堕ち神様は水守伯爵に溺愛される

れん

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水守伯爵は寝起きに困惑する

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 熱い、苦しい、目が回る。


 身体は休息を欲しているのに、目を閉じていてもわかるくらいに世界が回る。



 酒を口にしたのなんていつぶりだろう。
 ぼんやりとした記憶を手繰り寄せ、なんとか気を紛らわそうと足掻いてみる。


 あれはたしか、そう。



 神から加護が授けられるか否かを判定する十五の儀だった。

 初めて口にした酒気に当てられ、儀式の終了まで耐えきれずに昏倒したのだ。



 精霊の祝福も受けられず、獣人との契約もできず、身に余るほどの神力を持ちながらも神の加護さえも得られなかったうえに酒にまで弱いなんて。


 水の神を祀る一族が、その長子が酒に呑まれるなんてなんたることか、と父に詰め寄る血族の老人たちの姿は今でもしっかりと記憶に残っている。


 一族の重鎮たちは出来損ないのおれではなく、五つ離れた弟のアルヴァスがカエルレウム家の当主となることを望んでいたことも知っている。


 弟のアルヴァスはおれが神の加護を授かれないとわかった時点で精霊から加護を受け、水を司る獣人の中では上位と言われる人魚との契約を成し、十分強力な神力の発現すら認められていた。


 きっと十五の儀ではすんなりと加護を授かり、カエルレウム家の当主として名を挙げるのだろう。
 そう、周囲は確信していた。おれだってもちろんそうであるべきだと思っていたし、おれの存在がアルヴァスの道を塞いでしまっているのなら、家を出ようと思っていたくらいだ。



 しかし実際はどうだ。

 確かにアルヴァスは神の加護を授かったがしかし、当主として指名されたのはおれで。

 なんなら当主に立候補ではなく、当主に決定即譲渡という異例の家督相続となってしまったのだ。



 おれはなんとか父に思い直してくれと説得を試みたが、暖簾に腕押し糠に釘。全く以て相手にされなかった。しかも弟のアルヴァスさえ、この出来損ないのおれしか当主の器に相応しくないと言い出す始末。






 あぁ、酒に酔ったついでに要らぬ記憶まで引っ張り上げてしまった。

 はぁぁぁ、と夢心地で溜め息を永く吐き出したあと、先程とは違うどこかひんやりとしたものが布越しに触れきた感覚がする。



 心地よさをもたらすものの正体を確かめるため目を開けようとしたけれど、この清浄な空気が去ってしまうかもしれないと思うと意識に反して身体は言うことを聞かない。

 ひんやりして気がスッキリしたからか、抗いきれない眠気が襲ってくる。

 身体はこれでも耐えようとしていてくれたのだろう。

 段々と胸のモヤモヤや不快な火照り、世界の揺れなどが少しずつ消滅しているような気がする。



 もっとくっついていたくて、離れがたくなって潜り込んできた冷気に両腕を回す。
 ピクリと強張ったように動きを止めた冷気だが、またすぐにすりすりと清浄な空気が身体を満たしていく。

 澄んだ空気を感じながら、昼間に出会った獣人を思い出す。



 宝石を嵌め込んだように澄んだ碧の瞳をもち、清らかな流れを写し取ったかのような蒼の長髪。

 水神の化身である、と言われてもすんなり納得してしまいそうな美しさと、人ならざるどこか凪いだ雰囲気を纏う彼女。


 そこに佇んでいる姿は近寄りがたい空気を孕んでいるのに、食べ物を口に入れた瞬間変化した表情は花がほころぶように甘く、無邪気で。

 ついつい構ってしまいたくなるあの衝動はどこからやって来るのだろう。


 おれを怖がらず、避けることもしない獣人が初めてだから特別に感じているだけなのか、それとも別の理由があるのか。それすらも自分では掴めなくて。



 名はなんというのだろう。

 心を開いたら教えてくれるのかな。


 声は――きっとあの時聞こえたままなんだろうな。


 おれが困っていたから助けてくれた。その事実だけでもう、どうしようもなく手放しがたい存在になってしまって。


 もういっそのこと、中央に報告せずに囲ってしまおうか。
 見つけたのは自領だし、系譜はわからなくても鹿の獣人はそこまで珍しいわけではない。


 ここが無神の社だと気付いたようだから、もしかしたら《選ばれし獣人》かもしれないけれど……。それは本人が言わなければ誰にも特定できない事柄だ。


 おれと契約を交わした後にその事実が判明したところで、中央領でもおれと彼女を引き離すことはできないのだから。





 心の隅にどろりと黒い感情が渦を巻く。

 執着という名の感情は、今までおれが感じたことの無いものだ。きっとこの黒い気持ちを執着と、人は呼ぶのだろう。
 











「エルヴィス様、お加減はいかがですか?」

 いつの間にか深い眠りについていたらしい。
 扉の向こうからおれを呼ぶジャンの声にふと目を開ける。


 酒を口にした翌日とは思えない程にスッキリとした目覚めに驚く。

 こんなに綺麗に酒が抜けきるなんて弱い酒でもあり得ないことなのに……。


 きっと夜中に感じた清涼な心地よさのお陰でよく眠れたのだろう。なんて自分を納得させつつ、起き上がって布団をめくる。





「……。っ! ぇえっ!?」
「いかが致しましたか!? エルヴィス様?」
「あっ! ちょ、待って! 入っちゃ――」
「え、エルヴィス様っ!? こ、これはどういう事でございますかっ!?」
「待っ、ジャン! ちょ、落ち着いて!」
「これが落ち着いていられますかっ!? エルヴィス様、なぜ、お客様が、エルヴィス様と、同衾されているのですか!」

 おれの声を聞きつけ入室して来たジャンは、隣ですやすやと眠る彼女を見て血相を変えた。
 おれだって誰かに説明して欲しい。

 なんでこの子がおれの布団の中に入って寝ているのか。

 おれは昨日、たしかに一人で眠ったし、誰かを招き入れた記憶など無い。


 それなのに、なぜ……っ!?







「っ!!」
「うわっ! あ、あのね! こ、これは、そのっ! おれだってよく、わかってないんだ……け……ど……。え?」

 なんの前触れも無しに突然飛び起きた彼女。



 咄嗟に言い訳がましい言葉を投げようとしたが、状況を気にする素振りもないままたたたっと扉の向こうに駆けていってしまった。





「な、なん、だったの……?」
「エルヴィス様、後でお話をお聞かせ願います」
「で、でも、おれもよく、わからなくて……」
「お聞かせ願えますか?」
「――はい」


 ジャンからの圧に耐えかねて、犯してもいない罪を認めたような雰囲気になってしまった。


 酔いは醒めて気分爽快のはずなのに、理解できないもどかしさが燻る目覚めとなった。






「おはようございますエルヴィス様。お目覚め後すぐで恐縮ですが、エルヴィス様に急ぎの用事だと、チェスター様がお見えになっております」
「チェスターが? こんな時間に?」
「はい。なんでも急ぎ確認したいことがある、とか」



 本祭りが始まるまでまだ余裕はある。

 チラリとジャンに視線を向けると頷き返されたので、少しくらいなら対応してもよさそうだ。
 そうと決まれば準備にかからなければ。


 昨日よりも軽くなった身体で足取り軽やかに、身支度に取りかかる。


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