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三つの謎
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仰ぎ見たインジェンの顔は真っ青だ。
彼は手にした扇を握りしめ、苛立ちで尖った声を上げた。
「静粛にせよ! まだ謎は終わっておらぬぞ!」
慌てて、大臣達が真面目に前を向く。
抑えきれない怒りを滲ませながらインジェンが言葉を続けた。
「……そう、希望だ。いつも失望に変わるがな……! だが、次の謎は、流石のお前にも解けまい……!」
もはや彼は、姫の演技をすることすら忘れるほどに動揺している。
インジェンが追い詰められているというのに、俺は行方を見守ることしかできない。
「炎のように熱く燃えるが、しかし、炎ではない……
時に爆ぜんばかりに狂乱し、熱気を迸らせる……。かと思えば、力を失って澱むことがあり、敗北や、死によれば、どこまでも冷たくなる……征服の予感には燃えるように沸騰し、鮮やかな夕日のように紅く輝くもの…それは……!?」
しばらく、カラフが腕を組んで考え込む。
俺は心臓が破裂しそうだった。
ああ、この謎をもし、彼が解いてしまったら……!
俺の恐怖と懸念を他所に、恋に狂うカラフは、彼の幻影の中の愛しいトゥーランドット姫にその手を差し伸べた。
「わかったぞ……! それは、公主殿の瞳が私を見るたびに、この血管を激しく巡るものだ……公主殿! それは、『血』だ!!」
ああ!と叫びに近い声がインジェンの唇から漏れた。
血……!!
それは正しく、謎の答えだった。
「クソッ……! 誰か!! このならず者を打て……!!」
もはや正気すら失いかけているインジェンが公主の座から立ち上がり、鋭く大臣達に命令する。
「ダメです、公主様! まだ彼は、謎を解いている最中です……!」
諌められて、ワナワナと肩を震わせながらインジェンが何度も悪態をつく。
「こんなはずはない……っ!! 一体どういうことだ……!?」
そして、ギッと足元に目を向け、俺の顔を見て叫んだ。
「お前……! あの男に、謎の答えを教えただろう!?」
「……違……っ、教えてない、違う!」
首を激しく横に振りながら否定したけれど、信じて貰えるわけがない……!
ああ。もう、駄目だ!!
とうとう、恐れていた事が全て起き始めている!
「お前の言うことなど……最早、信じられぬ……!」
インジェンの傷ついた表情に、俺の心もズタズタに切り裂かれる。
違うんだ、裏切ってない……!
でもこんなこと、どうやったら弁解できるんだよ。
辛すぎて、俺は目を合わせることすら出来ない。
やがて震え、掠れた声で、インジェンは低く笑い出した。
「次で、貴様は終わりだ、異邦人よ……」
力のない、けれど憎悪のこもった声が、カラフに最後の謎を投げかける。
「――闇の中に、明かりを灯すもの……」
その始まりの言葉を聞いて、俺は驚愕した。
この謎は、元の物語――オペラの「トゥーランドット」に出てくる謎じゃあない。
俺も答えを知らない謎だ……!!
インジェンは、俺がカラフに謎の答えを漏らしたと疑い、謎を変えたのだ……!
「……過去を探ったり、未来を知っているかのように読もうとしたり……怠惰に流されるかと思えば、意欲に溢れ、身の程を知り従順かと思えば、反抗的で思い上がり、裏切ったりするもの……! それは、なんだ……!!」
酷薄な氷の笑みをたたえて、インジェンは勝ち誇った。
「異邦人の王子よ……! 恐怖で青ざめているな? 流石にこの謎の答えは、お前にも解けることはなかろう……!?」
俺も、カラフはもうお終いなんじゃないかと、目の前が暗くなった。
「トゥーランドット」で出てきていない謎を、カラフが解けるのか――。
誰もが固唾を呑んで見守る中で、カラフは堂々と顔を上げ、長く長く――息を吐いた。
「これで、私の勝利だ……我が妻となる、愛しい氷の姫よ! ――貴方の心を、今、この私が熱い抱擁で解かそう。その答えは……『人の心』だ!」
メキメキと音を立てて、何かが無惨に壊れていくような音が聞こえたような気がした。
大臣達がどよめく。
「……勝利だと……!」
「七王家の王子が勝利した……!」
部屋の中に動揺が広がり、インジェンが、父である皇帝の足元に崩れ落ちる。
「ち、……父上……! どうか、この者を捉えてください……! 私の命をっ、お助けください……!!」
見ていられないほどに傷つき、動揺し果てたインジェンが、美しい両目から涙を流す。
だが、老皇帝は静かに首を横に振った。
「……我が子よ。もう、諦める他ない。皇帝の出した詔勅は、神聖なもの……。まさか謎を解くものが現れるとは……王朝の命はここで尽きたのだ。我らはもはや、運命に従うのみ。形だけでも婚儀をして、この物に皇帝を継がせる他はない――」
「父上……! 貴方まで私に死ねと言うのですか……!」
悲痛な叫びが、謁見室にこだまする。
今まで屈辱をずっと耐えてきた、インジェンの怒りと、悲しみと、悔しさがその声に爆ぜている。
もはや誰も何も口にする事ができなかった。
俺も、ただただ、……悲しくて苦しくて、息をするのもやっとで……。
そして、そんな重苦しい沈黙を、空気を読まずに破ったのは――やはり、主人公カラフだった。
「……傲慢な姫君よ。そこまで嫌がられて、結婚を無理強いできる私ではございません」
カラフは勝利者の余裕で笑みさえ浮かべながら、堂々とインジェンの前に足を踏み出した。
「そこで、提案いたしましょう。私は三つの謎を出され、三つとも解きました。――私はあなた様に、たった一つの謎を出します。もしもあなた様がその謎を解いたならば、私の首を差し上げても構わない」
嘆き苦しんでいたインジェンは、その挑戦を聞くと、ヨロヨロと立ち上がり、迎え撃った。
「……よかろう……! 早く謎を……!」
ああ。
カラフ……!
それは俺の、死亡フラグ……!
「謎は、私の名前です。……私の名を……その美しい唇で呼んでくれるのなら、私は死んでも構わぬ……!」
その言葉に、インジェンが狂ったように高笑いし出した。
「はっはっはっ……! 貴様、あれほど私と一緒にいて、殴り合いまでしたと言うのに、まだ私に気付いていないとは、本当に愚かな……! 私を誰だと思っている。まあ、お前は今、呪いにかかっていて、気づけないだろうがな!」
ひとしきり嘲笑い、勝ち誇りながらインジェンが叫ぶ。
「――お前の名は、ハリル・シャンだ!」
だが、今度はカラフが笑う番だった。
「それは私の偽名でございます、トゥーランドット公主殿! 謎は私の真の名前ですぞ。期限は、今夜。……夜が明けるまでに!
それまでに私の名が分かれば、この命……喜んで差し上げまする!!」
インジェンの身体が、再度絶望に崩れる。
「それでは……夜明けに、再びお会いしましょう、我が愛しの姫よ……!」
カラフは不遜にも皇帝と公主に背を向け、堂々と立ち去っていった。
嵐の時が終わりを告げ、ハッと意識を取り戻したように、インジェンが半狂乱で叫ぶ。
「大臣、都の者、全てに触れを出せ! 今夜は誰一人、眠ってはならぬと……! 眠った者は首を刎ねる。――全員、夜を徹して、命を賭け、あの男の真の名を……調べよ!!」
なんて、ひどい命令だ。
――希望と絶望とが短い時間に彼の心を入れ替わりたちわり訪れて、最早、まともな判断力を保っていられなかったのだ。
「は、はぁっ……!」
大臣達が拱手し、バタバタとその場から散ってゆく。
皇帝もお付きの者に連れられて出てゆき、そして――インジェンは、鬼のような形相で俺の服の首根を掴んだ。
「お前は、もちろんあの男の名を……知っているはずだな……!?」
ああ。
そうなる、よな。
「知って、おりますが……。言えません……」
倒れるほど強い平手打ちが、俺の頬を張った。
最早抗うことも出来ず、俺は力なく床に体を打ち付けられた。
……この後の「リュウ」の運命を、俺は既に知っている。
リュウは、カラフの名を知る唯一の人間として、その名前を聞き出す為に、トゥーランドットに拷問される。
そして俺は、カラフの名を最後まで明かすことなく、夜が明ける前に自殺するのだ。
無になった心で、ノロノロと身体を起こして、床に頭を擦り付け、許しを乞う。
恐ろしいばかりの運命の奔流に飲み込まれて、俺はただ、インジェンの前で平伏すことしか出来なかった。
彼は手にした扇を握りしめ、苛立ちで尖った声を上げた。
「静粛にせよ! まだ謎は終わっておらぬぞ!」
慌てて、大臣達が真面目に前を向く。
抑えきれない怒りを滲ませながらインジェンが言葉を続けた。
「……そう、希望だ。いつも失望に変わるがな……! だが、次の謎は、流石のお前にも解けまい……!」
もはや彼は、姫の演技をすることすら忘れるほどに動揺している。
インジェンが追い詰められているというのに、俺は行方を見守ることしかできない。
「炎のように熱く燃えるが、しかし、炎ではない……
時に爆ぜんばかりに狂乱し、熱気を迸らせる……。かと思えば、力を失って澱むことがあり、敗北や、死によれば、どこまでも冷たくなる……征服の予感には燃えるように沸騰し、鮮やかな夕日のように紅く輝くもの…それは……!?」
しばらく、カラフが腕を組んで考え込む。
俺は心臓が破裂しそうだった。
ああ、この謎をもし、彼が解いてしまったら……!
俺の恐怖と懸念を他所に、恋に狂うカラフは、彼の幻影の中の愛しいトゥーランドット姫にその手を差し伸べた。
「わかったぞ……! それは、公主殿の瞳が私を見るたびに、この血管を激しく巡るものだ……公主殿! それは、『血』だ!!」
ああ!と叫びに近い声がインジェンの唇から漏れた。
血……!!
それは正しく、謎の答えだった。
「クソッ……! 誰か!! このならず者を打て……!!」
もはや正気すら失いかけているインジェンが公主の座から立ち上がり、鋭く大臣達に命令する。
「ダメです、公主様! まだ彼は、謎を解いている最中です……!」
諌められて、ワナワナと肩を震わせながらインジェンが何度も悪態をつく。
「こんなはずはない……っ!! 一体どういうことだ……!?」
そして、ギッと足元に目を向け、俺の顔を見て叫んだ。
「お前……! あの男に、謎の答えを教えただろう!?」
「……違……っ、教えてない、違う!」
首を激しく横に振りながら否定したけれど、信じて貰えるわけがない……!
ああ。もう、駄目だ!!
とうとう、恐れていた事が全て起き始めている!
「お前の言うことなど……最早、信じられぬ……!」
インジェンの傷ついた表情に、俺の心もズタズタに切り裂かれる。
違うんだ、裏切ってない……!
でもこんなこと、どうやったら弁解できるんだよ。
辛すぎて、俺は目を合わせることすら出来ない。
やがて震え、掠れた声で、インジェンは低く笑い出した。
「次で、貴様は終わりだ、異邦人よ……」
力のない、けれど憎悪のこもった声が、カラフに最後の謎を投げかける。
「――闇の中に、明かりを灯すもの……」
その始まりの言葉を聞いて、俺は驚愕した。
この謎は、元の物語――オペラの「トゥーランドット」に出てくる謎じゃあない。
俺も答えを知らない謎だ……!!
インジェンは、俺がカラフに謎の答えを漏らしたと疑い、謎を変えたのだ……!
「……過去を探ったり、未来を知っているかのように読もうとしたり……怠惰に流されるかと思えば、意欲に溢れ、身の程を知り従順かと思えば、反抗的で思い上がり、裏切ったりするもの……! それは、なんだ……!!」
酷薄な氷の笑みをたたえて、インジェンは勝ち誇った。
「異邦人の王子よ……! 恐怖で青ざめているな? 流石にこの謎の答えは、お前にも解けることはなかろう……!?」
俺も、カラフはもうお終いなんじゃないかと、目の前が暗くなった。
「トゥーランドット」で出てきていない謎を、カラフが解けるのか――。
誰もが固唾を呑んで見守る中で、カラフは堂々と顔を上げ、長く長く――息を吐いた。
「これで、私の勝利だ……我が妻となる、愛しい氷の姫よ! ――貴方の心を、今、この私が熱い抱擁で解かそう。その答えは……『人の心』だ!」
メキメキと音を立てて、何かが無惨に壊れていくような音が聞こえたような気がした。
大臣達がどよめく。
「……勝利だと……!」
「七王家の王子が勝利した……!」
部屋の中に動揺が広がり、インジェンが、父である皇帝の足元に崩れ落ちる。
「ち、……父上……! どうか、この者を捉えてください……! 私の命をっ、お助けください……!!」
見ていられないほどに傷つき、動揺し果てたインジェンが、美しい両目から涙を流す。
だが、老皇帝は静かに首を横に振った。
「……我が子よ。もう、諦める他ない。皇帝の出した詔勅は、神聖なもの……。まさか謎を解くものが現れるとは……王朝の命はここで尽きたのだ。我らはもはや、運命に従うのみ。形だけでも婚儀をして、この物に皇帝を継がせる他はない――」
「父上……! 貴方まで私に死ねと言うのですか……!」
悲痛な叫びが、謁見室にこだまする。
今まで屈辱をずっと耐えてきた、インジェンの怒りと、悲しみと、悔しさがその声に爆ぜている。
もはや誰も何も口にする事ができなかった。
俺も、ただただ、……悲しくて苦しくて、息をするのもやっとで……。
そして、そんな重苦しい沈黙を、空気を読まずに破ったのは――やはり、主人公カラフだった。
「……傲慢な姫君よ。そこまで嫌がられて、結婚を無理強いできる私ではございません」
カラフは勝利者の余裕で笑みさえ浮かべながら、堂々とインジェンの前に足を踏み出した。
「そこで、提案いたしましょう。私は三つの謎を出され、三つとも解きました。――私はあなた様に、たった一つの謎を出します。もしもあなた様がその謎を解いたならば、私の首を差し上げても構わない」
嘆き苦しんでいたインジェンは、その挑戦を聞くと、ヨロヨロと立ち上がり、迎え撃った。
「……よかろう……! 早く謎を……!」
ああ。
カラフ……!
それは俺の、死亡フラグ……!
「謎は、私の名前です。……私の名を……その美しい唇で呼んでくれるのなら、私は死んでも構わぬ……!」
その言葉に、インジェンが狂ったように高笑いし出した。
「はっはっはっ……! 貴様、あれほど私と一緒にいて、殴り合いまでしたと言うのに、まだ私に気付いていないとは、本当に愚かな……! 私を誰だと思っている。まあ、お前は今、呪いにかかっていて、気づけないだろうがな!」
ひとしきり嘲笑い、勝ち誇りながらインジェンが叫ぶ。
「――お前の名は、ハリル・シャンだ!」
だが、今度はカラフが笑う番だった。
「それは私の偽名でございます、トゥーランドット公主殿! 謎は私の真の名前ですぞ。期限は、今夜。……夜が明けるまでに!
それまでに私の名が分かれば、この命……喜んで差し上げまする!!」
インジェンの身体が、再度絶望に崩れる。
「それでは……夜明けに、再びお会いしましょう、我が愛しの姫よ……!」
カラフは不遜にも皇帝と公主に背を向け、堂々と立ち去っていった。
嵐の時が終わりを告げ、ハッと意識を取り戻したように、インジェンが半狂乱で叫ぶ。
「大臣、都の者、全てに触れを出せ! 今夜は誰一人、眠ってはならぬと……! 眠った者は首を刎ねる。――全員、夜を徹して、命を賭け、あの男の真の名を……調べよ!!」
なんて、ひどい命令だ。
――希望と絶望とが短い時間に彼の心を入れ替わりたちわり訪れて、最早、まともな判断力を保っていられなかったのだ。
「は、はぁっ……!」
大臣達が拱手し、バタバタとその場から散ってゆく。
皇帝もお付きの者に連れられて出てゆき、そして――インジェンは、鬼のような形相で俺の服の首根を掴んだ。
「お前は、もちろんあの男の名を……知っているはずだな……!?」
ああ。
そうなる、よな。
「知って、おりますが……。言えません……」
倒れるほど強い平手打ちが、俺の頬を張った。
最早抗うことも出来ず、俺は力なく床に体を打ち付けられた。
……この後の「リュウ」の運命を、俺は既に知っている。
リュウは、カラフの名を知る唯一の人間として、その名前を聞き出す為に、トゥーランドットに拷問される。
そして俺は、カラフの名を最後まで明かすことなく、夜が明ける前に自殺するのだ。
無になった心で、ノロノロと身体を起こして、床に頭を擦り付け、許しを乞う。
恐ろしいばかりの運命の奔流に飲み込まれて、俺はただ、インジェンの前で平伏すことしか出来なかった。
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