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2章 違いを知りました
1.
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研究所に通い始めて、はや十日が過ぎた。
朝、八時少し前、いつもこの場所で、執事の助けを得て、タイリートから降りる。
「ハルトライア様。行ってらっしゃいませ」
低くて、少ししゃがれた声が、優しい。愛しい執事の深く美しいお辞儀。
「行ってきます。また昼過ぎに」
「はい。午後三時に、お待ち申し上げております」
「ヒヒヒン」
僕の愛馬も見送ってくれている。カシルのエリーは静かだ。
ここは研究所の大きな門の前。レンガ造りの大きな門だ。前世で言う、フランスの凱旋門を二回りほど小さくした感じ。くぐれば建物までイチョウ並木が続く。初日は馬車で通った。けれど今は毎日、こうして自分で歩いてゆく。見送るカシルを振り返った。まだ頭を下げている。秋風に揺れる白髪交じりの銀髪。触りたいな、って思ったけれど、我慢した。
先生からいただいた黒いムチを杖にして、僕はゆっくりと進んでゆく。歩くだけなら、ひとりでもなんとかなる。中に入れば車イスかあるから、そこまで頑張ろう。
この門から先に入るのは僕だけ。研究所は入所が厳しく制限されている。その数、たった三十。研究所に所属出来るのは本当に限られた者だけなのだ。だからカシルとは、門の前でお別れ。
実質トップのファリア先生の許可を得れば、許可証をもらえる。
機能的には、前世で社員証をリーダーにかざしIDチップを読み込むと鍵が開くのと同じ。しかし、この世界に科学はない。その代わりの、魔法、つまり魔法陣だ。
入所した日、僕の左手首の内側に陣が刻まれた。簡単に言うと円とその円に内接する五芒星の形。円も星も小さな文字の集まりだ。パッと見は、平安時代の陰陽師、安倍晴明の清明紋に似ている。
そして門自体に、巨大な陣が施されている。通れるのは、この五芒星があるものだけ。初日の時は乗ってきた馬車に陣があったのだ。
もちろん、来客などのため、一度だけ使える魔法陣もある。ちなみに陣のないものが通ろうとすると巨大な石の壁がそそり立つらしい。
更に言うと門をくぐった時、面白い事が起こる。門を通ったという記録が残るのだ。それは研究所の奥にある、魔晶石の巨石に刻まれる。陣に使われる魔法文字で書かれているそうだ。
通行データを残すなんてインターネットのアクセスログみたいで面白い。見せてもらいたいとお願いしているが、まだ見れてはいない。
この入場の仕組みは先生が作ったわけではなく、遥か昔から存在する。この門に施されて以来、ずっと使われている古代の神級魔法。多分千年前の女神が降臨した頃のではないかと言われている。神級魔法のほとんどは古代魔法で原理はさっぱりわからないという。
そして、今から百年ほど前。天才魔道士が、その魔法陣に人数制限有りの入場許可機能を付与したらしい。それが石の壁だ。それからは、認められた研究者と十歳を過ぎた王族にのみ、陣が与えられることとなった。
門をくぐり、イチョウ並木の道をゆっくり進む。三十センチ四方の白い石畳の道に、ひらひら黄色い葉が降ってくる。もう明日には一二月。あと少しで紅葉も終わる。降り積もる葉っぱに滑ってこけないよう気をつけよう。
ようやく建物。足元に注意しながらとはいえ、五十メートルほどの移動に、約五分。せめて一分で進みたいなぁと思う。筋トレに日々励むが、成果は、本当にゆっくりだ。
玄関の階段を三段上がって、扉に手をかける。
そして振り向けばまだ、カシルはいた。
カシルに手を降ると、にこりと笑ってまた頭を下げてくれた。
たかだか半日程度離れるだけなのに、僕はいつもさみしくなってしまう。
『行ってらっしゃいませ』と微笑んでくれて、美しいという言葉では足りないほど美しく頭を下げてくれて。ああ、今朝もほんとイケメンだ……
カシルのこと少し考えるだけで、好きって気持ちで、苦しくてたまらなくなる。
行ってらっしゃいのキスとかあったら嬉しいな、なんて思ってるのは秘密。
カシルは僕に、ほんとうに一切、そういうことはしない。
やっぱり僕がまだ九歳だからだろう。
僕だって、カシルに迫るわけにいかない。だってカシルは、僕がしてほしいって言ったら絶対する。たとえしたくなくても。
カシルの気持ちを疑っているわけじゃない。態度で分かるから。
吊り橋効果じゃないかって思うことは確かにあるけれど、それでもカシルは僕のこと、ちゃんと好きでいてくれてるって知ってるし信じてる。
それでも、言葉でもほしいな、やっぱりちょっとだけ、キスしたいな、と思う。
そして、お前に、僕を欲しがって欲しい、とも思ってしまう。
僕は、結構欲張りだったのだ。
けれど毎朝別れ際、寂しいな、なんて思っても、いざ、ここへ足を踏み入れれば、恋心をそれ以上膨らませる暇なく、あっという間に研究所での時間は過ぎてゆく。
一週間で、部屋にあるものは全部、読み終わってしまった。だから今は図書室に入り浸っている。
とにかく僕は知識がない。だから読むしかないのだ。
でも知らないことが知れるのは、本当に嬉しい。あてがわれた部屋に押し込まれた歴史書だって、僕には宝の山だった。片っ端から読み漁り、おかげでこの世界のことが少しわかった。
この世界は地球とは違う。異星とでもいうべきか。海がほとんどで、大きな島が四つに、小さな島が二十ほど。その大きな島の一つに、僕のいるレジクシレアとナルカレイズとファーレンハイトがある。他三つの島は、別の国々に統治されている。
他の島の国については、詳しい情報がなかったが、ゼロエンのストーリーはここ、レジクシレアの中だけしか語られていない。僕が生きてカシルとユアを守るためにはこの国の知識がまず必要だ。よその島についてはもしも未来、生きながらえたならば、その時、調べればいい。そしていつか家族で旅行しよう。絶対楽しい。
朝、八時少し前、いつもこの場所で、執事の助けを得て、タイリートから降りる。
「ハルトライア様。行ってらっしゃいませ」
低くて、少ししゃがれた声が、優しい。愛しい執事の深く美しいお辞儀。
「行ってきます。また昼過ぎに」
「はい。午後三時に、お待ち申し上げております」
「ヒヒヒン」
僕の愛馬も見送ってくれている。カシルのエリーは静かだ。
ここは研究所の大きな門の前。レンガ造りの大きな門だ。前世で言う、フランスの凱旋門を二回りほど小さくした感じ。くぐれば建物までイチョウ並木が続く。初日は馬車で通った。けれど今は毎日、こうして自分で歩いてゆく。見送るカシルを振り返った。まだ頭を下げている。秋風に揺れる白髪交じりの銀髪。触りたいな、って思ったけれど、我慢した。
先生からいただいた黒いムチを杖にして、僕はゆっくりと進んでゆく。歩くだけなら、ひとりでもなんとかなる。中に入れば車イスかあるから、そこまで頑張ろう。
この門から先に入るのは僕だけ。研究所は入所が厳しく制限されている。その数、たった三十。研究所に所属出来るのは本当に限られた者だけなのだ。だからカシルとは、門の前でお別れ。
実質トップのファリア先生の許可を得れば、許可証をもらえる。
機能的には、前世で社員証をリーダーにかざしIDチップを読み込むと鍵が開くのと同じ。しかし、この世界に科学はない。その代わりの、魔法、つまり魔法陣だ。
入所した日、僕の左手首の内側に陣が刻まれた。簡単に言うと円とその円に内接する五芒星の形。円も星も小さな文字の集まりだ。パッと見は、平安時代の陰陽師、安倍晴明の清明紋に似ている。
そして門自体に、巨大な陣が施されている。通れるのは、この五芒星があるものだけ。初日の時は乗ってきた馬車に陣があったのだ。
もちろん、来客などのため、一度だけ使える魔法陣もある。ちなみに陣のないものが通ろうとすると巨大な石の壁がそそり立つらしい。
更に言うと門をくぐった時、面白い事が起こる。門を通ったという記録が残るのだ。それは研究所の奥にある、魔晶石の巨石に刻まれる。陣に使われる魔法文字で書かれているそうだ。
通行データを残すなんてインターネットのアクセスログみたいで面白い。見せてもらいたいとお願いしているが、まだ見れてはいない。
この入場の仕組みは先生が作ったわけではなく、遥か昔から存在する。この門に施されて以来、ずっと使われている古代の神級魔法。多分千年前の女神が降臨した頃のではないかと言われている。神級魔法のほとんどは古代魔法で原理はさっぱりわからないという。
そして、今から百年ほど前。天才魔道士が、その魔法陣に人数制限有りの入場許可機能を付与したらしい。それが石の壁だ。それからは、認められた研究者と十歳を過ぎた王族にのみ、陣が与えられることとなった。
門をくぐり、イチョウ並木の道をゆっくり進む。三十センチ四方の白い石畳の道に、ひらひら黄色い葉が降ってくる。もう明日には一二月。あと少しで紅葉も終わる。降り積もる葉っぱに滑ってこけないよう気をつけよう。
ようやく建物。足元に注意しながらとはいえ、五十メートルほどの移動に、約五分。せめて一分で進みたいなぁと思う。筋トレに日々励むが、成果は、本当にゆっくりだ。
玄関の階段を三段上がって、扉に手をかける。
そして振り向けばまだ、カシルはいた。
カシルに手を降ると、にこりと笑ってまた頭を下げてくれた。
たかだか半日程度離れるだけなのに、僕はいつもさみしくなってしまう。
『行ってらっしゃいませ』と微笑んでくれて、美しいという言葉では足りないほど美しく頭を下げてくれて。ああ、今朝もほんとイケメンだ……
カシルのこと少し考えるだけで、好きって気持ちで、苦しくてたまらなくなる。
行ってらっしゃいのキスとかあったら嬉しいな、なんて思ってるのは秘密。
カシルは僕に、ほんとうに一切、そういうことはしない。
やっぱり僕がまだ九歳だからだろう。
僕だって、カシルに迫るわけにいかない。だってカシルは、僕がしてほしいって言ったら絶対する。たとえしたくなくても。
カシルの気持ちを疑っているわけじゃない。態度で分かるから。
吊り橋効果じゃないかって思うことは確かにあるけれど、それでもカシルは僕のこと、ちゃんと好きでいてくれてるって知ってるし信じてる。
それでも、言葉でもほしいな、やっぱりちょっとだけ、キスしたいな、と思う。
そして、お前に、僕を欲しがって欲しい、とも思ってしまう。
僕は、結構欲張りだったのだ。
けれど毎朝別れ際、寂しいな、なんて思っても、いざ、ここへ足を踏み入れれば、恋心をそれ以上膨らませる暇なく、あっという間に研究所での時間は過ぎてゆく。
一週間で、部屋にあるものは全部、読み終わってしまった。だから今は図書室に入り浸っている。
とにかく僕は知識がない。だから読むしかないのだ。
でも知らないことが知れるのは、本当に嬉しい。あてがわれた部屋に押し込まれた歴史書だって、僕には宝の山だった。片っ端から読み漁り、おかげでこの世界のことが少しわかった。
この世界は地球とは違う。異星とでもいうべきか。海がほとんどで、大きな島が四つに、小さな島が二十ほど。その大きな島の一つに、僕のいるレジクシレアとナルカレイズとファーレンハイトがある。他三つの島は、別の国々に統治されている。
他の島の国については、詳しい情報がなかったが、ゼロエンのストーリーはここ、レジクシレアの中だけしか語られていない。僕が生きてカシルとユアを守るためにはこの国の知識がまず必要だ。よその島についてはもしも未来、生きながらえたならば、その時、調べればいい。そしていつか家族で旅行しよう。絶対楽しい。
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