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43振り向けばきっと、きみがいる。
しおりを挟むサク、サク――
小気味のよい音を奏でながら、綺麗に生え揃った緑の上を歩いていく。
未だ、怠さは残るものの、先程よりはだいぶんマシになった。
それでも、元気よくこの緑の絨毯を駆け回るほどの気力は無い。
「うーん…ここ、どの辺りなのかしら……?」
歩いてきた方向を振り返ると、根元からはかなり離れたというのに、あの巨大樹の姿がはっきりと見える。
辺りを見渡して、はた、と思い当たる。
――他の巨木が無いわね…
たしか、私が腰を下ろした木を囲むように、他に四本ほどの巨大な木が生えていたはずなのだが…。
「うーん……、わからない。」
――まぁ、なんとかなるでしょう。
ここは、向かってくる魔獣もいないし、瘴気だって全くといっていいほど無い。
魔力の溜まりすぎた今の身体にはとても優しい。
地上へ戻る方法を考えるのは、もうしばらく、この辺りを散策して、落ち着いてからでも遅くは無いはずだ。
「それにしても、綺麗なところよねぇ……」
思わず、大きく息を吸って、伸びをする。
清々しい空気が、肺を満たす。
――“奈落の底”に、こんな場所があったなんて、知らなかったわ。
思いがけず、不可抗力とも言いきれるほどの災難で、酷い目に遭ったけれど…。
こんなに綺麗で過ごしやすい場所に巡り会えるなんて、ちょっとだけ、得した気分だ。
瘴気の殆ど存在しない場所など、シェーグレン国には存在しない。
国外に出たことは無いので、世界全てがそうだとは言いきれないが…。
それでも、瘴気の無いこの空間は、魔力生産で疲弊しきった身体を癒やしてくれる。
ただ、懸念事項をあげるとするならば、体内の魔力を使用してしまうと供給できない、ということくらいだろうか。
それでも、この環境で、魔術を使用することは、そうそう無さそうだが…。
あまり、先程の巨大樹から離れすぎないように注意しながら、散策を続ける。
目が覚めた時より、思考はすっきりしているし、もちろん足取りも軽い。
――この調子で回復できれば、思ったよりも早く、帰る準備ができそうね。
――少しでも、早く帰らなければ、きっと小言を頂戴するだろう。
ふふ、と笑みを漏らす。
が、すぐに、首を傾げる。
――誰から……?
――私に、小言を言ってくる人なんて、居たかしら…?
ガロン、は、きっと呆れながらも、帰還を喜んでくれるだろう。
シエル、は、絶対に、顰めっ面で泣くまいと堪えながら、怪我の有無を聞いてくるはず。
アレクさんも、ネルさんも、やはり無事を喜んでくれはするだろうが、小言など言わないだろう。
私は私の為すべき事をしただけ、なのだから。
その行為自体に、苦言を呈する事などありはしないだろう。
――では、誰が…?
少し、思考を巡らすが、該当する人物は出てこない。
――敢えて、言うなれば、王太子殿下、か。
否、しかし、いくら討伐の指揮を執っていたとはいえ、あれはどうしようもできない部類のものだ。
突発的事故。
この表現がしっくりくる。
まぁ、討伐の指揮を執っている以上、参加者の安全を確保するのが仕事といえば仕事なので、今回の事に関して、思うところはあるとしても、態々私に直接的になにか指摘してくる事は無いだろう。
むしろ、お叱りを受けるのは、あの二人だと思う。
―――今回、二人を救出した功績で、“妃候補期間の短縮・もしくは撤回”とか、貰えたりしないだろうか…。
「―――貴女っ!!――どうして此所に居るのよっ!?」
「――、はいっ!?」
誰も居ない。
居るはずがないと思っていたところで、突然発された誰かの声に驚き、引き攣った返事を返す。
「ねぇ!なんでっ!?」
「うわぁっ……!」
腕を強く引かれ、体勢を崩す。
なんとか持ちこたえたものの、小柄な割に力強いこの少女についつい批難めいた視線を送ってしまう。
「と、とにかく、わたしの屋敷に行くわよ!こんなに目立つ場所じゃぁ、落ち着いて話しもできない!」
「え、ちょ、まっ…!」
――目立つ場所って…。
言われて、そんなこと無いと反論しようとしたが、目に飛び込んだ光景に息を飲む。
先程まで、辺り一面緑の絨毯だったその場所が、美しく整えられた庭園に変わっている。
しかも、声を掛けられるまで、誰一人居ないと思っていたこの場所に、上品な服装を纏った人達が行き来している。
――なにが起きたの!?
その、言葉さえ掻消えるような光景が目に飛び込んでくる。
「――え、いつの間に…!?」
――帰ってきたの…?
半ば、引き摺られつつ、振り返ったその先には、白亜の宮殿が。
外観から見ても荘厳なその建物は、白く、眩いばかりの輝きを放っていた。
――あの建物を知っている。
知っているというか、つい先程まで私が過ごしていた場所では無いか。
本来なら、自力で戻る予定だったが、もしや誰かが“奈落の底”から引っ張り上げてくれたのだろうか。
しかし、それならば何故、私は身を隠すように、あの場所から離れなければいけないのか。
――否、もう、妃候補としての役目を終えて、あそこにいる必要性が無くなったというのなら、それでいいのだが。
どうやら、そうでも無いらしい。
綺麗に整えられた石畳を、やはり、引き摺られるようにして歩きながら、先程からもの凄い力で先を行く少女に目を向ける。
薄紅の髪は緩く波打っており、肩に触れるか触れないかの位置で揺れる。
年齢はわからないが、おそらくシエルよりか少し年下ではなかろうか。
私の腕をしっかり掴むその手は、荒れなど全くなく、まるで陶器のよう。爪も綺麗に切揃えられている。
身に纏う服や、出会った場所から推察するに、上流貴族であるとは思うのだが…。
――そもそも、あの色は…。
少女の揺れる髪を眺める。
――薄紅の髪。
紅系統の髪色は、バイアーノの血を引く者に多く現れる。
血筋であっても、必ず現れるというわけでは無いが、色が現れると、その子は間違いなくバイアーノの血族のはず。
だとすると、一応にして、バイアーノ当主である私が、存在を知らないというのはあり得ない。……はず。
もしかしたら、遠い昔に分かれた家系という可能性もあるし…。
それでも、上流階級であれば、そこそこ名の知れた貴族のはず。
それなのに、その存在すら知らないとは…。
「――率直に言うわ。フリア、貴女は此所に居てはいけない。早く、帰りなさい。」
「―――…、え――?」
目的の場所に着いたのか、急に歩みを止めた少女は、振り返るなりキッパリとそう言った。
「そもそも貴女、どうして此所に来たの。」
「えーと…」
薄紅の瞳に射すくめられる。
少女に圧倒されてしまうとは、なんとも情けない。
それでも、わけがわからないままに詰め寄られても、こちらだってどうして、なんてわからないのに。
考えを纏めようと、視線を彷徨わせると、目にとまったのはあの、巨大な木。
先程見ていたものとは、どこか違うその巨大樹。
その木に寄添うようにして咲き誇るのは、色鮮やかな梅の花。
それは、あの場所で、眠る前に見た光景をそのまま切り取ったようで。
「ねぇ、フリア、聞いているの!?」
「わ、す、すみません…」
そもそも、目の前の少女は、いったい何者なのか。
名乗っても居ないのに、私の名前を知っているし、そのうえしっかり呼び捨てだ。
「――フリア、貴女の母親の名前は?」
「え…――?」
「もう、いいから!答えて!私からじゃ、言え無いのよ!」
「―――ファム。…私の母の名は、ファム・バイアーノ。」
「―――正解、」
「………――っ!!!」
急かされるように、母の名を口に出せば、少女は満足そうに頷いたかと思うと、瞬き一つの間に、記憶の中と寸分違わぬ姿に変わる。
と、言っても、少女が消えたわけでは無い。
目の前に、少女は居るのだが、少女と重なって、母が視える。
「――久しぶりね。でも、再会を喜んでいる暇は無いわよ。」
「……お、母様…、」
「はぁ、ほら、フリア。しっかりなさい。貴女には、果たすべき役目があるでしょう。…それに、その手を取りたい人も。」
「あ、の…ど、して…」
聞きたいことは、たくさんある。
覚悟はしていたけど、突然の別れ。
――いつか、会うことができたなら。
そんな、儚い幻想を胸に仕舞い込んで。
いざ、そんな奇跡に遭遇すると、何も出てこない。
――もう、後悔はしたくないのに。
「はぁ、…フリア…。――泣くほど、辛いことが、あったの――」
気づけば、遠い記憶に仕舞い込んだ温もりに包まれる。
頬に触れた、しなやかで細い指先は、滑り落ちる雫を攫っていく。
「お、かあ、さま…っ」
「なぁに、フリア。」
――もう、止められない。
聞きたかったこと、
聞いてほしいこと、
知りたいことは山ほどある。
それなのに、その全てを言葉にするには、うまく纏められなくて。
「――ガロンが、私では無い、愛する人と、結ばれたわ…」
「…っ、――そう。」
「――シエルに、恐れられて、しまったわ…」
「――そう。」
「―――お、…お、とう、さま、に…、う、たれ、て…っ!」
「――――そう。……ごめんなさい、辛い思いを、させてしまったわね…」
宥めるように、ゆっくりと背を上下する手。
その、温もりに背を押されて、聞きたくても、聞けなかった気持ちを、口にする。
「――わ、たし、は…。――要らない、子、だった、の…」
――父親が、殺したいと、思うほどに。
「そんなこと無いわ。絶対に、そんなこと、無い。」
肩を掴まれ、視線を合わせられる。
「フリア、貴女は私の宝。時の流れが、彼の心を、どう、変えたのかは、わからない。それでも、貴女は、私と彼の、愛し子よ。」
その、逸らされる事の無い真っ直ぐな瞳に、安堵する。
「お母様は…、愛して、いた…?」
「いいえ、愛していた、のではないわ。――今も、なお、愛しているのよ、エルノーを。」
――ほんと、目も当てられ無いでしょう?
そう言って微笑む彼女は、美しかった。
様々なモノを手放し、犠牲にしても、なお、ただ一人だけ、愛し続ける、その、心。
「フリア、貴女にだって、わかる日が来るわ。――その時は、絶対に、手を離しては駄目よ。」
「――私に、できる、かな…」
「当たり前よ。だって、ほら…。――迎えが来たわよ。」
示されて、振り向く。
そこに立つのは、闇よりもなお深い、漆黒。
「――しっかりと、小言を貰いなさいな。」
「―――っ!」
――お母様!
その、言葉が声になる事は無かった。
――次に、目を開けたとき、最初に映ったのは、目も眩む程の、純白だった。
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