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水守伯爵と猫獣人
しおりを挟む「――早いとこ追っかけた方がいいっすよぉ」
「っ!? え、えっ! な、なにっ!?」
社へ向かおうと歩き出した時、明らかにおれに向けて発せられた言葉に辺りを見渡す。
そう言えばさっきもこの声の正体を確かめるために鎮守の森へと足を運んだんだった。
気配は感じないけれど、どこかに誰かいるのかもしれない。
用心深く辺りを見渡していると、腕の中の白猫がぴょい、と地面に降り立った。
「ここですよ、ここ。お兄さんに話しかけてるの、俺」
「ね、猫が喋ったっ!? へぇっ!? な、なんでっ!? えぇっと、もしかしてきみ、精霊様だったり、する?」
精霊様は様々な形を持っていらっしゃるらしいけれど、確か動物の姿をとる場合も多いと聞いた事がある。
もしかしてこの子もそういう感じの子だろうか? いや、しかし精霊様に祝福を頂けなかったおれに精霊様が視えてしかも、お声を聞けるなんて絶対にあり得ない。
「んー……まぁ、今はこんな姿ですけども、一応獣人としてやっていく予定なんですよねぇ」
「獣人が獣形態になれるなんて聞いた事ないけど……」
「まぁまぁ、いいんすよ俺の事は。それよかお兄さん、あの方のこと早く追ってくださいよ。ヘソ曲げられちゃぁ敵わんです」
やれやれといった風に肩(たぶん)を竦める白猫を唖然として見詰める。
獣人はもっとこう、お堅いイメージがあったので、目の前で飄々と話す彼に対して情報の処理が追いつかない、
「――追いかける? あぁ、あの子を?」
「そうですよ、今すぐです。早けりゃ早いほうが良いです」
「昼食を摂りに行っただけだよ? さすがに社までの道程で迷子になることは無いから心配要らないよ」
ぐぐーっと首を上に向けて話しにくそうだったので、視線を合わせるためにその場にしゃがみ込む。
かち合った瞳の奥になぜか呆れを滲ませている。
「はぁ……。どうしたもんかねぇ。下手なことも喋れねぇし……。まぁ、まだあの方には――」
「エルヴィス? そこで何してるの?」
「「チェスター!」……ぇ、きみたち知り合い?」
「はぁ? 僕に猫の知り合いなんて居るわけ無いでしょ! しかも喋る猫! そんな希有な存在、兄姉達に知れたら大騒ぎだよ」
おれを追いかけてきたらしいチェスターを視た途端、白猫はダッと駆けていきスルスルと慣れた様子で彼の肩まで登っていく。
てっきり知り合い、というか飼い主はチェスターだったのかとすら思ったのに、あっさりと否定されてしまった。
「俺はチェスターと契約するんで、お兄さんは早くあの方を追ってくださいよ」
「あー、うん。そこまで言うなら行ってくるよ。たぶん迷子にはならないと思うけど……」
「え? 契約? どういう事? 契約って精霊様と交わすものじゃないんだけど……?」
白猫が何度も彼女を追えと勧めてくるので、彼女が消えた方向に身体を向ける。
チェスターが困惑した様子で何か言っているが、それは当事者同士で解決してもらうしかない。
「追いついたらあの方の名を呼んであげてください。それだけで、万事解決なんで!」
「おれはあの子の名は知らないよ? 教えてもらってないから、呼べないな……」
走り出そうとした足は彼の言葉で動きを止める。
昨日出会ったばかりとは言え、未だに名を渡されていない間柄だ。なんなら肉声を聞いたのもさっきが初めてだ。
そんな相手に追われたところで何が解決するのだろうか。
「お兄さんの感覚でいいんすよ! これだっ! と思う名であの方を呼んでくだされば」
「――おれが、勝手に決めても、いいの?」
「決めるべきですよ! ――手放せないのでしょう?」
「っ!」
チェスターの肩に乗っていた彼は、瞬き一つの間におれの耳元へ頬を寄せて囁く。
視線を向けたときにはもう、チェスターの肩にちょこんと乗っていて。
ぞくりとするような低音で囁かれた言葉の意味を理解する前に、身体は勝手に動き出す。
「エルヴィス!? どこに行くの!?」
「大事な用事! じゃぁ、ゆっくりしていって!」
「こんな状況で僕を置いていくと言うのっ!?」
チェスターの悲壮感漂う言葉が晴れた空に吸い込まれて消えた。
駆けながら考える。
彼女に相応しい呼び名。
(清らかな蒼。澱みを知らない碧。清流と見紛うたっぷりとした質量を湛えた長い蒼。清水が満ち足りた聖域を移し込んだ碧。どれを取っても唯一無二で、決して穢れることはあり得ない静謐さを滲ませる)
(水神と崇めるにはあどけなく、水の精と評するには少し遠い。皆から愛され愛でられる存在。そう、たとえば水を司る姫だとか)
「でも、なんか、しっくりこないんだよな……」
(まるで誰かの二番煎じなようで)
「あの子は、おれにとって……」
絶対に叶わないと捨てた希望を拾い上げてくれた。これからも何かを諦めかける度に、彼女に救われる事があるだろう。
(彼女はおれにとっての希望だ。おれが水守伯爵として生きていくために欠かせない、おれだけの希望)
「ねぇ! 待って!」
彼女の背に向かって声を投げる。
進めていた足を止めたものの、その場で静止し動かない。
「おれね、きみともっと仲良くなりたい。色んなところに行って、たくさんのものを見て、聞いて、食べて……」
振り向かない彼女の背に向かってなおも言葉を投げかける。
「でも、外の世界で過ごすには、いつまでもきみ、って呼ぶわけにはいかないでしょう? だから……ね、ミズキ」
「っ!!」
効果音が付きそうな程、勢いよく振り向いた彼女の瞳は見開かれていて。
その目に宿す感情はうまく読み取れない。
やはり勝手に命名して名を呼ぶなんて迷惑だったのかも知れない。
「――み ず き」
「そう、ミズキ。おれは今日から、きみのことをそう呼びたい、と思ったんだけど、いい、かな……? ――め、迷惑だったら本当の――」
「みずき。……わたし、みずき」
浮かべた表情は輝いている。どうやら気に入ってくれたらしい。
きみはおれの希望だよ、と伝えたかったけれど、歩きながらくるくる回転する彼女の邪魔をするわけにもいかずそっと胸に仕舞う。
いつか意味を聞かれたときに、照れくさいけれどちゃんと教えてあげよう。
きみがどれだけおれの未来を明るく照らしてくれているのかを。
「――わたし、まだ、はなせ、ない。……じょぉず、に」
「そうだったんだね。気付いてあげられなくてごめん。昨日も今日ももどかしかったでしょう?」
「もどかしい、わかんない。でも、みんな、いいひと」
「ありがとう。これからよろしくね」
「いっぱい、おはなし、する。いっぱい、しゃべる、ように、なるる」
つたない言葉で途切れ途切れに話すミズキについ、頬が緩みそうになるのをなんとか耐える。
見た目は十七・八くらいなのに、話す言葉は幼児にも満たない。
そのギャップは狡いでしょう……。
「じゃぁ、お昼ご飯食べに行こうか。お腹空いたでしょう?」
「――あの、」
「ん? あぁ、あの猫獣人? あの子はチェスターに懐いていたから、彼に預けてきたよ。野に放ったわけじゃないから安心して?」
「――そう」
おれたちが来た方角をずっと見詰めるミズキに、猫獣人はチェスターと居ることを告げる。
見つけた猫獣人のことを心配しているのかな、と思ったのだけどおれの話を聞いた彼女の表情は動かない。
「……ねこ、いない。えるびしゅ、いや?」
「え? おれ? あの子の飼い主が見つかってよかったなって思うよ」
「えるびしゅねこ、すき」
「そうだね。猫は好きだよ。今まで触ったことがなかったからはしゃいじゃったけど、絶対に手元に置いておきたいわけじゃないから」
「そ、か」
ふむ、と煮え切らない表情のミズキ。
好きなものを手放す、という行為が理解できない、と言うことだろうか?
それともおれのことを、いくら好きでも手放す事ができる人間だと認識しているのだろうか?
「おれがなんでも手放せるってわけじゃないんだよ? あの子はチェスターと居たいと思って、おれもそれでいいと思ったから預けたの。――でもね、もし、ミズキがおれ以外の他の誰か……。例えば、チェスターを気に入って、彼の元へ行きたいと言い出しても、おれは絶対に手放してあげないよ」
「――?」
言葉の意味がわかっていないのか、盛大な疑問符を浮かべた彼女は困ったように眉を寄せる。
ケースバイケースを知らないのか、理解していないのか。
ミズキには知らないことが多すぎる。
ここで暮らしていくための、最低限必要な教養を急いで学んでもらう必要がある。
(まぁ、今はとりあえず)
「さ、ミズキ。行くよ」
「ん」
差し出した手に重ねられる、ひんやりとした温もりを無くすことがないように。
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