おにぎり食堂『そよかぜ』

如月つばさ

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蛤の酒蒸しと針供養

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 まだまだ寒さの続く2月。

  標高の高い山の頂きにはうっすらと雪が積もり、まるで水墨画のよう。

  静かな田舎の風景は、いっそう神秘的に見えます。

  今日は針供養。 

 折れたり錆びたりしてしまった針を、感謝の気持ちを込めて供養します。

  地域によっては12月にすることもありますが、私は昔から2月にやっています。


「あれ、ハルさんお出掛けですか?」

 朝食の後片付けを終えて身支度をしていると、お洗濯を終えた葉子さんが2階から降りてきました。

「えぇ、少し神社に行ってきます。先日、針供養をしていただけるか尋ねてみたら、本来はやっていないそうなのですが、簡単で良ければやりますよと言ってくださったので」

「針供養ですか・・・?」

「今まで硬いものを刺してお世話になった針を、感謝の気持ちを込めて柔らかいお豆腐に刺して供養するんですよ」

「へぇ・・・何だか素敵ですねぇ。気をつけて行ってきてください。店番は任せてくださいっ。ねー、ぽんすけ!」

 さっきご飯を食べ、お腹一杯で満足しているぽんすけは、嬉しそうに葉子さんに駆け寄り、尻尾を振っています。

「あらあら。では宜しくお願いします。行ってきます」

 そうして二人に手を振ってから、食堂を出ました。

「寒いけれど・・・空気が澄んでて気持ちがいいわねぇ」

 うっすらと霧がかり、雪を纏った山々があまりにも幻想的で、見ているだけで吸い込まれてしまうかのよう。

「まだ早いのよね・・・」

 宮司さんに伝えてある時間までには、まだ余裕があります。

 少し村の方へと立ち寄ってから、神社へ行くことにしましょう。

 村が見えてきた頃、民家の前からこちらに向かって吠える犬が見えました。

  その声に気がついて、家から出てきたのは河田さんです。 

「ふふっ、コロは今日も元気いっぱいみたいねぇ」 河田さんがこちらに気付いて、手を振っています。 

「おはよう、ハルさん。すまないね、朝からうるさくて。こら、やめんか!」 

 河田さんが申し訳なさそうに言いながら、今度は激しく尻尾をばたつかせて私の元へ来ようとするコロを制止しています。 

「大丈夫ですよ、元気な様子を見られて良かったです。また、ぽんすけを連れて遊びに来ますね」 

「あぁ、いつでもおいで。栗原さんちのハナも悪い子じゃないが、何せ飼い主がひねくれ爺さんだからな。昨日も、自分の畑の野菜が大きい事を自慢しに来たよ。嫌味なやつだ、まったく」 

 そう言う河田さんですが、どこか嬉しそう。 

 お二人はいつもお互いにこんな感じで言い合っていますが、私には実は気の合う二人のように見えます。

  そして、お互いの事を気に掛け合っている。

  少し羨ましくも思えるお二人なのです。 「どこかへ行くのか?」 

「えぇ、神社に針供養に行こうかと」 

「あんたも相変わらず律儀だなぁ」

  河田さんは笑いながら「気を付けてな」と、コロと一緒に見送ってくださいました。

「ハナー、ご飯にしようねぇ。あら、ハルさんじゃない。おはよう。どこかへ出掛けるの?」

  栗原さんのお宅のハナちゃんを見に来てみたら、ちょうど奥様がエサの入ったお皿を持って出ていらっしゃいました。 

「えぇ、針供養に神社へ。まだ少し時間があるので、村に立ち寄ってみたんです」 

「こんなに寒いのに、えらいわねぇ。針供養なんて暫くやってないわ」 

「私は子供も夫も居ませんし、のんびり気ままに食堂をやっているだけですから。時間があるんですよ」 

「だけど、私はそんなハルさんの食堂が大好きなのよ。そうだ、蛤があるんだけど。良かったら貰ってくれないかしら?」

  奥様は持っていたエサを、足元で早く早くと催促するハナの前に置いて言いました。

 「まぁ、嬉しいですけど・・・宜しいんですか?」 

「良いのよ。頂き物だけど、多くて困っていたから。神社の帰りにでも寄ってちょうだい」 

「ありがとうございます。では、また後ほど寄らせて頂きます」 

 栗原さんに頭を下げて、その場を後にしました。


 神社への階段を見上げて、「よし」と小さく気合いを入れました。

  この歳になると、神社の階段というのは中々のものなのです。 

「年々、きつくなるわねぇ・・・」 

 うっかり転んでしまわないよう、一段一段を踏みしめて、ゆっくりと上っていきます。 

「よいしょっと・・・」 

 最後の一段を上り、ふぅとひと息吐きます。

  深呼吸をすると、身体中が清められるかのよう。

  木々が多く、空気がとても澄んでいるというのもあるでしょうが、神聖な場所だからというのも否定出来ないような気がします。

 「おはようございます。御待ちしておりましたよ」

 「まぁ、わざわざ申し訳ありません。おはようございます」 

 宮司さんが私に気付いて、出て来て下さいました。

  この神社には宮司さん1人しかいません。

 「針供養でしたね」 

「はい。本来はやっていない事なのに、無理言ってすみません・・・」 

 私が頭を下げると、宮司さんはにっこりと笑って「いやいや」と仰いました。

 「近頃は人も少なくなって、うちに祈祷に来る方も殆どいなくなってしまいましたから。さぁ、こちらへどうぞ」

  それからは、宮司さんに本殿へと案内され、祈祷をしていただきました。

「こちらに供養する針をお願いします」 

 持ってきた針を、感謝の気持ちを込めてお豆腐に刺します。 

「それでは、あとはこちらで供養させて頂きますね」 

「はい。宜しくお願いします。ありがとうございました」

  私は深く頭を下げてから、村へ戻りました。 


「ごめんください。桜井です」

  少し開いたままの玄関のドアから、栗原さんを呼びました。 

「はーい。ちょっと待ってちょうだい。今、用意してますから」

  おもてでハナちゃんと遊んでいると、奥様が蛤の入った袋を手に出てきました。 

「お待たせ。はい、どうぞ。砂抜きはしておいたから。食堂のお料理にでも使ってちょうだい」 

「あら、こんなに沢山・・・!ありがとうございます。砂抜きもしてくださったなんて、とても助かります」 

「あとでお昼ごはんに伺おうかしら。お父さんの分とでお願いできる?」 

「もちろんですよ。これから帰って、準備しておきますね」

  奥様とハナちゃんに手を振って、食堂へと急ぎました。 


「あら?日下部さんじゃないですか」

  食堂の屋根の方を見上げているのは、日下部さんです。 

「あぁ、ハルさん。すみません、勝手に」 

「いえ、どうかしましたか?」 

「ほら、あそこ。あれはツグミでしょうかね」

  彼が指差す屋根を見ると、1羽の可愛らしい鳥がいました。

 「まぁ、本当。可愛いですねぇ」

  そう言えば、このあたりは自然が沢山残っているので、野鳥なんかも色んな種類がいます。 

「仕事をしていた頃は、鳥なんてじっくり見る機会も無かったですよ。

 ここは日々いろいろな出会いや発見があって楽しいです」

 「忙しいと仕方ないですよね。そうそう、良かったらお昼の準備をするので、召し上がっていきませんか?立派な蛤を頂いたので、今日のメニューにしようかと思っていたんですよ」

  すると、日下部さんの表情がパッと明るくなりました。

 「蛤ですか!良いですね、大好物ですよ」 

「あら、ふふふっ。それは良かったです。さぁ、中へどうぞ」

  食堂の扉を開けると、ぽんすけが掛けてきました。

 「まぁまぁ、ぽんすけったら。ただいま。待っていてくれたのね」 

「はははっ。相変わらず君は元気そうだね」

  日下部さんが、ぽんすけの頭を撫でてやると、嬉しそうにぴょんぴょんと跳び跳ねていました。


 蛤は、刻んだネギとお酒と共に火にかけます。

  ぐつぐつと蒸していると、口がぱかっと開いてきます。

  仕上げに、お醤油を少し垂らして出来上がり。

  簡単なお料理ですが、お酒で蛤の旨味がうんと引き立たされた酒蒸しは、潮の香りも楽しめる一品です。

  お味噌汁は、大根と油揚げのお味噌汁を。

  油が程よくコクをプラスしてくれて、とても美味しいですよ。

  あとは、手作りのおかかを入れたおにぎり。

  軽く炙った海苔をあてて完成。

  大根を、柚子やお砂糖、お塩やお酢で漬け込んだ柚子大根のお漬物を添えて。

  ちょうど栗原さんご夫婦もいらっしゃいましたから、お料理を皆さんのお席へと運ぶことにしましょう。

「お待たせしました。おふたりは、おにぎりの具は何になさいますか?」 

「梅干しで。母さんも同じで良いのか?」 

「えぇ。お願いしますね」

  ご夫婦はテーブルに並べたお料理をご覧になって「美味しそう」と喜んでくださいました。

  隣のテーブルでは、日下部さんが早速「いただきます」と嬉しそうに酒蒸しから召し上がっていました。

 「葉子さん、梅干しの用意をお願いします」 

「はーい」

  葉子さんが梅干しをほぐしてくださる間に、キッチンに入りおにぎりを作ります。 優しく 丁寧に。

  私を迎え入れて下さった村の皆さんやお客様。 

 この土地全てに感謝の想いを込めて。
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