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初めて会った瞬間から、不覚にも、見惚れてしまっていた。
有島弘樹は、その夜から私を魅了して止まない。
* * *
都内のこじんまりとしたバー。
ここが、私の勤務先だった。
「有島さぁあん、もう一杯…もう一杯だけ、ねー?」
カウンター越しの沙紀ちゃんが、しなだれかかるように有島さんの腕を掴んだ。有島さんは困ったように笑っている。
「わかったよ。もう一杯だけ付き合うから」
途端、沙紀ちゃんの顔がぱあぁっと明るくなる。見ているこっちが微笑ましくなるくらいの無邪気な笑顔だった。
「やったぁ」
「だけど、あと一杯飲んだら、ちゃんと帰ること」
「はーい」
沙紀ちゃんはにこにこと笑いながら、空いたグラスを私に差し出した。
「しゅか、おんなじのねーー!」
「はいはい」
酔っ払いの沙紀ちゃんからグラスを受け取って、リキュールの瓶を取る。
沙紀ちゃんの上司だと言う有島さんは、律儀に頭を下げた。
「すみません、こんな時間まで」
「いえ、構いませんよ」
時刻は深夜一時。
ちょうど、閉店時間だった。
元々二十余名程しか入らない店内には、深夜を回った頃から、沙紀ちゃんと有島さんだけになっていた。
さっきまで二人は、会社の部長さんの愚痴や、新プロジェクトだとかの話で盛り上がっていた。
社内でも仲がいいんだろうな、と微笑ましく思う。
なにせ、二人きりで飲むくらいだし。
「同級生なんですよね」
ふと有島さんが、ブランデーに口をつけながら問いかけてくる。「ええ」と私が返事する前に、沙紀ちゃんが自慢気に身を乗り出してきた。
「そうよぉ。朱花は私の唯一の親友なの、かーっこいいでしょー」
「ねー」と小首をかしげる沙紀ちゃんに、私は「うん」と頷く。
「幼稚園から一緒だもんね」
私がそういうと、沙紀ちゃんはにこにこと赤い顔で微笑んだ。
有島さんは「すごいね」と言いながらグラスの横に置いたスマホをちらっと眺める。
長し目が、俳優さんみたい。
私は、出来上がったカクテルを沙紀ちゃんの前に差し出す。そうして念を押した。
「はい、沙紀ちゃん。最後の一杯ね」
「はあ。夜って短い…」
悲壮感たっぷりに受け取って、深いため息をついた。その落ち込んだ様子すら、可愛い。
同性の私だってそう思うくらいなんだから、隣の有島さんは気が気じゃないだろう。
沙紀ちゃんは、兎に角もてる。
しかも、様々なジャンルの男性から。おじさま、年下学生、イケメン、フツメン…どの人もみんな、沙紀ちゃんと楽しそうにお酒を飲んで帰る。
それは、沙紀ちゃんの魅力なんだろう。
学生の頃からそうだった。
彼女はいつだってどこへだって、メイクにも服装にも余念がない。全身バッチリコーデで一日を迎え、終わる。
たぶん、男の人は沙紀ちゃんみたいな子がタイプなのだ。
根拠だってある。
‘朱花も、沙紀の十分の一でも女らしかったらなぁ’
これは昔の彼氏に言われた言葉。
はは、そうだよねーと。
その時は、笑い飛ばしたんだけれど。
付き合っていた男性に言われたその言葉は、思いのほか強く心に突き刺さった。
結局、彼とはだんだん心が噛み合わなくなって別れてしまった。
原因は冷めた事だけど、今思い返せば、きっかけはその言葉だったように思う。
それからずっと彼氏はいない。
もう三年も前の事だ。
合コンに出席するのも最近は億劫になってきていた。
ひっきりなしに彼氏が出来る沙紀ちゃんのような子もいれば、どうやっても相手が見つからない私みたいなのだっている。
この世界は不平等だ。
久しぶりに胸が高鳴るような男性に出会えたのに、その男性は今目の前で沙紀ちゃんと楽しそうに笑っているのだから。
私は、芽生えかけた心に、そっと蓋をした。
「ご馳走様でした」
会計を終えると、財布をスーツの内ポケットにしまって、有島さんはカウンターチェアから滑り降りた。
ふらふらの沙紀ちゃんが、「お会計…」と鞄に手を取り出しているの止めて、立ち上がらせる。沙紀ちゃんの分も、有島さんが払ってしまったのだった。若く見えるけど、しっかり上司をしている。
彼もまた、もてる側の人間なんだろう。
沙紀ちゃんを支えるのを手伝って、私も店の外に出る。
呼んでおいたタクシーはもう到着していて、ハザードランプを焚いたまま、深夜の道路脇に停まっていた。
有島さんが、軽く会釈する。
「それじゃ…」
「ええ」
沙紀ちゃんを後部座席に乗車させ、自分も乗り込もうとしながら、しかしふと有島さんは動きを止めた。開いたままの後部ドアに手を掛けて、じっとこちらを見つめてきた。
忘れ物かな。
そう思った瞬間。
「帰り、大丈夫ですか?」
「え…」
まさかの、私の帰宅の心配?
反応出来ない私に、有島さんは言い訳するように首の後ろをかいた。
「いや、ついでだし、もう遅いし。送りますよ」
「や、大丈夫ですよ」
私は咄嗟に首を横に振っていた。
ここから自宅のアパートまでは徒歩圏内だし、毎晩歩いている道だ。送ってもらうような距離じゃないし、そもそもそんなキャラでもない。
「でも…」
有島さんは納得しかねると言ったように眉をひそめた。
本気で心配してくれているらしい。
「最近は、物騒な事件も多いですし」
真面目な声色に、私は努めて明るく返した。
「大丈夫ですってば。この時間に帰れなきゃ、この仕事やっていけませんし」
男の人に心配されるの、初めてかもしれない。
平均女性より高い身長に、つり目のきついの顔だち。人からは近寄りがたい印象を持たれることもしばしば。
沙紀ちゃんの護衛をよろしく、なんて言われることはあったけれど、私自身を心配してくれる人なんて、これまでの人生で皆無だった。
大学の同級生が聞いたら、噴飯物だろう。
有島さんって、いい人だなぁ。
「ほんとに、大丈夫ですから」
「でも」
それでも食い下がろうとした有島さんの背後から、のんきな沙紀ちゃんの声が届いた。
「有島さーん、かーえりましょー」
歌うような沙紀ちゃんの声に、気が抜ける。
「ほら、沙紀ちゃんも待ってますから。お願いしますね」
促す私に、有島さんはようやく折れてくれた。
「わかりました…じゃあ、本当に気を付けて」
「はい。またお待ちしてますね」
いつもの挨拶を口にすると有島さんはひとつ頭を下げて、タクシーに乗り込む。
間もなく、二人を乗せたタクシーは夜の街に消えていった。
有島弘樹は、その夜から私を魅了して止まない。
* * *
都内のこじんまりとしたバー。
ここが、私の勤務先だった。
「有島さぁあん、もう一杯…もう一杯だけ、ねー?」
カウンター越しの沙紀ちゃんが、しなだれかかるように有島さんの腕を掴んだ。有島さんは困ったように笑っている。
「わかったよ。もう一杯だけ付き合うから」
途端、沙紀ちゃんの顔がぱあぁっと明るくなる。見ているこっちが微笑ましくなるくらいの無邪気な笑顔だった。
「やったぁ」
「だけど、あと一杯飲んだら、ちゃんと帰ること」
「はーい」
沙紀ちゃんはにこにこと笑いながら、空いたグラスを私に差し出した。
「しゅか、おんなじのねーー!」
「はいはい」
酔っ払いの沙紀ちゃんからグラスを受け取って、リキュールの瓶を取る。
沙紀ちゃんの上司だと言う有島さんは、律儀に頭を下げた。
「すみません、こんな時間まで」
「いえ、構いませんよ」
時刻は深夜一時。
ちょうど、閉店時間だった。
元々二十余名程しか入らない店内には、深夜を回った頃から、沙紀ちゃんと有島さんだけになっていた。
さっきまで二人は、会社の部長さんの愚痴や、新プロジェクトだとかの話で盛り上がっていた。
社内でも仲がいいんだろうな、と微笑ましく思う。
なにせ、二人きりで飲むくらいだし。
「同級生なんですよね」
ふと有島さんが、ブランデーに口をつけながら問いかけてくる。「ええ」と私が返事する前に、沙紀ちゃんが自慢気に身を乗り出してきた。
「そうよぉ。朱花は私の唯一の親友なの、かーっこいいでしょー」
「ねー」と小首をかしげる沙紀ちゃんに、私は「うん」と頷く。
「幼稚園から一緒だもんね」
私がそういうと、沙紀ちゃんはにこにこと赤い顔で微笑んだ。
有島さんは「すごいね」と言いながらグラスの横に置いたスマホをちらっと眺める。
長し目が、俳優さんみたい。
私は、出来上がったカクテルを沙紀ちゃんの前に差し出す。そうして念を押した。
「はい、沙紀ちゃん。最後の一杯ね」
「はあ。夜って短い…」
悲壮感たっぷりに受け取って、深いため息をついた。その落ち込んだ様子すら、可愛い。
同性の私だってそう思うくらいなんだから、隣の有島さんは気が気じゃないだろう。
沙紀ちゃんは、兎に角もてる。
しかも、様々なジャンルの男性から。おじさま、年下学生、イケメン、フツメン…どの人もみんな、沙紀ちゃんと楽しそうにお酒を飲んで帰る。
それは、沙紀ちゃんの魅力なんだろう。
学生の頃からそうだった。
彼女はいつだってどこへだって、メイクにも服装にも余念がない。全身バッチリコーデで一日を迎え、終わる。
たぶん、男の人は沙紀ちゃんみたいな子がタイプなのだ。
根拠だってある。
‘朱花も、沙紀の十分の一でも女らしかったらなぁ’
これは昔の彼氏に言われた言葉。
はは、そうだよねーと。
その時は、笑い飛ばしたんだけれど。
付き合っていた男性に言われたその言葉は、思いのほか強く心に突き刺さった。
結局、彼とはだんだん心が噛み合わなくなって別れてしまった。
原因は冷めた事だけど、今思い返せば、きっかけはその言葉だったように思う。
それからずっと彼氏はいない。
もう三年も前の事だ。
合コンに出席するのも最近は億劫になってきていた。
ひっきりなしに彼氏が出来る沙紀ちゃんのような子もいれば、どうやっても相手が見つからない私みたいなのだっている。
この世界は不平等だ。
久しぶりに胸が高鳴るような男性に出会えたのに、その男性は今目の前で沙紀ちゃんと楽しそうに笑っているのだから。
私は、芽生えかけた心に、そっと蓋をした。
「ご馳走様でした」
会計を終えると、財布をスーツの内ポケットにしまって、有島さんはカウンターチェアから滑り降りた。
ふらふらの沙紀ちゃんが、「お会計…」と鞄に手を取り出しているの止めて、立ち上がらせる。沙紀ちゃんの分も、有島さんが払ってしまったのだった。若く見えるけど、しっかり上司をしている。
彼もまた、もてる側の人間なんだろう。
沙紀ちゃんを支えるのを手伝って、私も店の外に出る。
呼んでおいたタクシーはもう到着していて、ハザードランプを焚いたまま、深夜の道路脇に停まっていた。
有島さんが、軽く会釈する。
「それじゃ…」
「ええ」
沙紀ちゃんを後部座席に乗車させ、自分も乗り込もうとしながら、しかしふと有島さんは動きを止めた。開いたままの後部ドアに手を掛けて、じっとこちらを見つめてきた。
忘れ物かな。
そう思った瞬間。
「帰り、大丈夫ですか?」
「え…」
まさかの、私の帰宅の心配?
反応出来ない私に、有島さんは言い訳するように首の後ろをかいた。
「いや、ついでだし、もう遅いし。送りますよ」
「や、大丈夫ですよ」
私は咄嗟に首を横に振っていた。
ここから自宅のアパートまでは徒歩圏内だし、毎晩歩いている道だ。送ってもらうような距離じゃないし、そもそもそんなキャラでもない。
「でも…」
有島さんは納得しかねると言ったように眉をひそめた。
本気で心配してくれているらしい。
「最近は、物騒な事件も多いですし」
真面目な声色に、私は努めて明るく返した。
「大丈夫ですってば。この時間に帰れなきゃ、この仕事やっていけませんし」
男の人に心配されるの、初めてかもしれない。
平均女性より高い身長に、つり目のきついの顔だち。人からは近寄りがたい印象を持たれることもしばしば。
沙紀ちゃんの護衛をよろしく、なんて言われることはあったけれど、私自身を心配してくれる人なんて、これまでの人生で皆無だった。
大学の同級生が聞いたら、噴飯物だろう。
有島さんって、いい人だなぁ。
「ほんとに、大丈夫ですから」
「でも」
それでも食い下がろうとした有島さんの背後から、のんきな沙紀ちゃんの声が届いた。
「有島さーん、かーえりましょー」
歌うような沙紀ちゃんの声に、気が抜ける。
「ほら、沙紀ちゃんも待ってますから。お願いしますね」
促す私に、有島さんはようやく折れてくれた。
「わかりました…じゃあ、本当に気を付けて」
「はい。またお待ちしてますね」
いつもの挨拶を口にすると有島さんはひとつ頭を下げて、タクシーに乗り込む。
間もなく、二人を乗せたタクシーは夜の街に消えていった。
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