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第二章 波乱の軍事訓練前半戦
18
しおりを挟む時間通りに起きて来た謝桑陽と呂子星は、自分よりも早く起きてキリッとしている王茗を見て酷く驚いた。呂子星に至っては二度見どころか三度見して、これは本当にあの寝ぼすけ王茗なのかと疑いの眼差しを向ける。
「俺だってやる時はやるんだぜ! 軒軒に髪もセットしてもらったしな!」
王茗は鼻高々にそう言うと、ご機嫌で仲間たちにセットしてもらった髪を見せびらかした。呂子星はまだ信じきれず、得意げな顔をする彼を指で何度も押して幻ではないことを確かめている。
他の部屋の生徒たちも続々と目覚め、往来の盛んになった廊下が賑やかになってくる。呉宇軒は寝起きの高進に話しかけに行こうとしたが、幼馴染に首根っこを掴まれて止められてしまった。
「何をする気だ?」
「ちょっと! 朝の挨拶くらいさせてくれよ」
「彼のことは放っておきなさい」
二人がそんな風に言い合っている間に、高進はするりと横をすり抜けて行く。呉宇軒はすれ違いざまにおはようと声をかけたが、彼は一瞥すらせず黙って通り過ぎてしまった。
「無視されちゃった」
「言っただろう? もう関わらなくていい」
残念がる呉宇軒に、幼馴染はそれ見たことかと厳しい視線を向ける。呉宇軒はめげずに戻ってきたら声をかけようと思ったものの、李浩然に引きずられて外へ連れ出された。そして高進は朝に一度見たきり姿を消してしまった。
学科の入り乱れた軍事訓練では大勢の生徒が集まっているため、一度見失ってしまうと再会は難しい。朝のランニングも講義の時間も、呉宇軒は幼馴染の監視を掻い潜ってこっそり探していたが、結局夕食を終えて宿舎に戻るまで一度も会うことはなかった。
「それで、お前は何でまた人のベッドに居るんだ?」
自分のベッドの中に居る幼馴染をじろりと見下ろすと、呉宇軒は早起きしたせいで消灯前に眠りについた王茗を気遣って小声で話しかける。李浩然は壁を背に我が物顔で幼馴染のベッドを占拠していたが、非難の声に携帯から視線を上げると手招きした。
小さな頃から刷り込まれてしまっているので、幼馴染に呼ばれるとどうしても体が行かなきゃ、と反応してしまう。呉宇軒は困った顔をしながらベッドに上がり、彼の隣に腰を下ろすと肩に頭を乗せた。
「そんなに俺に行ってほしくない?」
甘えた声で尋ねると、李浩然はふっと笑みを溢して囁いた。
「君の場所はここだろう?」
低い声は耳に心地良く、人探しを散々邪魔されてむしゃくしゃしていた気持ちが和らぐ。それでも拗ねた顔を崩さずにいると、李浩然は口元に笑みを湛えたまま幼馴染の頬を優しく摘んだ。
「阿軒、笑って?」
まるで子どもの機嫌を取るような声音で優しく囁いた幼馴染の瞳には、その手には乗るものかと意地を張るムッとした顔が映り込んでいた。
どうにか不機嫌さを装っていたものの、しばらくじっと見つめ合っていると耐えきれず、呉宇軒の口元はたちまち弧を描く。面と向かってやり合うと、いつもこうして絆されてしまうから困ったものだ。
何か言おうと口を開いたその時、斜め向かいのベッドから苛立たしげな咳払いが聞こえてきた。
「俺たちが居ること忘れてないか?」
持ち込んだ本を読んでいた呂子星は、すぐ側で繰り広げられる幼馴染二人の甘いやり取りに我慢できず声を上げた。
大袈裟じゃないかと思った呉宇軒は、本の影から不愉快な顔を覗かせる呂子星から隣の謝桑陽に視線を移す。すると、彼は目が合った途端慌てて言った。
「あっ、僕のことはお気になさらず。お二人の事はよく分かっているので」
「なっ!? 裏切り者っ」
「子星兄、気にしてもしょうがないですよ」
怒りの収まらない呂子星を、謝桑陽がまあまあと宥める。彼は普段から呉宇軒のアカウントを見ているので、幼馴染二人のやり取りに関しては耐性があるのだ。
味方を得られず顰めっ面をした呂子星を笑うと、呉宇軒は手招きして呼びかけた。
「寂しいならお前もこっち来いよ」
「俺を巻き込むんじゃねぇ! とにかく妙な雰囲気になるのはやめろ!」
「妙な雰囲気ってなんだよ……」
呉宇軒が愚痴っぽく溢すと、呂子星は本気で言ってるのか!?と驚愕の表情を浮かべる。普段と何一つ変わらないことしかしていない呉宇軒は、幼馴染と顔を見合わせて不思議そうにした。
昔からこの距離感でやってきているので、今更変えろと言われてもできるものではない。そもそも、呉宇軒はこうして誰かとくっついて過ごすのが好きだった。
「なるべく気を付けるけどさ、ちょっとくらい大目に見てくれよな」
言い終わった途端、特大のあくびが出てくる。思えば今朝は李浩然のせいでよく眠れなかったのだ。
呉宇軒は幼馴染を自分のベッドへ押し戻すと、王茗に続いて早々に寝ることにした。
昨日の乱入はベッドを入れ替えていたせいだと思っていた呉宇軒は、翌朝またしても幼馴染の腕の中で目を覚ました。昨日とは違って早くに目覚めることはなかったものの、ぴったりと密着していたせいで体がほんのり汗ばんでいる。
身を起こして見るとそこは確かに自分のベッドだったが、何故か枕が二つ並んでいた。どうやら李浩然は寝ている間に枕を持って乗り込んできたらしい。寝ぼけていたのではなく完全に確信犯だ。
「やりやがったなこいつ……」
呆れてため息を吐くと、呉宇軒は気持ちよさそうに眠る幼馴染の柔らかな頬をきゅっと抓った。幼い頃の悪い癖が再発している。
さすがに眠っていられなかったのか、李浩然がゆっくりと目を覚ます。彼は何度か目をしょぼしょぼと瞬かせ、怒った顔で見下ろしている呉宇軒に気付くと柔らかな笑みを浮かべた。
「おはよう」
「おはようじゃねぇ。ったく……おちびちゃん、何でここに居るんでちゅか?」
悪びれもせず笑顔を向けてくる幼馴染があまりにも可笑しくて、叱ろうとしていたのに堪らず笑みが漏れる。すっかり気分のよくなった呉宇軒は、怒る代わりに両手で頬を摘みぐいぐいと引っ張った。
寝静まった部屋の中に二人の密やかな笑い声が響く。楽しそうな幼馴染を見ていると、今回だけは許してやろうという気になるから不思議なものだ。
誰かに見られる前にそっとベッドを抜け出すと、呉宇軒は幼馴染に言い聞かせた。
「今回は許すけど、もう勝手に入ってくるなよ? 子星なんかに見られたらまた大騒ぎだぞ」
「分かった」
李浩然は真剣な眼差しで頷いたが、長年共に過ごしている呉宇軒はまたやるだろうなという予感めいたものがあった。そして、その予感は見事に的中した。
三日目の朝も四日目の朝も立て続けに幼馴染の腕の中で目を覚ました呉宇軒は、五日目の朝、ついに我慢の限界が来た。就寝の時間になると李浩然の枕を自分のベッドに放り投げ、彼のこともベッドに押し倒した。
「もう今日はここで寝ろ! 一緒に寝るからな!」
何事かと驚くルームメイトたちの視線が集まる中、きっぱりとそう言い切る。
李浩然はちっとも言うことを聞かず、気付けばベッドに入り込んでいる。しかも、彼に阻まれて未だに高進と話もできないでいた。
鬱憤が溜まりに溜まって、呉宇軒の怒りは爆発寸前だった。そして困惑した様子で見ていたルームメイトたちをギロリと睨むと、彼は凄みを効かせて言った。
「見せもんじゃねぇぞ」
そのあまりの剣幕に、呂子星たちは大慌てでサッと目を逸らす。そして三人で固まって、何があったのかと不思議そうにヒソヒソと話し始めた。
「阿軒、八つ当たりしない」
「元はと言えばお前が……」
文句を言おうと口を開くも、李浩然に腕を引っ張られて布団の中に引きずり込まれる。そして子どもを寝かしつけるようにそっと抱き寄せられ、人肌の温もりと体から伝わってくる鼓動を聞いていると、呉宇軒は怒りたいのに急に眠くなってきた。
口から形を成さない言葉を呟きながら、どんどん瞼が落ちてくる。鼓膜を揺らす幼馴染の声すら遠く、ついには何も聞こえなくなった。
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