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第三章 夢いっぱいの入学式
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しおりを挟む注文を終えた呂子星たちも合流して、テーブルの周りが一気に賑やかになる。何人かは呉宇軒や猫奴のアカウントを知っていたようで、気さくに話かけてきた。その中の一人で髪をこげ茶色に染めた眼鏡の青年が、ふと気になることを言う。
「今年はもう一人モデルが入学してるって知ってた?」
さっぱり心当たりがなかった呉宇軒は彼に尋ね返した。
「初耳だな。女子? 男子?」
「男子。なんでも、アメリカ帰りの帰国子女だってさ」
へえ、と周りが相槌を打つ。あまり情報が出回っていないのか、誰もその人物を知らないようだ。
男と聞いて呉宇軒はたちまち興味を無くし、適当に相槌を打った。国内での仕事しか受けていないため、恐らく面識はないだろう。
サークルや寮について他愛のない雑談をしていると、店の扉が大きく開き、金髪碧眼の外国人が入ってきた。ハッとするほど整った顔立ちの彼はカウンターではなくこちらに真っ直ぐに近づいてきて、呉宇軒の前でぴたりと足を止めた。
「お前が呉宇軒か?」
「そうだけど、どちら様?」
見知らぬ青年は線が細くお伽話の王子様のようなキラキラした見た目をしていたが、その表情は鼻持ちならない傲慢さに溢れていた。彼は小馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らし、鼻高々に口を開いた。
「僕の名前はイーサン・チャンだ」
「はぁ……初めまして」
名前を聞いても全く分からず、とりあえず挨拶を返す。
呉宇軒の受け答えは彼の期待していたものではなかったらしく、僅かにムッとした顔になる。すると、謝桑陽が慌てたように声を掛けてきた。
「軒兄、これ!」
彼は自分の携帯を滑らせて呉宇軒へ渡すと、画面を見るように促した。そこには目の前に居る金髪美青年、イーサンのSNSが載っていた。わざわざ探してくれたらしい。
「あっ、噂の帰国子女ってお前のことか」
プロフィールにモデルと書いてある。どうりで知らない訳だ。
隣に居た猫奴が画面を覗き見てぷっと吹き出した。
「フォロワー数クソ犬の半分以下じゃねぇか。雑魚だな」
「何だと貴様っ!」
猫奴の失言に、イーサンはかなりカチンときたようだ。いかにもプライドが高そうな彼は、自信満々だった顔が一変、眉間にシワを寄せて不機嫌な顔になる。
彼が怒りに任せて掴み掛かろうとしてきたので、呉宇軒は慌てて二人の間に入ると、距離を取るように手で制した。
馬が合わない二人はバチバチと火花を散らして睨み合う。間に入っていると、まるでボクシングの試合のレフェリーの気分だ。
彼には煽り耐性がないのか堪え性がない。顔のいい男が嫌いで、せっせとアンチ活動に勤しむ猫奴にとっては格好の餌食だった。何を言ってもヘラヘラしている呉宇軒よりもいい反応をするから、余計に標的になってしまっている。
「猫奴! 俺以外にそう言うこと言っちゃダメだろ? 俺のアンチがごめんな」
咎めるように名前を呼ぶも、猫奴には反省の色が一切見られない。悪意しかない失言をした彼の代わりに謝ると、イーサンは俯いて拳を握り締め、わなわなと震え出した。怒りのあまり声も出ず、顔は真っ赤に染まっている。
今まで実家の店で多種多様な客を見てきた呉宇軒は、これはそろそろ爆発するな、とすぐに察した。案の定彼は怒りを爆発させ、呉宇軒にびしりと指を突きつけた。
「なんでアンチと仲良くしてるんだ! お前みたいなふざけた奴が僕より有名だなんて認めないからなっ!」
イーサンのもっともな指摘に、その場に居た呉宇軒以外がそれはそう、と心の中で頷く。李浩然に至っては、これを機にアンチと手を切るよう説得できないかと頭を悩ませている。
「別に認めてもらわなくてもいいんだけど……お前もうちょっと声抑えられない? ここが店の中って忘れてるだろ」
呉宇軒は自分のアンチを嬉々として追い回すのが趣味だが、この手のライバル視してくる輩に対しては辟易していた。そもそも将来は実家の飲食店を継ぐ気でいるので、モデルとして張り合われても困る。
イーサンの大きな声に店内の注目が一箇所に集まっているが、彼は依然として興奮状態で手が付けられなかった。呉宇軒の宥める声すら耳に入っていない。
「──ッ! と、とにかく僕は認めない! どちらが上か勝負だっ!」
「よし来た! 表へ出ろ」
そう言うことなら話は早いと立ち上がると、李浩然が慌てて止めに入る。彼は幼馴染のズボンを引き下げんばかりの勢いで引っ張り、無理矢理椅子に戻した。
「阿軒、喧嘩はいけない」
「何でだよ! 向こうが売ってきたんだろ? 心配すんなって、商売道具の顔は狙わないし殴らせないから」
尻餅をついた呉宇軒は不満タラタラに幼馴染を見たが、彼は一歩も引かず口を開いた。
「入学早々、同級生を病院送りにする気か?」
李浩然は間違いなく幼馴染が勝つと確信していた。それも圧勝で。
そう考えるのも無理はなく、二人の体格差は並ばずとも歴然だ。お互いモデルなので身長こそほとんど変わらないが、呉宇軒はかなり鍛えているので引き締まった筋肉質な体型をしていて、実家の店では酔っ払いの相手もしているため喧嘩慣れしている。対するイーサンの方はどう見ても温室育ちで、手足が長くすらりとした細身の体型だった。
物騒な会話に喧嘩腰だった彼はたちまち青ざめた。
「待て待て! 殴り合いをしたいんじゃない! なんて野蛮な奴なんだ」
獲物を狙うような目にイーサンは身の危険を感じ、殴られては堪らないと大慌てて後退りした。
滅多にない喧嘩のチャンスに、呉宇軒は諦め悪く食い下がる。
「勝負って言うんだから拳で決着付けようぜ?」
「君は殴り合いがしたいだけだろう? 駄目だ」
李浩然が断固として許さず、イーサンを蚊帳の外に置いてしばらく無言の睨み合いになる。ややあって呉宇軒は深いため息を吐き、不安そうにしていたイーサンに向き直った。
「俺の可愛い然然が許してくれないから、今回は見逃してやるよ」
「こ、このイカレ狂人め……評判以上じゃないか!」
悔し紛れに暴言を吐き、それを聞いた猫奴が吹き出す。どうもその悪口の出所はアンチの誰かのようだ。
「とりあえずなんか注文してこっち座れよ。話し合いで解決しよう」
幼馴染に睨まれているので仕方なくそう言うと、彼は意外そうな顔で李浩然を見て、それから困惑の表情で呉宇軒に視線を戻した。助けを求めるようなその顔に、やれやれと腰を浮かす。
「注文の仕方が分からねぇって?」
「べ、別にそうは言ってない!」
「分かった分かった、いいからこっち来いよ。教えてやるから」
カウンターの方へ連れて行くと、先ほどの勢いはどこへやら、イーサンは借りてきた猫のように大人しくなった。
「あなた達、喧嘩は駄目よ」
大きな声で騒いでいたのでカウンターの方まで聞こえていたらしく、店員のお姉さんに注意される。するとイーサンは僅かに眉を顰めたものの、素直に謝罪の言葉を口にした。傲慢で態度がでかいが、謝れるだけの良識はあるようだ。
「おい、これは何なんだ? 氷なのか?」
彼は帰国子女なので漢字の意味が分からなかったらしく、小声で聞いてくる。見た目は確かに氷のようなので勘違いするのも無理はなかった。
「ゼリーだよ。ほぼ味無いから、ソースとかトッピングと一緒に食べるんだ」
何が良いか分からないとぼやく彼のために、呉宇軒はメニューを見せながら簡単に説明してやった。
「兄ちゃんが買ってやるから好きなの選びな」
「なっ……何を企んでいる! 借りは作らないぞ」
「猫奴の暴言のお詫びだよ。良いから選べって」
ほら、と促すとメニューを指でなぞりながら悩み始めたが、ふとマンゴーとココナッツミルクの氷粉に指を止めた。
「これにする」
「トッピングは良いのか? 今だけ半額だぞ?」
「とりあえずいい。まずは食べてみる」
味も分からないし、と慎重な意見に忍び笑うと、呉宇軒は注文と会計を済ませた。客足が落ち着いていたのですぐに完成して、みんなが待っている席に戻る。
イーサンは空いていた謝桑陽の隣に腰掛けた。ちょうど向かいには因縁の相手、猫奴が座っている。猫奴はニヤニヤしながらまた何か余計なことを言おうとしたので、呉宇軒はすかさず手を彼の前に出して止めた。
「次またイーサンに何か言ったら飯作ってやんないからな」
アンチオフ会でよく手料理を振る舞っているので、この脅しはお目付け役の李浩然と並んでアンチに抜群の効果を発揮する。挑発する気満々だった猫奴は途端に嘆いた。
「おい! それは反則だろ!」
「駄目ったら駄目! 分かったか?」
彼はチッと小さく舌打ちするも、渋々矛を収めた。
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