堕ち神様は水守伯爵に溺愛される

れん

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堕ち神様と井戸の中

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 ゆら、ゆら。




 心地よい群青に包まれながら光の梯子を眺め、うーんと伸びをする。





 井戸の水に触れた途端、空っぽの身体に怒濤の勢いで神力が流れ込んできた。

 あまりの量に一瞬息が詰まりかけたがグッと堪えてなんとか波を乗り越えた。







『龍神様っ! ご覧くださいっ!』
『人間が! 人間がこちらに!』

 声の指す方に視線を向けると群青の中に一点の朝焼けが溶けかけている。



「エルヴィス青年!? どうしてここに!」
『龍神様! いかが致しましょうっ!?』
『助けなきゃ!』

(でも、どうやって……?)




 ここから水面まではかなり遠い。水を操って外に飛ばすとしても果たして井戸の向こうに受け止めてくれるものがいるかどうか……。


(そもそも、この身体じゃぁ、エルヴィス青年を担いで外に出るのは無理だ)



『龍化なさればよろしいかと!』
『本当のお姿をお見せくださいませ!』

『りゅ、龍化っ!?』
(そんなっ、軽く五百年はやってないんだけど!?)


 親神様の社でのんびり過ごして居る間は、龍の姿になることなど一度も無かった。


 本来の姿に戻るにはかなりの神力を消費するが、この井戸水に触れた時に強制的に補給されたからきっと足りる。
問題はわたしが龍化の感覚を正しく思い出せるかどうかだ。




「……やるしか、ないか」

 全身に神気を巡らせながら、群青に揺蕩う朝焼けを目指して進む。
 水中で泳ぐ速度がグンと増した。

 龍化が問題なく完了したらしい。


 記憶の片隅にも残らないその姿だけど、動かす分には問題ない。忘れていても本来の身体と言ったところだろうか。


 地上の生きものに不可欠な空気をかき集め、朝焼けを優しく包み込む。

 幸いと言うべきか不明だが、本来持つべき龍珠は堕ち神となったときに失ったので憂うこと無く両腕が使える。


 空気と水で玉を形取り、壊さないようにそっと掌に収める。
 差し込む梯子を全速で駆け上がり、水面を破って外へ飛び上がる。




 勢い余ってカエルレウム家を真上から見下ろす位置までやってきてしまい、慌てて地上付近まで高度を下げる。


(龍化は神力使うなぁ……)



 急激に満たされたと思っていた神力は井戸の外に出た瞬間からあっという間に枯渇していく。
このままではもろとも地面に叩きつけられてしまう。それは避けたい。


(あ! いいところにっ!)



 井戸の近くに座り込む獣人を見つけてホッとする。

 あのひとは絶対にこの青年を守ってくれる。



(はーい、じゃぁ、エルヴィス青年をよろしくね)
「エルヴィス様! ……っ、あなた様は……っ!?」




 体の大きい龍体での力加減は本当にどうしようも無く難しいので、エルヴィス青年を地面に叩きつけてしまわないように細心の注意を払って獣人の真上にて手を離す。


 わたしの行動に呆然としつつも、降ってきたのがエルヴィス青年だとわかると慌てて抱きとめてくれた。





(濡れちゃったね、ごめん)



 頭から水球を被った獣人と、水に落ちてきた青年はともにびしょびしょのぐちょぐちょだ。
 せめてもの優しさで水分を二人から分離する。





「あのっ! あなた様は、もしや……っ!」
(あ、これダメなやつ。もう無理限界。体が重いっ!!)

 何か言いかけた獣人の話を聞こうかと一瞬その場に留まる努力をしてみたが、ごっそりと抜け落ちた神力のせいで龍化した体を支えられず真っ逆さまに井戸の中へと逆戻りだ。




 本日二度目の急速回復に身体の至る所で悲鳴があがる。龍化したままでは痛いところが増えるだけだと察してすぐに姿を変えたが効果があったのかは謎だ。



 少しの間、水中を漂っていると徐々に痛みが引いたので水底の岩場に腰を落ち着ける。
 ホッと息を吐き、改めて周囲を見渡すと地上では想像できない数の眷属が思い思いにそこに在る。







『龍神様! お久しゅうございます!』
『戻られたのですね! お待ちしておりました』



 するすると水をかき分けこちらに泳いで来たのは見るも鮮やかな錦鯉だ。赤や白に黒、それと金色なんかもいる。二色や三色の掛け合わせなんかもあって見ているだけで楽しい光景だ。



『さっきは教えてくれてありがとう。おかげで無事に送り届けられたよ』
『お褒めに与り光栄です』

 岩陰に隠れたナマズに声をかけると、そろそろと顔だけ出して照れたようにまた岩陰に引っ込んでしまった。
 嫌われてはいないようだけど、打ち解けるには時間がかかりそう。







『りゅうじんさまだぁ! はじめてみたぁ!』
『こらっ! 失礼ですよ! 申し訳ありません!』
『いいよいいよー、気にしない気にしない。それよりさ、ここに一番詳しい子って誰かな? その子とお話ししたいんだけど……』

 ひらひらと優雅に鰭を踊らせながら泳ぐ金魚に声をかける。成体だけじゃなくちゃんと幼体もいるからこの神域はまだ生きている。






『きみがここに一番詳しい子、かな?』
『はい! 生まれて千年ほど、この神域で過ごさせていただいております』
『わぁ、ベテランさんだねぇ』



 くるんくるんと踊っているように水中を泳ぐナマズは先程の子とは違って社交的らしい。




『きみはわたしよりも下界に詳しそうだから、色々質問してもいいかな?』
『もちろんです! 知る全てを我が主に!』

 長い髭を鞭のように振り回しながら、気合いを入れているらしいナマズに思わず笑いがでる。





『まず、どうしてこの場所にしか眷属がいないのかな? 外で暮らせる者もいると思うんだけど』
『それは……。井戸の外は我らの神域では無いからです。龍神様の神気がこの井戸の中のみに留まっておられるので……』
『確かに、清浄な気は屋敷全体から感じられたけど、神力が満たされるのはこの井戸だけみたいだね。……って、あれ? わたしここに来てからずっと普通に喋ってる……?』


 今更ながら気付く。


 そう言えばいつの間にか親神様からの加護が消えている。
 いや、消えているというか薄れている? 弱まっている? とにかく井戸の中では地上よりも加護の効力が弱まるらしい。
 この中に満たされている神力のおかげだろうか。




 そもそも本来なら屋敷全体に散っていなければおかしい神力がこの井戸だけに留まっているのはなぜだろう。
 神域に住まう眷属たちは神力の中でしか過ごせない。


 神が社を定め、神気を巡らせることではじめて神力が満ちる神域になるわけだけど……。



『ここは一度も主祭神を立てていないって聞いたけど、ほんとう?』
『そう、でございますね。人間の記録では一度も、この社は神を受け入れてはおりません』
『そんなことって、あるんだ……』






 ならばこの眷属たちは、この屋敷が建ってからこれまでずっと外の世界を見ること無く過ごして来たのか。それはちょっと可哀想な気がする。





(でもなぁ、それはちょっとおかしいんだよなぁ。そもそも主祭神が居ないのに神域は創られないはずなんだけどなぁ。特定の《神》を明確に定めないと、箱だけできてもこんなにしっかりとした神域が完成するわけ無いはずなんだけどなぁ)




 決して短くはない記憶を引っ張り出し、これまでにそういう不思議な出来事があったのか思い出そうとするも、そもそも生の大半をグダグダ過ごして来たわたしの記憶が当てになるはずもなく。

(あーでも、ここはククヌチ神を定めて建てられた社だから、ククヌチ神が降りていなくても一応の神は定められているってことなのかなぁ)


 わたしの乏しい知識の中ではこの仮説を真とするより他に説明のしようがない。





『恐れ多いと十分承知で申し上げにくいのですが、龍神様にお願いが……』
『ん? なに? 大したことはしてあげられないけど、わたしにできることなら』




 神域を管理するために生まれた眷属は、主人に付き従うことで満たされ、眷属の格を上げていく。
 長い間放置されたこの子たちの願いはなるべくなら聞いてあげたい。


 まだ社を定めていない、水にまつわる神を紹介して欲しいと言われたら、どうにかして親神様に伝言を頼んであげるくらいはしてもいいと思っている。




『どうかっ! どうかこの場所を、あなた様の社と定めていただけませんかっ!?』
『えぇぇぇえっ!? え、どうして!? わたしには無理だよ! だってわたし、堕ち神だし!』
『おちがみってなぁに?』
『りゅうじんさまは、りゅうじんさまでしょう?』

 わたしたちの話を聞いていたらしい金魚の幼体がわらわらと集まってくる。


 成体が慌てて散らそうとしているが、数は圧倒的に幼体が多い。成体には悪いが、ただただ水中を舞っているようにしか見えない。





『堕神っていうのはね、悪い神様だよ。良い神様になれなかった、悪い神様』
『わるい、かみさま? でも、りゅうじんさま、いいかみさまでしょ?』
『ここのおみずと、おなじにおいがする』
『あたしたちのあるじさまの、おみずだよ』
『うーん、もしかしたら、姉神様たちの誰かの社になるはずだったところかもしれないね』




 神力にも個人差があるから、なんとも言え無いけど。でもだいたい同系統の神は似たような神気を纏うから、その線は捨てきれない。

 でもそうなるとなぜ、誰もここを社として定めなかったのかってなってくる。ここを統べる神はきっと強い神格を得るはずなのに。
 長年放置されてもなお在り続けるくらい強力で膨大な信仰が注がれているはずだから。








『りゅうじんさまが《やしろつき》になってくれたら、ぼくたちおそとにでれる?』
『おそとのせかい、しりたい』
『――っ!』

 っくぅっ! そんなキラキラした瞳で見られたら断固拒否なんて言い出せないじゃないの!
 さっきまで止めてた周りの成体たちも一緒になってこっちを見るんじゃ無いっ!
 なんなの! この、ものすごい罪悪感!

 姉神様達と関わりたくない。と言う気持ちと、わたしを見詰める眷属たちの期待に満ちた眼差し……。
 引くに引けないこの状況で出したわたしの答え。

『――しばらく、考えとくよ』

 これがわたしの精一杯だった。






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