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10章 腐りたくはないものです
5.
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「ユアの言ったとおりだよ。なんかピリピリ、チカチカ? してきたと思う」
パッと顔を上げてユアを見る。ごめん、ユアのオノマトペ、正解だったよ。
「そーなんですよ! そうなるともうやめた方がいいですよ。疲れちゃうから」
「え? 疲れる?」
それって、筋肉使い過ぎってことじゃない?
ん? と考え込む僕にカシルが声をかけた。
「カルシード公爵夫人がおっしゃったように、体内魔力循環による筋力増強は30分が限界と思われます。ハルトライア様の体力を考えますとできれば20分以内にした方がいいくらいでしょう」
にぎにぎを繰り返していた僕の動きを止めるように、カシルの大きな手が僕の小さな手を下から包み込んだ。
「魔力により筋力を増やしても筋肉自体が増えるわけではございません。それに筋肉を限界を超えて動かすと筋肉が壊れてしまうのです。なので、騎士は体内魔力循環によって筋力増強をすることは禁じられております」
「じゃあカシルは出来るけれど、使っていないということ?」
はい、とカシルはうなずいた。
「戦いの場において、騎士が自分の筋力の限界を見極めて魔力を調節することは難しいのです。過去には戦闘時に体内魔力循環を使用していた時代もありましたが、復帰できないほど体を壊してしまう騎士が増えたので、現在は禁止されております。他の魔法師が外から補助魔法をかける分には、その魔法師が正しく管理している限り大丈夫です。」
だからお前は毎日筋トレをしているんだね。と納得した。
たった30分のブースト機能か。役に立たないとは言わない。非常時に30分だけでも反撃できたり走ったりできることを思えば、やらないに越したことはない。
「ユア、ありがとう。教えてくれて。昼ご飯の片付けもまだだったのに僕を優先してくれて感謝するよ」
「いいえ! ハル坊ちゃまがいちばんですよぉ。片付けなんていつでもできます!」
にっこにっこで笑ってユアは「じゃあ、片付けしたら買い物行ってきますね~」と尻尾を振りながらホールから出ていった。
その姿を見送ってから、握られたままの手に視線を戻す。
ふぅ、と小さなため息が出た。
「ユアには申し訳ないけれど、あまり積極的に体内魔力循環をしたいとは思わないなぁ。毎日の訓練で基礎体力を上げないと結局生活できないんだから」
「そうでございますね。飛び越えるのではなく、一歩一歩順に進んでいった方が長い目で見て効果があるということです」
「お前の筋肉も日々の努力のたまものだね。カシルを見習ってもっとがんばるよ」
「ハルトライア様は、もう十二分に……いえ」
カシルは軽く首を左右に振ると、少し微笑んでこうべを垂れ、僕の手にそこを寄せていく。
「全身全霊、お手伝いいたします」
そうして僕の甲にふわと銀髪が触れる。カシルが額をそっと押し付けたのだ。
キスされるかと思って心臓が跳ね上がったけれど、額でも僕の脈は爆速になってしまった。
騎士が主君に忠誠を誓う、それは当たり前のこと。
だが両膝立ちでこうべを垂れるのは、騎士が女神にする最敬礼と一緒だ。
こんなことされて両手を握られ顔も隠せない状況で、どうすればいいんだ。僕は絶対真っ赤だ。
お願い、顔を上げないで。
だがすぐにサラフワ銀髪が動いた。
僕は慌てて頭をカシルみたいに頭を下げて自分の両手首につけた。
「ハルトライア様?」
「カシルの真似してるだけっ」
変な弁解になってしまった僕に、カシルはおだやかな声色で言う。
「ハルトライア様は、そのようなことをなさらなくてよいのでございますよ。あなたは私の主人なのですから」
僕の手を離し、うつむいたままの僕の背中に腕を回して抱きしめた。
「頭を下げないでくださいませ。あなたはいつでも前を向いて、進んで行ってください。私はそのお手伝いをしたいのです」
紡ぐ言葉はやはり従者そのもので。
僕はお前の仕草一つでこんなにも鼓動を乱されてしまうのに。
カシルの胸で頬の熱が消えるのを少し待って、僕は顔を上げた。
「ありがとうカシル、手伝ってくれて。体内魔力循環も緊急時に使えたら価値はあるから、もう少し付き合ってくれる?」
「かしこまりました」
ピリピリするまでは試してもいいということだから、指だけじゃなく、腕全体、足、あとは体幹なんかもやってみたい。
それから僕はカシルと共に体中の筋肉に筋力増強を試していった。
気付くともう夕方。
ユアが買い物から返ってきた。
「ただいまでーすっ」
ホールの扉からヒョコッと顔を出したユア。野菜の葉先がいくつも飛び出した籐の買い物カゴも一緒に見える。たくさん買い込んだみたいだ。
「辺境伯から先触れ来ましたよ~。明後日の午後来られるそうですっ。ハル坊ちゃまどうします?」
「お帰り、ユア。承知しましたって返事しといて」
「はあ~い」
疲れて体もホカホカしてきたしもうそろそろやめようと思い、
「ユア、手が空いたらお風呂お願いしていい?」
とたずねた。
返事は相変わらず可愛らしい。
「お野菜片付けたら入りましょ~」
「りょーかーい」
僕もユアにつられて声を伸ばしてしまった。
カシルに「では終わりに致しましょう」と促されたので、
「楽しみだな。カシルと辺境伯の手合わせ」
とカシルに視線を戻す。するとカシルの動きが一瞬止まった。
でも
「……ハルトライア様が望むのであれば」
と黒縁メガネの奥、緑の目を静かに伏せて頭を下げた。
本心はガロディア辺境伯と手合わせしたいのだろうと僕は思った。あの時NOと言わなかったのだから。
その静かな返答に僕はフフと笑った。
騎士としてのカシルは歳をとってもなお健在なのだ。
お前は腐るという言葉とは無縁だろう。
剣を持ち続け研鑽を辞めない精神。
僕はそれを尊敬しているし、そしてお前のことを誇りに思っているから。
パッと顔を上げてユアを見る。ごめん、ユアのオノマトペ、正解だったよ。
「そーなんですよ! そうなるともうやめた方がいいですよ。疲れちゃうから」
「え? 疲れる?」
それって、筋肉使い過ぎってことじゃない?
ん? と考え込む僕にカシルが声をかけた。
「カルシード公爵夫人がおっしゃったように、体内魔力循環による筋力増強は30分が限界と思われます。ハルトライア様の体力を考えますとできれば20分以内にした方がいいくらいでしょう」
にぎにぎを繰り返していた僕の動きを止めるように、カシルの大きな手が僕の小さな手を下から包み込んだ。
「魔力により筋力を増やしても筋肉自体が増えるわけではございません。それに筋肉を限界を超えて動かすと筋肉が壊れてしまうのです。なので、騎士は体内魔力循環によって筋力増強をすることは禁じられております」
「じゃあカシルは出来るけれど、使っていないということ?」
はい、とカシルはうなずいた。
「戦いの場において、騎士が自分の筋力の限界を見極めて魔力を調節することは難しいのです。過去には戦闘時に体内魔力循環を使用していた時代もありましたが、復帰できないほど体を壊してしまう騎士が増えたので、現在は禁止されております。他の魔法師が外から補助魔法をかける分には、その魔法師が正しく管理している限り大丈夫です。」
だからお前は毎日筋トレをしているんだね。と納得した。
たった30分のブースト機能か。役に立たないとは言わない。非常時に30分だけでも反撃できたり走ったりできることを思えば、やらないに越したことはない。
「ユア、ありがとう。教えてくれて。昼ご飯の片付けもまだだったのに僕を優先してくれて感謝するよ」
「いいえ! ハル坊ちゃまがいちばんですよぉ。片付けなんていつでもできます!」
にっこにっこで笑ってユアは「じゃあ、片付けしたら買い物行ってきますね~」と尻尾を振りながらホールから出ていった。
その姿を見送ってから、握られたままの手に視線を戻す。
ふぅ、と小さなため息が出た。
「ユアには申し訳ないけれど、あまり積極的に体内魔力循環をしたいとは思わないなぁ。毎日の訓練で基礎体力を上げないと結局生活できないんだから」
「そうでございますね。飛び越えるのではなく、一歩一歩順に進んでいった方が長い目で見て効果があるということです」
「お前の筋肉も日々の努力のたまものだね。カシルを見習ってもっとがんばるよ」
「ハルトライア様は、もう十二分に……いえ」
カシルは軽く首を左右に振ると、少し微笑んでこうべを垂れ、僕の手にそこを寄せていく。
「全身全霊、お手伝いいたします」
そうして僕の甲にふわと銀髪が触れる。カシルが額をそっと押し付けたのだ。
キスされるかと思って心臓が跳ね上がったけれど、額でも僕の脈は爆速になってしまった。
騎士が主君に忠誠を誓う、それは当たり前のこと。
だが両膝立ちでこうべを垂れるのは、騎士が女神にする最敬礼と一緒だ。
こんなことされて両手を握られ顔も隠せない状況で、どうすればいいんだ。僕は絶対真っ赤だ。
お願い、顔を上げないで。
だがすぐにサラフワ銀髪が動いた。
僕は慌てて頭をカシルみたいに頭を下げて自分の両手首につけた。
「ハルトライア様?」
「カシルの真似してるだけっ」
変な弁解になってしまった僕に、カシルはおだやかな声色で言う。
「ハルトライア様は、そのようなことをなさらなくてよいのでございますよ。あなたは私の主人なのですから」
僕の手を離し、うつむいたままの僕の背中に腕を回して抱きしめた。
「頭を下げないでくださいませ。あなたはいつでも前を向いて、進んで行ってください。私はそのお手伝いをしたいのです」
紡ぐ言葉はやはり従者そのもので。
僕はお前の仕草一つでこんなにも鼓動を乱されてしまうのに。
カシルの胸で頬の熱が消えるのを少し待って、僕は顔を上げた。
「ありがとうカシル、手伝ってくれて。体内魔力循環も緊急時に使えたら価値はあるから、もう少し付き合ってくれる?」
「かしこまりました」
ピリピリするまでは試してもいいということだから、指だけじゃなく、腕全体、足、あとは体幹なんかもやってみたい。
それから僕はカシルと共に体中の筋肉に筋力増強を試していった。
気付くともう夕方。
ユアが買い物から返ってきた。
「ただいまでーすっ」
ホールの扉からヒョコッと顔を出したユア。野菜の葉先がいくつも飛び出した籐の買い物カゴも一緒に見える。たくさん買い込んだみたいだ。
「辺境伯から先触れ来ましたよ~。明後日の午後来られるそうですっ。ハル坊ちゃまどうします?」
「お帰り、ユア。承知しましたって返事しといて」
「はあ~い」
疲れて体もホカホカしてきたしもうそろそろやめようと思い、
「ユア、手が空いたらお風呂お願いしていい?」
とたずねた。
返事は相変わらず可愛らしい。
「お野菜片付けたら入りましょ~」
「りょーかーい」
僕もユアにつられて声を伸ばしてしまった。
カシルに「では終わりに致しましょう」と促されたので、
「楽しみだな。カシルと辺境伯の手合わせ」
とカシルに視線を戻す。するとカシルの動きが一瞬止まった。
でも
「……ハルトライア様が望むのであれば」
と黒縁メガネの奥、緑の目を静かに伏せて頭を下げた。
本心はガロディア辺境伯と手合わせしたいのだろうと僕は思った。あの時NOと言わなかったのだから。
その静かな返答に僕はフフと笑った。
騎士としてのカシルは歳をとってもなお健在なのだ。
お前は腐るという言葉とは無縁だろう。
剣を持ち続け研鑽を辞めない精神。
僕はそれを尊敬しているし、そしてお前のことを誇りに思っているから。
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