76 / 83
〈幕間〉王太子妃になれと言われましたが、全力で拒否します~弟への愛は無限大ですわ~
6.(幕間完)
しおりを挟む
「その体に慣れるまでは無理しないでよ。調子悪かったらうちの旦那に頼りなよ。言っとくから」
「いえ、どうかカルシード公爵にも内密でお願いいたします」
「まぁ、そういうなら。でも私には頼れよ。いつでも手伝うからな。で、魔力はどう?」
呪法の影響によりルゥの魔力は初級魔法しか使えない程度の量になっていた。
それでも、使える。ファリアは胸をなでおろした。ファリアは呪法陣を少しだけ改ざんしたのだ。元の呪法はすべての魔力を吸う陣だ。罪人に使うならそれが好都合だから。しかしルゥの魔力を少しでも残したかった。この1週間、ファリアは寝る間を惜しんで研究し、なんとかそれを作り上げた。試すこともできない陣は本当に一か八かの賭けだった。
「魔力を全て吸うのではなかったのですか?」
「ルゥの魔力量が半端ないからかもな。いいじゃないか使えるんだから」
「……、ありがとうございます、ねぇさま」
ルゥは気付いたのだろう。久々にファリアをねぇさまと呼び頭を下げ、去っていった。
その後、ルゥは行方知れずになった。
彼がいったい何に巻き込まれたのか、分からずじまいだった。それでも、きっとまた会える。そんな思いで過ごした8年。
ようやく会えた。だが今陣を刻んだ理由を聞いてもお前が答えないことは分かっている。
私はただ、弟の後押しをするだけだ。
私はお前の姉なのだ。お前を幸せにできるなら、それ以上望むことはない。
それに、こうしてまたお前をルゥと呼べて、私はとても嬉しいよ。
私以外、もう誰もそう呼ばないのだから。
「アイツ、俺より若いってのにもしかしてあと10年も生きられねぇのか?」
アンドレアスのセリフに胸がすくんだ。あの陣を刻むということは棺桶に片足を突っ込んでいるのと同じことなのだ。本当に老化させているのだから。10年と言わず明日、ルゥが死んでも何らおかしくない。
「いざとなったら、今日みたいに腕を切れば、良いのかもしれないね」
「そんなのダメだろ、なんとかならねぇのか?」
陣は刻むより消す方が大変なのだ。それを消せるだけの浄化魔法を揺らぎなく展開し、描かれた陣を一点の乱れなく上書きしていく。刻むのに4時間かかったのだから、倍の8時間以上かけないと消せないだろう。
しかし、ふふ、とファリアは笑った。
「大丈夫だよ、私はルゥが元に戻るって確信しているよ」
「お前の能力がそのうち上がるってか?」
「いいや、私じゃないよ。もっと適任者がいる」
ファリアの脳裏に、牢屋の傍にあるスミレを囲うように咲く三輪のコスモスが浮かんだ。
杖も使わず、自分の見えない場所まで魔力を伸ばし正確に陣を描く、しかも最小の魔力で花を咲かせたハルトライアの能力は尋常ではなかった。さらには呪法で錯乱した状態にもかかわらず、一瞬で大量の瘴気を浄化した。
あんなことができる生徒は、初めてだよ。
彼なら、そう遠くない未来に私を超える魔法使いになるだろう。
「愛の共同作業で見事に消してくれるさ」
「ブッ、なんだよそれっ、9歳児にどうしろと?」
「言葉のあやだよ、やだなぁ」
くすくす笑っていると、かすかに足音が聞こえた。ルゥがこちらに戻り始めたのだろう。
あの子は、どんな顔でいるだろうか。眠る主の傍で涙を流していたのだろうか。
あの子は、私の前では一度も泣かなかった。
鞭打たれた時も、母親が殺された時でさえも、一滴も涙を流さなかった。
それはあの子なりの心の防御反応だったのだろう。
今泣けるようになったのは、あの特級呪法陣で老人になり涙腺も弱ったからなのかもしれない。
ならば、あの陣を刻んだことも無駄ではなかったのだ。
生きていた主を抱きしめて幸せそうに泣いているルゥを見て、こっちが泣きそうだった。
ガチャと扉が開いて、ルゥが入ってきた。
「お待たせいたしました、辺境伯、公爵夫人」
深々と頭を下げた弟を笑って揶揄する。
「昔みたいにりあねぇさまって呼んでくれたらいいのに」
「そんな、もう子供ではありませんので」
ふるふる顔を振って拒否の意思を示された。残念だ。今でもいくらでも呼んでもらいたいのに。
チッと心で舌打ちをしていると、アンドレアスが口を開いた。
「そうだカシル、お前体に古傷あんだろ?」
「古い傷、ですか?」
これのことでしょうかとカフリンクスを外して袖をめくり、チラと古傷をアンドレアスに見せるルゥ。
あぁ、あれは私の罪の痕だ。お前を振り回すだけの浅はかな子供だった私の罪。
ジリと胸が痛んだ。
「そうそう、今コイツとお前の腕の陣の話してたんだけどよ、腕と背中にそれあること思い出したんだよ。それさ、俺の嫁さんに治させてくれねぇか? うちの嫁さん、いろんな治療魔法を試してて、最近古傷を消せるようになったんだよ。せっかくだから練習させてもらえねぇかなって?」
ルゥは袖を元に戻すとアンドレアスに頭を下げた。
「ありがたい申し出なのですが、お断りいたします」
「えぇっ、なんでだよっ」
「これは、戒めなのです。なのでこのままにしておきたいです」
「戒め?」
「はい。一時期、私は魔法を使うのが楽しすぎて、魔法ばかり使って剣術をさぼっておりました、そんなときにウルフたった1頭に後れを取って受けた傷です。さぼる前は2、3頭相手に無傷で対処できていたのに本当に酷いものでした。ですので反省の意を込めて、この傷は残しておきたいのです」
「そうかぁ、まぁ気が変わったらいつでも連絡くれよ」
ったく、真面目な奴だ、とアンドレアスは苦笑した。
だがファリアは弟の発言に衝撃を受けていた。
ルゥは楽しかったのか、私と魔法を使うことを。
思えばあの時、ウルフに受けた傷による熱にうなされながらもルゥは、何度も『楽しい』と言ってくれた。
私はごめんなさいと謝るばかりで、それを本当だとは認識できなかったけれど、『楽しい』も『魔法を使いたい』もルゥの本心だったのだ。
嬉しくてファリアは口元を抑える。
「ルゥ……お前1頭に後れを、ってあのときお前6歳だったろう?」
「私は5歳のころからウルフは一人で仕留めておりましたが?」
何でもないように言ったセリフにアンドレアスが
「お前ガキんときから化け物だったのか、それで魔法も使えるたぁマジやべぇな」
と驚きと呆れの混ざった声でつぶやいた。
全く、本当に困った弟だ。あの時そう言ってくれたら、私はお前が仕方なく私の魔法遊びに付き合っていたなどと思い込まずに済んだのに。自分のことを殆ど話さないルゥは、きっとハルトライアにも聞かれたこと以外何も話していないのだろう。
いつか彼には話してやろう。ルゥの子供の頃のことを。きっと喜ぶ。お前は照れてやめろと言うだろうがそんなお前も最高に可愛い。
弟を可愛がるのは姉の特権なのだから。
「トラ君、ちゃんと寝たかい?」
フフと笑ってファリアはハルトライアに話題を移す。
「はい、よくお眠りになられております」
嬉しそうに話す弟は、老人ではあるものの「りあねぇさま」と呼んでくれていた頃のかわいさを滲ませている。
「そうかぁ。あぁ、ほんとかわいいなぁ」
「ハルトライア様はとてもカッコいいと思いますが?」
いや、お前がかわいいんだよ。と言いかけてファリアは言い直した。
「そうだね、トラ君カッコいい。9歳にしてお前を守る宣言するなんて、普通出来ることじゃないよ」
ファリアも9歳の時、誰にも守られず一人で耐えてきた弟を自分が守ると心に決めた。
だが、宣言することはできなかった。
もちろん心の中では何度も絶対守るからと叫んでいた。
しかし怖かったのだ。自信がなかったのだ。守れなかったときに自分が傷付きたくなかった。
だから、言い切ったハルトライアを心の底からすごいと思う。
すると弟は首をほんの少しかしげて言った。
「ハルトライア様がそうおっしゃられたのは4歳の時にございますよ」
ファリアは隣のアンドレアスと思わず顔を見合わせ、そして応接室は大爆笑が吹き荒れた。
「ふはははははははっ、なんだそれっ、ハルトライアっ、すげぇなっ」
「あははははははっ、ルゥ、もう完敗だよ私はっ、トラ君は、っ、ほんとどこまでっ、想像の上を行くんだっ」
ハルトライアは、4歳のころにはもう弟の心を救っていたのだ。
誰にも守られずひとり耐え小さく固くなってしまっていた弟の心を。
だから弟は、泣けるのだ。
すべてを許容してくれる人の傍で、こころゆくまま、どこまでも自由に。
「そんな、笑うことではないでしょう!」
ぷんぷん怒る弟に
「ごめんごめん、人間はあまりに想定外に出くわすと笑ってしまうものなんだよ。つまりトラ君が最高にカッコいいって証拠だよ」
と言いながら、笑いに隠して目に滲んだ涙をぬぐった。
「殿下にまで啖呵切ってたからなぁ、ハルトライア」
「え、そうなの?」
「ああ、俺が殿下にハルトライア欲しかったらこいつ倒せよっつったら『僕がカシルを守るから倒すなら僕を倒せ』って」
「はははっ、トラ君倒したら手に入んないのに? セリフ矛盾しまくってるけどお前への愛は全方位照射だなっ」
誰も近寄れないなと笑うと、弟は口元を抑え真っ赤になってうつむいた。
そんなルゥは今、誰よりも幸せだと私は断言出来る。
お前の主は、すごいよルゥ。
たったの9歳で、ライバルに頭を下げたのだ。私は恋敵ではないけれど、あの時彼にとってはそうだったはずだ。
だが、愛する人を守るために手を貸してくれと、幸せにしたいからと。
そんな男に、この先出会うことはないだろうよ。ルゥ。
「さぁ、ドレ君帰ろうか。私たちも」
「ああ、これ以上二人にあてられちゃ堪らんからな」
また来るから、と手を振って屋敷を後にする。空を見上げれば昨日とほぼ同じ、満ち満ちた月が昇っていた。
あの逃避行でルゥと見た三日月とは違い、大きく膨らんだそれはとても喜びに溢れているように見えた。
私の可愛いルゥ。
私はこれからもずっと、あなたの「りあねぇさま」だから。
あなたは私のただ一人の、弟。
愛しているわ。
だから、
この先何があろうとも愛する人と一緒に
「かならず、幸せになるのよ」
ホロと零れた涙を、隣のアンドレアスは無視してくれた。
そうして空を見上げ続けるファリアを、月明かりは静かに優しく包んでいた。
〈幕間 完〉
「いえ、どうかカルシード公爵にも内密でお願いいたします」
「まぁ、そういうなら。でも私には頼れよ。いつでも手伝うからな。で、魔力はどう?」
呪法の影響によりルゥの魔力は初級魔法しか使えない程度の量になっていた。
それでも、使える。ファリアは胸をなでおろした。ファリアは呪法陣を少しだけ改ざんしたのだ。元の呪法はすべての魔力を吸う陣だ。罪人に使うならそれが好都合だから。しかしルゥの魔力を少しでも残したかった。この1週間、ファリアは寝る間を惜しんで研究し、なんとかそれを作り上げた。試すこともできない陣は本当に一か八かの賭けだった。
「魔力を全て吸うのではなかったのですか?」
「ルゥの魔力量が半端ないからかもな。いいじゃないか使えるんだから」
「……、ありがとうございます、ねぇさま」
ルゥは気付いたのだろう。久々にファリアをねぇさまと呼び頭を下げ、去っていった。
その後、ルゥは行方知れずになった。
彼がいったい何に巻き込まれたのか、分からずじまいだった。それでも、きっとまた会える。そんな思いで過ごした8年。
ようやく会えた。だが今陣を刻んだ理由を聞いてもお前が答えないことは分かっている。
私はただ、弟の後押しをするだけだ。
私はお前の姉なのだ。お前を幸せにできるなら、それ以上望むことはない。
それに、こうしてまたお前をルゥと呼べて、私はとても嬉しいよ。
私以外、もう誰もそう呼ばないのだから。
「アイツ、俺より若いってのにもしかしてあと10年も生きられねぇのか?」
アンドレアスのセリフに胸がすくんだ。あの陣を刻むということは棺桶に片足を突っ込んでいるのと同じことなのだ。本当に老化させているのだから。10年と言わず明日、ルゥが死んでも何らおかしくない。
「いざとなったら、今日みたいに腕を切れば、良いのかもしれないね」
「そんなのダメだろ、なんとかならねぇのか?」
陣は刻むより消す方が大変なのだ。それを消せるだけの浄化魔法を揺らぎなく展開し、描かれた陣を一点の乱れなく上書きしていく。刻むのに4時間かかったのだから、倍の8時間以上かけないと消せないだろう。
しかし、ふふ、とファリアは笑った。
「大丈夫だよ、私はルゥが元に戻るって確信しているよ」
「お前の能力がそのうち上がるってか?」
「いいや、私じゃないよ。もっと適任者がいる」
ファリアの脳裏に、牢屋の傍にあるスミレを囲うように咲く三輪のコスモスが浮かんだ。
杖も使わず、自分の見えない場所まで魔力を伸ばし正確に陣を描く、しかも最小の魔力で花を咲かせたハルトライアの能力は尋常ではなかった。さらには呪法で錯乱した状態にもかかわらず、一瞬で大量の瘴気を浄化した。
あんなことができる生徒は、初めてだよ。
彼なら、そう遠くない未来に私を超える魔法使いになるだろう。
「愛の共同作業で見事に消してくれるさ」
「ブッ、なんだよそれっ、9歳児にどうしろと?」
「言葉のあやだよ、やだなぁ」
くすくす笑っていると、かすかに足音が聞こえた。ルゥがこちらに戻り始めたのだろう。
あの子は、どんな顔でいるだろうか。眠る主の傍で涙を流していたのだろうか。
あの子は、私の前では一度も泣かなかった。
鞭打たれた時も、母親が殺された時でさえも、一滴も涙を流さなかった。
それはあの子なりの心の防御反応だったのだろう。
今泣けるようになったのは、あの特級呪法陣で老人になり涙腺も弱ったからなのかもしれない。
ならば、あの陣を刻んだことも無駄ではなかったのだ。
生きていた主を抱きしめて幸せそうに泣いているルゥを見て、こっちが泣きそうだった。
ガチャと扉が開いて、ルゥが入ってきた。
「お待たせいたしました、辺境伯、公爵夫人」
深々と頭を下げた弟を笑って揶揄する。
「昔みたいにりあねぇさまって呼んでくれたらいいのに」
「そんな、もう子供ではありませんので」
ふるふる顔を振って拒否の意思を示された。残念だ。今でもいくらでも呼んでもらいたいのに。
チッと心で舌打ちをしていると、アンドレアスが口を開いた。
「そうだカシル、お前体に古傷あんだろ?」
「古い傷、ですか?」
これのことでしょうかとカフリンクスを外して袖をめくり、チラと古傷をアンドレアスに見せるルゥ。
あぁ、あれは私の罪の痕だ。お前を振り回すだけの浅はかな子供だった私の罪。
ジリと胸が痛んだ。
「そうそう、今コイツとお前の腕の陣の話してたんだけどよ、腕と背中にそれあること思い出したんだよ。それさ、俺の嫁さんに治させてくれねぇか? うちの嫁さん、いろんな治療魔法を試してて、最近古傷を消せるようになったんだよ。せっかくだから練習させてもらえねぇかなって?」
ルゥは袖を元に戻すとアンドレアスに頭を下げた。
「ありがたい申し出なのですが、お断りいたします」
「えぇっ、なんでだよっ」
「これは、戒めなのです。なのでこのままにしておきたいです」
「戒め?」
「はい。一時期、私は魔法を使うのが楽しすぎて、魔法ばかり使って剣術をさぼっておりました、そんなときにウルフたった1頭に後れを取って受けた傷です。さぼる前は2、3頭相手に無傷で対処できていたのに本当に酷いものでした。ですので反省の意を込めて、この傷は残しておきたいのです」
「そうかぁ、まぁ気が変わったらいつでも連絡くれよ」
ったく、真面目な奴だ、とアンドレアスは苦笑した。
だがファリアは弟の発言に衝撃を受けていた。
ルゥは楽しかったのか、私と魔法を使うことを。
思えばあの時、ウルフに受けた傷による熱にうなされながらもルゥは、何度も『楽しい』と言ってくれた。
私はごめんなさいと謝るばかりで、それを本当だとは認識できなかったけれど、『楽しい』も『魔法を使いたい』もルゥの本心だったのだ。
嬉しくてファリアは口元を抑える。
「ルゥ……お前1頭に後れを、ってあのときお前6歳だったろう?」
「私は5歳のころからウルフは一人で仕留めておりましたが?」
何でもないように言ったセリフにアンドレアスが
「お前ガキんときから化け物だったのか、それで魔法も使えるたぁマジやべぇな」
と驚きと呆れの混ざった声でつぶやいた。
全く、本当に困った弟だ。あの時そう言ってくれたら、私はお前が仕方なく私の魔法遊びに付き合っていたなどと思い込まずに済んだのに。自分のことを殆ど話さないルゥは、きっとハルトライアにも聞かれたこと以外何も話していないのだろう。
いつか彼には話してやろう。ルゥの子供の頃のことを。きっと喜ぶ。お前は照れてやめろと言うだろうがそんなお前も最高に可愛い。
弟を可愛がるのは姉の特権なのだから。
「トラ君、ちゃんと寝たかい?」
フフと笑ってファリアはハルトライアに話題を移す。
「はい、よくお眠りになられております」
嬉しそうに話す弟は、老人ではあるものの「りあねぇさま」と呼んでくれていた頃のかわいさを滲ませている。
「そうかぁ。あぁ、ほんとかわいいなぁ」
「ハルトライア様はとてもカッコいいと思いますが?」
いや、お前がかわいいんだよ。と言いかけてファリアは言い直した。
「そうだね、トラ君カッコいい。9歳にしてお前を守る宣言するなんて、普通出来ることじゃないよ」
ファリアも9歳の時、誰にも守られず一人で耐えてきた弟を自分が守ると心に決めた。
だが、宣言することはできなかった。
もちろん心の中では何度も絶対守るからと叫んでいた。
しかし怖かったのだ。自信がなかったのだ。守れなかったときに自分が傷付きたくなかった。
だから、言い切ったハルトライアを心の底からすごいと思う。
すると弟は首をほんの少しかしげて言った。
「ハルトライア様がそうおっしゃられたのは4歳の時にございますよ」
ファリアは隣のアンドレアスと思わず顔を見合わせ、そして応接室は大爆笑が吹き荒れた。
「ふはははははははっ、なんだそれっ、ハルトライアっ、すげぇなっ」
「あははははははっ、ルゥ、もう完敗だよ私はっ、トラ君は、っ、ほんとどこまでっ、想像の上を行くんだっ」
ハルトライアは、4歳のころにはもう弟の心を救っていたのだ。
誰にも守られずひとり耐え小さく固くなってしまっていた弟の心を。
だから弟は、泣けるのだ。
すべてを許容してくれる人の傍で、こころゆくまま、どこまでも自由に。
「そんな、笑うことではないでしょう!」
ぷんぷん怒る弟に
「ごめんごめん、人間はあまりに想定外に出くわすと笑ってしまうものなんだよ。つまりトラ君が最高にカッコいいって証拠だよ」
と言いながら、笑いに隠して目に滲んだ涙をぬぐった。
「殿下にまで啖呵切ってたからなぁ、ハルトライア」
「え、そうなの?」
「ああ、俺が殿下にハルトライア欲しかったらこいつ倒せよっつったら『僕がカシルを守るから倒すなら僕を倒せ』って」
「はははっ、トラ君倒したら手に入んないのに? セリフ矛盾しまくってるけどお前への愛は全方位照射だなっ」
誰も近寄れないなと笑うと、弟は口元を抑え真っ赤になってうつむいた。
そんなルゥは今、誰よりも幸せだと私は断言出来る。
お前の主は、すごいよルゥ。
たったの9歳で、ライバルに頭を下げたのだ。私は恋敵ではないけれど、あの時彼にとってはそうだったはずだ。
だが、愛する人を守るために手を貸してくれと、幸せにしたいからと。
そんな男に、この先出会うことはないだろうよ。ルゥ。
「さぁ、ドレ君帰ろうか。私たちも」
「ああ、これ以上二人にあてられちゃ堪らんからな」
また来るから、と手を振って屋敷を後にする。空を見上げれば昨日とほぼ同じ、満ち満ちた月が昇っていた。
あの逃避行でルゥと見た三日月とは違い、大きく膨らんだそれはとても喜びに溢れているように見えた。
私の可愛いルゥ。
私はこれからもずっと、あなたの「りあねぇさま」だから。
あなたは私のただ一人の、弟。
愛しているわ。
だから、
この先何があろうとも愛する人と一緒に
「かならず、幸せになるのよ」
ホロと零れた涙を、隣のアンドレアスは無視してくれた。
そうして空を見上げ続けるファリアを、月明かりは静かに優しく包んでいた。
〈幕間 完〉
143
お気に入りに追加
758
あなたにおすすめの小説

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
他サイトでも公開中
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

悪役令嬢のモブ兄に転生したら、攻略対象から溺愛されてしまいました
藍沢真啓/庚あき
BL
俺──ルシアン・イベリスは学園の卒業パーティで起こった、妹ルシアが我が国の王子で婚約者で友人でもあるジュリアンから断罪される光景を見て思い出す。
(あ、これ乙女ゲームの悪役令嬢断罪シーンだ)と。
ちなみに、普通だったら攻略対象の立ち位置にあるべき筈なのに、予算の関係かモブ兄の俺。
しかし、うちの可愛い妹は、ゲームとは別の展開をして、会場から立ち去るのを追いかけようとしたら、攻略対象の一人で親友のリュカ・チューベローズに引き止められ、そして……。
気づけば、親友にでろっでろに溺愛されてしまったモブ兄の運命は──
異世界転生ラブラブコメディです。
ご都合主義な展開が多いので、苦手な方はお気を付けください。
悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
*
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る
黒木 鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。完結しました!
【完結】僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
⭐︎表紙イラストは針山糸様に描いていただきました

普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる