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20愚か者の独り言。

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――彼女が心から嬉しそうに笑うのを、最後に見たのはいつだったか。

いや。

――あの子が心から嬉しそうに笑うのを、初めて見たのは、いつだったのか。

“緋色を綺麗と言ってくれた人なの。”

--そう言った彼女は、笑っていた。
――ずっと一緒に過ごしてきて、初めて見せた表情かおだった。
初めて目にして、思う。

--あぁ、最初で最後なのだろう、と。
彼女が心から、嬉しそうに笑う姿を、この目に映すのは。






「すまない、フリア。共に歩んでいきたい人ができた。もう、これ以上共には進めない。」
「――…そう。わかったわ。
今までありがとう。どうか、幸せに。」


あっさりとした幕引き。
なにかを期待していたわけでは無い。それでも、十年共に過ごして来たにしては、随分と穏やかな。

泣かないだろうとは、思っていた。彼女は、さといから。
驚かせてしまうだろうとは、思っていたが。まさか、祝福されるとは。

今日の夕飯の話をするかのような、何気ない様子で、全てを彼女は受け入れた。












三ヶ月前のあの日の事を思い出しながら、屋敷へと足を踏み入れる。

「--!旦那様ぁ!よかったぁ、戻って来てくれたぁ!」
「ローズ…」

扉が開くと同時に、最愛の人が胸に飛び込んで来る。
鎖骨のあたりで揺れる茶色をひと撫でしてから、告げる。

「“常夜の森”に行ってくるから、おとなしく待っているんだよ。」
「…え…“常夜の森”、に?どぉ、して?」

驚き、一歩下がった彼女と視線を合わせる。

「“護る”事が、役目だからね。ここで生きると決めたのだから、背を向けてばかりも居られない。」
「………。旦那様も…戦う、の?」
「いいや。俺に戦える力はないよ。それでも、俺は“バイアーノの力”を託されたから。だから、行ってくるよ。」

目を見開き、固まる彼女の横を通り過ぎ、与えられた部屋へと向かう。

先程渡された“吸魔の石”を二、三個取り出し、胸ポケットに仕舞う。


この討伐が終わったら、石に紐でも付けて、首から提げられるような加工をしよう。そう思いつつ、部屋に入るとクローゼットの中からフード付のコートを取り出す。
“常夜の森”から溢れる瘴気の中でも、このコートを羽織っていれば害されずにすむ。

――フリアがどこに居ても、側に行くことが出来るように、と、シエルと共にファム様が贈ってくれたもの。


身支度を調え、鍵付の箱に、袋を仕舞う。
魔獣の群れの大元を見つけるのに、石一つで数ヶ月は保つだろう。これだけの数、石があれば数十年かかっても使い切れるとは思えない。




「…さて、行くか。」

一呼吸置いて、窓から外に出る。玄関には、不安に瞳を揺らす最愛の人が居るのだろう、と思ったから。







「いってらっしゃいませ。」
「無事に戻られる事を、願っております。」
「どうか、フリア様を、よろしくお願い致します。」
「!!」

誰に会うこともなく、屋敷の門を潜り抜けたとき、かけられた声に足を止める。

門の先。屋敷の外には、ここに仕える執事やメイドが数人待ち構えていた。
どの人も、古くから付き合いのある人達ばかり。






「必ず、戻ります。」

その一言だけで、全てを察してくれたのだろう。深く、礼をして見送られる。

バイアーノの屋敷から、“常夜の森”はそれ程遠くはない。それでも、ゆっくりしてはいられない。日が傾くにつれて、森の瘴気は濃く、重くなっていく。日が高いうちに終わらせなければ。


暫くすると、領民が魔獣と戦っている場所が見えてきた。“吸魔の石”を左手に握り、意識を集中する。魔力の巡りを辿るのだ。

「部隊長!後ろだ、後方左の、紅く光る個体を狙え!」
「はっ!!」
「次はあれだ!群れの大元になっている魔獣には、紅い光を纏わせた!視界に捉えられる限り、全ての群れに対してだ!」
「畏まりました!全員、今の声は聞こえたな!?
紅い光を放つ個体を狙え!」
「「「はっ!」」」

言うが早いか、各々が群れの大元を殲滅しようと武器を持って駆けていく。





「…失礼を承知で伺いますが、ガロン様、ですよね。」
「あぁ。説明は後日させてもらうよ。今は、フリアの元へ急ぐから。」
「畏まりました。」

一族以外の人間が、バイアーノ家の力を使用した事が気がかりだったのだろうが、今は割愛させてもらう。

「でも、そうだな。“この力はフリアから借り受けた”とでも言っておく。これから先、光を放つ魔獣を見つけたら最優先で討伐を頼む。」

部隊長が了解の意を示したのを確認してから、森の奥へと足を進める。





どうやら、フリアの力を俺が使うと、大元の魔獣は紅い光を纏うらしい。

的確な指示を出せるのか不安だったが、これで指示の間違いは無さそうだ。それに、討伐する者としても、己の目でしっかり確認できる方が助かるだろう。










「………ガロン兄さん?」
「シエル?…どうして、ここに?」

先程の場所から少し離れた場所で、予想外の人物と出くわした。ここは、“バイアーノ公爵家の当主”が指揮する場所。

最も魔獣が湧き出てくる森の一角。



「怪我した人達を治癒してまわっているんだよ。ここは魔獣も多いし。――それに。」
「…そうか。」



シエルの言わんとする事は、わかる。なんとなくではない、確実な事柄。

“バイアーノ公爵”に、魔獣の群れの大元を見分ける力が無い、と。だから、戦いが長引き、怪我人が後を絶たないのだ、と。

二人の視線の先には、多くの護衛で周囲を固めた“バイアーノ公爵”が、手当たり次第に近くの魔獣を討伐するよう指示する姿。

フリアの母、ファムが存命中は、当人と同等の恩恵を受けていた男は、何故、群れの大元を見分ける事ができなくなったのか、理解できていないようだ。

石を握りなおし、周囲を見渡す。視界に入った群れの大元は、先程と同じように紅い光を放つ。





「紅い光が大元の証!一匹たりとも逃がすな!」



手当たり次第の討伐に、疲労を露わにしていた者達は、号令一つで役目を果たしに駆け巡る。





「…ガロン?…何故、その力を…?」
「お勤めご苦労様です。御義父様おとうさま。」

義父の問いには答えず、シエルと並んで前に立つ。






「ご心配には及びません。フリアから、少々力を借り受けました。“常夜の森ここ”はわたしたちに任せて、御義父様は屋敷にお戻りください。」
――連日の討伐でお疲れでしょう?

そう、言葉を投げると、不服そうに眉を寄せる。



「ガロン、何故、“血縁”ではないおまえが、その力を扱うことが出来る?それは、“バイアーノ”のみが使用できる力のはずだが。」
「わたしも、詳しいことはわかりかねます。しかし、マイアーは古来よりバイアーノと共に在ったそうですので、なにかしら、“縁”があるのかもしれません。」
「ガロン兄さんだけじゃ無い。僕も、フリアちゃんの力を借りてここにいます。フリアちゃんの力のおかげで、ほぼ無限に治癒の技を展開できます。ですので、傷ついた領民はお任せください。」



言葉を引き継ぐように、シエルが一歩前に出る。

振り返るシエルに頷いて気付く。

普段ならば、薄い金色を宿す瞳が、若干ではあるが朱が混じり、金赤ブロンズレッドに輝いている。

鏡で確認出来ないので確かなことは言えないが、もしかすると己の瞳の色も普段と少し異なっているのかもしれない。
間違いなくフリアの魔力の影響だろう。

二人の視線を受けたバイアーノ公爵は、いくぞ、と吐き捨てるように呟き、こちらに背を向ける。

「ガロン兄さんは、フリアちゃんのところに行くの?」
「あぁ。フリアは“祠”に向かった。俺にできる事なんて何も無いようなものだが、“魔力の巡りを整える”手助け程度なら出来るだろうから、な。」


「…そう、じゃぁ、フリアちゃんをお願い。僕は、怪我人を治癒してからそっちに向かうよ。」
――役目をそっちのけでフリアちゃんのところに行ったのがバレたら、怒られちゃうから。

態と戯けてみせるシエルの頭を一撫でして、互いに背を向け走り出す。







――道が分かれても、目指す場所は同じ、と、信じて。



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