65 / 104
64ぼくからきみへの、今後の話。
しおりを挟む「――では、殿下。…私は、これで。」
「待って!……後宮まで、送ろう。」
「いえ。…お手を煩わせるだけですので。」
緊急招集で行われた魔獣討伐が無事に終わり、各々の場所へと帰っていく。
まだ日が高いうちから始まった討伐だったが、もう既に黄昏時を過ぎようとしている。
自領の者達を屋敷へと転移魔術で送り届けた彼女も、すぐさま部屋を出ようとする。
彼女を引きとめるも、あっさりと躱されてしまう。
それでも、少々強引に手を差し出し、エスコートの体をとる。
“王太子殿下”にそこまでされては、さすがに断ることは出来ないのだろう。
渋々ではあるが、彼女はその手に軽く手を添えて歩き出す。
「先程は、無理をさせてしまったね。」
「――いえ。微力ではありますが、殿下のお力になれたのであれば、光栄ですので。」
「――フリア嬢が居なければ、状況は悪化する一方だったから、本当に、助かったよ。」
「――そう、ですか。」
屋敷へと向かいながら、歩みを進める。
いつにも増して事務的で、口数の少ない彼女を不思議に見やる。
――嫌われてしまった、かな……。
思い返せば、ユリエルで彼女と顔を合せたのはごく僅か。
その、ごく僅かな場面は全て“公的な”ものであったし、今回に至っては、“お守り”ならまだしも“魔力の供給源”として彼女を扱ってしまったのだ。
距離を置かれて仕方がない。
――それでも、グレンの為を思えば、仕方がなかった、というのは…ただの、言い訳、か。
ふ、と小さく息を吐く。
――己のもう一つの己。
この躯を共有する、もう一人の存在を護る為には、ああするしか無かったのだ。
神力と同等の魔力を有する、もう一人の己は、魔力無しでは存在自体が消えかねない。
先日の一件で、殆どの魔力を失ったグレンは、己の中で眠らなければならないほど、消耗してしまっていた。
ただでさえ、魔力が満ちるのに時を要するのに、この王宮や奈落の谷の結界は、グレンを核に維持されている。
魔力が回復するどころか、徐々に綻びが大きくなっていたのはその所為だ。
――フリア嬢の屋敷で、茶と茶菓子を摂取すると、少しだけではあるが、魔力の回復量が増加していたのだが…。
結局のところ、魔力の放出量に回復量が追いつかなかった。
――このままでは、グレンが消滅、もしくは永遠とも思うほど長い間、眠り続けることになってしまう…!
そう、思った時には、彼女の腕を掴んでいた。
グレンが消滅せずに、結界を維持できる程度の魔力を貰う予定だったのが、気付けば全てを補って余りある程の量を彼女から“奪って”しまった。
彼女はなおも気丈に振る舞っているが、相当、身体に負担をかけてしまったはず。
――グレンが、マイアーの兄・ガロンから聞いていたことを思い出す。
“フリアは瘴気を魔力に変換できます。しかし、許容量を超えてしまうと、壊れてしまうでしょう。”
――“濁流で水車が崩壊してしまうように。”
急激に体内の魔力が減ってしまったら、魔力を生成しようと、彼女の身体は…。
「――殿下。…ここまでで、十分ですので。」
「―――、あ、あぁ、うん。」
気がつけば、屋敷の門まで来ていた。
足を止めた彼女は、門を背にしてこちらを見上げる。
まるで、“さぁ、帰れ”とでも言っているようだ。
――中に入れろとまでは言わないから、せめて姿が見えなくなるまで、見送りたい。
「――フリア嬢が屋敷に入るまで、見守らせてもらうね。」
「――そう、ですか…。」
諦めたように、一礼して背を向ける彼女を見詰める。
門を抜け、屋敷の扉を開こうとした彼女の指先が、空を切る。
――危ない!
そう、思った瞬間に、視界が黒く染まる。
「――フリアっ…!!」
駆けながら、手を伸ばす。
彼女がゆっくりと沈む。
間一髪で、己の腕に抱きとめた彼女の顔色はとんでもなく悪い。
「――フリア……、っ、すまない…っ…!」
固く瞼を閉じる彼女からの反応は、無い。
漆黒の髪が一房、彼女の顔にかかる。それを、無造作に払いのけ、立ち上がる。
――とにかく、寝かさなければ。
扉を開け、寝室へと運ぶ。
足を進める度に、だらんと下げられた腕が力なく揺れる。
ベッドを整えて、彼女を寝かせる。
やはり、顔色は悪く、呼吸が荒い。
額に手を当て、熱を確認するが、発熱はしていないようで少し安堵する。
そのまま転移魔術で自室に向かい、手早く身を清め、服を整えるとすぐに彼女の元へと転移する。
――相変わらず、顔色は優れない。
己が、彼女に出来る事はなにも無い。それでも、心配で、側に居たかった。
――原因を作ったのは、己なのだが…。
彼女の顔に掛かる、真紅の髪を優しく避ける。
そのまま、ベッドの縁に凭れながら、彼女から目が離せない。
―――フリアがフリアで居てくれるなら、それでいい。
――もし、二度と“グレン”として、彼女とまみえることが出来なくても、“ユリエル”の中から、彼女を見守ることが出来れば、それで、いい。
――フリアが、笑って過ごせるなら、それで、いい。
――己が、フリアの側に、居なくても。
…彼女が、笑って、いるのなら。
――それで…。
オズボーン国から、力づくで彼女を帰国させるとき、魔力を極限まで削られた己は、そう、思ったのだが。
「―――ダメだ…やっぱり…、…耐えられない。」
ふ、と自嘲気味に呟く。
指通りのいい、真紅の髪を梳きながら、答えることの無い彼女に、語りかける。
「――あと、半年も、無いのに。…ねぇ、フリア。――俺の為に、後宮に残って、って言ったら、フリアは、困る…よね…。」
――彼女には、使命がある。
誇りに思い、全うすることを誓う、使命が。
今、彼女が後宮に居るのは、“白羽の矢”に選ばれたという“義務”があるから。
それも、あと、半年足らずで終わりを迎える。
――現人神がフリアを選ぶことは、無いだろう。
――フリアが、ユリエルを想って、留まることも、無いだろう。
――己が、フリアを追って、王宮を離れることも、できないだろう。
そう、なると、フリアとの縁は、切れる。
――己は、現人神が選んだ妃を眺めながら、永久の時をユリエルの中で過ごすのだろう。
妃が決まれば、現人神は常に妃と共に在るようになる。
今のように、一人の時間をとることが出来なくなる。
――だから、離れてしまったら、もう、二度と、フリアと会えなくなる。
まみえたとしても、己は彼女と言葉を交わすことさえも、できない。
――もし、フリアが、“己の為に”後宮に残ってくれるのならば…
――現人神の側室として、後宮に、留まってくれる、と、言ってくれるのならば…。
そこまで考えて、止めた。
ありもしない期待を胸に抱くだけ、無駄だ。
きっと、グレンとユリエルが同一であると知れば、彼女は身を引くだろう。
“この国の安寧の為に”と、現人神に忠誠を誓う、家臣の立場を決して崩すことなど無いのだろう。
――己がどんなに願おうとも、彼女が揺らぐことは、無い、だろう。
「――俺が、ただの、魔術師団員だったら……。」
迷うこと無く、彼女の手を取るだろう。
領地に来ないか、と誘われたあの時点で、きっと。
あの、差し伸べられた手を、なんの憂いも無く、とることが出来たなら…。
「――手が、届かないのなら……」
――最初から、願ったりしなかったのに。
「――出逢わなければ、よかった、の…?」
――グレンとユリエルが混ざり合ったまま、“己の意志”など持たずに、永久の時を、過ごしていられたのに。
――こんなになるまで、彼女に負担を強いることなど、無かったのに。
――現人神と関わる程、フリアは危険に曝される。
否、フリアを危険に曝しているのは、己か。
今だって、こんなに苦しそうなのは、グレンが魔力を“奪った”から。
彼女の負担になると知っていながら、彼女の腕を取ってしまったから。
「――いっそ、永遠に…」
――眠ってしまえば、よかったのに。
現人神の中で、何も感じず、なにも想わず、ただ、ひたすらに、揺蕩う存在になれば、よかったのに。
「――フリア、ごめん…」
応えの無い呟きは、通り過ぎる風に溶けて、消え去った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,174
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる