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水守伯爵と幼馴染み
しおりを挟む厳かに、けれど華やかな舞の奉納を背にして、盃を乗せた三方をゆっくりと床に置く。
「ねぇ、あの子本当に僕たちを怖がらないんだね。身体を舐め回すようにガン見されたときは何ごとかと思ったけど、案外可愛い子じゃん」
「あの子はおれが見つけたんだから、あげないよ?」
「わかってるって。僕は他人のものを欲しがるようなタイプじゃ無いからね」
盃を受け取って楽しそうに微笑むチェスターを一睨みしてから清水を注ぐ。
チェスターもおれも酒はからっきしだから、酌み交わすのは酒ではなく清水だ。
「チェスターはさ、あの子みたいにおれたちを怖がらない獣人を見つけたら。……どうする?」
「そりゃ歓迎するさ。――んでも、上に目を付けられない範囲の獣人だったらの話だけどね」
あはは、と乾いた笑いを浮かべる彼に少々同情的な視線を送ってしまう。
「まぁ、うちの兄姉超怖いしね。長子以外が目立つものじゃ無いよ」
「東領に居る限りはゆっくり羽を伸ばしていなよ」
「うん、そうするつもり。姉さんたちからしたら神の宿らぬ東領はハズレだからね。僕がここに留まりたい意志を示せばいくらでも居られるよ」
じゃぁ、ゆっくりしていってね。と一言告げて在るべき場所に戻る。
ここは参拝客を正面から見渡せる位置。
皆笑って手拍子で場を盛り上げたり、たまにしか会えない友と語り合ったり思い思いに楽しんでいるようで安心だ。
今日はちゃんと清水が用意されていたので、儀式の後も平常心で参加出来るのが嬉しいところ。
少し視線を端の方に向けると、エイダとミアに挟まれた位置にちょこんと座る彼女が目に入る。
何を見てそうなるのか、一人で百面相を浮かべる彼女に気づき、噴き出しそうになる。
真剣そうな表情をしたかと思えば驚いてみたり、拗ねたような表情も見受けられる。
(もしかしたら精霊様と意思の疎通をしているのかも知れない)
獣人に限らず感応性が高い者には、世界の至るところに存在する精霊様を感じることができるらしい。
中には姿を見たり言葉を交わすことも可能な者も存在するといわれている。
もしかしたら彼女はそのごく僅かな才能を得て生まれてきた者なのかもしれない。
(彼女が何者であっても、おれのものにしたい気持ちは変わらないけれどね)
本祭りも恙なく終了し、帰路につく領民の安全を願いながら撤収作業へと移る。
各地から贈られた神饌はお下がりとして社の外へ並べられ、そのまま食べることができるものは各自持ち帰り親しい者たちに分け与え、調理が必要なものはその場で大掛かりな炊き出しが行なわれ参拝客に振る舞われる。
一年に一度、豊穣を祝い神と食を共にすることで無病息災を願う大切な行事だ。
(朝食は一緒に食べられなかったから、昼食は間に合えばいいけど……)
チェスターの訪問や突然始まった探検? 探索? で結局朝食を共にすることが叶わなかったので、ササッとやることを終わらせて合流したいところだ。
さぁ、もう少しだ。と意気込んだのだが、背後から聞こえた足音に振り返る。
「あれ? どう、したの? 後はお片付けだけだから、きみは皆と一緒に昼食を――って、えっ!? ちょ、ちょっと!?」
おれの話なんて聞いていないかのような素振りで、躊躇いも無く腕を掴まれる。
状況を理解する間に身体は彼女に引かれて階段を登る。
「ぁぁあっ、ちょ、さすがにそれはダメだよっ! そこは、主祭神様の御神体をお祀りする場所でっ! って、なんでっ!? さっきちゃんと鍵かけたのにっ!?」
彼女が何をしたいのかわからないまま御神体を祀っている部屋の前に来てしまった。この扉の向こう側にはカラながらも御神体が祀られている。
制止の声など聞き入れられるはずもなく、彼女は扉へと手を伸ばす。
彼女の手が触れる前に、内側からゆっくりと開く扉に驚きを隠せない。
さっききちんと鍵を閉めたし、その鍵は今もおれが身につけている。
なんで、どうしてと思っているうちに御神体が露わになる。
一点の曇りも無い透明な水晶にぽたりと散った紅が妙に映える。
「えっ!? きみっ!? なにをっ!?」
ぽたりぽたりと水晶に紅が咲いていく。
いったい何を、と彼女を仰ぎ見ると息を呑むほどの碧が遙か遠くを見詰めている。
彼女から一瞬たりとも目が離せず、身動きもとれない。
研ぎ澄まされた鋭い刃のような気を纏った彼女はどこか神聖さすら感じさせる。
ふ、と纏う空気が一変し、緩やかな時の流れが戻って来た。
「だ、大丈夫っ!? ねぇ、きみ!」
「……だい、じょぉ、ぶ」
「っ! え、喋ったっ!? えっ!?」
「……えるび、しゅ――っ!?」
少しだけ俯いた彼女に問いかけると、はっきりと聞こえた声に驚き目を丸くする。
言葉を発してはっと顔を上げた彼女の顔にも驚きが浮かんでいて。
たどたどしくもわかる範囲で紡がれた己の名を聞き間違えるはずがない。
確かに彼女はおれの名を呼んでくれた。
そのことがとても嬉しくて、じんわりと幸せを噛み締めるおれを残して彼女は走り去った。
「――え……。……えっ!? ちょ、待って!」
階段を駆け下りた彼女が向かうのは幼馴染みのチェスターが座る場所。
まさか彼を気に入ったのだろうか、とチクリと胸を刺す痛みを覚えたがそれは杞憂に終わった。
彼女は座るチェスターの少し後ろのあたりに立って、畳を見下ろしている。
(精霊様がいるのかな……?)
チェスターもおれも、自慢じゃ無いけれど精霊様に避けられているらしいから、あの位置に精霊様がいらっしゃるとは思えないのだけど。
「わぁっ、またどこ行くのっ!?」
畳をジッと見下ろしていると思ったら、突然社の外へ飛び出す彼女を慌てて追いかける。
「エルヴィス、今の何?」
「知らないよ! おれだって驚いてる。とにかく追いかける」
社を出て参道まで出てきたが、ちょっと見る限りでは見当たらない。
屋敷の外へは出ていないだろうからここから見えないとすると鎮守の森に入った可能性が高い。
「あ……っんんんんっ!? こ、これっ!」
参道脇の鎮守の森から男性の声がする。少し高めの声はこちらまでよく聞こえる。
聞き覚えの無い声を不審に思い確認のため茂みをかき分けてそっと覗く。
チラリと見えた蒼は確実に彼女のものだ。
「え、やぁ、それはいいんすけどね……。それくらいの礼は返さねぇとなんですけど……これって……」
「ちょっと! こんなところに居たら危ないよ! って、わぁ! 猫だぁ! かぁわぁいい――ほぉら、怖くないよぉこっちにおいで?」
早くこっちにおいで、と彼女にかけるはずだった言葉は対象を変えて発せられる。
彼女の向かい側。そこには真っ白な猫がちょこん、とお座りをしていて。
大きく見開かれた瞳は金色に輝いている。
この世の者とは思えない美しさと壮麗さを纏う白猫の首根っこをひょいと掴んで振り向く彼女の表情はどことなく不満げだ。
「その猫、どうしたの? きみが見つけたの?」
首根っこを持たれてぷらーんとしている白猫に手を伸ばす。
一瞬、彼女の不機嫌度合いが増したような気もするが、問いかける前に渡された温もりに自然と頬が緩む。
「わぁ……ふかふか……。きみもおれを怖がらないでいてくれるんだね? 嬉しいなぁ……。ずっとこうして撫でてみたかったんだよ」
まるで絹を撫でているような手触りは、見た目通りに心地よい。
飼い猫でもここまでの毛並みはそうそう居ないのではないか。
この子が野生であるなら飼ってあげたいところではあるけど、こんなにも手入れが行き届いた子が野生であるはずが無い。
近くに飼い主が居ないか探すべきだ。きっと心配しているだろうから。
「ねこ、すきか」
「ん? あぁ、猫? うん、好きだよ。でも、おれ動物にもあんまり好かれていないみたいで、ずっと遠くから見てるだけだったから……。触れて嬉しい!」
「……そう」
たどたどしく問うてくる彼女はおれの腕の中でジッとしている猫に視線を落として、ついと逸らす。
「――ごはん、いく」
「――ぇ?」
とん、と参道に戻った彼女はこちらに背を向け歩き出す。
あんなに急いでここを目指していたのは、この白猫を助けるためだったのかもしれない。
社の片付けはもう少しで終わるから、それが終わったら合流して食事を摂ろう。
「きみの飼い主さんも探さなきゃね?」
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