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42ひとつの想いを置き去りに、どうしてあなたは進むのか。
しおりを挟む静かになった部屋で、一つ、小さく息を吐く。
衣服の内側。首から下げた飾り紐を手繰り、先端に揺れる丸を描く銀縁をそっと掌に乗せて、呟く。
「ファム、貴女の宝は、大層波瀾万丈ね。」
今は亡きその面影が、一瞬、苦笑を返したと感じたのは、気のせいだろう。
掌に収まるこの銀縁。
繊細な細工は一切無く、とてもシンプルで、それでいて存在感のある、この世で唯一彼女が遺して逝った、彼女の欠片。
これを持つべきは、己ではなく、彼女の娘であるフリアだ。
わかってはいるが、どうしても、手放せないでいる。
「――みんな、私を置いて逝ってしまうのだもの…。」
一つくらい、共に歩んだ証が欲しい。
“彼女達と共に在った”という証が。
“わたしたちの子供が、この国の砦となるように――”
そう言って微笑んだのは、夫の姉であるアリシア。
その時は、学術院のクラスメイトだったのだけど…。
“ずいぶんと気の早い話ねぇ。まぁ、そうなると、ステキよね!”
年齢性別を問わないこの国の学術院は、試験を受けて合格すれば五年~十年ほど、在籍することが出来る。
殆どが貴族の令嬢や子息だったが、平民と呼ばれる階級でも、一定の魔力を持ち、学力を有すれば入学を許される。
下っ端貴族の末娘だった私は、そこであの三人と出逢った。
真紅の髪に黄金の瞳を持つ、次期バイアーノ当主は、入学早々話題の的。
そして、それに付き従い、仲睦まじく寄添うマイアーの双子の姉弟。
バイアーノの次期当主が入学できる年齢まで待って、あの二人は時を同じくして入学したのだとか。
下っ端といっても、貴族は貴族。
噂話はそこかしこで耳にするし、話題を総ナメする勢いのあの三人の様子など、一日学院で過ごすと両手両足では足りないほど耳にする。
――私には、到底関係の無い世界。
そう、思っていたのに。
“今日から一週間、よろしくね!”
差し出されたその手を、唖然としながらも、しっかりと握ったあの日の事は、今でもはっきり憶えている。
グループ学習で、四人一組。
これは、よくある話だ。
必ずしも、四人でなくともよいのだが…。
一応、複数人での学習なので二人以上の組を作ればいい。
授業が始まって数ヶ月。
初めてのグループ学習で、私に声を掛けてきたのは、誰も予想出来なかったであろう、バイアーノの次期当主。
ファム・バイアーノその人だった。
期間は一週間。
主に、魔術や歴史について学ぶという授業だ。
幸いにも、私には魔力があったので、魔術の知識は少なからずある。
しかし、何故、私が選ばれたのかわからない。
だって、あの三人は、三人で終結すれば事足りるのだから。
“――ファム嬢、初対面の相手に向かって、自己紹介も無しに……。申し訳ありません、アレク・マイアーと申します。失礼ですが、御名前を窺っても…?”
“――、ネル。ネル・フロリアと、申します。”
あれが、彼と交わした、最初の言葉。
“とてもステキな名前ね!ねぇ、貴女のこと、ネルと呼んでいいかしら?あ、私のことは、ファムって呼んでね!”
“――は、はぁ…よろしくお願いします…ファム、様。”
“むぅ…、違うよネル。敬称なんていらないわ。私は、貴女と友達になりたいの。友達に敬称はつけないでしょう?それに言葉も…。”
呆気にとられ、返す言葉が見つからない。
――冷血無慈悲な魔獣の血族
まことしやかに囁かれているその噂とは、あまりにかけ離れている。
“――ごめんなさいね、ネルさん。…その、ファムは…学術院に行けば、友達を持てる、と、とても楽しみにしていたものですから…”
アリシアと名乗ったその女性は、苦笑しながら弁解する。
“ねぇ、ネル。私と友達になってよ。………だめ、かなぁ……”
“うぅん、嬉しい。ありがとう、ファム。”
きゅ、と眉根を寄せていたその顔は、私の言葉で満面の笑みに変わる。
“――申し訳ない…これでも、…落ち着いた方なんだ…”
“いえ、ほんとうに、嬉しいですから。”
まるで、保護者のように謝る彼に、ついつい表情を緩めてしまう。
それからというもの、私達は常に一緒に居た。
新参者の私が除け者にならないように、常にマイアーの姉弟は気遣ってくれる。
五歳離れているという彼は、やはり大人びて見えた。
アリシアさんも、とてもたおやかで、魅力的な女性だ。
――高位貴族の令嬢で、こんなに見目がよくて、それでいて物腰が柔らかいなんて……きっと、引く手数多なんだろうなぁ。
“あのねぇ、アリシアは来年には私のお姉さまになるのよ!”
月日は過ぎ、そろそろ卒業の足音が聞こえてくるかという頃、ファムが告げたのは驚くべき内容だった。
――否、引く手数多だろう、とは思っていたけれど…。
まさか、卒業と同時に結婚が決まっているとは…
まぁ、貴族令嬢の殆どは、幼い頃から婚約者が居て、学術院を卒業したら時を待たずして結婚するのは珍しくは無いが…。
――…どちらかというと、学術院卒業時に、婚約者が居ない貴族令嬢の方が、珍しいくらいなのだが…。
………私…?
居るわけないじゃない。
下っ端の貴族令嬢の、その、末娘なんて、誰が欲するものですか。
いざとなったら、王宮魔術師の試験を受けて、食うに困らないなら、生涯独身を貫く勢いよ。
“――ファムって、お兄さん、居たんだ…”
ファムの言葉に返したのは、そんな一言だった。
バイアーノ次期当主と言うから、てっきり子供はファム一人だけだと思っていた。
“うん!すっごく頭がよくて、優しいの!……でも…あんまり、…身体が、丈夫じゃないの…”
“―――そう、だったのね…なんか、ごめんなさい。言いにくい事を聞いてしまって。”
“ううん、いいの。――でも、ネルにも会わせたいなぁ。ねぇ、アリシア、アレク、…ネルを、うちに呼んだら、駄目、かなぁ…?”
常にハツラツとした発言をするファムが、二人を窺う。
――珍しい。
あのファムを悩ませる、なにかがあるというのか。
“まぁ、ネル嬢であれば…”
“そうね。ネルは、見た目でひとを判断する子ではないもの。”
“ほんとう!?やったぁ!
じゃぁ、今度の長期休暇のとき、約束ね!”
“えぇ、ファムのお兄様にお会いできる事、楽しみにしていますね。”
“あのね、お兄様はとっても綺麗な緋色の瞳を持っているの。とっても、とっても綺麗なの!”
そして、実際に会ってみると、ほんとうに綺麗な緋色の瞳を持っていた。
――アリシアの息子に、その色が受け継がれなかったのがわかったとき、口惜しく思うくらいに、ほんとうに、綺麗な色だった。
「――でも、アリシア。ちゃんと、受け継いでいたわよ。――貴女の想いも、彼の色も。」
先日、久しぶりに屋敷に訪れた甥っ子は、かつて見た緋色をその瞳に宿していた。
あれが、フリアちゃんの魔力の影響だとしても、彼は確かに受け継いでいたのだ。
あの色を。
アリシアがその色を、見ることが出来なかったのが、心残りではあるけれど…
それでも、緋色の瞳を持っていたとしたら、“シエルの兄”として通せなかっただろう。
彼女と息子に忘却の魔術を掛けたとしても、その効果はすぐに消え去ったに違いない。
――風が、通る。
少し開け放っている窓の隙間から、ゆらゆらとカーテンを揺らす。
「あぁ、でも、アリシア…。一つだけ、恨み言を口にしても、いいかしら――?」
当然、答える声はない。
それでも、ずっと、心に引っかかる思いがある。
誰の耳にも入らない。だから、いい。誰かに聞かれてはいけない。
それでも、言葉は溢れ出す。
「――どうして…、どうして、一人で逝ったのよ。貴女は、道連れに、しなければいけなかったのに…。」
“彼ガ身”である、彼女の、明かされなかった使命。
――“裏切った者を道連れに、冥府の扉を開く事”
そう、いつだったか、こっそりと告げられた。
“ガロンが無事に彼ガ身となれた暁には、教えて欲しいの。”
――きっと私は、伝えることができないから。それに…私はきっと、一人で逝くわ。
寂しげに微笑んだ彼女。
それでも瞳には、決意を宿していた。
――私たちにとっては、“憎しみの対象”であっても、ファムにとっては、“愛する人”なのだもの。
――私は、ファムから、奪えない!!…たとえ、私の決断で、ファムの命が再び脅かされたとしても…!
そして、アリシアは一人で逝った。
それから、十年も保たずに、ファムも逝ってしまった。
私は、一人になった。
「貴女たちは、それでいいかも、しれないけれど…」
だって、還る場所は同じだから。
ファムも、アリシアも……アレクだって…。
みんな、還る場所は同じ。
私だけ、一人、残される。
“こちらの世界”の輪廻の渦に。
「―――だったら、もう少し、一緒に居てくれたって、よかったじゃないの……」
ぽつり、溢す。
手を、差し伸べたのなら、最期まで、一緒に居て欲しかった。
共に、歩んで欲しかった。
一人だけ、たった一人だけ、残されるなんて、あんまりだ。
「――ネル?どうしたんだ、こんなところで…」
「――アレク…、――お帰りなさい。」
いつの間にか、時間がずいぶんと経ってしまったらしい。
屋敷を出て行った時と同じ場所に佇む私を不審に思ったらしい。
「ただいま。――シエルは暫くむこうに滞在するらしい。」
「そうなのね。」
一通り、会話を済ませると、禁書庫の方へと歩いていくアレク。
“マイアーの血を引く者”しか、立ち入ることのできないその場所。
日常の、ふとした瞬間に、思い知らされる。
――貴方と私のその次は、もう、二度と交わらないのね、と。
「――ネル。…―――、――。」
「っ!!―――、はい、喜んで。」
アレクの姿が、壁に吸い込まれるようにして消える。
今日はあそこが、禁書庫の入り口だったらしい。
「―――さて、と。なにか、甘い物でも、作ろうかしら。」
出てきたときに、一息付けるように。
壁に背を向けて歩き出す。
その足取りは、心なしか、軽やかに。
“――この次も、僕の隣にいてくれるかい?”
確定ではない。
実現しないかもしれない。
それでも…
貴方の気持ちが、嬉しくて。
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