堕ち神様は水守伯爵に溺愛される

れん

文字の大きさ
上 下
1 / 20

堕ち神は親神様に落とされる

しおりを挟む
 
 ふわふわの雲布団に寝そべったまま、下界の空を覆う暗雲を指でツイ、と滑らせる。
 雲の中では雷が発生しているらしく、夜空に複数の光が走り舞う。

(アレが地上に落ちたら土地が灼けてしまうだろうな)

 雨雲の中を駆け回る雷をひょいと摘まんでそのまま口内に投げ入れる。
 パチパチと爆ぜた雷は余韻も残さずスッと消えていった。






「ナナセ、今日はここに居たのですね」
「雨が降りすぎて困っていると苦情を入れてきたものが居たので。そもそもこれはわたしの仕事じゃありませんよね? 姉神様たちはどこで何を? 最近、サボりすぎじゃありません? だってこれは――」
「はいはい。言いたいことはよくわかっていますよ」

 ふわりと頭に下りてきた手を受け入れ、優しく梳かれる気持ちよさに目を細める。


 わたしがこの社に来てからザッと数えて五百年くらいだろうか。姉神様達の取りこぼしをちまちまと補助していたが、ここ百年ほどは毎日のようにあちらこちらから仕事が舞い込んでくる。

 当人達に直接文句も言わずに取りこぼしを請け負っているのは、こうして親神様からご褒美をいただけるからだ。まぁ、褒美がなくてもこの社に置いてもらっている恩があるので、細々とできることはするのだけども。




「ナナセが来てから五百年が経ちますね。そろそろ、自由が欲しくはならないのですか? たとえば、そうですねぇ。――地上界に降りたい、とか」
「ち、地上にっ!? 嫌ですよ! わたしなんかが地上に降りたら、また姉様や兄様に追われて、しまいます……」

 どんなに姉や兄の仕事で取りこぼしがあってその尻ぬぐいをしていても、直接文句の一つも言えない理由。それは単純にあのひと達が怖ろしいからだ。

 天上界で生まれ、地上界へと降り立ったわたしたち七柱の兄姉神は、全員が龍神として地上の水に関して調和を図る役目をもっている。

 熱湯よりも熱い水を操る姉や果てなく広い海を揺らす兄、乾いた大地に雨を運ぶ姉など、とても優秀な姉と兄をもって最後に生まれたのが、平々凡々な権能しか持たないわたし。



 一通りのことを全てできるけど、専門神と比べるといたって普通、一通り、だ。




「きっとあの時よりも、姉様たちの神格はあがっているはずです。神格を放棄した堕ち神のわたしなんかが地上に降りたら、今度こそ消されてしまいます……」

 神格は地上に生きるものたちの信仰の強さによって引き上げられる。その神を信仰する者が多ければ多いほどより強い権能と神力を行使する事ができるから、類似の権能を持つ他の神は自分にとって害でしかない。

 神たちは己の神格を上げるために、類似の権能を行使する神を消し去ったり追いやったりする。その分野の唯一神になるためには手段を選ばないと言っても過言ではない。

 つまり、何ごとも中途半端でなんでもできたわたしは、兄姉たちにとって排除する対象以外の何者でもなかったのだ。




「地上が怖いですか?」
「わたしが地上で過ごした年月はそう長くはないので、恐怖を感じるほどの思い出はありません。でも、姉様たちと兄様たちは怖いです。あのひとたちが天上界に戻ってくるなら、わたしはすぐにでも地上界へと降りるでしょう。もし地上界でもあのひとたちの脅威から逃れられないのなら、喜んで冥界へと渡ります」
「地上界を恐れているわけではない、ということですね?」
「はい」

 問いかけの答えに親神様は満足そうに微笑んで、わたしを抱き上げた。




「ねぇ、ナナセ。人間は、好き?」
「地上に住まう者を慈しみ守るのがわたしたちの役目と教えてくださったのは親神様です」
「ナナセにはね、もっとたくさんの感情を知って欲しいんだ。良いことも、悪い事も、全て飲み込んでなお、温かく包み込んでしまうような、そんな心を」


 片腕にすっぽりと収まったわたしの髪を優しく梳く手を感じながら、親神様の真意を酌もうと仰ぎ見る。



「ナナセは神格を放棄してからも、ずっと、地上界のために権能を振るってきましたね。それは、何故、ですか?」
「だって、そうしないと平穏と秩序が崩れてしまうから。世を保つのが、わたしたちの一番大切なお仕事です」
「――そうだね、うん。そんな貴女だからこそ、もう一度、神として為すべき事があるとわたくしは思うのですよ」




 親神様に連れられて来られたのは、社の中央部に湧き出る大きな泉。
 水面にふたりの影が差し込むとゆらり、映る景色変化した。

 水鏡の先に見えるのは大きな森の中央に堂々と佇む湖。
 遙か太古の昔から守られ続けたであろう広大な森は、ここからでも感じられるほど清らかに澄んでいる。




「貴女を地上界へ送ります」
「えっ!? お、親神様!?」

 普段と異なる様子の親神様を覗き込むと、瞳はどこか遠くを見詰めているようで。
 ぞわり、底知れぬ恐怖に襲われる。


 まるで、親神様がここではないどこかに行ってしまうのではという、漠然とした孤独感。



「あ、あのっ! わたし、なにかやらかしましたかっ!? ここに居られないような、なにか重大なミスを……!?」
「いいえ。貴女はよくやってくれました。ナナセが居るお陰でこの天界は常に清浄な気で満たされているのですから」
「えっ、じゃぁ、なんで……」
「さぁ、お喋りはここまでにして。……さようならを、しましょうか。世界が崩れてしまうまえに」
「親神様……っ?」


「――詳しくは眷属に聞きなさい。必要なことは全て伝えてありますから。――今度会う時は、きっと……」
「親神様っ! ちょ、まっ……!! っぅっわぁぁぁああっ!」



 ぽーん、と宙に放り出された躯は重さそのままに下っていく。
 視界に迫るのは広大な水を湛えた水鏡。
 息つく暇無くザブンと派手な水飛沫を撒き散らしながら深く深く沈んでいく。



 苦しくはない。元々わたしは水を司る神として生まれたのだから。
 水面を仰ぎ見るも親神様の姿は遙か遠く、もうぼんやりとした輪郭を捉えるのがやっとだ。



 水鏡から見えていた地上界の空が近付いて来る。

(今からわたしは堕ち神として地上界でどう生きろというのだろう)



 つぷん、と膜に弾かれるような感覚の後、眼下に広がる緑に目を奪われる。

 広大な森と豊かな大地。今朝方少しだけ降らせた雨の名残が太陽に反射してキラキラ輝き、宝玉のようだ。

 しばし見入った後、地に降り立つ方法を考える。
 このまま落ちればさすがに無事では済まないはずだ。
 どれ程の権能が使用でき、それを使うための神力が残っているのかわからない。

 目を閉じて意識を体内に集中する。


(あ、ダメだ。絶望的に神力が枯渇してる)


 無傷で地に足をつけることは不可能だと腹を括ったとき、突風に煽られ急激に方向転換させられた。
 グルグル揉みくちゃにされたあと目を開けると、視界に広がるのはほどほどに深さのありそうな池だった。


(親神様、もうちょっと、優しくしてくれたって……っ!)


 文句を言いたくても、ほんにんはおらず。


 再び派手な水飛沫を上げて水中に突入する。

 落ちた勢いのまま沈むに任せて仰ぎ見れば、水面に反射する太陽の光がはしごのように水中にも差し込んでいて。



(あぁ、きれい、だなぁ……)



 次の住処はここでもいいかな、なんて考えながらそっと目を閉じた。


しおりを挟む
お気に入り登録やしおり付けが励みになっております。感謝感謝です!コメントを頂けると喜びますので、お時間ありましたら気軽に話しかけてやってくださいませ……。
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました

かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中! そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……? 可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです! そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!? イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!! 毎日17時と19時に更新します。 全12話完結+番外編 「小説家になろう」でも掲載しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪

naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。 「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」 まっ、いいかっ! 持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

処理中です...