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朝焼けの青年と出会う
しおりを挟むつん、つん、と頬を押される感覚で目を醒ます。
『お初にお目にかかります。わたくし金魚の精です。お目覚めください、龍神様』
『ぅん? あぁ、わたしあのまま寝てたのかぁ』
呼ばれるままにあたりを見渡すと、周囲に複数の金魚が集まっている。
親神さまが言っていたように地上界に降りても眷属との会話は可能なようだ。
地上については眷属の方が遙かに詳しいのでとても助かる。これだけでもなんとかやっていけそうだ。
『龍神様に天神様より言伝がございます』
『親神様から? なんだろう……』
神格を取り戻してこいと言われたけれど、具体的にどうすればいいとかの話しはなかったから、それだろうか。
修行しろとか、そういう感じの。
『下界に馴染むまで権能が使えないギリギリの姿で固定しているから、早くその身体に慣れるんだよ』
『余計な事を喋って大事にならないように、その姿の時に声は出せないからね』
『地上界で生活する上で大切な知識を得るまでは、おとなしくしていてね』
『水中に引き籠もっていないで、早く地上に出てきなさいね』
色とりどりの金魚たちが交互に言葉を発しては去って行く。
親神様に固定された姿という言葉が気になって、鏡はないかと尋ねるも水中にそんなモノは無く。
『龍神様っ! 大変です、人間がっ!』
姿を確認するには地上に行かなきゃダメかぁ、と肩を落としていると先程去っていたはずの金魚たちが再びわらわらと集まってきた。
『龍神様、人間です! 人間が湖に落ちてきましたっ!』
『えっ!? 人間って水の中では生きられない種族だよね!?』
誤って落水したのなら命にかかわる。どうにかしなければと、落ちてきたと言われる人間を探す。
(――えっ?)
『龍神様、な、なんかあの人間、こちらに近づいて来てはいませんか?』
『わたしもそう感じるんだけど……』
『あ、あの人間……ぁ、っく! 龍神様、申し訳ありませんっ!!』
『も、これ、以上は……っ! わぁぁぁぁあっ』
近付く人間から滲み出る気に恐れをなして、金魚たちはおろかその他の眷属たちも一斉に逃げ出した。
きっとこの湖の中で唯一あの人間と対峙できるのはわたしだけだろう。
『ねぇっ、こんなところまで来たら危ないよ? 人間は空気がないと死んじゃうでしょう? 早く地上に戻っ――ぇっ!?』
目の前まで降りてきた人間に早く地上へ向かえと伝えようにも方法がない。
どうしたものかと口だけ動かしてみると、突然腕を掴まれ引っ張られる。
(ちょ、ちょっ、なにっ!?)
困惑している間に水面が近付いて来る。
太陽の眩しい光で視界がいっぱいになった瞬間、ふわっと駆ける風が頬を撫でていく。
「だい、じょぅ、ぶ? みず、のんで、ない? くる、しい、とか、ない?」
ぜぇぜぇと荒い呼吸の合間に問いかけられたが、わたしからすると目の前の人間の方がよっぽど助けが必要に見える。
「エルヴィス様っ!? なんという無茶をされるのですっ!?」
「とー、ち。はや、このこ、を……」
湖の縁にたくさんの人間が立っている。
どの人も難しい顔でこちらを眺めているのがわかる。
(この人間、もう、限界だな)
現在地は湖のちょうど真ん中あたり。
わたしを引っ張り上げた人間は荒い呼吸を繰り返し、その場から動こうとしない。
おそらく、向こう岸まで進む力が残っていないのだろう。
それでもわたしが再び沈まないようにと、持ちあげてくる腕の力は弱まらない。
「だい、じょぶ、だよ……。ぜっ、たぃに、たすける、から、ね……」
(変な人間)
もう、自分の力で動くこともできないはずなのに、必死になって他人を助けようと励ますなんて。
(きみはわたしが助けてあげるよ)
この人間は、どういうつもりかわたしが溺れていると思って助けに来たらしい。
見ず知らずの相手を、こんなにも死ぬ気で助けようとする姿勢は理解できない。
けれど恩を仇で返すのは本意では無い。
少しずつ沈んでいく人間をそっと背負って水を進む。
わたしにとって地を歩くのも水中を移動するのも同じ容易さだ。
目的地まではすぐに到着する。
「エルヴィス様っ!!」
湖の縁で待つ人間に似た生き物に背を向け、この人間と同じ衣装を身につけている者に青年を引き渡す。
背後にいるたくさんの人間は何故か服を脱ぎ捨てていて、周囲にはチラホラ湖に浸かっている者までいる。
(集団で水浴びでもしに来たのか……?)
人間のよくわからない習性を見てしまったな、と思いながら再び水中に戻ろうと体勢を変える。
「お待ちください!」
(――まだ、なにかあるの?)
「あなたがこのまま去ってしまったら、目覚めた時にエルヴィス様が心配します」
(――なんで……?)
助けようとした者は無事だった。と一言伝えればいいだけではないのか。
なぜ、見ず知らずの者の安否をそこまで気にする必要があるというのか。
「あなたはわたしと同じ獣人ですね? 契約の輪をつけていないように見えるのですが、エルヴィス様に恐怖心を抱きましたか?」
(人間の青年に? なんで怖がる必要が?)
そもそも獣人てなに? わたしが地上界で過ごした記憶の中に、獣人という種族は存在しなかった。
獣は獣であり、人間は人間だったはず。
しかもわたしのことも獣人と言っていなかったか……?
『龍神様!』
『――ぅん? あぁ、白兎。どうしたの、そんなに慌てて』
『龍神様はあの者たちに付いていくのが良いです!』
どこからともなく現れた白兎は、あの人間たちに付いていけと言う。
神格を取り戻すのに人間の強力が必要、ということだろうか。
『龍神様、なにを迷うことがあるのです?』
『あの者たちは水神を祀る者たちです』
『龍神様にピッタリではありませんか!』
『感情を知るには、人間の中で過ごすのが一番だ、と天神様より言付かっておりますよ?』
『まぁ、そうなんだけど、さ。厄介ごとの気配しかしないから、ちょっとねえ……』
あの白兎たちも親神様からのお使いなのだろう。
ここは地上だから、水中の眷属たちでは簡単に姿を見せることはできないだろうし。
感情は人間がたくさんもっているから、感情を知るには人間の中で過ごす事が近道だと言うことはわかる。それは、その通りだと思う。
水神を祀る一族の者と出会わせてくれたのは親神様からの慈悲だろうということもわかる。
まったく正反対の火の神を祀る一族の元では、水を司るわたしでは過ごしにくいことは確かだ。
(でも……、でもなぁ……)
「っ!? トーチっ! あの子はっ!? あの子はどこっ!?」
「気がつきましたか、エルヴィス様。あの者は、まだ――」
白兎とやりとりしている間に、あの人間が起きたらしい。
背後で賑やかな声があがっている。
『あの者、気がついたようですね』
『え? あぁ、そうだね。これであの獣人、とかいう人間もわたしを引き留めたりは――』
「ねぇっ! ほらっ! こっちに!」
(――え?)
「大丈夫? もしかして自分じゃあがれない? おれの手に掴まって!」
白兎との会話に割り込んできた人間をジッと見上げる。
なぜか慌てている人間はこちらに手を伸ばしてくる。
どうしたものか、と視線を彷徨わせるもそこに居たはずの白兎はもういない。
「あっ、ごめん……。もしかして、おれのこと、怖い? おれが、怖いなら……他の奴を、呼ぶから……」
急に肩を落とす人間が不思議で堪らない。
あの人間に似た者も、この人間も、わたしに対して「怖いか」と問う。
確かにこの人間の持つ性質は、厄介だなと思うことはあっても、恐怖を感じるなんてとんでもない。
どちらかというと神にとってはとても居心地が良く、魅惑的で、離れがたい。
なにがなんでも己のものにしてしまいたいような衝動に駆られる部類の――
「――大丈夫……?」
(っ!)
視界に飛び込んで来るのは朝焼けの色。
輝く太陽を宿す瞳と交差する。
「えっ、ちょ、あれ……? 普通にあがれる、の、か……」
胸の奥に湧き上がるなにかをグッと押し込め、勢いをつけて陸に上がる。
地に足着けて水面を見下ろすと、同じように視線を返す人間のようなものが目に入る。
蒼に靡く髪は見慣れた自分のもの。驚愕を映す瞳の碧も、これが自分であるとを証明するのに十分なのだが……。
頭から生える二本の角と、背後でふさふさと揺れる尻尾。これは龍神の姿をとったときのもので間違いない。
龍化したのは五百年以上前ぶりなので、さすがに記憶が曖昧だが……。
どうして人形と龍化が混合された見た目になっているのか。
(親神様っ!? これってどういう……?)
「ぅわぁ……。きれい。きみってなんの獣人なの? おれ、はじめて見たよ」
(獣人? これが、獣人ってやつなの?)
「エルヴィス様、おそらく、鹿、ではないかと……」
鹿ぁっ!?
人間には鹿に見えるのっ!?
このどこからどう見ても龍の象徴みたいな外見なのにっ!?
珠かっ!? 龍珠を持っていないから、そうは見えないってことっ!?
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