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 ホテル・メゾン・ディアーヌは、クリスマスの装飾で華やかに彩られた黒鉄の門の奥にあった。
 出来れば自分は入らず外で待っていたい。
 ミーシャの背中を見送るような感じで門の横に居たら、振り向かれて急かされた。
「マコト、来い」
 やっぱり俺も行かなきゃダメなのか。
 多分中に入ったら、どうしたって彼の素性と向き合うことになる。
 あの拳銃の裏側の世界に。
 そして、もしかしたらミーシャはすべての記憶を取り戻すかも知れない。
 そうなったら俺は……。
 唇を一瞬強く噛み、意を決して俺は口を開いた。
「行ってきて。俺はここで待ってる」
 彼が何かを思い出した時、戻ってくるだろうか。
 来たとしてももう、その時の彼は「友達」ではなくなってるだろう。
 そして彼の正体が、最初俺が思った通りの人間だったのだとしたら……俺は一瞬で殺される、可能性だってある。
 俺は彼に背中を向け、なるべく営業妨害にならないように門扉から離れた。
 それなのに――。
「ダメだ。マコトも一緒に来て」
 背後から腕を掴まれて振り向くと、そこにミーシャが居た。
 濃いブルーの瞳が不安に揺れていて、今にも泣きそうなその表情に胸が苦しくなった。
 そうか、怖いのは彼、自身も同じなんだ。
 自分が何者なのか、分からなくて……。
「分かった……」
 拒絶、出来ない。
 もう、どうにでもなれと、半ば捨て鉢な気分でミーシャの後に続き、俺は足を踏み出した。
 彼の横に追いつき、19世紀の匂いのするアール・ヌーボー調のガラスの雨よけの下に一緒に入ると、ドアマンによって扉が開かれる。
 心臓が不穏な予感にどくどくと跳ねた。
 横を見ると、ミーシャの青白い肌が一層、紙のように白くなっている。
 やっぱり明日にしよう、と言いたいのを必死で呑み込んだ。
 両側の壁が緑と赤を基調としたウォールアートで飾られた、赤絨毯の細長いエントランスを一緒に歩く。
 高級感溢れる雰囲気に、ミーシャはともかく、擦り切れたデニムと古びたダッフルコートの俺が凄く浮いているのをヒシヒシと感じた。
 通りすがる客の目も、気のせいかもしれないけど、痛い。
 と、突然、俺の手がぐっと掴まれた。
「どうしたらいい? あのカウンターの所で、あのカードを渡してみたらいいんだろうか」
 ミーシャが俺の手を握りながら不安げに囁く。
 その様子は余りにも頼りなげで、俺は彼の手をギュッと握り返した。
 そうだ、この子は子供だ……。
 俺がしっかりしなくちゃ。
「――大丈夫、俺のいう通りにして……。カードを見せながら、忘れ物を取りに来たって言えばいいんだ。君が事故に遭うまでここに泊まってたなら、何か手掛かりがあるはずだから」
「分かった……ありがとう、マコト」
 手が離れ、意を決したようにミーシャがフロントに向かう。
 カウンターに近付くと、シックな制服を着た金髪の女性が彼に話し掛けた。
「マルタン様でいらっしゃいますね?」
 ――マルタン。彼の身分証明書にあった名だ。
 女性は以前宿泊した彼のことを覚えていたのか、ミーシャのことを知っているようだった。
「あ、ああ。その――忘れ物をしたんだ。残っていないかと思って」
 すると、彼女は笑顔でうなずいた。
「……お鞄とノート型端末でございますね? こちらで保管しております」
「そう、か……いつからここに?」
「今月の初め頃にお泊まりになった際から……チェックアウトのお手続きも頂きませんでしたので、お電話もしたのですが」
「……ごめん、頭を怪我して治療してもらってたんだ。電話も壊れてしまって」
「それは誠に大変でございましたね……! ご宿泊料金は申し訳ございませんがデポジットから頂きましたので、お手荷物のほうは如何致しましょうか」
「……荷物は貰いたいんだけど、その、今夜泊まれないか。前と同じ部屋に」
 ミーシャが突然言い出したことにギョッとして、俺は思わず彼の後ろに近付き、囁いた。
「ミーシャ……!?」
「部屋を見たら、もしかしたら思い出せるかもしれないから。マコトも付き合って欲しい」
 そんなっ、俺もこんな高そうなホテルに!?
「困るよ、俺はお金払えないのに……っ」
「一人で泊まっても二人で泊まっても、同じだろ」
 そう言うミーシャを援護射撃するように、カウンターの中から女性が頷いた。
「当ホテルは全てダブルのお部屋になっておりますのでお一人様でお泊りになる場合はお二人様分の料金を頂いております。丁度以前お泊りになったお部屋も空いております」
 うぅ……っ。
 ミーシャに腕を掴んで引っ張られ、俺は観念して頷いた。
「分かった、――でも一日だけだ、明日の夜は仕事があるから」


 俺とミーシャがホテルの案内係に通された部屋は、低層階かつ角の、一番目立たない部屋だった。
 フロントスタッフにそれとなく訊いた所では、そこがかつてのミーシャの指定した部屋だったらしい。
 宿帳も見せて貰ったけれど、住所はパリの16区になっていた。
 身分証とはまた違う住所で、もしかしたら今回も出鱈目かもしれないけれど、ミーシャにとっては大きな手掛かりだ。
 部屋に入ると、中はベッドルームとリビングのような空間に分かれていた。
 ベッドルームは俺の部屋よりもずっと広くて、一つあたり二人は眠れそうな、ゆったりとした大きさのベッドが二台。
 間接照明の柔らかいオレンジの光に照らされた細い木板が細かく組まれた優雅なヘリンボーンの床、リースと陶器のサンタクロースの置かれた壁の飾り暖炉。
 リビングには大きな窓があり、庭に飾られた色取り取りの電飾が白いカーテンに反射している。
 ……記憶を失う前のミーシャにとっては普通のホテルなのかもしれないけれど、俺にとっては足を踏み入れ難い世界。
「着替えが少しと、パスポートと、何だかよく分からない黒いものが入ってる。電源プラグがついてて、機械の部品見たいな……」
 ソファの前の低いテーブルにアタッシュケースの中身を開け、パスポートを開いてミーシャがため息をついた。
 そこに書いてあるのはやっぱり、フランス国籍のミッシェル・マルタンの名だ。
「……俺は何で、この国じゃフランス人って事になってるんだろうな。名前はミハイルのフランス語読みだから……途中でフランス人の養子にでもなったのかな……」
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