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40目に見えるものが、全てでは無いけれど。

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――まわる、まわる、水車はまわる。

押し寄せる濁流を、一身に受けながら。

それでも、負けじとぐるぐるまわる。

力尽き、動きを止める、その日まで。
















奈落の谷の奥深く。





奈落の底の一画で、青を通り越して真っ白な顔色でへたり込む二人へと、足を進める。





身体が、酷く、重い。
時折込み上げてくる鉄の味を、なんとか気合いで飲み下す。

呼吸が乱れる。
思考が揺れる。


それでも、視界には、目的の二人を捉えたまま。
ゆっくりと、確実に近付いていく。



二人を覆う、己の魔力は、この場で唯一の守り。

この、奈落の底に留まる瘴気の中で、二人が生きていられるのは、己の魔力が瘴気の侵入を阻んでいるから。



ひと二人を守るだけの魔力を放出し続け、かつ、迫る魔獣を消滅させるだけの魔力を使用していても、次から次に、留まる瘴気は己の中で魔力へと変わる。

拒んでも、侵入する瘴気に対し、為す術も無く、己の身体はひたすらに魔力を生産し続ける。




身体が動かないのも、息が上がるのも、思考が振れるのも、すべて、魔力生産過多による副作用だ。




それを理解していてなお、私は歩みを止めることは出来ない。




魔力の抑制が効かず、引きずる程長い真紅の髪でさえも、魔獣の爪は届かない。

私の周囲は最早、魔の聖域となっている。






「―――お遊びは、ほどほどに、なさいませ……」
「――っ!!」
「―――ひっ、」

やっとの思いでたどり着き、声を掛けるも、返ってきたのは引き攣った悲鳴のみ。


とりあえず、生存確認はできた。
おそらく、気が触れているわけでも無い。

それがわかれば十分だ。



緩慢に上を見るも、光さえ届かないこの深い位置から、魔術を使用して上まで押し上げるのは、無理だろう。




と、なると…。
転移魔術を使用する事になるが、残念ながらこの場所の座標がわからない。

それに、この、魔力が抑制できていない状況で、簡易的な方法を用いるには、危険が伴う。




しかし、陣を描くための物はこの場所には無い。






「――その、短剣を、借りても…?」
「―――う…ぁ…」

守り刀であろう、その短剣を握りしめて震えるリカルダ嬢に手を差し出すも、身を固くするのみで、反応は無い。

「―――、」

あからさまな舌打ち。




魔力が満ちたこの状態で、まだ言葉を選ぶ程度の理性を保っているだけ、マシだと思って欲しい。






――感情に身を任せることができたら、どれ程、楽なのだろう…






一瞬頭に過ぎった考えを追い払うように、己の腕に歯を立てる。


滴る紅で、黙々と陣を描いていく。




少々不格好ながらも、きちんと描かれた陣を眺め、無いよりはマシだろう、と、袖口を裂いて、傷口を縛る。







「―――入って、いただけます…?」
「―――っ、」
「…ぅ―――」

ちょうど、二人が入るその陣を指して促すも、一向に動かない。

「―――入れ。」
「っ!!」
「っ!!」

少し強めに告げると、恐る恐る、這うように進み、陣の中に座り込む二人。

「―――結界の、側へと、送ります。微調整は、出来ませんので、後は、お願いしますよ、ルイーザ嬢。」
「―――黄金の瞳…フリア様は、真なるバイアーノ…」
「――口がまわるなら、心配は、無いな。」

陣に向かって、魔力を放つ。




最大限、加減して、目標の位置に、少しでも正確に出る事を念じて。



描かれた陣が、輝く。


視界を灼く程の光が収まった時、既に二人の姿は無い。

役目を終えた転移陣も、綺麗さっぱり消え去った。






「―――はぁ……はぁ…、ひとまず、これで…」

言うが早いか、その場に膝を着く。


体力の消耗が激しい。

先程使った魔力は、もう既に満ちている。

使っても使っても、容量以上の魔力が満ちる。






「――――?」

ふと、視線を向けると、先程は気付かなかった光景が広がっている。

ここから少し先に、巨大な木がそびえ立つ場所が見える。

光も届かないこの場所で、あの辺りは何故か唯一はっきりと浮かび上がっている。





その光景に、惹かれて立ち上がる。

もう、体力は殆ど残っていないが、それでもあの場所へと足を進める。

ゆっくりではあるが、着実に近付くその場所。
そして、巨木の中でも、ひときわ大きな巨大樹の根元に腰を下ろす。

幹に頭をあずけ、周囲を見渡すと、この木を囲うように、数本同じような巨大な木がそびえている。

そして、一本の巨大樹には、所々藤が絡みつき、見事な花を咲かせている。
他の巨大樹の近くにも、寄添うようにそれぞれ植物が植わっている。

藤・竜胆・苧環・梅…。



光が届くことの無いこの場所で、こんなにも立派に咲き誇るのかと疑うくらいに、それはもう、見事な景色。



この光景を目に映すことが出来るのは、巨大樹を初め、その他の植物が、淡く光り輝いているからだ。

光の無いこの奈落の底で、この場所が、唯一美しいと思える空間だ。




「――なんだろ……、なんか、懐かしい…」


そんなはず、有りはしないのに。




初めて訪れるこの場所が、懐かしい感情を呼び起こすなど、あり得ない。




それでも…

「―――血、かなぁ…」

己に流れる血が、この場所を懐かしんでいるのだろうか。



――初代も、母も、会ったこともない歴代の当主も、全て、“向こうの世界”で生きているのだろうか。



――きっと、綺麗な場所なのだろうなぁ…



――きっと、マイアーだって還るはず。


だって、マイアーは、バイアーノの鏡だから。

二つで一つ。離れることなど、有りはしないのだから。
きっと、行き着く先は、同じに違いない。




――母がいて、アレクさんがいて、ガロンがいて、シエルがいて、―――さんが、いて…。


みんなが笑顔で生きている。
そんな、世界があったなら…。




初代の手記に記されていた“向こうの世界”は、とても平和な場所だという。


それなのに、何故、魔獣に身を堕としてまで、“外の世界”を目指すのだろう…。





ゆらゆらと、思考が揺れる。
浮かんでは消える、その想いを、段々と、白が埋め尽くしていく。





白く染まりゆく思考の中に、何故かはっきりと浮かぶ黒。




眉間に皺を寄せ、不機嫌を露わにし、こちらを見据えてくる金の瞳。










――あぁ、帰ったら、盛大に溜息吐かれるんだろうなぁ…。







白の世界で、ただ一人だけ、その姿をはっきりと現す、黒の青年に向けて、緩く微笑む。






ー―まぁ、元気になったら、帰るから。









――しばらく、おやすみなさい。

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