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41もう、この手が届くことは、無いけれど。

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「――っ、か、はっ……っ、」
――緑に紅の華が散る





「っ!?あ、つっ…!!」
――真紅に燃える石が、床を飾る




「!!――、これは…っ!」
――鏡の奥が、緋色に染まる





「お父さま!フリアちゃんの石が!!」
「シエル!ガロンの元へ急ぐぞ!」

父の書斎をノックも無しに開け放つ。


扉が開ききる寸前に、返された言葉に目を丸くする。


椅子から立ち上がり、こちらに向かう父の手には、銀細工で縁取られた、鏡が抱えられている。
その、鏡面が放つ、緋色の光に目を奪われる。

「お父さま、その、鏡は?」
「説明は後。先ずはガロンの元へ。」





「アレク、私は何をすればいいかしら?」

振り向くと、ゆったりと微笑む母の姿。


この状況でも、落ち着いている母を見ると、己も見習わなければと感じる。



――心を揺らすことは、魔術を扱う者にとって、避けなければいけない事態だから。




「ガロンの元へ、少しでも早く行きたい。ネル、力を貸してほしい。」
「えぇ、もとよりそのつもりよ。――フリアちゃんの身に、なにかあったのね?」

母の問いに、答えられないでいる僕に対し、父は小さく頷きを返した。



「石の魔力は使ってはいけないよ。……制御ができないから。」
「はい、お父さま。」
「じゃ、始めるわよ。」




――意識を集中する。
三人の魔力を一つに練り合わせ、より強く、大きくしていく。



床に描かれた陣が輝く。

光の向こう側で、微笑みながら手を振る母が、段々と白く染まる。



















「――ガロン様!?ガロン様、いかが致しましたか!?」
「おい、誰か!ガロン様をお屋敷へ!」
「残りの者は、一先ず魔獣を仕留めよ!」

景色が変わって、まず、目に入った光景は、慌ただしく駆け回るバイアーノの討伐隊と、その中心で膝を着く兄の姿。





「ガロン、落ち着きなさい。引き摺られてはいけない。ゆっくり、呼吸を整えなさい。」

己が動くよりも早く、父が兄の側に膝を着き、背に手を当てて告げている。






「――ありがとう、ございます…、アレク叔父様。」
「――…、もう、“父上”とは呼んではくれないんだね。」

ゆっくりと視線を下げる兄。


その姿がやけに遠く見える。



――当たり前だったものが、離れていく。




次から次へと、この手の届く範囲から零れていく。







忘れていた、幼き日の記憶。

ぽっかりと抜けたその思い出は、つい先日、きちんと取り戻したはずなのに。
今までよりも、もっと、ずっと、距離を感じてしまうのは、何故だろう。




あの日、兄が帰った後に聞かされた。

僕とフリアちゃんの記憶を“書き換えた”のは、ファム様と、お母様だと。
“魔術を使える”僕と、フリアちゃんが、心を揺らさないように。不用意に、心を乱し、“力を暴走させないように”

それでも、兄さんは引き継がれる使命があるからと、思い出は変えずに、胸に秘めて。



――“平穏”を過ごす僕達を、兄は、どんな思いで見て、共にあったのだろう。







――兄さん。

心の中では、そう、呼べるのに。

どうしても、口に出すことを躊躇ってしまう。




――もし、拒絶されたら…。

そんな思いが頭を過ぎる。




積み重ねた日々は、嘘偽りない、本当の記憶。
それでも、兄にとっては、偽りの日々だったのかもしれないのに…。





「――シエル?…どうした?どこか、痛いのか…?」
「……、…、………、」

口を開いては、閉じる。




――その一言が、言え無くて。




「――そんなに思い詰めるほど、“兄”を心配してくれたのか?」
「っ!!―――にい、さん…」
「うん?――どうした?」

俯く己の頭に乗せられた暖かな掌。

からかうような口調で、優しく覗き込んでくる緋色の瞳。

その瞳と、視線が交わる。


「にいさん…、ガロン兄さん…。―――フリアちゃんの、石が……」

もう、躊躇うなどという選択肢は無かった。
兄の服にしがみつきながら、その温かさに額を寄せる。

「――あぁ、フリアに、何かあったみたいだな。…だが、心配はいらない。」

宥めるように、その掌が背中をポンポンと優しく撫でる。

「――フリアが、俺より先に向こう側へ逝くことは、無いから。」
「―――、―――っ」

しがみついている所為か、少しくぐもった低い声で、兄は告げる。



その声音は、やはり自身に満ちあふれていて。
いっそ誇らしげに。

――だから、心配なの。

そう、口に出来たらどんなに楽だろう。



彼女のことは、もちろん心配。
でも、それ以上に、今は兄が心配なのだ。

彼女の為に、犠牲になることを、少しも厭わずに、むしろ誇らしいと胸を張るその姿。

そんな兄に、いったいどうして、“僕は兄さんにも生きていて欲しい”などと言えるだろう。




「…ガロン、あまり、気張るな。その役目は、確かにアリシア姉さんから受け継いだものだろうが…。そう、生き急がれると、わたしだって、辛いのだから…。」

顔を上げると、兄の隣で肩に手を置く父の姿が。

先程の凜としたものとは正反対に、困ったような表情を見せる父。




「――はい。……しかし、“その時”が来たら、俺は迷いません。フリアに、どんなに憎まれようと、俺は、母のような失敗は、しません。」

父に向き直り、キッパリと告げる兄。



「――母は、ファム様の想いを尊重した結果、ファム様を見殺しにしたも同然です。……助けることが、できたのに、“本人が望んでいない”と、務めを放棄した。俺は、そんな間違いは、決して、犯しません。」
「―――そう、か…。」

諦めたように、肩を落とす父。




そこに、恐る恐るといった具合に、バイアーノの討伐隊員が声を掛けてくる。



「―――…ガロン様、あの…お身体のほうは…」
「大丈夫だ。心配ない。――驚かせてすまなかったな。」
「い、いえ…。」

それだけ言うと、隊員はまた帰りの支度を始めた。

今日の討伐は、これで終わりらしい。



「兄さん、どこか、怪我をしたの?それとも、具合が悪いの…?」

改めて兄を観察すると、先程地面に膝を着いていたので、もちろんズボンは土で汚れているのだが…。
その他に、左手の袖口と、胸元の部分に赤黒いモノが付着している。

怪我でもしたのだろうか。
それならすぐに治癒しなければ。

「大丈夫だ、心配はいらない。…少し、フリアの魔力の巡りに当てられただけだ。」

そう言って兄は苦笑する。

以前もおなじ台詞を聞いた。


そして、思い当たる。
たしかあの時も、彼女は怪我をしていた。

もしかすると、今と同じように、彼女に起きた“なにか”を共有したのかもしれない。





「――ガロン、フリア嬢は…?」
「無事、といって良いのかは、少々疑問ではありますが…。一先ずは、落ち着いたようです。――魔力はかなり、荒れてはいますが…。今すぐ“壊れる”事は無いかと。」
「“壊れる”…?――え、と…怪我する、とか、物理的な危険は無いってこと…?」


兄の言葉の意味が理解できず、聞き返す。

すると、父が少し遠くにある水車を指差す。

「シエル、あそこの水車が動いているのが見えるかい?」
「はい。川の水を受けて、ゆっくり回っています。」

視線を水車に向けたまま答えると、父はさらに続ける。




「雨で、川の水が増えると、あの水車はどうなる?」
「水の流れが速くなると、それだけ水車も速く回ります。」
「では、水車が受け止められない程の濁流に曝され続けたら、どうなるかわかるかい?」


――濁流を受けて、少しの間であれば、頑丈な水車ならば耐えられるはず。

人が、火事場のなんとやら、で想像もつかない力を発揮するのと同じだろう。

しかし、際限なく、長時間、許容範囲を超えた濁流を相手にしたとしたら……。




「―――壊れる、と、思います。」
「うん、そうだね。フリア嬢に限らず、バイアーノは水車と同じなんだ。」

――いまいちよくわからない。


そんな考えが顔に出ていたのだろう。

今度は兄が言葉を紡ぐ。




「フリアは、瘴気を魔力に変換するだろう?瘴気の流れを受け止め、それを魔力へと変換するその構図は、川の水を受けて、他の動力へと変換する水車によく似ている、と、思わないか?」
「っ!――そっか、うん。そうだね。瘴気を変換する水車みたいなものが、身体の中にあるってこと?」

兄は満足気に頷くと、ひと呼吸置いて、真剣な表情になって口を開く。

「フリアにとって、瘴気は魔力の材料みたいなものだから、濃ければ濃いほど強力な魔力を扱える。だが…それだけ身体に負担は掛かる。――今、フリアは“常夜の森ここ”よりも、ずっと深く、濃い瘴気が覆う場所にいる。」
「ここより瘴気が濃い場所………!“奈落の谷”!?」
「あぁ、それも、ただ近くにいる、というわけでは無さそうだ。」
「もしや、“奈落の底”!?……そうか、だとすると、この鏡面の変化にも納得がいく。」

父が取り出したのは、屋敷を出る前に見た銀細工で縁取られた見事な鏡だった。

相変わらず、鏡面は緋色を映しだしている。



「これは、“バイアーノの鏡”だよ。マイアーが、バイアーノを片時も離れず見守れるように、何代も前の先祖が創り上げた代物だ。」

そっと指で触ると、彼女の魔力と同じものが鏡面を満たしているように感じる。

「次代のバイアーノが生れると、鏡に血を吸わせて持ち主を固定する。だから、今あるこの鏡はフリア嬢を現している。――目に視えるものだったり、そうではないものだったり、ね。」



――身体状況だけで無く、心まで映し出すと云われるその鏡。

この鏡で、マイアーはバイアーノ当主の“唯一人だけの人”を見分けるのだという。






――鏡が映し出すその人が、バイアーノが選んだ“唯一”。


――なんだか、御伽噺に出てくる魔法の鏡のようだ。





「フリアに、今までに無いほどの負荷が掛かっている。それは、事実だろう。――滅多な事で、こちらには余波が来る事は無いから、な。」
「じゃぁ、石が燃えるように熱いのは…、フリアちゃんの魔力が許容範囲を越えているって、こと?」
「そうだろうね。この鏡面がこんなに赤く染まったことは無いから。――それでも、大丈夫、なのだろう?」

父が、兄に問いかける。





「あぁ。フリアは大丈夫だ。――それに………」





――あの、過保護過ぎる漆黒の魔術師が、黙ってみているわけが無いだろうからな。



兄につられて思わず苦笑する。


思い当たる事の無い父は、困惑の表情でこちらを覗っている、が…

「――、俺たちが王宮に向かった方がいいと、思うか?シエル。――ふ、少し、さみしい気も、するが…」
「ううん。僕たちは、僕たちに出来る事をするよ。フリアちゃんは、グレンさんに任せよう………悔しい、けど。」

兄と、頷き合う。
ほんの少し哀愁を帯びた表情で。





「まぁ、二人がそういうのなら。今回は、様子見に留めよう。」


父が、ふ、と微笑む。





――“唯一”は、果たして。



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