ……!?
 心が張り裂けそうになりながら叫び、名前を呼ぶ。
 俺の声は冷たい山の空気に吸い込まれるだけで、全然彼は目を覚まさなかった。
 絶望に、身体中から力が抜ける。
 やっぱり、この人を巻き込んじゃいけなかった……。
 後悔に唇を噛んだ俺の背中に、クラクションが浴びせられた。
「!?」
 いつの間にか、背後に車が来ていたらしい。
 シルバーのセダンのドアが開き、スノーボーダーのような格好のニット帽の若い青年が焦ったように運転席から飛び出してくる。
 早口のイタリア語で話しかけられ、俺は夢中で懇願した。
「すみません、この人が怪我をしてしまって……! 助けてください、どうか……っ」
 すると、イタリア人青年はミーシャを見て驚いたように黒々とした瞳を見開き、フランス語で応じてくれた。
「――あんた、フランス語が分かるのか。怪我してるならアオスタの病院まで行ってやる。後ろにそいつを乗せろ。手伝うから」


 助けてくれた青年はどうやら、地元の青年らしかった。
 ニット帽の下は黒髪の短髪で、よく雪焼けをした顔をしていて、スポーティなファッションに身を包んでいる。
「仕事でよくフランスとこっちを行き来してるんだ。いきなり道に転がってるからビックリしたよ」
「す、すみません……。助けて下さって本当に有難うございます」
 助手席で頷きながら、後部座席で横向きに寝かせているミーシャをチラッと確認した。
 どうしよう、本当に目を覚まさない……。
 動悸で呼吸が浅くなって苦しい。
 早く、早く町についてくれ……。
 アオスタはこの谷にある町で、ちゃんとした病院もあるらしい。
 祈るような気持ちで前を向いた。
 氷河のゴツゴツした山を背景に、針葉樹の森が続いている。
 山道を車で下りてるはずなのに、だんだん森が深くなっている気がした。
 むしろ……登っているような。
 狭い道には先行車も後続車も見当たらず、疑念が浮かぶ。
 まさか……いや、そんなことあるはずがないけれど……。
「すみません、アオスタまであとどのくらいですか」
 乗せてもらっている立場なのに、こんな事を訊くのはどうかと思ったけど、つい不安を口に出してしまった。
 すると、青年はゆっくりとブレーキを踏み込み――静かな森の中で車は止まった。
「……え……?」
 戸惑う俺の横で、イタリア人の青年は無表情な黒い瞳をすっとこちらに向けた。
「残念だったな。あんたの逃亡劇はここでおしまいだよ」
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