堕ち神様は水守伯爵に溺愛される

れん

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加護無し伯爵様は酔いつぶれる

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 エイダとミアに連れられて浴室へと消えていく彼女に手を振り、ぼふんとソファに腰を沈める。






「はぁぁぁぁ……! 可愛すぎる……っ! ねぇっ! 見たっ!? あの、洗髪中のとろんとした表情! おれに近づけるってのでもう十分離しがたいのに、あんなに! あんなに無防備な表情見せられたらもう、絶対に別れられない! おれ以外のものになるなんて許してあげられないよっ!」

 可愛いかわいいカワイイ。


 今すぐにでも契約して、この子はおれのと周囲に自慢したい。いや、あんな可愛い子誰でも欲しくなっちゃうだろうから、誰の目にも晒されない場所に囲っておくべき?




「エルヴィス様、さすがにもうお召し替えに取りかからなければ間に合いません。妄想は妄想のままとりあえずしまっておいてください」
「わっ、もうそんな時間っ!? ごめん、すぐ行くよ!」


 色々とイレギュラーなことが起こりすぎて軽く忘れかけていたけれど、今日は大事な祭事だった。



 そろそろ屋敷の門が開かれ、領民がやって来る頃合いか。


 祭事の順序を頭の中でイメージしながら急いで着替え、領主の座す位置につく。

 一つ二つと太鼓の音が響く。響く音に重なるように、笛の甲高くも清涼な音がその場を満たしていく。


 大祭の始まりを告げる祝詞を奏上し、この地に住まう八百万の神たちに日々の感謝とよりいっそうの繁栄を願う。

(あの子もそろそろやって来るかなぁ)

 湯浴みが済んだら身支度を調えて連れてくる、とエイダが言っていたので、もう少しかかるだろうか。



(獣人は神に仕える者を好ましく思うと言い伝えがあるから、おれのこの姿を見て、ちょっとでも心揺れてくれたら良いんだけどなぁ)





「この神酒は 吾が神酒ならず神の神酒 天の大神の醸し神酒 醸し神酒 幾久 幾久……っ!?」
「――? エルヴィス様……!」


 祭儀の最中、おれの異変に気付いたジャンが小声で何ごとかと問うてくる。


 大丈夫、と返したくても口をつけた杯から流れてくる酒の侵入を阻むためには無言を貫くしかない。
 祭儀の途中で動きを止めたおれに周囲の者たちも気がつき初め、ざわざわと不自然な空気が広がっていく。




「――あれ、これ清水?」
「ほんとうだ。ってことは、もしかして……」
「うそっ! 領主様の方が本物の……?」




 おれの祭儀と同時に領民へ振る舞われた神酒と、本来おれが口にするはずだった清水がどこかで入れ替わってしまったらしい。



 ざわりざわりと振るえる空気が次第に不安と心配の色に染まっていく。

 おれは領地の誰もが知っているくらいの下戸だ。薄めた酒ですら迅速に酔いつぶれる程の。


 祭儀で用いる酒は神に捧げるものと位置づけられているため、通常の酒よりもよっぽど強いものとなっている。

 おれは一口で潰れる自信がある。


 だがしかし、祭儀を途中で放棄するわけにはいかない。昏倒覚悟で呑みきったとしても、その後の進行に影響が出てしまう。


 この大祭における領主の位置づけはとても重要で、替えが効かない役なのだ。


(どう、しよう……。この儀式はおれ以外に行えない。代役を願える獣人もおれには……)


 誰もがこの先を憂い、息を呑む。

 そんな空気に似つかわしくない足音が背後から迫ってくる。


 たんたん、と軽い足取りでストンとおれの隣に座ったらしい彼女は傾けた杯を持って動けないおれを横から覗き込んできた。



『呑めないの?』
「えっ……っんぐっ!」

 澄んだ声が、耳を通り越して直接脳内に響く。
 驚いて声を出してしまい、少量の酒が口内を流れ込む。



「――っ!?」

 酒にむせているおれの正面にやってきた彼女は、おもむろに杯の反対側に口をつけ、おれの手よりも低い位置に杯を傾けた。





「――ぇ」

 スルリと干された杯に、再び神酒が注がれる。





『もう、飲んで良いの?』
「っ! ――この神酒は 吾が神酒ならず神の神酒 大地の神の醸し神酒 醸し神酒 幾久 幾久」




 彼女に視線を送ると、再び杯に口をつける。今度は彼女が下がらなくてもいいように、おれが杯を向こう側に傾ける。

 躊躇いもなく再び干された杯は、三度満たされる。




「この神酒は 吾が神酒ならず神の神酒 冥府の神の醸し神酒 醸し神酒 幾久 幾久」

 彼女が三度杯を干したとき、社に清涼な風が吹き抜けた。


 呆気にとられたのは一瞬で、次に聞こえたのは領民たちの歓喜の声だ。






「すごい! 精霊様が喜んでる!」
「精霊様、キラキラしててとっても綺麗!」
「見て! お社が精霊様でいっぱい!」
「エルヴィス様すごい! こんなの初めて見た!」
「新しい領主様、万歳っ!」



 精霊が視える者、感じる者は吹き抜けた風に乗ってやってきたのが精霊だと気付いたらしい。
 口々に凄い、綺麗、と喜び合っている。



 おれはなにもしていないけれど、きっと今年もこの領地は精霊に愛され平穏に一年を終えるだろう。





「……どう、したの?」
『いや、うーん……。なんでも……まぁ、みんな嬉しいみたいだし、いっかな……』



 感謝を伝えようと振り返った先には、もの凄く気まずそうな雰囲気を醸し出す表情の彼女。

 声をかけると再び脳内に直接声が流れ込んできた。




「エルヴィス様、そろそろ次に進まれた方が……」
「あ、そうだね。うん。進めよう」



 ジャンがそっと耳打ちしてくれたので、仕切り直しとばかりに背筋を正して礼をする。


 次は舞いの奉納だ。

 領地に住まう者達は物心ついたときから舞い始め、七つを過ぎてやっと社で舞うことを許されるが、実際に社で舞うのは一握りの精鋭たちだ。



 この日のために精進した成果を遺憾なく発揮してもらいたい。



 自分の役目はもう終えたとばかりに去って行く彼女の姿を目で追いながら、楽しんでくれたらいいなと一人願う。
 どうやら彼女は領主関係者席ではなく、領民が多く集まる場所に座ることにしたらしい。
 関係者席よりも舞いが近くで観覧できるからだろう。


 エイダとミアの間に腰を下ろした彼女は、瞳をキラキラさせながら社の内装や装飾品を眺めているようだ。




「エルヴィス様。少し横になられますか?」
「ううん、大丈夫。横になったらきっともう起き上がれないだろうから……」




 太鼓と笛の音を壁一枚挟んで感じつつ、ぐるぐると回る天上を仰ぎ見る。

 祭儀の際に供される神酒は一等強いもので、酒好きにはたまらないらしいのだが、おれにとっては物騒な代物でしかない。

 通常の酒なら一口でこんなに視界が回ったりしない。






「あとは最後の祝詞だけだから、なんとか頑張るよ」
「明日に残らなければよいのですが……」
「まぁ、明日は明日でなんとか動くしかないなぁ」




 本祭りは早朝から祭儀が開始される。
 この回りようじゃぁ、明日の朝一番で回復しきるのは無理だろう。




「明日はちゃんと、清水を頼むよ……」
「その節は誠に申し訳ございません」
「まぁ、しょうがないよね。開始前にあれだけてんやわんやしてたら、最終確認で抜けがあってもおかしくないよ」



 あはは、と力なく笑いながら思い出すのは彼女の声。

 あのとき確かに彼女の声を聞いた。耳から入ってくる音ではなく、頭の中に直接響く澄んだ声。







「エルヴィス様、お時間です」
「っ、あ、ありがとう。行ってくる!」

 うつらうつらとしていたらしい。トーチの声にハッとして立ち上がる。
 少しくらりとしたものの、なんとか役目は果たせそうだ。






「はぁ、なんとか今日を乗り切ったね」
「一時はどうなることかと思いましたが、彼女に感謝せねばなりませんね」

 領民が引き上げた社の中。
 今日の片付けと明日の用意をするためトーチとジャンの三人で他愛ない会話を交わしつつ作業を進める。


 今日中にお礼をと思ったけれど、どうやら彼女は祭りの最中に眠ってしまったらしい。
 あんなに太鼓や笛が響き渡っていたのに、気にせず眠れるのには驚いた。


 楽しそうにしていた、と侍女二人が言っていたので退屈の末に眠ったわけでは無さそうなので安心だ。
 




「エルヴィス様、あとは我々で片付けておきますので」
「明日に残る酒は少しでも少ない方がよいでしょう。我々にお任せください」
「ありがとう二人とも。じゃぁ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 社の廊下を抜け、屋敷へと続く道を進む。


 今頃彼女は夢の中、か。などと思いながらしゅるしゅると帯を解き、着物を所定の位置へと戻していく。

 引き続き明日も使用するので、後ほど使用人が回収に来るが、できるだけ使ったものは綺麗になおしたい。




 
「はぁぁぁ……。明日、酔いが醒めてますように……」

 己の体質を恨みながら、ベッドへと身を沈める。


 一族の中で酒に弱いのはおれだけだ。神を祀る身でありながら、神と繋がる神聖な飲み物を身体が受け付けないなんて、情けなさ過ぎる……。




「どうして、おれなんかが当主なんだよぉ……」

 情けない声は誰の耳に入ることも無く、夜闇に溶けて消え去った。




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