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第四章 波乱の軍事訓練後半戦
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しおりを挟むしんと静まり返った早朝のリビングは薄暗く、冷えた空気が漂っている。昨日のうちにキッチンの使用許可をもらっていた呉宇軒は、逸る気持ちを抑えきれず、部屋の照明を点けるのも忘れてキッチンに駆け込んだ。
安おばさんは料理をよくしているみたいで、広々とした調理スペースは寮の狭苦しいキッチンとは大違いだ。コンロどころかオープンまであり、至れり尽くせりの設備に呉宇軒は嬉しくなって、他には何があるだろうとあちこち見て回る。
包丁を探して手当たり次第に扉を開けていると、電気が点いてぱっと部屋が明るくなった。
「阿軒、何か手伝う?」
手持ち無沙汰になった李浩然がそう聞いてきたので、呉宇軒は彼にお粥に入れるトッピングの準備を頼んだ。両開きの大きな冷蔵庫には食材がたくさん入っている。
鍋に水を入れてお粥の準備をしていると、隣では材料を切り終えた李浩然が後片付けを始めていた。
「お前、切るの早くなったんじゃないか? 俺に隠れて練習してた?」
昔はよく李浩然も一緒に料理を習っていたので、簡単なものなら調理できる。彼は真面目なので飲み込みがよく、包丁の使い方はすぐに覚えた。
「特にはしていない。君の教え方が上手だからだろう」
他愛のない雑談をしながらお粥を煮込んでいく。出汁のいい香りがふんわりと広がり、釣られてお腹が空いてくる。
ふつふつと音を立てる鍋の中を見ながら焦げないように適度に掻き混ぜていると、後ろから鍋を覗き込んだ李浩然が肩に顎を乗せてきた。
「何してるんだ?」
「君を温める係」
言うなりお腹に手を回し、後ろからぎゅっと抱きしめてくる。肌寒さを感じていた背中が彼の体と密着して、人肌の温もりが伝わってきた。コンロの熱と幼馴染の温もりで、だんだん体がポカポカしてくる。
「暇なら本でも読んでろよ」
「ここがいい」
「さては腹減ってるな? 見ててもすぐにはできないぞ」
まだ何も食べていないので空腹なのだろう。お粥は早くても一時間は煮込まないといけないので、残念ながらすぐには食べられない。
李浩然は黙ったまま幼馴染の背中に体重をかけ、暇すぎて眠くなってきたのか小さくあくびをした。
「何か面白い話しろよ」
立ったまま寝られては堪ったものじゃない。呉宇軒が話を振ると、彼は顔を上げて囁くような声で言った。
「さっきの話でもいい?」
「却下。別の無いの?」
眠さを引きずる声でそう言われ、朝の件を蒸し返されては堪らないと一蹴する。すると、他に何も無かったのか眠すぎて頭が働かないのか、李浩然はまた押し黙ってしまう。呉宇軒は幼馴染が寝てしまわないように、鍋を見張りながら声をかけた。
「そういえば、デートの場所は決まったか?」
共通の話題で、尚且つ彼の目が覚めそうなものを探していた呉宇軒は、軍事訓練の忙しさに危うく忘れかけていたデートの話を思い出す。李浩然は二週間も前からどうしようか頭を悩ませていたのだ。
「うん。楽しみにしていて」
自信ありげに頷いた李浩然に、呉宇軒は笑みを浮かべた。彼はいつだって幼馴染が一番喜ぶことをしてくれる。
それから二人は取り留めもない話をダラダラ続けていたが、鍋の中のお粥がいい感じにとろりとしてきた。呉宇軒はスプーンでひと掬いすると、ふーふーと息を吹きかけて冷ましてから李浩然に差し出した。
「ちょっと味見してみてよ」
鶏ガラをベースに隠し味をいくつか入れた自信作だ。李浩然はスプーンを口に含むと、すぐに目を輝かせた。
「美味しい」
「よし、完成だな!」
舌の肥えた彼が美味しいと言うなら間違いない。
呉宇軒はすぐに火を止めると、幼馴染が用意してくれていた器に二人分よそって、彼が切った薬味を適当に中に入れた。
「足りなかったら自分で足せよ」
「うん、大丈夫」
見覚えのある大きなダイニングテーブルで向かい合い、早めの朝食を摂る。辛めが好きな李浩然は、食卓にあるラー油を少し入れて好みの味に調整していた。
「このテーブル、なんか見たことある気がするんだけど」
「六歳の頃、君がクッキーを作ろうとして小麦粉をぶち撒けていた」
尋ねるとすぐに答えが返ってきて、呉宇軒は驚いた。
言われてみると確かにそうだ。ちょうどクリスマス時期に李若汐の家でパーティーをするからと呼ばれ、一緒にクッキーを作ることにした。そしてクリスマスに浮かれていた呉宇軒が手を滑らせ、広いテーブルいっぱいに小麦粉をぶち撒けてしまったのだ。
結構派手に溢したので、まるでテーブルに雪が降ったみたいだった。よくそんな昔のことを詳細に覚えているものだと感心する。
食事を終えた二人が並んで皿洗いをしていると、安おばさんがリビングに入ってきた。彼女はあくびをしながらやって来ると、笑顔で朝の挨拶をした。
「二人ともおはよう。いい匂いがすると思ったら、阿軒が何か作ってくれたのね」
「軒軒特製粥だよ! 厨房使わせてくれてありがとう」
笑顔を返してそう言うと、彼女は興味津々に鍋の蓋を開けて覗き込んだ。
「あら、美味しそう。早速いただこうかしら」
「今あっためるから、おばさんはテーブルで待ってて」
洗い担当の呉宇軒は泡を濯ぎ、幼馴染に後を任せて朝食の準備にかかる。とろとろのお粥をよそっていると、李浩然の叔父もリビングに姿を現した。
「阿軒、久しぶりだな」
「李先生おはよう! お腹空いてる?」
李先生とは、中学の時に両親の離婚でお世話になって以来だったので、そこまで久しぶりという感じもしない。彼は安おばさんと同じように厨房にやって来て、挨拶と共に鍋を覗き込む。
「今日は阿軒が作ったのか? いつの間にか上手に作るようになったなぁ」
まだ拙かった頃を知っている李先生は、親戚のおじさんのようにしみじみとそう言った。そして出来上がった粥をじっくり眺めていたものの、いい香りに食欲をそそられたのか、二人分の器をいそいそと持って行った。
「若汐はまだ起きて来んのか?」
もうすぐ朝の六時になる頃で、時計を見て眉を顰めた李先生は粥を一口食べるなりたちまち頬を緩めた。感想を聞かずとも、その顔を見るだけで喜んでもらえたのが分かる。安おばさんもうっとりとしたため息を吐き、嬉しそうに微笑んだ。
「こんなに美味しいなら、毎日阿軒に頼もうかしら。うちにずっと泊まっても良いのよ?」
「浩然と一緒の大学だって分かってたらお世話になったんだけど、俺もう寮に入っちゃったから……たまに泊まりに来ても良い?」
「もちろん! いつでも来てね。食事の支度をしなくて済むわ」
「それよりお前たち、そろそろ出なくて良いのか?」
悠長に話していた呉宇軒は、李先生に言われてハッとして時計を見た。朝の集合時間まであまり時間がない。
焦っていると、李浩然がぽんと肩に手を置いて微笑んだ。
「タクシー呼んであるから大丈夫」
「然然……お前って本当にできる男だな!」
頼りになる幼馴染は今日も用意周到だ。
感激のあまり抱きつくと、彼は呉宇軒の背中をそっと二回撫で、荷物を取ってこようと促した。
久しぶりに再開した李家のみんなとゆっくり話せないのは残念だが、遅刻しては元も子もない。バタバタしながら階段を駆け上がっていくと、寝癖をつけた李若汐と鉢合わせた。
「あれ? 然兄たちもう行くの?」
猫のキャラクターの顔がでかでかと描かれた寝巻きを着たまま、彼女は眠そうに目を擦って駆け上って来た二人を見る。
「まだ軍事訓練中だからな! お粥作ったからちゃんと食べろよ」
「やった! 軒兄ありがと!」
たちまち嬉しそうな顔になった李若汐は、部屋に入る呉宇軒たちと入れ替わるようにご機嫌で下へ降りて行った。
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