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45醜く歪んだ愛情を、きみに

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――討伐の翌日。



まだ、日も昇らぬ早朝に、“奈落の谷”の縁に立つ、白亜の麗人。

手首まで覆う、ゆったりとした袖と、首元に重厚感のあるフードが揺れる。
引きずる程に長い純白のローブの裾は、谷底に吹き込む風に巻かれて身を躍らせる。





父王から秘密裏に下された、指令。






“奈落の底より、バイアーノ公爵を連れ戻せ”






現国王である父以外に、奈落の底に降りることが出来るのは、おなじ現人神であるユリエルのみ。



「――さぁ、行きますか。」


誰に告げるでもない独り言を口にして、闇の底へと身を投じる。



向かい来る魔獣は、その身に触れることなく消えてゆく。

瘴気渦巻くこの場所で、唯一無二の聖域。

魔とは相対する聖なる力で、その場の全てを照らしていく。





「――フリア嬢は、どこだろう…」


闇雲に探すのは得策では無い。


神気も無限では無いのだ。


まして、周囲には瘴気が澱んでいて、神気の源となる月神の光もこの地には届かない。


現人神といえど、あまり長居は出来ないだろう。






「―――――ふぅ…やはり、無理か…」

彼女の魔力を辿ってみようと試みたものの、結果は予想通り、といったところ。

やはり、魔力に関してはグレンむこうの領分だ。



しかし、おいそれと姿を変えるわけにはいかない。


現人神ユリエルの姿であるからこそ、瘴気の影響を全くといっていいほど受けることは無いが、人間グレンの姿ではそうもいくまい。







「―――フリア嬢は…無事、なのだろうか。」

バルデム伯爵令嬢とブリス侯爵令嬢の言によると、相当疲弊していた様子。


まぁ、二人とも口を揃えて二言目には“怖ろしかった”としか言わなかったらしいので、詳しい事は何一つ聞けてはいない。





――心が揺れる。
内なる己が、己を急かす。



――この場所は、彼女にとって、危険だ、と。

――水車が、壊れてしまう前に、早く、と。




気を抜けば奪われそうになる意識を、なんとか留める。





――近頃、グレンで過ごすことが多かった所為だ。



以前では、考える事すらしなかった心のズレが生じている気がする。



“最近、ユリエル様とグレンが、別人に感じる時が、あるんですよ。”

つい先日、テオから笑われたのを思い出す。







「―――っ…!?」

物思いに耽っていると、突然、爆発的な魔力が一瞬場を支配する。

素早く周りを確認すると、暗闇の中、一点だけ淡く光る場所が目にとまる。


「―――……!!」
「――!!…!」



近付いて見えた光景に息を飲む。


真紅の髪を靡かせながら、圧倒的な強さで魔獣を屠る彼女の姿が。


空間を駆ける彼女の手には、赤黒く光る剣が握られている。



「っ!!」

魔獣が向かい来るその合間で、こちらの存在に気付いた彼女が、視線を向ける。

その、くすんだ緋色の瞳に、鼓動が跳ねる。




―――違う。

――あれは、フリアの色じゃないっ!

もう一人の、己が叫ぶ。
しかし、こちらを凝視する彼女は、間違いなく、彼女の姿である。





「―――あらひとがみ、か…。」
「――えぇ。お迎えにあがりました。――フリア嬢。」
「…………」

名を、呼ぶも、反応は無い。



「――、っ!?」
「――貴様かっ!我が子孫を、囲おうとする痴れ者っ!!」

もう一度、口を開き、言葉を発する前に魔力の渦に襲われる。



「……フリア嬢!?」

迫り来る渦を神気で相殺し、驚きの声をあげる。




――魔力を解放すると、自我の抑制が難しいとは聞いていたが…
まさか、標的にされるとは思ってもいなかった。




ユリエルの姿でまみえた時は、常に冷静に状況を判断し、適切に場を過ごしていた。
少しくらい暴走していたとしても、この姿ユリエルを見れば、正気に戻るのでは、と思っていたのだが。





「我が子孫、我が一族が、貴様等の手に、二度も堕ちると!?」
「――、くっ…!」



振り下ろされる刀身を咄嗟に結界で受ける。
受け止めはしたものの、この状態が長く続くのは不味い。




「貴様ら、現人神の手に、我が一族は渡さん!…この娘も、貴様の手を取ることなど無い。」
「何故だ!?」

視界が黒に染まる。
己の意志とは関係なく、己の口は、言葉を紡ぐ。


「俺は、必ずフリアを手に入れる!どんな手を使ってでもっ!」
「戯れ言を。」

フリアが、嗤う。
瞳に憎悪を宿しながら、その視線で己を射る。

「おまえは、誰だ!?フリアを返せ。」

その色は、彼女の色では無い。

それに、フリアは魔剣を使えない。
そう、言っていた。




「我が一族の躯は、等しく我のモノ。――娘が境界を越えたのでな。傷つかぬよう、我が使ってやっておるのだ。――感謝されこそすれ、そのような目で睨まれる覚えは無いが?」
「――フリアを、還せ!
これ以上、“奈落の底ここ”に居るだけで、フリアが壊れる。
俺は、フリアを迎えに来た。――地上に、連れて帰る!」


フリアの躯に宿ったモノは、フン、と鼻を鳴らし、嗤う。



「我が、わかるか。――現人神。」
「……、バイアーノ」
「然り。――わかっていて、理解しないのか?……やはり、現人神は、傲慢で、愚かよのぅ。」



――まだ、わからないのか。

その、嘲りを含んだ笑みを湛えながら、止めどなく繰り返される攻撃。

こちらに意識を向けながらも、間合いに魔獣を屠るその動きは正に手練れの将。




ダンスのリズムも満足に刻めないフリアでは、絶対にあり得ない。





「憎い、憎いっ!現人神が、憎い!貴様等さえ、居なければ…!貴様等が、闇をも照らす光となれさえすれば…!――わらわは、生きることが、出来たのにっ!――我が、主が、嘆き、悲しみ、失意の中、事切れる道を、歩き続ける事など、ありはしないのに!!」
「――、く、ぅ…っ!」

激しく打ち付けられる刀身と、襲い来る膨大な魔力。



この場所で、バイアーノの魔力が尽きることは無い。




もし、彼が、動きを止めるとするならば、それは……、

「――フリアっ!フリアっ!――目を、醒ませ!」
「ふ、貴様の発する言の葉など、この娘には届くまいよ。」

「フリアっ!フリア!俺だ!グレンだ…!」
「―――、ぐ、れん…」

一瞬、瞳が揺れた。
手を伸ばすも、弾かれる。




「…ははっ、堕ちぬよ。現人神なぞには…!」

――ぐらり、バイアーノが体勢を崩す。




「―――ッチ!…、やはり、脆い。」
「っ!!」


バイアーノの言葉に、心臓が痛いくらいに脈を打つ。



――フリアの身体が、限界を、

バイアーノが、無言で剣を構える。切っ先は、迷うこと無くユリエルの喉元。




ゆらり、傾ぐように、滑らかな動作で、己めがけて切っ先が舞う。





彼女に――フリアに、奪われるなら、悪くない。
緊迫した状況だというのに、己の口元は弧を描く。




けれど、目の前の彼女は、フリアじゃない。

――だから、殺されてあげない。


肉薄する切っ先を視界の隅に追いやり、真っ直ぐに、彼女の瞳を見据える。





「フリア、迎えに来た。」
「――っ、」

彼女の瞳に映る、漆黒の髪を揺らす青年。

迫り来る切っ先は、グレンを貫く前に消え失せた。



「―――グレン…?」

迫り来る勢いのまま、倒れ込む彼女を抱きとめる。

「―――日を跨がない、約束だっただろう…?」



かつて、外出許可証を手渡した際、己は確かに言ったはず。

“毎日ここに、戻ってきて。”




腕の中で目を閉じる彼女の負担にならないように、ユリエルへと戻り、聖域を創る。




――さて、どうやって地上に帰ろうか。


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