おにぎり食堂『そよかぜ』

如月つばさ

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3年目のホタル

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「ただいま。あら、ぽんすけ。私が帰ってきたのがわかったの?」

 食堂の扉を開けてすぐの所で、ぽんすけがこちらを見上げて尻尾をぱたつかせていました。

「おかえりなさい!あ、さっきゲンさんから連絡ありましたよ。お昼にいらっしゃるみたいです」

「では、そろそろお料理の準備をしないといけませんね。でもその前に・・・」

 葉子さんがいるキッチンのカウンターに、持って帰って来た紙袋を置き、中身を取り出しました。

「わー!水羊羹!」

「タツ子さんがくださったんですよ。私がお見舞いに来るってわかってから、カフェの店員さんにお願いして病院まで持ってきて頂いたみたいです」

 さつま芋の水羊羹を冷蔵庫に入れて、冷やしておくことにしました。

 沢山ありますから、お客様と一緒に食べるのも良いですね。

「タツ子さん、具合はどうでした?」

 タツ子さんの息子さんから連絡を頂いたのは昨日。

 自宅の玄関の段差で足を滑らせて転んでしまい、頭を打ち付けたとのことでした。

 もう70歳も近い年齢だというのもあり、きちんと検査を受けておいた方が良いとの事で入院しているようです。

「手首は傷めてしまったようですが、それ以外は大丈夫みたいですよ。とてもお元気そうでしたし、退院の日も決まってるようです」
 
「あぁぁ、良かったですね!早く手首も治りますようにっ」

 手を合わせた葉子さんは、拝むようなポーズをとりながら、窓から空に向かって力強く祈っていました。

 私が子供の頃にお世話になった近所のおばあちゃんも、怪我が原因で入院し、その入院生活の中で認知症になり、最期は病院で亡くなってしまいました。

 その事が頭を過り、居てもたってもいられずに、タツ子さんのお見舞いに行ってきたのでした。

「土鍋ご飯の蓋を開ける瞬間って、特別ですよねぇ」

 火を止めて蒸らしている土鍋を見つめて、葉子さんが幸せそうな笑顔を浮かべました。

「そうですね、私も大好きですよ。よし。お出汁はとれたので、あとお任せしてもよろしいですか?」

「はーい!」

 葉子さんにお味噌汁をお願いし、私はおかず作りに取り掛かります。

 時刻は12時過ぎ。

 あら、ぽんすけが耳をピクリと動かしたかと思うと、店の外に掛けて行ってしまいました。

「どうも、こんにちは。ぽんすけが迎えに出て来てくれましたよ」

 大きな鞄を背負い、カメラを手にしたゲンさんが、ぽんすけと共に玄関にやって来ました。

「いらっしゃいませ。匂いで気が付いたのかしら?お料理はもう少しで出来ますから。お掛けになっててくださいな」

「いやぁ、助かります。もう腹が減ってね。食堂でご飯を食べてから写真を撮りに行くと、良いのが撮れる気がするんですよ」

 窓辺の席に腰を下ろし、荷物を床に置きました。

「ぽんすけ、お前さんちょっと太ったか?」

「あら、そうですか?」

「いや、心配になるほどとかじゃ無いよ。ハルさんや葉子さんとの暮らしで幸せ太りしてるんじゃあないか?」

 がははと笑うと、ぽんすけの頭をわしゃわしゃと撫でていました。


 ごま油を熱し、にんにくを炒めます。

 ごまの香ばしい香りが広がり、にんにくの焼ける匂いが食欲をそそります。

 豚肉に火を通し、空芯菜を加えてザッと強火で炒めていきます。

 豚肉がジュッと焼き付き、空芯菜は艶やかな緑となりました。

 お酒や中華出汁、お醤油で味をつけましょう。

 シャキシャキとした食感が楽しい、中華炒めです。

 こんがりとにんにくを炒めているので、食堂に広がる香りが食欲をそそります。

「あー、良いね。これ。腹が減る!」

 体を反らしお腹をさすりながら、今か今かとキッチンの方を見ていらっしゃいました。

「葉子さん、甘酢漬けを用意していただけますか?」

 梅干しのおにぎりに、そっと海苔をあててお皿に載せます。

「よし。ハルさん、出来ましたよ」

 葉子さんは、ミョウガの甘酢漬けを小鉢に盛り付けてくださいました。

 色鮮やかな赤っぽいピンク。

 甘酢に漬けたミョウガは、パリパリとしてさっぱり。

 口に広がる爽やかな香りが、湿っぽい梅雨の暑さを祓ってくれます。

 食堂名物、ほんのり甘い田舎味噌のお味噌汁をお盆に載せて。

 本日のおにぎり定食の完成です。


「うん!うん!」

 ゲンさんは頷きながら、大きな口で食事を頬張っていきます。

「いやぁ、旨い!いつ来ても、何食べても本当に旨い」

「まぁ、ふふっ。ありがとうございます」

 窓の外に目をやると、土手の方に紫陽花が咲いているのが見えます。

 今夜はこのまま晴れてくれると良いですね。


「どうぞ、珈琲入れておきました。あと水羊羹も良かったら。保冷剤も入れてますが、早めに召し上がってくださいね。暗くなるまでは、どこかで別のお写真を撮られるのですか?」

 荷物を背負ったゲンさんにコーヒー用の水筒を手渡して尋ねました。

「場所に着いたら早めに頂きますよ!ありがとうございます。これで頑張れます」

 ゲンさんは水羊羹の入った袋を鞄に入れて、頭を下げました。

「とりあえず植物を撮って、あとは夕方の風景を撮ろうかと。この空の様子だと夜は大丈夫でしょう。ホタルも良い写真を撮ってきますよ」

「写真、また見せてくださいね!」

 そう言って、葉子さんがキッチンからお見送りに出て来ました。

「勿論ですよ。そうだ!ハルさんと葉子さんの写真撮りましょうか。ぽんすけもな」

 ぽんすけを見ると、嬉しそうに目をキラキラと輝かせていました。

「よし。じゃ、食堂をバックに撮りましょう。ほら、ぽんすけ。おいでおいで」

 ゲンさんに促され、私たちは食堂の前に並びました。


「写真、楽しみですねっ」

 午後3時半。

 葉子さんが、静かな食堂でコーヒーをゆっくりと飲みながら、わくわくとした表情で言いました。

「えぇ、本当に。お店の入り口に飾りたいですね」

 ぽんすけの写真が飾ってある隣に、今日の写真も飾ると素敵ですね。

「美味しいものはあっという間ですねぇ。美味しかった!ごちそうさまでした」

 ほんのりと甘い、さつまいもの水羊羹。

 静かな食堂での、ほっとするひとときを過ごすことが出来ました。


「あぁ・・・綺麗ねぇ」

 水の張られた田んぼは水鏡となり、水色から淡いオレンジ色に変わりゆく空を美しく映し出しています。

 ツバメたちがその上をさっそうと飛び回っていました。

 湿度の高いこの時期。

 過ごしづらく感じることもある季節ですが、静かな雨音や、トントンと屋根を鳴らす雨粒。

 カエルの合唱なんかも、風情があって良いものです。

「あら、紫陽花」

 雨に濡れ、しっとりとした表情の紫陽花たち。

 青や、ほんのりピンクがかった紫色の花は、穢れの無い清んだ空気を纏っているかのようです。

 うっとりと眺めてしまい、思わず時間が過ぎるのも忘れてしまいそうですね。


「ハルさーん!」

 振り返ると、葉子さんとぽんすけがこちらに向かって駆けて来るところでした。

「大丈夫ですか?」

「はい!伊達に日頃からぽんすけと走り込みしてませんから!」

「まぁ!普段、そんな事をなさっていたんですか?」

 得意気に言う葉子さんに、思わず笑ってしまいました。

「お散歩、私もご一緒したいなぁって。明日からまた雨みたいですし。夕焼けもとーっても綺麗ですしねっ」

「そうですね。行きましょうか」

 そうして私たちは、田舎の道をゆっくりゆっくりと歩いて行きました。


「ねぇ、葉子さん。私の寿命が来たあと、葉子さんはどうなさる予定ですか?」

 水彩絵の具が溶けたような、夕焼けのグラデーションを眺めながらそう尋ねました。

「んー。わかりません。私は、今のこの瞬間を精一杯楽しんで生きてますから。そんな悲しい時の事は予定にありません!」

「まぁ。ふふっ、葉子さんらしいですね」

 ぽんすけは、時折こちらを見上げながらも、楽しそうに足取りも軽やかです。

「そりゃあ生きてますから、いつかは終わるでしょうけどね。でも、未来を想像して悲しむくらいなら、今生きてるその人の笑顔を見て楽しく生きる方が良いです」

 葉子さんはそう言うと、「ねー、ぽんすけ!」と土手の方へと駆けて行きました。


 丘の上では、笑ったような表情のぽんすけと、こちらに手を振る葉子さんの姿が見えます。

 食堂を始めて、3回目の6月。  

 今夜はホタルも沢山飛び回るでしょう。  
  

 日々、辛い思いや、大変な中で過ごしている沢山の人達。
 
 人の悩みに、大きいも小さいもありません。

 あなたの見ている世界が、世界の全てでは無く、色々なものがあるということ。  

 ゆっくりと周りに目をやると、小さな虫も植物たちも命を燃やして生きています。
 
 自然のもたらす美しさが、そばにあります。 


 疲れてしまった皆様にとって、潤いをもたらす水になれるような。 

 お日様になれるような。

 そんな食堂でありたいと思っています。   


 おにぎり食堂『そよかぜ』は、いつもここにあります。


 またいつでも、いらしてくださいね。
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