上 下
87 / 104

86内側の真理とは。

しおりを挟む




その華奢な身体を彩る朱を目にしたとき、俺は再び覚醒した。





現人神ユリエルの奥底でただ、眠るように過ごしていた己の意識を、再び揺り起こしたのは、他でもない彼女だった。




現人神ユリエルが、人間グレンの姿で、何度彼女に呼びかけようと、彼女はピクリとも反応を示さない。

彼女を発見してすぐ、治癒の魔術を掛けていたので、今現在は、恐らく傷も塞がっているだろう。




しかし、朱で彩られた彼女の肌は、いくら、ここが日の光の届かない場所だとはいえ、白すぎる。
一体、どれ程の朱を失ったのだろうか。








――っ、!

ふと、彼女を包むローブが目にとまる。

漆黒をそのまま切り取ったような色で、相対する現人神ユリエルが纏うローブと揃いのそれ。
いつだったか、己が彼女の屋敷に置き忘れたものだ。



なぜ、今、彼女がそれを身につけているのか、わからない。



それでも、この期に及んでもまだ、彼女フリアグレンを求めてくれているようで……
胸が、締め付けられる。







--逢いたい。


心から、心の底から、願う。


もう一度、逢って、言葉を交わしたい。


あの、心地よい温もりに、触れたい。



声が聞きたい。

--名を、呼んで欲しい。




表に出ようとしても、神具の所為で力が思うように入らない。




--俺なら、フリアを、連れて帰って来れるのにっ!

--このまま、彼女が冷たくなっていく様を、ただ、眺めているなんてできるものか。






強く、願う。


--彼女のもとへ、行きたいと。

--彼女を、繋ぎ止めたい、と。








「--グレン……」






――っ!?




今、声が……


己の名を呼ぶ、彼女の声が聞こえた。



どこだ、どこに居る…?

声が届く場所に居るのだ、きっと近くに……







「グレン……グレン、……どこに、居るの――、あなたが、いないと、私……」


――フリアっ、俺は、俺はここに居る!




声のする方へと、少しでも近くへ。
無駄だとわかっていても、足掻かずにはいられない。



だって、彼女が喚んでいるから。






その瞬間、ふ、と身体が軽くなった。

驚いて振り返ると、そこには壁にもたれ掛かったままの、己の姿。





どうやら、本格的に“気配”だけの存在になりかけているようだ。

それでも、これで、彼女のもとへといける。








そして、やっと目にした彼女は、力なく地面に座り込んでいた。




「――フリア!! こんなところで、何してるの! ほら、早く、こっちに!」
「っ、……グレン……」

己の声に、反応して、こちらを向いた彼女へと手を伸ばす。






「おや、お迎えが来たようですね。」

彼女のすぐ隣で、興味が無いとばかりに呟く執事。

モスグレーの髪に同色の瞳。

かつて、相まみえたことなど無いというのに、なぜか、懐かしく思って、胸に込み上げるものがある。



しかし、彼を見たのも一瞬で、すぐにフリアに向き直る。


「フリア、なにしてるの! 早く!」
「……グレン……私……動け、ない――」

一刻を争うというのに、彼女は座り込んだまま、今にも泣き出しそうな、情けない表情を晒して、己を見る。


そんな醜態ともとれる様を、己に曝け出してくれることが、心から嬉しい。




表情が緩まないように意識しながら、さも、しょうがないとばかりに溜め息を吐く。

そして、親が子をその腕に抱くような体勢で、片腕に乗せる。


「--はぁ、もう……。まったく、手が、かかるんだから……」
「--――っ!」

「ちょ、グレン、これはこれで、恥ずかしいのだけど……」




己の腕の中。

焦がれた温もりが、ここにある。





「あー、はいはい。小言なら後で聞いてあげるから、疲れたって駄々捏ねてるフリアを、この場所から連れ出すのが先決なの、わかる?」
「……うっ……」



彼女に、触れて、名を、呼んで。

彼女の声を聞いて、名を呼ばれる。

たったこれだけの事が、今は何にも替え難い。








「これはなかなか、仲睦まじいようで」

モスグレーの執事が、口の端を上げながら、こちらに言葉を投げてくる。

その男をキ、と一瞥する。





「フリアは帰してもらうから。そっちはちゃんと、望む場所に還りなよ」
「えぇ、もちろん。では、主が喚んでおりますので、わたくしは、これで」




そう言って彼は踵を返して去って行く。


そして、彼はいくつかの言葉を残して、靄の中に消えた。

きっと、あちら側が、彼の望む場所なのだろう。




「フリア、帰るよ」
「えぇ、帰りましょう、グレン」



呼べば答えてくれる。

この手が届く範囲に、かけがえのない温もりが、ある。




それでも、彼女を“現実”に帰さなければいけない。






彼女が目を覚ますとき、その前には人間の姿をした現人神グレンがいるのだ。




「さぁ、俺はここまで。後は、もう、大丈夫だから。」
「--フリア、ありがとう」




--最後に、言葉を交わすことが、できて……

フリアが言おうとした、言葉の続きは気になるけれど、聞いてしまったら、もう、戻れないような、気がして。




--ただ、君の、幸せを、願う。













「ごめんね、フリア嬢。彼は、わたしなんだ。ずっと、伝えようと、思っていたのだけど、……本当に、ごめんなさい」




現人神ユリエルの声が告げる。

終わりの時を、粛々と。

彼女が、“仮の姿グレン”に、未練を残さないように、はっきりと。


黒が白に変わるその様を目の当たりにした彼女は、しばし目を見開いて固まった。





そして、


「なんだぁ、そうだったんですねぇ。私ったら、ぜんっぜん、気がつかなくて――ふふっ、あははっ……。そーですよねぇ、ありえないですよ、ねぇ。見た目はほとんどおんなじ、ですもんねぇ。髪の長さも、声だって、ほとんど、--いいえ、……まったく、おなじ、なのですもの、ねぇ……ははっ、私ったら、鈍すぎですよねぇ--ふふっ、殿下にさぞかし気を遣わせてしまったんですねぇ……」
「そんなことは――」
「あー、いいんです。私があまりにも気付かないから、気を遣って“別人”を演じてくれていたのでしょう? それにしても、数々の醜態を晒してしまったこと、申し訳ありませんでした」



す、と腰を折るその彼女。



その、華奢な背が、僅かに震えているような、気がして。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

クーパー伯爵夫人の離縁

恋愛 / 完結 24h.ポイント:13,042pt お気に入り:4,291

悪妻なので離縁を所望したけど、旦那様が離してくれません。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:4,132pt お気に入り:4,564

邪魔者はどちらでしょう?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:66,830pt お気に入り:847

日野くんの彼女

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:16

死に戻り令嬢は、歪愛ルートは遠慮したい

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:33,264pt お気に入り:1,583

夫が私に魅了魔法をかけていたらしい

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:19,213pt お気に入り:825

出会ってはいけなかった恋

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:17,360pt お気に入り:852

もうやめましょう。あなたが愛しているのはその人です

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:184,516pt お気に入り:5,236

処理中です...