真面目ちゃんの裏の顔

てんてこ米

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波乱の軍事訓練前半戦

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 緊張の面持ちで並んだ生徒たちが背筋をぴんと伸ばして待っていると、いかめしい顔をした壮年の男性が壇上に現れてレクリエーションについて説明してくれる。呉宇軒ウーユーシュェンは前の方に並んでいたので、教官の胸に付いている名札がよく見えた。
 生徒と同じようにどこか緊張した様子の若い教官たちは、マイクを手に話をする壇上の男性を畏敬の念を込めて見ている。きっと彼が上司なのだろう。
 軽い体操で体をほぐした後は、遠くにある宿舎までの道をみんなでランニングすることになる。女子の荷物は教官が車で持って行ってくれるが、男子は着替えを入れた重い鞄を持って走らされるので結構な重労働だ。荷物を預けに行く女子の列を尻目に、呉宇軒ウーユーシュェンたちは教官の合図を受けて駆け足で走り出した。
 舗装されていない土の道を、迷彩服を着た生徒たちが群れをなして駆けて行く。道の両側に生える木々のお陰で日差しは遮られ、木漏れ日が地面にまだら模様を作る。朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、きびしい訓練の始まりとは思えないほど清々しい気持ちになれた。

「女子は良いよなぁ……俺も荷物預けたい」

 ようやくしっかり目覚めた王茗ワンミンが、並んでいる女子を返り見て羨ましそうに呟く。その隣を軽快に走りながら呂子星リューズーシンは馬鹿にするように鼻で笑った。

「女のふりして混ざってきたらどうだ?」

「通ると思う?」

 行ってみようかな、と冗談を真に受けた王茗ワンミンが列を外れようとしたので、呂子星リューズーシンは慌てて引っ張り戻す。

「この馬鹿! 本当に行くやつがあるか!」

「彼女がよく可愛いって言ってくれるから、行けるかもしれないだろ!」

 行ける行けないで言い争いが始まり、それは前を走っていた呉宇軒ウーユーシュェンの耳にも届く。くだらない争いを始めた二人に合わせて速度を落とすと、呉宇軒ウーユーシュェン王茗ワンミンのくしゃくしゃ頭をつんと指で小突いた。

「三キロくらいだろ? 大した距離じゃないんだから大丈夫だって!」

 呉宇軒ウーユーシュェンの感覚ではちょっと走ればすぐ着く距離だったが、揉めていた二人はその言葉にぽかんと口を開け、同時にそれはない!とキッパリ言い切った。そして急に仲良く結託して全力で否定してくる。二対一で攻められた呉宇軒ウーユーシュェンは納得がいかず、眉をひそめると前を走る幼馴染に話を振った。

「なあ浩然ハオラン、三キロって大した距離ないよな?」

 淡々と走っていた李浩然リーハオランは呼びかけに少しだけ速度を緩めると、早くも疲れが出始めている王茗ワンミンたちをちらりと見てから答えた。

「ないな」

 ほら、と味方を得た呉宇軒ウーユーシュェンがしたり顔で返す。あるか無いかの戦いは多数決で真っ二つに割れた。
 李浩然リーハオランが幼馴染に味方したことで収拾がつかなくなり、このままでは埒が明かないと思った二人は味方を求めてキョロキョロ辺りを見渡した。そしてルームメイトたちから少し遅れていた謝桑陽シエサンヤンを見つけると、連れて来てくだらない争いに巻き込んだ。

桑陽サンヤン、三キロってかなりの距離あるよな?」

 期待の眼差しを向け、王茗ワンミンが肩に手を回して尋ねる。もう反対側には呂子星リューズーシンが並び、無言の圧を感じた謝桑陽シエサンヤンは鞄の紐をぎゅっと握り締めて困った顔をした。
 側から見ると怪しい連中に絡まれている可哀想な人だ。二人に両サイドから挟まれた謝桑陽シエサンヤンはかなり走りにくそうにしているが、両側からの圧に負けて何も言えないでいる。

「ひ、人それぞれだと思います……」

 どうにか絞り出した答えは均衡を崩すものではなく、王茗ワンミン呂子星リューズーシンは落胆した。大袈裟に嘆く二人に謝桑陽シエサンヤンは申し訳なさそうに縮こまる。

「ほら、桑陽サンヤンを虐めるなよ。コイツの言ってることは正しいだろ?」

 諦めの悪い二人に苦笑いしていると、呉宇軒ウーユーシュェンの真横を見覚えのある男子生徒が走り抜けて行った。すらりとした細身の後ろ姿を目で追っていた呉宇軒ウーユーシュェンは少し考えた後、鞄を背負い直して勢いよく走り出した。
 急に先へ行ってしまった呉宇軒ウーユーシュェンに、王茗ワンミン呂子星リューズーシンは何があったのかと顔を見合わせる。そのまま成り行きを見守っていると、勢いをつけて細身の男子に体当たりして何やら話し始めた。二人は知り合いのようだが、穏やかな話し合いと言うよりどう見ても揉めている。しばらくそうした後、呉宇軒ウーユーシュェンは相手が嫌がるのも構わず引っ張って戻ってきた。

浩然ハオラン猫奴マオヌーがいた!」

 帰ってきた呉宇軒ウーユーシュェンは、まるで取ってこいを成功させた犬のように嬉々として捕まえた獲物を幼馴染に見せた。走って逃げようとする青年の手首をしっかり掴んで離さず、罵倒されてもお構いなしだ。
 猫奴マオヌーと呼ばれた青年はかなり細身だが、呉宇軒ウーユーシュェンと同じくらい背が高い。彼はほっそりとした目で呉宇軒ウーユーシュェンを睨みつけ、どうにか手を抜こうともがいている。

「離してあげなさい」

 見かねた李浩然リーハオランがそう言うと、呉宇軒ウーユーシュェンは焼きもちか?と笑って手を離す。からかってくる幼馴染に沈黙を返すと、李浩然リーハオランは悪戯っ子を捕まえようと手を伸ばしたが、動きを読まれてひらりとかわされた。
 解放された猫奴マオヌーは感謝の眼差しを向けて李浩然リーハオランに礼を言い、それから呉宇軒ウーユーシュェンを蹴飛ばした。

「このクソ野郎! 追いかけて来るんじゃねぇ!」

「そんなこと言って、本当は俺のこと好きなくせに」

 ふざけたことを言う呉宇軒ウーユーシュェン猫奴マオヌーは顔を真っ赤にして殴りかかったが、簡単に避けられて空振りする。
 李浩然リーハオランは事情が分からないルームメイトたちへ顔を向けると、彼は呉宇軒ウーユーシュェンのアンチだと教えた。呉宇軒ウーユーシュェンのアカウントをフォローしている王茗ワンミン謝桑陽シエサンヤンは同時にああ、と納得の声を上げた。

「なんでアンチなんか捕まえてきたんだよ」

 右へ左へ避ける猫奴マオヌーを楽しそうに追いかけ回しているのを見て、呂子星リューズーシンは呆れながら尋ねる。すると、振り返った呉宇軒ウーユーシュェンはさも当然といった顔で答えた。

「アンチは俺の友だちなんだが?」

「こいつイカれてんだよ」

 すかさず猫奴マオヌーが口を挟み、また追いかけっこが始まった。ちょこまかと走り回る二人組に周りを走る生徒たちは奇異の目を向ける。
 執拗に追い回す呉宇軒ウーユーシュェンを眺めていた呂子星リューズーシンは、まるで猟犬と獲物みたいだなと思った。こうも追い回されては犬呼ばわりしたくなる気持ちも分かる。

「ほらほら、息が上がってきてるぞ! 大人しく俺と相部屋になろうって」

「絶っ対嫌だ!」

 宿舎の部屋分けは到着順で、目的地に着いた人から順番に部屋の鍵を受け取ることになっていた。つまり、このまま一緒に居ると相部屋になる可能性が高い。
 細身で見るからに体力の無さそうな猫奴マオヌーはぜいぜいと息を切らせて、それでもなんとか逃れようと奮闘する。そんな彼を呉宇軒ウーユーシュェンは元気一杯に追い回し、途中で李浩然リーハオランに捕まった。やっと追いかけっこから解放された猫奴マオヌーは駆け足を止め、体を休めるためにほとんど歩いている状態になる。

「り、リー先生……ありが……はぁ……次はも、ちょっと早く……」

 息も絶え絶えになった猫奴マオヌーはぐったりしながら礼を言った。首根っこを掴まれた呉宇軒ウーユーシュェンは不満げに幼馴染を見たが、非難の色を帯びた眼差しに口を閉ざし、さっと顔を逸らした。

「大丈夫か? 飲み物が必要ならすぐに出せるが」

「へ、平気です……呉宇軒ウーユーシュェン! この犬野郎っ……」

 歩幅を合わせた李浩然リーハオランかしこまって答えた後、猫奴マオヌーは息切れの元凶をキッと睨んだ。呉宇軒ウーユーシュェンは怒れる眼差しを笑って受け流すと、犬の真似をしてわんっと吠えた。
 幼馴染が呉宇軒ウーユーシュェンに睨みを利かせているので、猫奴マオヌーはいくらか安心した様子で並走する。一緒に走っている呂子星リューズーシンたちに挨拶する姿は、とてもアンチ活動をしているとは思えないほど礼儀正しい。
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