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83久方の、邂逅。

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感情が、渦を巻く。

喜びが、哀しみが。

楽しかった思い出も、全部、ぜんぶ、ごちゃ混ぜで。





――愛する人と心が通じて嬉しかった

――二人、陽だまりの下で楽しく語ったまだ見ぬ未来

――行く先を閉ざされた哀しみ





様々な記憶の欠片が、次から次へと襲いかかる。






「――はぁ、……はぁっ……」


膝を着き、肩で息をする。
呼吸が整わない。

内で渦巻く感情が、少しでも気を抜くと、表に出ようと荒れ狂う。



それでも、今、正気を保っていられるのは、“喜びの記憶”・サラと“楽しい記憶”・ウィゲラの、“正の感情”が“哀しみの記憶”を持つアリアを抑えてくれているから。




“正の感情”が、強ければ強いほど、“負の感情”が、大きく膨れあがる。





--信じていた者に、裏切られる程に、負の感情は溜まるのだから。




楽しい思い出・嬉しい思い出が強ければ強いほど、それを奪われた時の哀しみは増す。

今は未だ、“哀しみ”、己を憐れんでいる状態だ。


これは、謂わば内に秘めている想いが大きいということ。



ここに、“怒り”の感情が加われば、その想いは一気に“憎しみ”へと加速するだろう。






「--エルダ様……私は、……」
「――二日、ですね」

二日……。
声に出さずに、呟く。


一人目で半日
二人目で丸一日
この、三人目で丸二日、か。






藤の絡みついた巨大樹を、睨むようにして見上げる。
しかし、そこに眠っているはずの誰かは、いない。




「ここには、“怒りの記憶”を持つ者が、眠っていた、はず、よね……」
「はい、おそらく、他の三人の口振りからすると、相当手強そうですが……」

しかし、目の前には、なにもない。



既に顕現して、この世界のどこかで彷徨っているのだろうか。

――もしかしたら、違うどこかで封じられているのかもしれない。






――――ピシ、



「――、わっ……う、そ……」

ポケットから、不吉な音がした。


恐る恐る取り出してみると、ここに来る前に持たされた守護石に、ヒビが入っている。






「これは……あまり、悠長なことは、していられないわね……」

守護石の使用期限を過ぎたのか、守護しきれない程の力が加わっているのか。

どちらにしろ、怖ろしいことになりそうなので、ここから先はあまり考えたくはないのだが……

「エルダ様、オズボーン国へと帰しますので、こちらへ」
「いや、しかし……まだ、終わっていない」
「おそらく、残りの欠片は、もう、眠りから覚めているでしょう。--そして、出てくる機会を窺っているのだ、と」



目を覚ましてから、ずっと、どこかから見られているような気がしている。

そして、取り込んだ感情とは別に、私の胸の内で燻るものがある。



もし、エルダ様がいる状況であちらが姿を現したら、彼女が危険に曝されてしまう。
エルダ様は、“欠片を起こす”ことを役目としてここにいるのだから、もう、役目を果たしたと言えるだろう。





「ここから先は、バイアーノわたしの領分です。お帰りください、エルダ様」
「し、しかしっ、フリア様……!!」

彼女の言葉を遮るように、転移魔術を展開する。

オズボーン国の神殿辺り、そこに近しい場所めがけて術を発動する。







――ピシ、ピシピシっ

転移魔術が完成する刹那、守護石に無数の亀裂が刻まれる。

--もう、長くはもたない、な。




こちらに手を伸ばす彼女の腕を躱し、背を向ける。


もう、声は届かない。





魔術が役目を終えて消え去るのを確認して、一歩、藤が寄添う巨大樹へと近付く。




向かい合い、ゆっくりと瞳を閉じ、ひと呼吸。
巨大樹の幹に手を添え、魔力を最大限解放する。





――パリン、

透明な音を響かせ、掌の中で守護石が粉々に砕け散る。




「――っぐ、……負ける、ものですか」

押し寄せる瘴気の渦に、流されぬよう、唇を噛み締める。

こんなところで膝をついていられない。





--私には、使命がある

それ以上に、心に決めたことがある。
それを、実行に移すまで、決して諦めてはなるものか。








“ようやく、邪魔なものが、無くなりましたね”

脳内に直接響く声。

巨大樹が輝く。

あまりの眩しさに目を閉じる。







“お初にお目にかかります。もう一人のわたくし”

声につられて、目を開ける。
そこに立っていたのは、モスグレーの瞳に、モスグレーの髪を持つ、執事。

少し長めの髪を、無造作に流していて、“お堅い執事”とは遠い雰囲気を纏っている。

しかし、こちらにくれる視線は、程よく冷え切っている。





“怒りの記憶”を持っているならば、もっと、感情的で激しいのかと覚悟していたが、他の三人のよりも落ち着いて、常識人に見えてしまうのは、なぜだろう。






“さて、ここでこうしているのも、時間の無駄ですし、さっさと始めましょうか”
――わたくしたちが、再び一つになるために。




「--ぇ、……っ、あっ……」

執事が、一瞬にして姿を消す。
息を飲む僅かな瞬間に距離を詰められる。
そして、

――グ、と
なにか、を押し当てられる感覚。
次いでやって来たのは、身を裂かれるような、痛み。

にこり、と嗤う執事を見上げ、視線を追って痛みを訴える場所に目を向ける。




「----っ!」
「心配には及びません。死にはしませんよ」
――目を覚ますことができれば、ね



見えたのは、己の体から生えた、短剣の柄。
それが、意味する、ところ、とは…………




視界が、暗転する。

あんなに主張していた痛みすら、今は感じない。


一瞬の浮遊感。


体が、なにかに当たる感覚で、目を覚ます。




己の前に立つのは、純白を纏う現人神。

その手に握られている短剣の柄に、見覚えが、ある。


意識が、急激に遠くなる。

――呑まれてはいけない。
――私は私。

同調しようと押し寄せる感情に、必死で抗う。




しかし、隣にただ、静かに座している、その人を見つけた途端、己の意識が黒く染まる。












わらわと同じ運命を辿る、現人神の弟・グレン。



「グレン、様――……」
「なぁに、フリア嬢」

名を、呼べば、柔らかな笑みとともに、こちらを見詰めてくれる彼。




--その、静かな瞳に、心が締め付けられる。



彼は、諦めてしまったのだろうか。



“ともに手を取り合って、歩いて行こう”と交わした約束を。




今、この期に及んで縋るのは、みっともないだろうか。
足掻くことは、悪なのだろうか。





それでも……わらわ、は――






「時はきた。封印の儀を、始める」



目の前の、現人神が厳かに告げる。

上空に輝くのは、曇り一つない満月。




--死者の国を照らすと謂われる、その輝き。



--もう、二度と、彼とまみえることはないかもしれない。

--もう、二度と、声を聞くことも、その、温もりに触れることさえ、できないかもしれない。


そんなの、嫌だ。
嫌だ、
嫌だ――

--わらわは、グレンと未来を歩みたい。

――楽しいことばかりでは無いだろう。それでも、二人、寄添って、生きていければ、それで、いいのに……。

どうして目の前の現人神は、わらわから、グレンを奪うのか。



“兄”というだけで、彼を日陰に追いやって、最後は生贄として棄てるのか。

ならば、わらわだって、“姉”なのだ。
己の思うがまま、事を為そうとして、なにが悪い!?



--わらわはグレンと共に歩みたい。

今、この命が終わろうとも、いつの日か必ず、手を取り合って、生きて行く。








「――グレン、目を、閉じろ」
「ううん、いいの、このままで。--フリア嬢を、目に映しておきたい、から……」

二人の会話が耳に入り、ハッとして隣を見る。

この目に映ったのは、短剣に貫かれ、夥しい量の朱を纏いながらも、なお、優しい瞳でこちらに微笑む最愛の人の、姿。




「--ぁ……、ぁあっ……!! グレン様っ……!! 必ず、わらわは、この地に舞い戻る! ――あらひとがみよ、憶えておれ! わらわは、貴様を、許さない!」



光を無くしていく最愛の人の名を、呼ぶ。


きっと、同じように朱を纏う己も、そう長くはないのだろう。




それでも、“言霊”を放つ。


最期の願い。

いつの日か、この地に舞い戻って、二人で共に歩むのだ。




“太陽の巫女”は“転生”を司る。
一度、死したとしても、望む者を再び“喚び戻す”事ができる。

だから、この地に再び生を受け、必ず“グレン”を呼び戻す。
そして、今度こそ、手を取り合って生きていくのだ。



そんな、願いを込めた、祈りの言葉。


目の前が、暗く、徐々に霞んでいく。



--あぁ、もう、愛しい人が、見えない。









「わたくしが、創ります……。楔と成りて、こちらより、平和な、世界を……。魔獣が……迷える、モノ達が、留まりたいと、そう、願えるような、美しい、世界を」

最後の最期、鼓膜を揺らしたその“言霊”は、わらわの心を凍らせた。





――グレン様は、この地で生きることを、望んで、いない……?

--わらわと、共に、生きることを、望んでは、いないと、いうのか……








全てのものに、裏切られ、果ては愛する人からさえも、裏切られるとは……





--あぁ、もう、何も……







視界が、黒く染まる。



深淵へと、堕ちて行く。

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