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しおりを挟むそれから有島さんは、週に一日から二日、通ってくれるようになった。
私が他の客の相手をしている時は、有島さんはスマホをいじったり、雑誌を読んだりしていた。
ここ二、三週間で、だいぶ打ち解けてきたと思う。
有島さんの好みのお酒もわかってきた。多いのはビールに、ブランデー 。それからたまにウイスキー。
今夜は、金曜日だからかジンのロックだった。
有島さんは、強いお酒にも顔色ひとつ変えずに飲み干してしまう。
「じゃ、ご馳走さま」
「ありがとうございました」
空のグラスの横に紙幣を置いて、閉店間際に帰って行く。
そんな日々がしばらく続いた、ある夜のこと。
厄介な客がやってきていた。
中年男性の猫なで声に、来店したばかりの有島さんが、怪訝な視線を向ける。
「朱花ちゃん、お代わり」
そのお客さんは、来店時から出来上がっていた。
カウンター越しに、手を握られ、私は愛想笑いに必死だった。
常連とまではいかないけれど、上顧客のひとりで、顔は覚えていた。
たぶん、普段はどこかの企業で役員でもしているのだろう。
いつも身形はきちんとしているし、腕に巻かれているのは良く耳にする高級ブランドのものだった。
しかし、こうなってはただのスケベオヤジで。
「手を放してもらわないと、作れませんよ」
私は必死で微笑みつつ、手を引っこ抜こうと試みる。
が、中々抜き取れない。
明らかに泥酔してるっていうのに、どこにこんな力が。
「そうだねえ。放してごらんよ」
お客は、にやにやと嫌な笑い方をしながら、面白がるように更に力を籠めてきた。
その上、もう片方の手で、私の甲をすりすりと何度も撫でてくる。
その気持ち悪さに、笑顔がひきつる。
「いやぁ、朱花ちゃん。本当綺麗な肌をしてるねぇ。こんなお店にいるのがもったいないよ。君なら他の店でもNo.1になれるよ」
セクハラも暴言も、ある程度は耐性があるつもりだった。
大丈夫。自分で解決出来る。
いつもの端の席から有島さんの視線を感じた。
みっともないところは見せられない。こんなのへっちゃらだ。
「も~やめてください」
冗談めかした声は、けれど、情けなくも震えてしまった。
「朱花さん、好きだなぁ。隠れ美人だよね。ねえ、この後どう?いいお店知ってるんだ」
腕を引っ張られ、顔が近づく。
う、酒臭い。
そう思った瞬間、不意に低い声が降ってきた。
「店員さん、困ってますよ」
有島さんが、男性客の側に立って、手首を掴んでいた。
「なっ」
するりと手が抜ける。ほっとして、涙が出そうになった。
「ーっ、有島さ」
有島さんは男性客の手首を、強く握りしめている。
男性客は顔を真っ赤にしたまま、有島さんを睨み上げた。引き抜こうとしてもがいているようだったけれど、有島さんに掴まれた腕は、ビクともしない。
「あぁ?お前だれだ!?なんなんだよ」
「ただの客ですよ」
「だったらひっこんでろ!こっちはお前みたいな一見と違うんだ」
「嫌がられてるのも気づいてないくせに」
馬鹿にしたように有島さんが笑う。
それは火に油を注ぐ行為に思えた。
案の定、男性客は逆上して、唾を飛ばしながら暴言を吐き散らかす。
それなのに有島さんときたら涼しい顔で受け流している。
「あの、二人とも…」
私のために争わないで、なんて言うつもりはなかったけれど、険悪なムードに胃が軋んだ。有島さんは片手で男性客を抑えたまま、もう片方の手で器用にどこかに電話を掛けた。
「ーあ、もしもし」
そして淡々と状況を告げ、電話を切る。
男性客の顔が、みるみる青ざめていった。有島さんは面白がるように、蠱惑的な笑みを浮かべた。
案外、肝が据わってるのかも。
「すぐ来るってさ」
「お前、まさか」
「ああ、警察だよ。お前と話しても時間の無駄だから」
私は状況が飲み込めず、有島さんと男性客とを交互に見た。
間も無くやってきた警官に連行され、男性客は大人しく出ていった。
有島さんも、事情を説明するためにこれから同行するという。
申し訳なさ過ぎる。
スーツに腕を通している有島さんは、その上お金まで払おうとした。
「いっいただけません」
拒否した私に、有島さんはなんで?と聞き返してきた。
「なんでって…」
ブランデー は、ほとんど提供時のまま。ほんの少し、口をつけたくらいだろう。
「いいんだよ。ここにはお酒だけ楽しみにしてるわけじゃないから」
「え…」
「それに、高谷さんの親友の危機に何もしなかったなんて言ったら、オレ会社にいられないよ」
「あ、ああ…」
肩から、力が抜ける。
そっか。
私が、沙紀ちゃんの友達だから。
危ない危ない。
ちょっと勘違いしそうになった。
「ところで、気になってたんだけど、ここって、従業員は朱花さんだけ?」
「え、はい。あと、店長がいるんですけど、今腰を悪くして入院してて…」
有島さんは考えるように顎に手を当てる。
そして、ふっと顔をあげた。
「携帯番号、教えとく」
どうして、と聞く前に、有島さんが自分の番号を言うものだから、私は慌ててメモをした。
「なにかあったら、いつでも呼んで」
「そんな…そこまでしてもらうわけには」
けれど、有島さんは私の拒否を拒否して出ていった。
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