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 シャワーの後、俺のTシャツとスエットのズボンを穿いたミハイルが本棚の陰から出てきた。
「お前の服、足が短い」
 正直に言われてグサっとコンプレックスに刺さったけど、めげずに手招きする。
「ごめんね、そんなのしかなくて。ベッドに座って、包帯を替えよう」
 相手はスリッパでペタペタと寄ってきて、無言でベッドにドサリと腰掛け、素直に頭を差し出してきた。
 新しいタオルで出来る限り水気を拭き、血で固まっているところは少しだけハサミでカットさせてもらい、立って頭を胸に抱くようにしながら包帯を巻き直してゆく。
 とりあえず経過はいいみたいだけど、本当に病院に連れてってあげなくて良いのか、心が痛い。
「はい、これでおしまい。……髭も剃ろうか?」
 腕の内側に大分髭が当たるのに気付いて訊くと、相手は無言でうなずいた。
「なんでこんなに伸びるのか訳が分からない」
「あはっ、そうだよね」
 おもわず笑ってしまった。
 この間まで子供だったのに、急に毛むくじゃらになると戸惑うよなぁ……。
 金色だからそんなには目立たないけど、タライに水を入れ、安全剃刀とシェービングフォームを持ってきてあげた。
 自分でするときは台所に吊るした鏡の前でするけど、初めてだろうしなぁ。
「顔、少し上げて」
 顎を持ち上げ、少しずつ丁寧に剃っていく。
 全部綺麗に剃り落とすと、ちょっと凄みがあるくらい整った顔立ちになり、ドキッとした。
 宗教画の、綺麗だけど厳しい顔をした天使みたいな……。
「サンドイッチ、作ったけど食べる?」
 台所に道具を片付けながら訊くと、ミハイルは目を輝かせた。
 キッチンに置いたままの、少しパンの硬くなったサンドイッチを油紙に包んで持ってきて、どうぞと渡す。
 ベッドに座ったまま食べるのはお行儀的にはあまり良く無いけど、安静第一の怪我人だからいいよね。
 彼はサンドイッチを一口食べた時にハッとしたような顔をして、恐ろしい速さでバゲット一本分を端から端まで食べ終わってしまった。
 ……凄くお腹が空いていたんだろうか。
「お代わりいる?」
 俺の分を半分切って差し出すと、ミハイルは無表情で頷いて受け取り、大きな口で端っこから咀嚼していく。
 なんだか野生動物を餌付けしてる気分だ。
「これ、お前が作ったの」
 モグモグしながら聞かれて、うんと頷く。
「家、綺麗になってる」
 周りを見回しながら言われて、ふふっと笑顔になった。
「うん、凄い有様だったから」
「本当は、こんな綺麗な家だったんだな」
 言われてぶっと吹き出しそうになった。
 毎日掃除はしてるし、壁のペンキを塗り直したり多少の自助努力はしてるけど、ごく普通の古い屋根裏部屋だけどなぁ。
「あ、ありがとう……でも、普通だよ」
「そうか? 天国みたいだと思うけど」
 うーん、この人の昔住んでいた所って一体どんな……。
「お前、名前は」
 問われて、自己紹介をしてなかった事を思い出した。
「俺はね、岡野誠っていうんだ」
「マコト……」
 トマトの汁で口を汚したまま、ミハイルが怪訝な顔で繰り返す。
 聞いたことのない名前だろうから、不思議だろうなぁ。
「そう、マコトって呼んで。国籍は日本とフランス両方。生まれた時からずっとフランスで暮らしてるからね。母は日本人で、父は会ったことがないから、どんな人だかは分からない。今は休暇中だけど大学生で、生活費のために夜だけラーメン屋で働いてる」
「らーめん……?」
「あは、食べたことないよね。今度作ってあげるよ」
「……」
 ミハイルは深いブルーの瞳を丸くして、首を傾げた。
「マコトは何で俺にそんな親切にする? 俺の知り合いだったのか?」
 微妙なところを突かれて、ウッと喉が詰まった。
 知り合いも何も、本当に昨日俺の部屋で出会ったばかりなんだけど、どう説明すれば良いんだろう。
「あー……全然、そういう感じではない……」
 口ごもった俺を、相手はますます怪しんだ。
「……じゃあ、何で俺はお前の部屋に居たんだ」
「ごめん、それは俺にも分からない……帰ってきたら君がいて、頭怪我してて」
 俺を殺しに来た人かもしれない……なんて、とても言えない。
「ふぅん……。怪しいな。あんた、なんか知ってるんじゃないか」
「えっ、えぇっ!?」
 深い色の瞳でじいっと見られてドキッとした。
「なんてな。……あんた、嘘つけるタイプじゃなさそうだしなぁ……」
 悪戯っぽく言われて、ヒヤヒヤする。
 うう、心臓に悪い……。
 冷や汗を流していたら、パンツのポケットに入れていた携帯電話がブルッと震えた。
 友人からのメールだ。
 いけない、俺、今日は大学の図書館で友達と会う約束してたんだ……!
「ごめん、俺これから人と約束があって出掛ける予定なんだ。夜は仕事があるから、帰りは夜中になるかも」
 慌てて俺が立ち上がると、ミハイルは不服そうに肩を竦めた。
「えぇ……一人にされるのは嫌だ……」
 うう、そりゃ嫌だよな、一人で訳の分からない所に置いてかれるなんて……。
「本当にごめんっ。退屈だとは思うんだけど、怪我もしてるし、なるべく寝てて。夜には帰るから」
「本当に?」
 ミハイルが訝しげに視線を上げて俺をじっと見る。
 うっ、まるで世話する暇もないのに犬を飼ってしまった気分だ。
「必ず帰るよ。お金、少しは置いていくから、お腹が空いたら自分で買い物して。少し歩けば店もやってるから」
 ぐしゃぐしゃに絡んだ金髪頭が不貞腐れたみたいに無言で頷く。
 後ろ髪を引かれながら、俺は急いでダッフルコートを羽織り、相変わらずドアが閉まらない我が家を出た。
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