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第五章 準備は万端?
12 強制お泊まり
しおりを挟む「まさかあんな場所で呂子星と出くわすなんて、びっくりだよな」
鉢合わせた時の驚いた顔を思い出すと笑いが止まらない。肩を震わせる呉宇軒を微笑ましげな目で見つめ、李浩然も頷いた。
「うん。あの制服はよく似合っていた」
彼の言う通りで、神経質そうな顔をした呂子星は執事の格好が妙にハマっていた。ひょっとすると彼の前世は執事だったのかもしれない。
呉宇軒はうんうんと頷いて全力で同意すると、李浩然を肘で突いた。
「それな! 絶対あいつ目当てに来てる女子も居るぞ」
呂子星が帰って来たら今日の件でからかってやるのも面白い。
日の傾きかけた空はうっすらと橙に染まり、肌を撫でる風がひんやりしてくる。他愛のない話をしながら、二人は途中でタクシーを拾って乗り込んだ。
「どこか寄りたいとこあった?」
「特にない。家へ帰ろう」
李浩然が運転手に住所を伝え、タクシーがゆっくりと動き出す。窓の外に古銭ストラップを作ってもらった土産屋がチラリと見えたが、走り出したタクシーは思いの外速く、やがて見えなくなった。
閑静な住宅街のその先にある幼馴染の叔父の家は、学生街側から行くとすぐに着いた。徒歩でも十分なくらいだったので、土産のケーキを持っていなければ歩いて帰っても良さそうだ。
大きな二階建ての家の庭先にはすでに中秋節の飾りつけがされていて、まん丸としたランタンの兎が来客を出迎えてくれる。可愛らしい兎を指でつんと突くと、呉宇軒は幼馴染を振り返って笑顔を向ける。
「コイツの顔、なんかお前に似てね?」
ふっくらした頬っぺたにつぶらな瞳をした兎はどこか不機嫌そうに見え、そのムスッとした表情は写真に写った李浩然にそっくりだ。幼馴染にからかわれた彼は嫌そうな顔をして呉宇軒の額を指で押すと、家の鍵を開けて扉を大きく開いた。
「先に入って」
「閉じ込めないでくれよ?」
ニヤニヤしながら返すと背中を押され、無理矢理中に入れられる。それでも笑いが止まらず、呉宇軒は笑みを浮かべた唇で家の奥に向かって元気いっぱいに呼びかけた。
「安おばさん、我回来了!」
すぐに奥からパタパタとスリッパの音がして安おばさんが顔を出す。
「あら、阿軒! よく来たわね。今夜は泊まってくれるの?」
嬉しそうにニコニコしながらそう言われ、呉宇軒はハッとして慌てて否定した。大好きな彼女からそんな風に言われると、思わず頷いてしまいそうになる。
「えっ? いや、ちょっと寄っただけだよ。お土産持ってきた」
はい、とケーキの箱を渡して幼馴染を盗み見ると、こちらの様子を窺っていたようで目が合ってしまった。李浩然はしてやったりの表情を浮かべていて、思わず眉を顰める。
「……その手には乗らないからな」
外堀を埋めようと企んでいる幼馴染に、呉宇軒が小さな声でそう釘を刺すと、ケーキをしまいに行こうとしていた安おばさんが足を止めて振り返る。
「なあに? 何か言った?」
「ううん、何でもない! 若汐はまだ帰らないかな?」
慌てて話を逸らすと、彼女は腕時計をチラリと見て答えた。
「あの子今日早いって言ってたわよ。そろそろ帰ってくるんじゃないかしら。一緒に夕飯食べましょうね」
そんな時間ないかも、と言おうとしたのに行ってしまい、呉宇軒は頭を抱えた。どんどん帰り辛い空気が出来上がってきている。
幼馴染の苦悩を察して、李浩然が慰めるように背中をポンと叩いたものの、彼の表情はどこか楽しそうだ。
まんまと嵌められた呉宇軒は、すっかり悪い子になった彼の脇腹をくすぐってお仕置きすると、おばさんを追ってリビングに向かった。
掃除が行き届いたリビングは広々していて、狭い寮の部屋に比べると開放感がある。
部屋の中にもすでに中秋節の飾りが並んでいた。見事な細工の兎たちが大きな月餅を運んでいて、見ているだけでなんだか楽しそうだ。
大きなテレビや充実したキッチンを眺めていると、ここに住んでいる李浩然が羨ましくなる。
幼馴染二人はふかふかのソファに並んで座り、しばしの間ちょっかいを出し合って戯れていたが、安おばさんがお茶を持ってやって来たので大人しく座り直した。
「阿軒ったら、せっかく近くに住んでるのになかなか泊まりに来てくれないから、寂しかったのよ?」
彼女の言葉に李浩然がすかさず口を開いた。
「今夜は泊まってくれるって」
「おい!」
そんなこと言ってないんだけど?と睨みながら手で押しやるも、味方を得た李浩然は含み笑いを浮かべている。安おばさんも彼の言葉に大喜びで、完全に断り難い流れができてしまった。
「泊まりたいのは山々なんだけど、着替えとか持って来てないし?」
「小然のを借りれば良いじゃない。ね? おばさんずっと阿軒が泊まりに来るの待ってたのよ?」
ニコニコしながらも有無を言わせず、どうしても泊まってほしいらしい。逃げ道を完全に塞がれた呉宇軒は、これは駄目だとさすがに諦めざるを得なかった。
「分かった、分かったって。もうっ! 二人してグルになって、俺のこと虐めないでくれよな」
そう言うと、企みが成功した二人は目配せをして笑みを浮かべる。全く、甥叔母コンビに挟み込まれては逃げられるわけがない。
渋々泊まることを承諾した呉宇軒は、ルームメイトたちに外泊の連絡を入れたが、すぐに呂子星から返信があり『そんなことだろうと思った』なんて失礼なことが書かれていた。
「あいつ……」
分かっていたなら一言くらい言ってくれよ、と不満顔をしてお茶を飲んでいると、安おばさんがおもむろに口を開いた。
「阿軒、中秋節はどうするの?」
中秋節期間には連休があり、家族と過ごすために実家へ帰る学生も多い。呉宇軒は実家が遠いため大学に残る予定でいた。幼馴染といつでも一緒がいい李浩然も同様だ。
「母ちゃんがせっかくだから北京のお祭り見に行けば? って言ってたから、寮に残って友だちと遊びに行くよ。もちろん浩然も一緒に」
中秋節をどう過ごすかについては、前々からルームメイトたちと相談していた。みんな親から居残りの許可をもらったので、帰国子女のイーサンを連れて観光に繰り出す予定だ。
「あら良いわね。若汐も友だちと遊びに行くみたいよ。でもそうじゃなくて、家族の集まりの日は家で一緒に過ごせたらなって。あなたも家族の一員だもの」
それは思いがけない申し出だった。ずっと会っていなかったのにそんな風に言ってもらえて、胸の奥がじんと温かくなる。
「い、良いの?」
感動のあまり言葉を詰まらせ、呉宇軒は恐る恐る尋ねた。すると、彼女は小さな頃と同じ優しい顔でにっこりと微笑んだ。
「もちろんよ! みんなでお祝いしましょ。ちゃんと着替えを持って来てね」
「やったぁ!」
嬉しくて彼女に飛びつきたい気持ちでいっぱいだったものの、間にテーブルがあるので行けず、代わりに呉宇軒は横に居た幼馴染に抱きついた。巻き込まれた彼は嫌がるでもなくふっと笑みを溢し、背中に手を回して宥めるようにポンポンと叩く。
仲良く抱き合う二人に安おばさんはふふふ、と微笑ましく眺めていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「夕飯はどうしようかしら。阿軒、あなた作ってくれる?」
引き止めた理由の半分はそれだな、と思いつつも、広い調理場を使えるまたとないチャンスに呉宇軒は喜んで飛びついた。ずっと最新式の調理器具を使う機会を窺っていたのだ。
「作る作る! 今日は何の予定だった?」
「若汐は青椒肉絲がいいって。私は酢豚がいいかな」
安おばさんが今日の夕飯の予定を教えてくれたが、まだ買い物には行っていないという。
「青椒肉絲に酢豚ね。浩然は?」
「水煮魚が食べたい」
尋ねるとすぐに答えが返ってきた。
唐辛子と花椒をたっぷり使った水煮魚は辛党な彼の大好物だ。思えば彼にちゃんとした手料理を振る舞うのは久しぶりで、呉宇軒はふっと笑って頷いた。
「よし、久々に軒軒特製水煮魚を食わせてやるよ」
夕飯までまだ時間があるので、近所のスーパーまで足りないものを買いに行くことにする。大きな冷蔵庫の中身を確認してメモを取ると、李浩然に上着を借りて一緒に家を出た。
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