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26返してなんか、やらない。

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――何が、“元”婚約者、だ。



ギリ、と噛み締めた歯が、軋む音が響く。


目の前で繰り広げられる光景に、ユラリ、黒い、靄のような感情が腹の奥底に渦を巻く。



己の意思で手を離したクセに、身内顔で、当たり前のように彼女の傍に立つ。


手を伸ばせば、振り払われることなど無いと、わかっているクセに、掴もうとすること無く、彼女に触れる。


それらを、わかっていながら、受け入れる彼女にすら…。



――パキン、小さく鳴った音に目をやると、出されたカップの持ち手部分が欠けている。
指に、うっすらと朱が走る。

「――――、」

舌打ちと同時に治癒の魔術で朱を拭い去る。

持ち手が取れたカップにも、修復魔術を発動し、何事も無かったかのように、一口、喉を潤す。




窓際で手を取り合い、微動だにしない三人へと視線を向ける。



穏やかな表情で目を閉じているフリアとは対照的に、その手を重ねる二人の額には、汗が滲み、歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべている。

それでも、僅かでも声を漏らさないのは、矜持だろうか。





――“幼い頃から一緒に居て、兄弟のようにして育ったのよ。”



フリアの言葉が頭を過ぎる。

“元婚約者”と口にするとき、一度も、負の感情は感じられなかった。それが、不思議で仕方なかったが…。




――なるほど。そうか。

妙に納得している自分がいる。フリアにとって、あの二人の存在は、それ以上でも、それ以下でも無かったのか、と。

まさに、“兄弟のように”思っていたのだな、と。


そして、その“役割”を二人は演じているのだと。

フリアが、少しでも、負担に感じないように、己を責めることが無いように、平然と手を伸ばすのか、と。





きっと、フリアは知らないのだろう。あの、苦痛に歪んだ、必死の形相を。



それでも、その苦痛を負ってでも、手を伸ばすのは、あの二人が知っているから、か。

彼女がその苦痛を内に抱えながらも、平然と微笑むその姿を。
--故に、それ以上は、決して、と。






――あぁ、敵わない。

ふ、と視線をカップに移す。
満たされ液体には、情けない表情を曝す己の顔。


それでも、返してはやらない。


一度手を離した者と、手を伸ばそうとしなかった者の元へなど。

過ごした時間も、心の距離も、何一つ、今の時点で勝る物は無い。
己の本来の姿すら、曝せぬこの状況では、同じ場所にすら立つことが出来ない。

--悔しいと、思う。
だが、それだけだ。

まだ、先は長い。過去に縋ることが不要と思えるほど、これから、築いてゆけばいいのだ。





「―――うん、これでよし。」
「―――もう、目を開けてもいいぞ、フリア。」
「えぇ、ありがとう。」


先程まで、苦痛に耐えていたとは微塵も感じさせない表情で、二人はフリアに微笑む。

椅子から立ち上がり、三人が立つ方へと足を進める。

「それは、二人にしか、出来ないものか。」
「「―――?」」
「えと…、“魔力の巡りを整える”こと?」
「あぁ。」




――ひとに出来て、己に出来ないはずは無い。



そう、思ったの、だが。

「うーん、どう思う?兄さん。」
「そう、だな…。“マイアーに伝わる技”ではあるが…グレン殿は、魔術師であるし、魔力の巡りを掴むのは、他の者よりも優れているとは、思うが…」



目の前の兄弟は考え込んでしまった。



「試してみたらどうかしら。もし、グレンがある程度、二人の代わりをしてくれるのなら、二人が態々頻繁にここに来なくてもよくなるわけだし。」
「うーん、確かに、そうなんだけど…。」
「…だが、これは俺たちに与えられた役目でもあるのだし…そこまで、フリアが気に病む事では無いのだが。」



難しい表情で、互いを見詰める二人に、フリアは続ける。



「……ガロンには、“バイアーノ家うち”の事をお願いしているわけだし、シエルだって“マイアー家”を継ぐために、学ばなければならないことがたくさんあるはず。だから、そちらの方を優先して欲しいの。」



――あの二人にばかり、頼りきりになるのは、よくないわよね。

ついさっき、彼女の口から出た言葉が頭を過ぎる。

その後に続く言葉には決して同意してやるわけにはいかないが、フリアをこの二人から離せるのであれば、こちらとしても好都合だ。




「こちらでも、フリアにとって負担になることが無いよう、魔獣の討伐などは、要請があれば自由に許可する事になっている。それでも、追いつかない場合は、今のようなケアが必要なのだろう?
二人が、いつでも傍に居ることができない以上、フリアのことは俺に任せて欲しい。訓練が必要というのであれば、こちらから出向く。転移魔術は使えるので、そちらの都合で遠慮無く呼び出してくれて構わない。
--フリアを護る。俺では、力不足、だろうか。」




――我ながら、らしくないことを、長々と口にした事はわかっている。

わかってはいるが、ポカンとした顔で、こちらを見詰めるのは勘弁して欲しい。


―――居心地が、悪すぎる。

しかし、これくらい言わなければ、この過保護な二人は手を引かないであろうことがありありと感じられる。




「―――な、なんか…グレン、いつもと、違う…ような…熱でも、あるの?」
「………、確かめて、みる?」
「あ、いや、大丈夫。」

あまりにも場違いな事を口にするので、腹いせに少しからかうように一歩、フリアの方に近づいたが、引きつった笑みで躱された。




「ねぇ、フリアちゃん。」
「なぁに、シエル。」

呼ばれた彼女は、これ幸いと、シエルの方へと向き直る。

舌打ちを噛み殺して、大人しく一歩下がり、様子を見守る。



「――グレンさんは、信頼できる人…?」

--は?

突然何を言い出すかと思えば。
問いかけの意味を理解できずに、フリアを見ると、いつになく真剣な表情で、二人と視線を交わしていた。


「――えぇ。私にとって、“信頼できる”人だわ。」
「――じゃぁ、」
「そうだ、な。俺達が頻繁にここに来る事はできないから、な。」


―――話が見えない。



度々、世界を創り上げる三人について行けず、非難めいた視線を投げてしまう。



そんな俺に向かって、シエルが腹を括った表情で一歩進み出る。


「――グレンさんは、フリアちゃんを、大切にしてくれますか。」
「あぁ、」
「――!…じゃぁ、決まり、だね。グレンさんに、“マイアーの技”を使えるようになってもらう。」



考えるまでも無く、即答した俺に、一瞬目を見開いたものの、ふにゃりと力なく笑い、シエルは言う。

――“マイアーの技”。

それが一体何なのか、考えるよりも先に、ガロンが口を開く。

「さっき、俺たちは、フリアの荒れた“魔力の巡り”を整えていた。その、“魔力の巡りを整える”というのがマイアー家が代々受け継いできた技。その技を、グレン殿に使用できるようになってもらいたい。」
「僕たちが、いつでもここに来れるわけじゃないから…。グレンさんが、フリアちゃんのケアを出来るようになってくれたら、フリアちゃんが、辛い思いをしなくて、いいから…でも…」
「わかった。引き受ける。」



そのために、らしくも無い言葉を長々と口にしたのだ。
そちらがその気になってくれたのなら、断る理由は無い。








「――…少々、苦痛を伴うが…?」
「それがどうした。」

隣に並んだガロンが、小声で告げる。それに対して、同じく声を潜め、しかしはっきりと返す。



「――……シエル、外へ。」
「うん、フリアちゃん、少しグレンさんを借りるね!」
「ええ、いってらっしゃい。」




――なにか、甘いものを用意して待っているわ。



フリアに見送られながら、屋敷の外へ出る。

綺麗に整えられた畑の真ん中で、二人と向かい合う。




「フリアの事、よろしく頼む。」
「フリアちゃんのこと、よろしくお願いします。」
「あぁ、わかっている。」




――安心して、手を離すがいい。



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