夏物語

如月つばさ

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人ならざるもの

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8月中旬。


昨夜は、夜通しの雷と大雨の音に寝られず、ぼんやりした頭で空を見上げる。


日曜日以外の毎朝のラジオ体操も、お手本で前に立っているおじさんを見なくても次の動きがわかるくらいになっていた。



「よう、亜子ちゃん。毎朝ちゃんと来てて偉いね。うちの友明なんか、今日は寝坊だよ。はいよ、おつかれさん」


「ありがとうございました」


おじさんに判子を貰い、首からカードをさげたまま公園を出た。


友明のお父さんは体格も大きく、この島では漁師をしているらしい。


漁に出たあとでも、こうして島の人との交流の場に来るのだから、恐るべき体力だ。


声も大きいおじさんが亜子には少し苦手だったが、こうしてしょっちゅう声を掛けてくれていた。



「おじいちゃん、これどうかな?」


「ん?あぁ、良いよ。亜子は畑が好きか?」


「うん!」


ラジオ体操を終えて真っ先に畑にやってきた亜子は、おじいちゃんの畑にやって来た。


真っ赤な艶のあるトマトをどんどん篭に入れ、次はトウモロコシの畑へと移動することにした。



「亜子、トウモロコシから髭みたいなのがいっぱい出てるだろう?あれが黄色いやつで、皮も緑のしっかり濃いのを収穫するんだ。見ててごらん」


おじいちゃんが一番手前にあったトウモロコシの根元を掴むと、一気に手前に引っ張る。


「ほら、こうして収穫するんだ。やってごらん」


おじいちゃんは採ったトウモロコシを篭に入れ、首から下げたタオルでおでこの汗を拭った。


「はーい!」


そうしてトウモロコシやトマトでいっぱいなった篭を大事に抱えて家へと急いだのだった。



「甘いねぇ、美味しい!おじいちゃんのトウモロコシ大好き!」


「はっはっは!そうだろう、そうだろう」


豪快にトウモロコシを食べるおじいちゃんに負けないくらい大きな口でかじりついた。


口の中でプチプチとした粒の甘い汁が弾ける。


濃い黄色のトウモロコシは、夏の太陽のように眩しい。


「お日様のあったかい味がするね」


「おや、亜子ちゃんは洒落たこと言うねぇ」


おばあちゃんは庭でトマトを水に浸け、縁側に腰掛けながら笑う。


「そうだ、亜子。裏山のひまわり畑って行ったことあるか?中腹くらいに開けた場所があって、ひまわり畑があるんだよ。ワサビ沢のある所だ。知ってるか?」


「ちょっと、おじいさん。亜子ちゃん、1人で行っちゃいけないよ。あそこは川も多くて危ないから・・・」


「へぇ、知らなかった。でもひまわり見たいな」


そう言って手を濡れ布巾で拭いてから立ち上がる。


「ごちそうさま。遊びにいってくる」


「亜子ちゃん!1人では本当に行っちゃいけないよ!」


「はいはーい。」


念を押すおばあちゃんに軽く返事をし、テレビをつけて畳の上で横になろうとするおじいちやんに手を振ってから部屋を出た。



2階の私の部屋は、風に乗ってやってくる海の匂いがする。


窓からは、海が一望できるのだ。


「虫かごっと・・・よし」


虫かごを体に斜めにかけ、帽子をかぶる。



カラカラ・・・


「えっ」


どこからかあの音が聞こえた気がする。


それからはどれだけ耳を澄ましても、1階の縁側に吊るした南部鉄の風鈴が海風にゆれる音が聞こえるだけだった。



「タケちゃん、10円。ここ置いとくよ」


「はいよ。当たったかい?」


「ううん。ハズレ。でもこれも美味しいから良いよ」


糸引きあめで頬を膨らませ、モゴモゴと答える。


糸が大量に束ねてある先に色んな味の飴がある糸引きあめは、外れが小さな三角のイチゴ味のあめだ。


殆どがイチゴの中、みかんなどの味が当たりとされているが、沢山の糸の中から望みのものを引き当てるのは難しい。


包装もされていない裸の状態で瓶に入れられた飴が売られている姿は、今となっては考えられない光景かもしれないが、この頃はこれが普通だった。


「今日は王冠は無かったのかい」


「うん。あれは貰ったものだしね」


「へぇ・・・」


今日はいつもより喋るなと思っていたが、大して興味もないのか、再び大音量のラジオに耳を傾けて目を閉じてしまった。


タケちゃんの店は、線香というよりも何か独特な匂いがする。


嫌な匂いではなく、おばあちゃん特有というか、タンスに入れる樟脳と線香とおばあちゃんの匂いが合わさったような。


一日の殆どをこの畳の部屋で過ごすタケちゃんの店は、そんなおばあちゃんの匂いを凝縮したような場所だった。



「ねぇ、タケちゃん」


「・・・」


「タケちゃーん!」


「・・・あ?聞こえてるよ。うるさい子だねぇ。何だい」


タケちゃんは片目を薄く開け、うちわで扇ぎながらラジオの音量を下げた。


「タケちゃん、昔からここに住んでるんだよね?そこの上の神社のこと知ってる?陵徳神社」


「あぁ、あの神社ね。足が悪いからもう登ることは無いが、昔はよう遊んだよ」


ゆらゆらと体を前後に揺らしながら「あそこは涼しいんだよねぇ」と懐かしそうに微笑んだ。


タケちゃんの笑顔なんて初めて見た。


「変な噂とか聞いたことないの?おばけとか。妖怪とか」


「妖怪?あー・・・あぁ、そう言えばねぇ。寂しい子供の傍にいてくれる神様がいるとか何とか・・・御神木に宿る神様だって噂だったよ。見えなくても不思議な経験をしたりする子もいたね。私はそんな経験も無いから知らないよ。まぁ、子供の間によくある作り話みたいなもんだ」


そう言うと目を瞑り、「用が済んだなら帰んな」と追い払われてしまった。



あの大きな御神木の神様だなんて、いくら子供だからってにわかには信じがたい話だ。


口から垂らした糸引あめの糸を指で弾きながら公園の方へと続く道を歩く。


「ん?」


チキチキチキ


「あっ」


鳴き声がしたかと思うと、草むらを飛び越えるように虫が跳ねるのが見えた。


草を掻き分け、緑の虫が飛び込んだ辺りへと急ぐ。


「ショウリョウバッタだ!」


手にしたそれは、とても大きく緑が鮮やかで美しかった。



「ひまわり畑、行ってみようかな」


バッタを入れた虫かごとを肩にかけ、虫取り網を担ぐように持ちながら、家の裏山へと向かう途中、海のそばにある家が目に留まった。


「朝顔だっ」


一件の家を囲うフェンスに、沢山の朝顔が満開となっている。


青や濃いピンクの朝顔が、空や海と相まって夏らしさを演出している。


「こんなところに咲いてたの知らなかったなぁ」


朝顔が大好きな私は、思わずそこが友明の家だと言うことも、その隣は可奈子の家だと言うことも忘れて見入ってしまったのだ。



「亜子ちゃんだ」


「わっ、ほんとだ。何してるの?」


真理と可奈子が、きょとんとした顔でこちらを見ていた。


「あっ・・・えっと・・・」


「朝顔見てたの?綺麗だよね。私も時々お水あげるのお手伝いしてるんだよ」


可奈子がニコニコと嬉しそうに言った。


「ねぇ亜子ちゃん、友明が拗ねてたよ。いつもすぐ逃げちゃって話出来ないって・・・」


少し恥ずかしがりらしい真理がモジモジしながら言うと、可奈子も大きく頷いた。


「どうして逃げちゃうの?私たちのこと嫌いなの?」


そう言って近付いてくる可奈子に、思わず後退りしてしまった。



「ねぇ、明日の2時に公園に来て?」


「えっ・・・でも」


「約束だよ!皆で待ってるからね!」


強引な可奈子の言葉に頷くしかなく、「じゃあ、またね」と駆け出した。




『うわっ。見て・・・何かおばけみたいだね』


『あんな大きい傷、もう治らないねぇ。可哀想』


『元々あんまり喋んないし暗いし、本当におばけみたいだよね。夜会ったら叫んじゃうよ』


クスクスと笑う声。


思い出すだけで吐き気がする虐め。



私は何もしてない。


ただ怪我をして、それが大きな傷となった。


目立つ場所にあった。


それだけなのに。




私の心には、顔の傷よりも深く大きな傷が刻まれてしまっていた。


この島の子達からは、あの頃の同級生のような悪意は感じられない。


だけど、この頃の私には彼らに歩み寄る勇気が無かったのだ。



「1人でここまで来ちゃった・・・怒られるかな」


頭上には緑が覆い茂り、青い空には飛行機が悠々と山を越えて行くのが見えた。


水の綺麗なこの辺りは、わさびが沢山植えられており、空気もとても澄んでいる。


清流の柔らかな音に耳を傾け、湿った土や木々の匂いを大きく吸い込み、体の中の悪いものをゆっくりと吐き出す。


近くに落ちていた木の枝を広い、大きく振り上げた。


「たんけーん!この先にひまわり畑がある!はずだーっ」


沢に落ちないよう、そこからは少し慎重に足元を見ながら山道を進んだ。



ホーホケキョ


ホーホケキョ


夏のウグイスというのも、この自然の多い島に来てから初めて聞いた。


どこにいるのかわからないが、繁殖が遅くなったウグイスが夏にも鳴くのだと、おじいちゃんに教えて貰ったのだ。


この島に来てから、初めての経験を沢山してきた私だが、目の前に広がる光景には思わず声が押さえられない。


「すごーい!うわぁあっ」


持っていた棒切れを放り出した私は、無数に咲き乱れるひまわり畑に飛び込んだ。


背丈よりも高く、私の顔よりも大きなひまわりは、夏の太陽をもっともっとと乞うようにその身を空へと向けている。


そんなひまわりのトンネルを抜けた先には、分厚くそびえ立つ大きな夏雲が広がり、海と空との境目が曖昧になるほどの青い世界が広がっていた。



どれほどの時間、目の前に広がる美しい景色に心を奪われていたか。


両親が私の為にと島に越してきたのに、私はこの島を好きにはなれていなかった。


命が輝き、空も海も山も全てが力強いこの島が私にとっては正反対の物を見ているようで、余計に自分が惨めに感じていたのだ。


そしてここの子供達が、恐らく私に悪意を持っていないこともわかってはいたが、これまでの辛い経験が蝕んだ心は、そう簡単に彼らの笑顔を受け入れられずにいる。



話せる人もいない


仲良しだと思っていた子さえも


気がつけば、嘲笑する側にまわっていたのだから。



・・・カラッ


小さく、でも確実に背後から聞こえたその音に体が跳ねる。


カラン・・・カラッ


音のする方を凝視していると、数メートル先のひまわりの葉の影から片目がこちらを覗いている。



寂しい人に見える 神様



タケちゃんの言葉が頭に浮かぶ。



目が合っていることに気がついたのか、コロコロは大きな頭の音を立てて飛び上がった。


それと同時にひまわりもガサッと頭を振るように揺れる。


かと思うと、一歩一歩こちらに近付いてきたではないか。


カラッ


カラ カラ


陶器が当たるみたいな、軽くて響くような音が足が前に進むと共に鳴っている。


もう頭を押さえて存在を隠す気も無いらしいコロコロは私の足元までやって来ると、大きな黒い目でこちらをまっすぐに見上げた。


「えっ・・・これ?」


コロコロは黒ずんだ布切れを持った腕を、背伸びをして一生懸命差し出す。


「また何かくれるの?」


恐らく言葉が話せないのだろうが、頷くでも首を振るでもないコロコロは、ただ私に受け取ってくれと言わんばかりに眼差しを向けてくる。


「あ、ありがとう」


布切れを手に取るも、コロコロはただ私が受け取ったそれを見つめていた。


「・・・なに?」


広げてみると、白い糸で刺繍してあるものが目に留まった。



アサオ ハツヱ



「この名前・・・」



アサオ ハツエは、私のおばあちゃんの旧姓での名前だった。

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