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 少しずつ、寒さが厳しさを増してゆく。
 石畳の道は冷え切って、雨が降ると朝にはツルツルに凍るほどだ。
 気が付けば、クリスマスまであと一週間を切っていた。
 観光客の数もぐっと増えて、街は日に日に賑やかになっていく。
 並木道を金色に光り輝かせるイルミネーション、店々のショーウィンドウを彩る真っ赤なキャンドルや白銀のクリスマスリース、雑貨屋に並ぶ沢山のクリスマスカード……。
 去年はただ眺めて通り過ぎるだけだったけど、そんなものを見てると、何か一つ、買って帰ったらミーシャが喜ぶかも、なんて思ったりして。
 でも、仕事が終わる頃には全部店が閉まっていて、いつも何も買えなかった。
 ――仕事帰りの夜中のメトロの中で、ドアの近くに立ったまま、ぼんやりと考え事に耽る。
 ……クリスマスを誰かと過ごすことを考えるなんて……少し前まで思いもしなかった。
 ――ミーシャはまだ、記憶を取り戻さない。
 だけど彼は、最近とても、大人の自分のことを知りたがっている。
 あの銀行口座の事があってからは尚更だ。
 俺にも協力してほしいと言うから、勿論承諾したけど――ホテルのキーカードのことを言うべきか、拳銃を渡すべきか……ずっと悩んでいた。
 俺はミーシャに嘘をついている事になるのかも知れない。
 積極的ではないけれど、決定的な嘘を……。


「ただいま……」
 屋根裏部屋のドアを二回ノックして、スタンドの明かりがぼんやりと灯る暗い部屋に入る。
 いつもなら同居人が悪戯して抱きついてきたり、本を読んだまま『お帰り』って言ってくれたりするのに、その日は違った。
 ミーシャはベッドに腰掛けたまま沈鬱な表情で俯いている。
 俺が目の前まで行っても、黙ったまま何も喋ろうとしない。
 嫌な予感がしてリュックをベッドに下ろし、俺は控えめに尋ねた。
「どうしたの、ミーシャ……何かあった?」
 すると、彼は青白い整った顔を上げて、話し始めた。
「……今日、身分証に書いてある住所まで、行ってみた」
「そっ……そんな所まで、一人でメトロに乗って行ったの……」
 正直、死ぬほど動揺した。
 いや、ミーシャにとっては自然な行動だし、もっと早くそうするべきではあったのだけど……。
「でも、そこには俺の事なんて全く知らない、どこかの家族が住んでいただけだった。凄く警戒されて、目の前でドアを閉められて」
 暗い声で話すミーシャは、どう見ても強いショックを受けているようだった。
「大人の俺にも、家も家族も何も無いのかもな……」
 そんな彼を見てしまうと、胸が痛くて張り裂けそうだった。
 まるで、母が死んで突然一人になった時の自分を見るようで。
 いや、ミーシャは突然大人になって、しかも知らない国に来て、あの時の俺以上に孤独なのかもしれない。
「チェルタノヴォには家族や友達はいなかったの……?」
「……家族はもう、誰も……友人はいたけど、多分今はもうみんな死んでる」
「どうして」
「……俺、路上暮らししてた時期があって……その時の仲間は、病気やヤク中で誰も長くは生きられなかったから……」
 ――ああ。
 小さいミーシャは、本当に大変な人生を生き抜いてきた人なんだ……。
「ミーシャ……。俺が居るから」
 俺は涙ぐみながら、思わずそう言っていた。
 ベッドの隣に座って、彼の大きな背中を撫でながら。
「俺が、そばに居るよ」
 そんな資格、俺にはないかもしれない。でもそうやって慰めずにいられなかった。
 力になると言いながら、拳銃や、ホテルのカードの事を言い出す勇気がないのに。
 ミーシャが記憶を取り戻すのが怖い、と何処かで思ってる俺は、酷い人間だ……。
 黙っている俺の肩に、サラサラと金髪が流れて、小さな頭がトンと乗る。
「……マコト、有難うな。あのさ、俺……何でマコトの部屋にいたのか、最近分かった気がするんだ」
「う、うん……?」
 身体がビリっと緊張するのを悟られないように、なるべく穏やかに相槌を打つ。
 ミーシャはぽつりぽつりと言葉を続けた。
「俺、どうしてかマコトの顔と名前を以前から、知ってた気がして……。でも、マコトは俺のこと何も知らなかっただろ。――ていうことはもしかしたら」
 心臓が止まるかと思った。
「あ――……もしかしたら、何……?」
「……。やっぱり、何でもない」
 濁されて、内心恐ろしくなる。
 もしかしたら、俺のこと殺さなくちゃいけないこと思い出したんじゃないかと思って。
 そうだとしたら、俺……。
 Tシャツが濡れるほど冷や汗をダラダラさせていると、何故か、横から頰にちゅっとされた。
「な、何!」
 ビックリして隣からとびのく。
 恐る恐る顔を上げると、なぜかミーシャは、泣きそうな微笑みを浮かべていた。
「……一緒にいてくれてありがとうな。マコトがいてくれて良かった」
 その表情に、俺の心配が勘違いだったことを知ると同時に、――胸が締め付けられ、甘く痛んだ。
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