おにぎり食堂『そよかぜ』

如月つばさ

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さばの味噌煮

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「あのぅ・・・さばの味噌煮って出来ます?」

「鯖は、おいしいゴマ鯖がありますよ。お作りしましょうね」

 藍原由梨さんのご注文を受け、支度を始めます。


 ゴマ鯖は丁度今頃が旬です。

 マサバよりも脂が少なくさっぱりしておりますが、今うちの店にあるものは、ゴマ鯖の中でも程よく脂の乗った、とても美味しいものです。

 背中の模様もとても綺麗にハッキリして、鮮度も良いものをご用意しておりました。

 鯖の皮にばつ印の切り込みを入れ、熱湯に潜らせて霜降をします。

 お酒とお出汁と生姜を煮立たせた所に鯖を入れて、丁寧に灰汁を取り除きます。

 お砂糖とお醤油を加えて煮ましょう。

 身をふっくらさせたいので、あまり煮すぎない内に火からおろして少し冷まします。

 こうしているうちに、じっくり味が染みていくので、焦ってはいけません。

 もう一度火にかけたら、お味噌を入れてひと煮たち。

 再び蓋をしたまま冷まして、お皿に盛ります。

 お味噌を最後に入れたおかげで、香り豊かでふっくらとした鯖の味噌煮の完成です。


「うーんっ。良い匂ーい!」

 由梨さんの席にお運びすると、味噌煮の匂いを吸って、幸せそうに表情を緩ませました。

「いただきますっ。・・・わぁあ!鯖、やわらかーい!お味噌も美味しいですっ」

「本当に美味しそう・・・」

 葉子さんは皿を覗きこんで羨ましそうにしています。

「食べます?どうぞっ」

「えっ!良いんですか?!」

「そんなに見られちゃったら・・・ねぇ」

 由梨さんは笑いながら、ひとくち分けてあげていました。

「良かったらそちらの方も」

 由梨さんは、佐野雅紀さんの分も小皿に取り分けています。

「す、すみません。つい・・・あはははっ。ありがとうございます」

 受けとりながら、恥ずかしそうにそう言いました。

「私、兄弟が多いからこういうの慣れてて。皆で分けっこして食べるの楽しくて好きなんですよ」

 由梨さんは故郷を思い浮かべているのか、懐かしそうに目を細めました。


「ここは、のどかで良いところですねぇ。何だか日常からかけ離れてて、不思議なお店です」

 おにぎりを食べながら、由梨さんは店の玄関から見える景色を眺めます。

「それに、わんちゃんも可愛いっ。さっきからずーっと寝てますね、大人しくてお店の雰囲気にもぴったりな子ですね」

 その傍の席で、佐野さんは味噌煮も気に入ったらしく「まだあるので食べますか?」と、私がすすめてみると喜んで「ありがとうございます!」と、召し上がっていました。

「お若いのに、さばの味噌煮が好きなんですねぇ」

 葉子さんは、若いお客様に興味津々です。

「あははっ。さばの味噌煮は母がよく作ってくれていたんです。もう亡くなりましたけどね。何だか色々嫌なことがあって、でも頼りたくても母は居ないし。寂しくて、懐かしい味が恋しくなったんですよねぇ」

 由梨さんは高校生の時にお母様を交通事故で亡くされたそうです。

 話を聞くと、付き合いの長かった婚約者と別れてしまったり、新しく始めた仕事場で上手く馴染めなかったりと、大変な思いをされていたようでした。

「ほんっっとに、女の虐めってのは陰湿で、しかも男の人を味方につけるのが上手くて、たちが悪いんですよ。嫌になっちゃいますね」

 由梨さんが、少し怒り口調で言います。

「端から見てたら、そういう雰囲気って何となくわかるんですけど、女性同士の事って口出ししにくいですよね」

 佐野さんの言葉に、由梨さんは少しムッとした表情をしました。

「婚約破棄までしちゃったし。何か現実逃避したくて、ここまで来ちゃったって感じです」

「ここは静かでのんびりした場所ですから。温泉などはありませんが、ゆっくりしていってくださいね」

 私がそう言うと、由梨さんは「はい」とニッコリ笑って、温かいお茶をひとくち飲みました。


「由梨さんは日帰りですか?」

 葉子さんが、食器を洗いながら訊ねました。

「はい、明日また仕事なので。何か資格取ったりした方がいいのかなぁなんて、悩んでます」

「何かを学ぶことは良いことですもんねっ。若いから頭にも沢山入るでしょうし」

 洗い終わったお皿を私が拭き、葉子さんが食器棚に直しながら言いました。

「貴方は営業のお仕事とかですか?」

 由梨さんは、佐野さんに訊ねました。

「えっ。あぁ、いえ。一応、技術職です。まぁ、やみくもに資格だけ取っても仕方無いですし、何事も経験が1番物言いますし・・・多分」

「まぁ。そうですよねぇ。やっぱり今の仕事を続けていった方がいいのかなぁ」

 由梨さんは「はーぁ」とため息をつきました。

「それだけ悩めるのも、若くて選択肢があるから出来ることですよ。私のように歳も取れば、中々選ぶ余地も無くなってきますから」

 歳を負うごとに思うことです。若さは財産と言いますが、なかなかそのことには若いうちには気付けないものです。

「挑戦して、失敗して学ぶこともあります。悩むことで、人は色んな人の意見を聞いたりして、新しく気付く事もあります。辛いと思うことがあっても、続けることで次第に変わることもあり、得るものもあると思います」

 由梨さんと佐野さん、葉子さんまでも私をジッと見て話を聞いています。

「ただ、基本的には仕事は自分のためにやっているものだと思います。世の為人の為!と思っても、その本人が元気でなければ成立しません。由梨さんが、元気で居られる事を1番に考えて欲しいと私は思います」

「ここに来てくださったお客様は皆、私にとっては大切な人ですからね。それに、天国のお母様も望んでいると思いますよ」

 すると由梨さんは突然目に涙を浮かべました。

「ううぅっ・・・ありがとうございます」

 その隣で佐野さんがガタンっと席を立ちました。

「ちょっと僕、今日は帰りますっ」

 私の手にお代を置くと、頭を下げてから店を出ていきました。

「お母さんが居なくて、話聞いてくれる人も居なくて。ここに来て良かったです。懐かしいさばの味噌煮も食べられたし」

「それは良かったです」

「友達に話しても、結局みんな他人事で・・・みんな自分も大変だから仕方ないんですよね」

「そうですね」

 自分の心に余裕がない人が、他人の事を気遣う事は難しいのでしょう。

 由梨さんはその後、ぽんすけと外で遊んだり、ゆっくりお茶をしながら私達とお話ししていました。

「さてと。そろそろ帰らなきゃ。夕方の田舎道をのんびり癒されながら歩きますー」

 入り口で「必ずまた来ます!」と言ってから、夕空の下を帰っていかれました。

 9月と言えば、町の方はまだまだ暑さも残っているでしょう。

 ここは、夕方になると段々と気温が落ちてきています。

 最近ではわたあめを薄く引っ張ったような、ふわふわとした柔らかい雲が、夕方になると浮かんでいます。

 土手沿いや田んぼの一角には、ススキがちらほらと見られるようになってきました。

 もう少ししたら、この辺りの田んぼも金色に色付くでしょう。

 そんな風景を想像するだけで、心がほっと落ち着きます。

「ねぇ、ハルさん」

 葉子さんが、由梨さんの背中を見送りながら言いました。

「私、お給料いりませんからね」

「え?いえ、それはいけませんよ」

「私のお給料袋、用意してるの見ちゃったんですよ。でも本当に要らないんです。ここで働かせてもらうだけで。働くと言うか・・・居させて貰うだけで私は幸せなんです」

「・・・そうなのですか?」

 葉子さんはしゃがみこみ、足元にいるぽんすけの喉辺りを撫でています。

 ぽんすけは気持ち良さそうに、目を閉じています。

「皆、大変な思いをして毎日働いてるんですよね。そう思うと、私は凄く幸せだなぁって。こんなのんびりした、優しくてあたたかい場所に居て、美味しいご飯も食べられる。もう十分です」

 葉子さんはそう言って、私を見上げて微笑みました。

「そうですか・・・わかりました。では、毎日のご飯はもっともっと腕によりを掛けないとですね」

「あはははっ!今もすごーく美味しいですよっ」

「まぁ。ふふふっ。では、その美味しいご飯のために、畑の野菜たちのお世話をしにいきましょうか」

 私がそう言うと、葉子さんも立ち上がり「はいっ」とこぶしを作って気合いを入れました。


 日々の仕事に疲れ果てている方々に、少しでもここで肩の力を抜いてもらえますように。

 新鮮なお野菜を育てて、旬の美味しいお料理と、心を込めたおにぎりを御用意して、明日もまたお待ちしております。
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