keep out

ななはら

文字の大きさ
上 下
1 / 5

1

しおりを挟む
初めて会った瞬間から、不覚にも、見惚れてしまっていた。

有島弘樹は、その夜から私を魅了して止まない。



* * *

 都内のこじんまりとしたバー。
 ここが、私の勤務先だった。



「有島さぁあん、もう一杯…もう一杯だけ、ねー?」

 カウンター越しの沙紀ちゃんが、しなだれかかるように有島さんの腕を掴んだ。有島さんは困ったように笑っている。

「わかったよ。もう一杯だけ付き合うから」

 途端、沙紀ちゃんの顔がぱあぁっと明るくなる。見ているこっちが微笑ましくなるくらいの無邪気な笑顔だった。

「やったぁ」
「だけど、あと一杯飲んだら、ちゃんと帰ること」
「はーい」

 沙紀ちゃんはにこにこと笑いながら、空いたグラスを私に差し出した。

「しゅか、おんなじのねーー!」
「はいはい」

 酔っ払いの沙紀ちゃんからグラスを受け取って、リキュールの瓶を取る。
 沙紀ちゃんの上司だと言う有島さんは、律儀に頭を下げた。

「すみません、こんな時間まで」
「いえ、構いませんよ」

 時刻は深夜一時。
 ちょうど、閉店時間だった。
 元々二十余名程しか入らない店内には、深夜を回った頃から、沙紀ちゃんと有島さんだけになっていた。
 さっきまで二人は、会社の部長さんの愚痴や、新プロジェクトだとかの話で盛り上がっていた。
 社内でも仲がいいんだろうな、と微笑ましく思う。
 なにせ、二人きりで飲むくらいだし。

「同級生なんですよね」

 ふと有島さんが、ブランデーに口をつけながら問いかけてくる。「ええ」と私が返事する前に、沙紀ちゃんが自慢気に身を乗り出してきた。

「そうよぉ。朱花は私の唯一の親友なの、かーっこいいでしょー」

「ねー」と小首をかしげる沙紀ちゃんに、私は「うん」と頷く。

「幼稚園から一緒だもんね」

 私がそういうと、沙紀ちゃんはにこにこと赤い顔で微笑んだ。
 有島さんは「すごいね」と言いながらグラスの横に置いたスマホをちらっと眺める。
 長し目が、俳優さんみたい。

 私は、出来上がったカクテルを沙紀ちゃんの前に差し出す。そうして念を押した。

「はい、沙紀ちゃん。最後の一杯ね」
「はあ。夜って短い…」

 悲壮感たっぷりに受け取って、深いため息をついた。その落ち込んだ様子すら、可愛い。
 同性の私だってそう思うくらいなんだから、隣の有島さんは気が気じゃないだろう。

 沙紀ちゃんは、兎に角もてる。
 しかも、様々なジャンルの男性から。おじさま、年下学生、イケメン、フツメン…どの人もみんな、沙紀ちゃんと楽しそうにお酒を飲んで帰る。

 それは、沙紀ちゃんの魅力なんだろう。

 学生の頃からそうだった。
 彼女はいつだってどこへだって、メイクにも服装にも余念がない。全身バッチリコーデで一日を迎え、終わる。
 たぶん、男の人は沙紀ちゃんみたいな子がタイプなのだ。
 根拠だってある。

‘朱花も、沙紀の十分の一でも女らしかったらなぁ’

 これは昔の彼氏に言われた言葉。
 はは、そうだよねーと。
 その時は、笑い飛ばしたんだけれど。
 付き合っていた男性に言われたその言葉は、思いのほか強く心に突き刺さった。
 結局、彼とはだんだん心が噛み合わなくなって別れてしまった。
 原因は冷めた事だけど、今思い返せば、きっかけはその言葉だったように思う。

 それからずっと彼氏はいない。
 もう三年も前の事だ。

 合コンに出席するのも最近は億劫になってきていた。
 
 ひっきりなしに彼氏が出来る沙紀ちゃんのような子もいれば、どうやっても相手が見つからない私みたいなのだっている。
 この世界は不平等だ。
 
 久しぶりに胸が高鳴るような男性に出会えたのに、その男性は今目の前で沙紀ちゃんと楽しそうに笑っているのだから。

 私は、芽生えかけた心に、そっと蓋をした。



「ご馳走様でした」

 会計を終えると、財布をスーツの内ポケットにしまって、有島さんはカウンターチェアから滑り降りた。
 ふらふらの沙紀ちゃんが、「お会計…」と鞄に手を取り出しているの止めて、立ち上がらせる。沙紀ちゃんの分も、有島さんが払ってしまったのだった。若く見えるけど、しっかり上司をしている。
 彼もまた、もてる側の人間なんだろう。

 沙紀ちゃんを支えるのを手伝って、私も店の外に出る。
 呼んでおいたタクシーはもう到着していて、ハザードランプを焚いたまま、深夜の道路脇に停まっていた。
 有島さんが、軽く会釈する。

「それじゃ…」
「ええ」

 沙紀ちゃんを後部座席に乗車させ、自分も乗り込もうとしながら、しかしふと有島さんは動きを止めた。開いたままの後部ドアに手を掛けて、じっとこちらを見つめてきた。
 忘れ物かな。
 そう思った瞬間。
 
「帰り、大丈夫ですか?」
「え…」

 まさかの、私の帰宅の心配?
 反応出来ない私に、有島さんは言い訳するように首の後ろをかいた。

「いや、ついでだし、もう遅いし。送りますよ」
「や、大丈夫ですよ」

 私は咄嗟に首を横に振っていた。
 ここから自宅のアパートまでは徒歩圏内だし、毎晩歩いている道だ。送ってもらうような距離じゃないし、そもそもそんなキャラでもない。

「でも…」

 有島さんは納得しかねると言ったように眉をひそめた。
 本気で心配してくれているらしい。

「最近は、物騒な事件も多いですし」

 真面目な声色に、私は努めて明るく返した。

「大丈夫ですってば。この時間に帰れなきゃ、この仕事やっていけませんし」

 男の人に心配されるの、初めてかもしれない。
 平均女性より高い身長に、つり目のきついの顔だち。人からは近寄りがたい印象を持たれることもしばしば。
 沙紀ちゃんの護衛をよろしく、なんて言われることはあったけれど、私自身を心配してくれる人なんて、これまでの人生で皆無だった。
 大学の同級生が聞いたら、噴飯物だろう。
 有島さんって、いい人だなぁ。

「ほんとに、大丈夫ですから」
「でも」

 それでも食い下がろうとした有島さんの背後から、のんきな沙紀ちゃんの声が届いた。

「有島さーん、かーえりましょー」

 歌うような沙紀ちゃんの声に、気が抜ける。

「ほら、沙紀ちゃんも待ってますから。お願いしますね」

 促す私に、有島さんはようやく折れてくれた。

「わかりました…じゃあ、本当に気を付けて」
「はい。またお待ちしてますね」

 いつもの挨拶を口にすると有島さんはひとつ頭を下げて、タクシーに乗り込む。
 間もなく、二人を乗せたタクシーは夜の街に消えていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

最愛の彼

詩織
恋愛
部長の愛人がバレてた。 彼の言うとおりに従ってるうちに私の中で気持ちが揺れ動く

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

貴方にはもう何も期待しません〜夫は唯の同居人〜

きんのたまご
恋愛
夫に何かを期待するから裏切られた気持ちになるの。 もう期待しなければ裏切られる事も無い。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

初恋の兄嫁を優先する私の旦那様へ。惨めな思いをあとどのくらい我慢したらいいですか。

梅雨の人
恋愛
ハーゲンシュタイン公爵の娘ローズは王命で第二王子サミュエルの婚約者となった。 王命でなければ誰もサミュエルの婚約者になろうとする高位貴族の令嬢が現れなかったからだ。 第一王子ウィリアムの婚約者となったブリアナに一目ぼれしてしまったサミュエルは、駄目だと分かっていても次第に互いの距離を近くしていったためだった。 常識のある周囲の冷ややかな視線にも気が付かない愚鈍なサミュエルと義姉ブリアナ。 ローズへの必要最低限の役目はかろうじて行っていたサミュエルだったが、常にその視線の先にはブリアナがいた。 みじめな婚約者時代を経てサミュエルと結婚し、さらに思いがけず王妃になってしまったローズはただひたすらその不遇の境遇を耐えた。 そんな中でもサミュエルが時折見せる優しさに、ローズは胸を高鳴らせてしまうのだった。 しかし、サミュエルとブリアナの愚かな言動がローズを深く傷つけ続け、遂にサミュエルは己の行動を深く後悔することになる―――。

処理中です...