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カメを拾った(4)

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「はぁ? なんや仲良さげにしてたやん、さっきてなんやねんな」
 
 カメが不貞腐れた声を出してヒゲを揺らしてバシャと波が立つ。 

「出会ったばかりだという意味だ」
「言い直さんでもわかるわ!」

 またヒゲがゆれてさらに湖面が波立った。
 こっちまで水滴が飛んでくる。やめてくれ。

「だから虎斑とらふを離せ。お前の戯言を聞いている間に虎斑とらふが凍え死ぬ」

「はぁ、しゃぁないなぁ。ほなとりあえずあんさんが逃げへんって約束してくれんねやったら、放すわ。人間はほんま弱いのぉ」

「わかった」

 にやぁと横一文字の口をさらに開けて笑ったナマズ。するとぬうぅるりと体から黒い尻尾が離れる。ずるずる水のなかに潜っていったそれはすぐに見えなくなり、
「ほなまた明日なぁ、ここで会おうや。待ってんでぇ」
 と声を残して巨大なナマズの頭もパシャンと沈んでいった。

「……な、なんだったんだ、……夢?」

 巻き付いていた魚の支えを無くしてその場にヘタヘタと座り込んだ虎斑は、静かになった琵琶湖をみつめ、呆然と呟いた。

 しかし「悪かったな」という声でそれが夢でないことを実感する。

 カメが本当にしゃべっている。少し前に手のひらに乗せた小さな黒いカメ。目がくりっくりですごい可愛いと思っていたのに、口調は全く可愛くなかった。

「っな……っなんなの? ほんとなんなのっ!」

 カメに向かって叫ぶ高校2年生。傍から見れば変質者は虎斑とらふの方だ。だがおかしいのはどう考えてもこのカメである。いや、これはカメではない、妖怪やあやかしというたぐいのものだ。

 カメならぬ何かはちょこちょことこちらに歩き、虎斑とらふのびしょ濡れのナイ◯スニーカーに足を乗せた。
「本当に悪かった。まずは風邪をひくといけないから、乾かそう」

 そういうや否や、虎斑とらふの体を覆っていた水分がずずずずずずずっと下に動き出した。そしてカメの乗ったスニーカーから流れ落ちて琵琶湖へと吸い込まれていく。

「ひいいいいぃぃぃっ!」

 体から勢いよく流れ落ちる水が気持ち悪くて口から悲鳴が出た。だが数秒でそれは終わり、すっかり髪の毛も服もカラカラに乾いていた。

「なっ、っ、なんなんだ!?」

 キャパオーバーになった虎斑とらふの口からまともな言葉が出るわけはなかった。はぁはぁと荒い息を繰り返してしまう。

 そうして虎斑とらふは服が汚れるがわかっていたがゴロンと湖岸に寝ころぶ。
 腰も抜けて全身に力が入らなかったのだ。


「はぁ、ちょっと静かにして。心落ち着かせるから」

 冬の筋雲の多い空を見上げた。なぜかもう太陽は西に傾いている。琵琶湖大橋を渡っていたのはまだ正午前だったはず。
【怪異】は時間すらも捻じ曲げているのか? 

「はぁああ」と深く溜息を吐いて思考を整理する。身の危険を回避するには落ち着くのが一番だからだ。

 このカメ妖怪は午前中会ったカメで間違いない。
 そして人を殺すというような害意は感じられない。
 さっきの青いワンピースの女性の方が万倍怖かったし、殺されかけた。

 それに今のナマズとのやり取りも、カメとナマズの姿でなければただの友達のじゃれ合いだ。

 間に挟まれた自分は若干死にかけた気がするが。

 もしかして、滋賀県しがけんは妖怪が普通に歩いているのか?
 これまで虎斑とらふは海外も含めて10か所ほど住んだことがあるが妖怪などに会ったことはなかった。
 なんなんだ、滋賀県ここは。

 コホン、とわざと咳をして、虎斑とらふは首だけカメに向けた。
「なぁカメさん」
「なんだ?」
 首をかしげてこちらを見る黒いカメ。大きな目がクリクリでとてもかわいい。
 いや、かわいいなんて思っている場合ではない。

「滋賀はお前らみたいな妖怪がどこにでも普通にいるのか?」
「それは妙な質問だな。我らはどこにでもいるぞ」
「そんなのココだけだろ?」
「違うな。これまで見えなかっただけだ虎斑とらふ。お前は今日我らが見えるようになったのだ」

 それはつまり、コイツだけじゃなくあのワンピースの女性とか漁師とか女学生とか、ってことだよな?
 あれはコスプレなんかじゃなかったってことだ。

「なんで?」
「……われに触れたせいだろうな」
「は?」
 カメに触ったら? つまり妖怪に触ってしまったから見えるようになった?
 じゃあ
「なんでお前が見えたんだよ俺は!」
 がばっと上半身を起こしギッとカメを見下ろした。

われが実体化していたからだ」
「はあああ?」
 ちょっと待て! これから俺はずっとこんな変なものを見て過ごすってわけ?
 嫌なんだけどっ! 

「人間だって怖いのに怖いものがさらに増えたじゃないか!」
 どうしてくれんだっ!
 頭を抱えた虎斑とらふは眉間にしわを刻んでまたカメをニラむ。

「……われのような【もの】はそこに『る』だけだ。何もしない。害もない。だから怖がる必要はない。だが怖いものを増やしてしまい申し訳ない」
 カメがこうべを垂れた。と言っても小さなカメ。数センチのお辞儀だ。
 それでも虎斑とらふの怒りは少し落ち着いた。しかし疑問は尽きない。

「あのナマズ、俺に巻き付いてたけどあれでも害無いっていうのかよ」
「あやつはじゃれているだけだ。あれもわれと同じでただ『る』だけの存在だ」
「ちょっと待て、その言い方だと、あんたとナマズと違う存在もいるって意味じゃねぇの?」
「だから謝っている。すまない。害をなす【もの】もいる。そういうものやそれらが引き起こす怪異を人間は『鬼』や『呪い』と呼ぶのだろう」
 要するにあのワンピースの、と思い出した途端に足元の橋がなくなって下に落ちていく感覚がよみがえり、ぶるり体が震えた。

「……俺に死ねっての?」

「そういうものに遭遇することは、あまりない。大抵の場合は生きている人間が人間を殺しているだけだ」
「っそんなの言われなくても知ってるよ!」

 脳裏にフラッシュバックしたのは6歳の時の誘拐事件。海外赴任に母子もついていった先、虎斑とらふは母親と共に誘拐された。
 目の前で乗っていた車の運転手が銃で殺され、自分は連れ去られた。仕掛けたのは使用人の家族。同い年の男の子と二つ上の兄と祖母がいる5人家族。皆笑顔が素敵でとても優しかった。彼らとは家族ぐるみで仲良くなった。なのに運転手を殺した後は母の足を撃ち抜き殴って気絶させ、自分をさらって監禁した。金銭目的の誘拐だ。要求されたのは日本円で約8000万。結果自分は助かりその使用人家族は自分の目の前で子供もろとも全員現地の警察に撃ち殺された。

「、っ、うぐっ!」
 吐き気をもよおして口元を必死に抑えた虎斑とらふは涙目になりながらまたカメを刺すようににらんだ。

「じゃあっ、……っお前がその鬼とか呪いから俺を守れよ。見えるようにした責任とれよ」

 人間には近づかなければいい。一人でいれば害はほとんどない。だがさっきみたいに向こうからやってくる【怪異】は無理だ。あんなものに対抗なんて生きている自分ができるわけがない。
 なら怪異には怪異だ。このカメがどれだけ役立つかわからないが、あの巨大ナマズとも対等に話していたし濡れた体も簡単に乾かした。無いより絶対ましだ。

 じっとカメを見つめていると、モソと身じろぎしたカメがこくんと頷いた。
「わかった。ただ一つ頼みがある。われは人間のようには動けない。だがおぬしの傍を離れるわけにはいかぬ。だから虎斑とらふ、おぬしの手でわれを運んでくれ」

 こんな小さなカメを運ぶくらいなら問題はない。カップうどん〇んべえの空容器一つあれば入るサイズのカメだ。

「それくらいなら」

 しかめていた眉間を緩めた虎斑とらふだったが、そこを少し緩めてカメに手のひらを差し出した。
 黒いちいさな可愛いカメが、よいよいと動いてそこに乗ってくる。
 4本の足全部が手の上に乗ったことを確認した虎斑とらふは、そっとカメを顔に近づけた。

「お前、ちゃんと俺を守れよ」

 虎斑とらふの色素の薄い大きな瞳を見上げたカメは「おぬしの隣にいる限りそうしよう」とまんまるな黒い瞳で虎斑とらふを見つめ返した。



 
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