堕ち神様は水守伯爵に溺愛される

れん

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堕ち神様と禊

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 エルヴィス青年に連れられて屋敷の中へと戻って来て正解だった。

 目の前に供えられた供物はどれも見たことが無いものだったが、勧められるまま口にすればもう、知らなかった時には戻れぬほどの衝撃を受けた。

 供物として定番の林檎でさえ、その芳醇な甘さにむせ返るほどだった。


 味覚というものはなんて素晴らしい祝福なのだろうと打ち震えた。
 人の世に留まりたがる神たちの気持ちが少しだけわかった気がした。



(でも、神のまま祀られていても味覚は得られないんだよなぁ。となると、理由はそれじゃないんだろうけど)
 あらためて味覚を持つ《獣人》として人の世に送り込んでくださった親神様に感謝の念を送る。
(――あぁ、でも親神様。わたしは神格を取り戻したとしても、このまま獣人として人間界に留まりたいと思ってしまいました!)


 それくらい、口から物を食べる素晴らしさを学んでしまった。



 ――『学ぶべきはそこじゃないんですけれどね……』なんて、親神様の溜め息が聞こえてきそうだ。






「――ねぇ、ちょっと、いいかな?」
(エルヴィス青年……? そんなに怖い顔してどうしたの?)



 歴史的体験に打ち震えていると、なにやら畏まった様子のエルヴィス青年が居住まいを正すのが見えた。




「――お風呂……嫌い?」
(あぁー……そっかまた、そこからか……)


 風呂という単語に条件反射で身構えてしまったが、別にわたしは禊ぎが嫌いなのではない。
 むしろ水はわたしの領分なので、荒れ狂う濁流でさえ恐れをなす必要性などないほどだ。


 言葉を持たないということがこうも不便だとは思わなかった。言語というのは地上界で生きるためには必要なのだなと痛感する。






「じゃぁ……えっと。もしかして、どこか怪我、してたりする? お湯がしみるから、今は嫌いなだけ?」


 禊ぎが嫌かと聞かれ首を横に振ると、またひとつ問いを投げられた。

 それにも同じように返すと、困った視線を向けられる。







「えっ!? ちょ、どこ行くのっ?!」
(言葉で伝えられないのなら、行動で伝えればいい)



 焦るエルヴィス青年の手を引いて、少し大きな水の気配を探して廊下を歩く。
 ぐいぐいと引くわたしに逆らえず、目を白黒させつつも体勢を整えついてくる彼の表情が忙しない。





「え? ここ……中庭だけど……って! ぇえっ!? ちょ、何してるのっ!?」
(禊ぎが嫌いでないことを体現しているんだけど、な……)


 辿り着いたのは少し開けた庭らしい。地下から湧き出る水を汲み上げているらしい。
 わたしがちょうど浸かれる程度の水位を湛えている池のような物の中に足を踏み入れる。

 躊躇いがあっては伝わらないだろう、と思いっきり。勢いよく。
 ばしゃん、と水飛沫があがり、頭の上から爪の先までビショビショになったわたしを見てエルヴィス青年が驚き叫ぶ。




「ちょ! こっちにおいで! もう秋も半ばだよっ! 風邪引いちゃうから、ほら!」


 おいで、とこちらに腕を伸ばすエルヴィス青年を横目に、ちゃぱちゃぱと水を頭にかけたり潜ってみたり、禊ぎが怖くないことを身体で表したつもりなのだけど……。




「とりあえず、水が怖いわけではない、ってこと?」

 ちょっと疲れたようなエルヴィス青年の言葉に、勢いよく首を縦に振る。




(そう! 温かくなければ大丈夫なの!)
「この季節は冷たいでしょ、水。寒くはないの?」

(全然! わたしに水温はあってないようなものだよ?)
「……よし。わかった。――エイダ、準備を」
「一通りこちらに用意しております」

「……、ありがとう。さすがだね」
「ちょっとここに座って?」




 ここ、と指されたのは水を囲う壁の一段低くなった場所。エルヴィス青年の正面だ。




「嫌だったら、ちゃんと教えてね?」
「エルヴィス様、わたくしどもが」
「いいの。おれにやらせて」



 エルヴィス青年に背を向けて座ると、濡れた髪に触れられる感覚がする。くい、と後ろに引かれエルヴィス青年を見上げる形で固定される。



「……そ、そんなに見詰められると、ちょっと照れる、んだけど……ま、いいか」




 見上げた先にはにかむエルヴィス青年。何が始まるのだろう、と瞬きを数回する間にそっと髪に差し込まれた指が躊躇いがちに、わしゃわしゃと髪を絡めながら動く。




「痛くない?」
(な、に。これ……。すっごく気持ちいいっ!)

 さわさわと絡め取られる髪の一つ一つに感覚が巡っているような心地よさ。
 頭を撫でられたり、髪を梳かれたりするよりももっとこう、ふわふわと眠気を誘うような、そんな不思議な感覚。



「きみの髪、すっごくきれい。今まで野良だったなんて信じられないくらい」
(あぁぁぁ、気持ちいぃぃぃ……。これ、ずっとしてくれないかなぁ……。これが地上界の禊かぁ……。至福すぎる……)


「これ、気持ちいい? おれよりエイダやミアのほうが上手だから、そっちのほうが好きになっちゃうかなぁ。でも、たまにはおれにもやらせてね? ――うん、約束」


(エルヴィス青年でも十分気持ちいいのに、それよりも上手い人間が居るとか、地上界恐るべし。こんな気持ちよさを知ってしまったらもう、ここから離れられなくなってしまうじゃないかぁ……)




 長く留まる予定ではないはずだったのに、なんかもうすでに離れがたくなっている自分がいる。

 あぁ、地上界とはなんと怖ろしい場所なのだろう……。


 すでに堕ちているわたしをより深いところまで堕とし尽くそうというのだろうか……。





「おーい? 起きてる? あぁ、起きてるね。髪、流すからちょっと冷たいかも……。顔にかからないように注意はするけど……、もうちょっとだけ頭こっちにちょうだい? うん、ありがと」

 エルヴィス青年の掌が頭の下に添えられる。そのままわしゃわしゃされながら、額の方からゆるゆると水が流れていく。たまに横の方にズレる水流は、そっともとの流れに戻るよう調節する。
(……ちょと難しい。もうすこし神力があれば簡単なのにな……)


 一度身体に神力が満ちたおかげか、薄らとだが水を操る権能を取り戻した。神力を満たせばいずれ、元の権能を地上界で使用する事ができるだろう。


(まぁ、普通に生活する分にはあまり必要としないし、急いで神力を補給する必要はないのだけど)





「よし、これでおしまい。あとはエイダとミアに任せるよ。……でも、ここは遮るものがなにもないからな」
「人間と違い、獣人は他者の視線など気にならない生き物ですよ?」
「そうかもしれないけど……。おれが気になるんだよ。この子はおれにとって、大切な女の子だから。――そうだ! おれの浴室を使ったら良いよ! あそこなら浴槽に水を溜められるだろう? 行こう、アクア」



 エルヴィス青年の提案で、この場所から移動するらしい。頭からつま先までびっしょり濡れているから、屋敷の中を通るには気が引ける。




「エルヴィス様、トーチ様お下がりください」
「はーい、お客様。ちょっと失礼しますよぉっ!」
(っ!? なにっ?!)



 エイダの声が聞こえたと思ったら、眼前に幕が立ち塞がった。わずかな隙間からスルリと入り込んできたミアは、あっという間にわたしの衣服を剥ぎ取った。驚く間にサッと新しい衣服を着せられて、濡れた髪を布でくるまれ留められた。



「さぁ、これで気兼ねなく屋敷を歩けますよ」
「まったく、エルヴィス様もトーチ様も男の人って気遣いできなさすぎですぅ!」
「――ご、ごめん。……えっと、じゃぁ、行こう?」


 差し出された手を取って歩き出す。
 
 エイダとミアはどうやってわたしが考えていたことを知ったのだろう。
 言葉にしなくても相手の思考が読める能力でも持っている、とか……?


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