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ななはら

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* * *


 それから、有島さんはぱったりと来なくなった。

 いつも彼が座っていたカウンターの端は、空っぽのまま。

 二日が過ぎ、三日過ぎ、今日で一週間が経った。

 カラン、とドアベルが鳴るたび、有島さんかと期待してしまう自分がいた。
 そして、落胆する。

 仕事が忙しいのだろうし。
 他にいいお店を見つけたのかもしれないし。
 体調を崩したのかもしれない。

 でも、どんなに考えても無駄だった。
 答えは、私には分からない。

 彼がここへ来なくなれば、私たちにはなんの接点もないんだ。

 ううん。
 おつりを渡すって言う、口実がある。

 私は、皺の寄ったメモをポケットから取り出す。
 走り書きした11桁の番号。
 ここに掛けたら、有島さんは出る。
 そう思うと、その番号がとても特別に見えた。

 ’なにかあったら、いつでも呼んで’

 有島さんの低くて落ち着いた声が蘇る。

 それでも、電話をかける勇気が足りない。
 それはあの時、有島さんが怒っていたように見えたからだ。

 私はきっと、何かを失敗をしたのだった。 

 もう少し心が落ちついたら、お釣りは沙紀ちゃんに渡してもらおう。
 そう、思っていた。

 
***
 

 有島さんが来なくなって、一か月目。
 最初の頃に感じていた淋しさは薄れていた。
 よし、大丈夫。
 すぐ慣れる。

 こうやって、忙しく身体を動かしていればいいんだ。
 そう思いながら、開店の準備をしている時だった。

 ピコン。

 機械的な音にスマホを見ると、沙紀ちゃんからのメッセージが届いていた。

『今夜、三人で予約出来る?』

 ちょうどいい。
 おつりを渡して貰えるよう頼もう。

『お待ちしています』

 その言葉と一緒に、ウサギが頭を下げているスタンプを送った。
 すぐに、既読がつく。
 二つあるテーブル席の、奥に予約カードを立てた。
 それから店の清掃にうつると、開店時間はあっという間にやってきた。
 



 その数時間後。

「…こんばんは」
「こんばんは、お久しぶりです」

 有島さんは、何事もなかったみたいにやってきた。

「お久しぶりです」

 一か月ぶりに見た有島さんは変わらず濃紺のスーツが似合っていた。柔らかい微笑み方も、少し日に焼けた肌も、覚えていた。
 視線を合わせていられなくて、彼の隣にいた沙紀ちゃんに意識を向ける。

「早かったね」
「仕事最速で終わらせてきたの!えらい?」
「偉い偉い」

 沙紀ちゃんの連れの一人が、まさか、有島さんだとは思いもしなかった。
 だって沙紀ちゃんは毎回違う友達を連れてくるから。

「沙紀ちゃん、こっち」
「はーい」

 カウンターは、他の客で埋まっていた。
 私は小走りに奥のテーブル席の予約カードをとって、おしぼりをくばる。

 連れのもう一人は、ちょっとおちゃらけた感じのサラリーマンだった。
 有島さんたちと同じ会社の人らしい。

「やー、お邪魔します!高谷さんと同じ会社の佐々木です、よろしく!」

 私は、サラリーマン佐々木さんの差し出した手を握り返した。

「西生(にしお)です。狭い店ですけど、ゆっくりしていってくださいね」
「はい!やあー、さすが高谷さんの友達ですねっお綺麗だ」
「ありがとうございます」

 さすが、営業さん。
 声も大きいし、よくしゃべる。

「あ、佐々木さん、もしかして朱花のことタイプですか?」

 沙紀ちゃんがにやりと笑うと、佐々木は血相を変えて首を横に振った。

「そういうつもりじゃないよ!オレは高谷さんの方が…って、お姉さんがタイプじゃないってわけじゃないですよ!オレ、フリーですから!」
「佐々木」

 有島さんが、低い声でたしなめる。
 ああ、上司なんだ。
 と、会社のヒエラルキーが垣間見えて、私は少し笑ってしまった。
 有島さんが、私からおしぼりを受け取りながら、困ったように謝る。

「ごめん。悪気はないんだけど、こいつ、失礼な奴で」
「いえ、気にしないでください」

 佐々木さんにもおしぼりを手渡す。

「沙紀ちゃんは友達の私から見ても可愛いから。ライバル、多いとおもいますけど、頑張ってくださいね」
「…お、お姉さん」

 サラリーマン佐々木さんが、感動したように顔を上げてくる。
 たぶん、私の方が年下だと思うけど。
 沙紀ちゃんが、壁のハンガーを手に取った。

「有島さん、上着ください」
「ありがとう」

 沙紀ちゃんが有島さんのスーツを丁寧にハンガーにかけた。
 私も手伝って、佐々木さんのスーツを壁に掛けた。
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