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9章 守るために捨てるものもあります

2.

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 パシャパシャと水をかき混ぜていたら、石の隙間から小さな魚が見えた。
「カシルっ、お魚いるよっ」
 隣にしゃがんでいるカシルを見上げるとそこには、なんだかとてもとても幸せそうな笑顔があった。

「本当ですね、ハルトライア様」

 かぁっと赤くなる頬を自覚して、すぐ顔を水面に戻してしまった。魚はもうどっかに行ってた。

 あ、あ、……、あれ、何? 
 カシル、めちゃめちゃ笑顔。イケメンもひどすぎる。
 ドクンと跳ねた胸を隠すべく、僕はよりちっさく縮こまった。
 こんなに笑顔なの、なんか変。

 いや、……さっき水遊びしたいって言ったときも笑顔だったし、カシルは僕が子供っぽいことをすることが嬉しいんだ。
 これは絶対、かわいいと思っているんだろう。
 僕は9歳とは言え明らかに幼児サイズだし、それにカシルは猫とか犬と可愛がりたいタイプだろうだからしょうがない。
 早く成長して「かっこいい」って言葉が似合うようになりたい。

 ぱしゃ、ぱしゃと優しく手に当たる流れをじっと見つめていたら、なんだかだんだん水面が近くなってきた。川底まで見えてとても綺麗だ。あ、貝がいる。
「っハルトライア様っ」
 次の瞬間、カシルの声と同時に僕の体がその腕にとらわれた。
 え? と思ってようやく状況が分かった。僕、体のバランスを崩して水面に身を投げそうになってたみたい。
 慣れない姿勢のまま長くしゃがんでいたからだろう。あまり使っていない筋肉に限界が来たようだ。
「ごめん、ありがとう」
「いいえ。ご無事でよかったです」

 ぎゅうと背後から僕を抱きしめるカシル。まるで本当の恋人のデートみたいだ。カシルはこんなこと何回もしたんだろうな。エリーという恋人ともきっと。
 そんなことを思った瞬間、ざわと【つる】が広がってしまった。
「ハルトライア様!」
 慌ててカシルが浄化魔法を展開した。どこかに魔物がいると思ったのだ。
 外でこんなことになるなんて、僕の恋心はあまりに欲に弱い。
 こんな小さな嫉妬なんて言えないほどの気持ちで【つる】が動くなんて。
 でもしゅるると体内に戻った【つる】にホッとした。僕の感情で動いたときは浄化魔法いらないって言ったのは僕なのに。

「ごめん。今のは……っ」
 と言いかけたが、再度ぶわっと【つる】が大きく広がる。
 今度は僕じゃない。本当に魔物だっ。

「くっ」

 再度カシルが浄化魔法を展開する。そして素早く右手に剣をとった。それが緑に光る。
 周りをざっと見わたせば、川の向こうの崖の上、紫に光る目のシカがいた。1メートルほどの枝分かれのない太く立派な角を2本持つオスのスピアディアだ。
 明るい茶色の毛並み。前世のインパラに似ている。全身に瘴気をまとい地をガシッガシッと蹄で何度も蹴り上げていた。
 こんなに直ぐ近くにいるのに気づかなかったなんて。
 だが川幅は10メートルある。こちらの岸まではジャンプ出来ないだろう、ニホンジカと同サイズの小柄だから。
 しかしその予想はあっさりと裏切られた。

 タン!と、ひと飛びで僕らだけでなくタイリートも飛び越えて背後に着地したのだ。
 なんて跳躍力!

「ビャァアアアア!!」

 そして高い鳴き声を上げるスピアディア。

「タイリート逃げて!!」
 僕の声と同時に二頭が駆けだす。
 タイリートは川上のススキ野へ、そしてスピアディアは僕らへと。

 僕をスリングに戻す時間もなかった。カシルは僕を左手で抱きしめたままで岸から離れるように駆けだした。僕は首に両手を回してしがみつく。
「すみませんハルトライア様っ」
「いいからっ」
 とにかく走ってと言ったが、またタン! と跳ねあがったスピアディアに先回りされる。右に逃げようとしても右に、左に逃げようとしても左にと、軽く跳躍して僕たちを囲い込む。
 そしてあっという間に追い詰められた。
 岸から離れるつもりだったのに、結局背後には川。たった数メートル先に黒い瘴気をまとった魔物。

「ビィイアアアア!」
 と叫んで左から僕らに向け跳躍したスピアディアが首をぐるっと振り動かして長い角で僕らを薙ぐ。


 ガシィ!! と角に剣を当てて何とかその動きを防いだカシル。
「ヒッ!」
 恐怖に僕の喉が悲鳴を上げた。

「グッ、ッウウッ!」
 なんとか腕力で角を押切り、その勢いで左足を振り上げ回転蹴りでスピアディアの後ろ脚を跳ね上げた。
 バランスを崩しドォンっと倒れこんだ隙に数歩離れたカシルだったが、スピアディアはすぐジャンプして立ち上がってしまう。

「ピャァアアアアアアア!」
 さらに甲高い鳴き声を上げてこちらをにらんだ。

 スピアディアは跳躍力がありすぎる。
 しかも角があるせいで攻撃範囲は広い。
 こちらが一撃を与えようとしても、リーチが足りない。

 このままじゃ助からないっ。

「カシル!! 僕を下ろして!」
「なっ!」
「お前ひとりならもっと早く動けるはずだ!」

 逃げられない。僕たちはもう、魔物を殺す以外の対処法はない。
 しかしあの長い角に刺されたら即死だ。
 スピアディアを凌ぐ速度で懐に入り込まねばやられる。
 僕は足手まといだ。
 
 ぐっと眉間にしわを入れたカシルだったが、
「はっ。一撃で仕留めますからっ」
 素早く僕を腕から下ろした。そして僕の前に庇うように立つ。
 
 無理でもお前は逃げてくれ。
 そんな気持ちで背中を見つめる。

 両手で剣を握り、ぐっと力を籠めるのが分かった。剣がさらに緑に光り輝く。腰を低くして足に力を入れた。
 その時、シュン!!と風切り音がした。そしてスピアディアの後ろ左脚に矢が刺さる。
 痛みに「ビイィィャアアアア!」と啼いたスピアディアが体勢を崩した。

 それを見逃さずカシルが地面をダッと蹴った。
 一瞬で詰め寄り、首を緑の剣でザシュウ! と跳ね上げた。血しぶきが辺りに飛び散り、首は空を飛んでドボンっと重苦しい音をたて川の流れに消える。首をなくしたスピアディアの体がぐらりと揺れて地面に横倒しになった。

「大丈夫か!! まだいるぞ!」

 呆然とその光景を見ていた僕に、数頭の馬の足音と男性の叫び声が川下から聞こえた。
 そしてシュン! と再度鳴った矢の音。
 矢は川を飛びこえるべくジャンプしていたスピアディアの頭に見事突き刺さり、落ちたシカはそのまま川の流れに飲み込まれた。
 さらに最後にもう一頭。次は川を飛び越えたが、僕を下ろして身軽になったカシルの素早い剣技で河原に立った瞬間に右上から左下へ袈裟切りにされ、胸から血を流して地に伏せた。

「ハルトライア様!」

 直ぐに駆け寄り、僕を抱きしめる。お前の方が血まみれでひどいありさまと言うのに。
「僕は大丈夫だよ。カシルは血を拭かなきゃね」
 と言うと「はいっですがっ」と切羽詰まった返事が返ってきた。そうしてカシルは素早く僕の瞳にユア特製の目薬を差した。そうか、僕の目が紫だから。本人はすっかり忘れていたのに。
「ありがとう」
 お礼を言って足音へ視線を向けた。
 あの弓を射た人たちがこちらにやってきているのだ。川下側から馬が3頭、駆けてくる。

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