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第二章 隣り合わせの死2
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「松原さんとはどうやって知り会ったんだ?」
放課後、今日は部活が休みということで五人全員で帰路に着くことができた。
その時、透は真一にあの保健医の先生について訊こうとしていた。
「ああ、あの人ね。おう、今日あそこを開けてくれたのはあの人だからな。無理言って開けてもらったんだよ。ぜってー物の分かった奴らだからってよ」
あそこが閉められてんのはそういう奴にしか見て欲しくねえからだってよ。
真一がそう言ったことには驚いた。安全性の問題や世論でそうなっていたわけではないのか。
そんな風なことを訊くと真一は、はあ? という顔をした。美浜までもが嘘でしょ、という顔をしていた。
「この学校でそんなジョウシキ、通ると思ってんのか? 皆丸めてゴミ箱ごと焼却してるぜ」
そんな婉曲な表現を使うほどのことか。
透は唇を心なし尖(とが)らせる思いだったが誰もそれには気付きはしなかった。
真一がまた珍妙なことを言ったからだ。
「俺に婚約者がいるって言っただろ? その親類だよ、あの人は。話すようになったのは今年に入ってからだけどよ」
「は? まだ言ってんのあんたは。いい加減にしなさいよね。彼女いないからって妄想してんじゃないわよ」
美浜は腕を組んで真一を睨(にら)んだ。ふざけてんじゃないわよ、的な雰囲気がありありと出ている。
「おまえら……」
信じて。
目をウルウルしたって誰も信じないものは信じない。
むしろ逆効果だ。特に透と美浜には。
ごす、べき。
透の鉄槌(てっつい)が頭を下げさせ美浜の払った腕がちょうど良く真一を地面に叩きつかせた。二つ目の音は主にこれだ。
「ぐわっ、が。て、手加減しろよ」
「したさ。……僕はね」
「もちろん、あたしもね」
もちろん(、 、 、 、)、真一を見下ろす顔はそんなことを正直に信じさせる力はなかった。
「くそ。明里ちゃんと香則ちゃんだけだぜ優しいのはよお」
ふらふらと二人に近付く真一。だがお約束として彼は二人には辿り着けない。
「あうっ」
いつも通り、美浜のカバンがポコリと当たったからだ。今度はちゃんと手加減されている。
そうこうしてふざけてる間に真一との別れ道にまで来た。
「ま、昨日の今日でないとは思うがその、気を付けろよ」
真一の、どこか遠慮がちで心配そうな顔がそっぽを向く。
「ああ、気を付けるさ。あんなのはもうごめんだからね」
まったく、なんて顔をしてるんだ。見てるこっちが気を遣うじゃないか。
「ああ君たち。山崎透クンに香則愛夏サンだっけ? ちょっといいかな。いいよね。うんこっちに来てくれないか」
ふてぶてしい声。大抵の人は剣呑(けんのん)にならざるを得ない声音(こわね)だった。
風体(ふうてい)は、見たままの記者だった。咥えタバコからは煙が燻(くすぶ)り、両手はポケットに入っている。肩から提(さ)げた中位のバッグが腰の辺りで揺れていた。
ばさばさとした髪に無精髭(ぶしょうひげ)が口元を覆(おお)い、粗野な印象を見る人に与えた。目付きはこの上なく――ハイエナだ。
半分だけ意識して、この記者と友人たちとの間に立つ。視線は可能なら相手を焼き殺すほどに能力を込めて。
「いやあ、まさかまた取材することになるなんて思いもしなかったねえ。いやはや、これも縁というものかな。まあ、君と彼女の縁は宜しくないようだけどねえ」
笑っていなかった。目も口も、どこを探しても嘲(あざけ)ってしかいない。どこまでも、相手を貪(むさぼ)り食うことしか考えていない者の目だった。
友好的な笑みを浮かべているようでその実、狡猾(こうかつ)な罠にどうやって嵌(は)めるかを楽しんでいる口。
透が最も嫌いな記者の一人だった。
記者というだけで気分の悪くなる透だったが、個人レベルで嫌っているのは少ない。所詮(しょせん)、群がる記者は鬱陶(うっとう)しく邪魔なだけ。耐えればそれで済むという程度だ。実際はとてもきつかったが。それでも、ましだ。
だがこいつは違う。その言葉で、その筆で、その行動で、そのコネで、まずは取材対象を取材の段階で(、 、 、 、 、 、)貶(おとし)める。
傷口を抉(えぐ)るのではない。掻き乱すのでもない。ただただ千切る(、 、 、)のだ。あるはずのない傷までも。ありとあらゆる方法で。
「大変でさーなあ。こんなに事故が続いてねーえ? いやいや、お嬢さんのことを疫病神とか言ってるわけじゃないんだけどねえ」
嫌な声だ。尻上がりにならない言葉がこれほど神経を逆なでするなんて。それに言っていることも癪(しゃく)に障る。誰が疫病神だって? ふざけるな。お前の方がそうだろうに。
不機嫌を通り越して敵意をばら撒いていることを自覚しながら、透はできるだけ無感情に言葉を募らせる。
「その節はどうも。ですが、今は友人たちとの団欒(だんらん)を楽しんでいる途中ですので、どうぞお引き取りください。それと来るのならせめて一ヶ月以上前に連絡してほしいですね。こちらも色々と準備がありますので」
後で真一と美浜が皮肉と嫌味しか入ってなかったと褒(ほ)めてきたが、嬉しくない。可能な限り接点は潰したかった。できることならこの記憶でさえも消してしまいたい。
「はいねー、嫌われたもんだね。また後で来るから。そんときこそはよろしく願うからねえ?」
最初にどこかの方言のようで、どこの方言でもない無茶な口振りとおかしな抑揚(よくよう)で言ってくる。ただ相手を貶(けな)すことだけのために生まれた言葉遣いだ。
今日のところは接触だけが目当てだったようで、ただ自分がここにいるということを示しただけに過ぎない。必要とあらば暴漢を雇いもする奴だ。それを考えれば今日は考えられないほど穏便に済んだと言っていい。
「ちっ、透ちゃんにしか言わせねーでやんの」
「っとに気に入らないわね。あれでまだましだってんだから、始末に置けないわ」
大また歩きの、それでいて恐ろしく早い移動速度でこちらから離れて行く最悪な記者を見て真一と美浜が怒りを漏(も)らす。
「気にしなくていい。こっちで何とかするから」
皆の安全を考えて言ったことだったが、どうやら不況を買ってしまったらしい。
「ざけんな」
「殴って良い?」
「そんな……」
明里を含めた三人の抗議が耳に痛い。そのうちの二人は人の頭を殴るものだから頭まで痛い。
「勝手に一人で片付けるな。こっちゃ色々と画策してやってんだからよ」
どこから見てもお前で遊んでやるといった顔で真一が体を密着させて言う。
何を巡らしているのかは訊かなかった。訊いても答えないだろうから。それに、訊くのは何となく野暮(やぼ)だと思ったのもある。
果てしなく嫌な予感があったというのが最大の理由だが。
「んじゃな」
そう言って素っ気無く、でもどこか名残惜しげな形で別れる真一。もともとここは真一との別れポイントなのだ。これは必然だ。
本格的な夏も近いこの時期、陽はまだまだ落ちる様子はない。明るい陽の元でさよならを言うのは、どこか変な気がした。
この時はまだ平和だったのだ。あんなことがあっても大事には至らなかったし、仲間たちとわいわい騒ぐことができた。
それが崩れていくのはそう遠くないことで。すでに一歩後ろまでなくなっていたのに気付かなかったのは気付きたくなかったからだ。
始まりはあれで、迫ってきたのはこれで、牙を剥(む)くのはそれだったというのに。
危険を知らせる欠片は見ていたのに、それを枠(わく)に嵌めなかったのは自分だ。それだけはどうしたって誰のせいじゃない。完璧なまでに自分のせいだった。
もし謝れるのなら、今この時に戻って謝りたい。本当に、すまないと。
★☆★☆★
「〝絢爛たる災禍の聖祭〟(ゴルゲオウスイービルライツ)。通称、聖祭」
誰に語るでもなく、静かに、けれども具(つぶさ)に、メロディを奏でるように流れるその声。
閑散(かんさん)とした郊外のどこか。登校時や通勤時には人が多いのかもしれないが、それも表通りから外れたここにば意味はない。そうそう人がここに来ることはない。
「〝参加者〟(アテンダンス)と呼ばれるこの聖祭の主役たちは、本来なら見えるはずのない物が見える」
それが死神という存在。
そしてそれは静謐(せいひつ)な空気を纏(まと)っていた。この時までは。
夕日が地平線へと堕ちる数瞬前。黄昏(たそがれ)の時。世界が光から闇へと変わる瞬間。
冷たい光が暖かい闇を作り出す。
「〝どこまでも逆を行く死神〟。それが私の契約死神」
口に咥えたシナモンスティック(、 、 、 、 、 、 、 、 、)を利き手である右手で取る。まだ口にしてそれほど時間の経っていないそれを、だらりと腕を垂(た)らす途中で握り潰(つぶ)す。手の間からは折れた残骸が見えた。
服装は学校での姿と変わらない。変わったのはその雰囲気だけだ。
「見付けたよ。ここ最近の事件事故は、そちらさんがやったんでしょ? ねえ。……何とか言いなさい」
溢(あふ)れ出る感情の波。それは正確に相手へと叩き付けられた。
「うちの生徒にまで手を出してさあ。分かってんの? 力手に入れて有頂天になる馬鹿に教え子の命散らす資格なんてないんだよ」
ただでさえ鋭い目が、今は獲物を狩る寸前のように恐ろしい。
「何正義面してんの? 三十過ぎのおばさんが。怖気(おぞけ)の走ること言ううんじゃねえっつの。あれか? ワタシハエラインデスってこと言いたいってやつ」
それを感じないのか、侮(あなど)っているのか、言われた金と茶の二色に染めた髪の男がけらけらと哄笑(こうしょう)する。
腰に下げたメタリックシルバーのチェーンがかちゃかちゃと鳴る。
その横に、静かに付き従う影がある。
「なあアウロー。確か聖祭ってのはこういう奴全員を消せば勝ちなんだよなあ。ならよう、ここらでちょいと俺らの実力を世間に知らしめてみようじゃねえか。今までみたいな真似(まね)っこは止めてな」
身長は七十センチほど。身に纏(まと)う服はぶわりと広がった見たこともない物。手に持つのは定番の鎌。体の大きさに合わせてはあるがそれでも大きい。
極め付けはその顔。明らかに人のそれではない顔は、よくある骸骨(がいこつ)姿でなかったのが幸いか。
まるで厚化粧をしてできたピエロに似た、けれどピエロのような見る者に緩みを与える仕上がりではない。こちらを見る目は細い。子供のようないでたちのクセに、空に浮いているという一点がその印象を吹き飛ばす。
「はっ、そっちは出さなくて良いのかよ。そんな毛ほどの力だけしか出さなくて、この俺に勝てるとでも思ってんのかよ! 行け。アウロー!」
号令と共に突撃を仕掛けるアウローと呼ばれた死神。
「肉弾戦主体か。こういうのは上手く扱えばかなり曲者(くせもの)なんだけど、ね」
松原の顔は冷たい。けれどそこに笑みを浮かべて余裕を表す。
「デルイ。仕留めろ」
松原が口を開いた、その瞬間。
空間が裂ける(、 、 、 、 、 、)。
そしてそれごと斬られたのは死神アウロー。掠(かす)り傷だが痛手ではある。
「ちっ」
腕を斬られたアウローを一時退避(たいひ)させ、金茶の男は毒吐く。
「もう一度だ。打(ぶ)ち殺せ!」
「実力の差が分からないなんてね。思ったより呆気ないね。まあそれで良いんだけどさ」
空気が収束していく。それまで拡散(かくさん)していた空気が、デルイの能力で圧縮(あっしゅく)される。
大気はその性質上、常に存在量を平均値にしようとする。そのため空気はあちこちへと動き広がっていく。デルイはその理(ことわり)を逆にしたのだ。
一箇所に集まった空気は厚い壁にも鈍器にもなる。敵の死神はそれに弾き飛ばされた。
そして大気の移動により風もまたその場に起こる。
希薄になった空気の穴を埋めようと、更に離れた周りから風が流れて来る。その勢いはどんどんと強まり、遂には暴風となって辺りを襲う。
「この程度のことで終わるのよ。あんたはそのぐらいの力しか持ってないってわけ。分かった?」
冷たく言い放つ彼女の周りだけが風の影響を受けずに残っている。吹き荒れた風を先に集めた空気でもって相殺したのだ。これにはかなりの技巧が必要だろう。
「く……」
飛び散った何かの破片や石が体中に当たり、また自身も吹き飛ばされて衝撃を受けていた相手は、体を動かすのもやっとだ。一番酷いのは彼の死神が斬られた所と同じ部分だ。一番大きな傷ができている。
「は、ははっ。見せたな。俺に、死神を見せたな!」
狂ったような笑いを見せるそいつの目は、まさしく狂喜に染まっていた。
松原の傍(かたわ)らには先程までなかった死神デルイの姿がある。デルイは最初の一撃を喰らわすために周囲に潜(ひそ)んでいただけで、決して姿を隠す能力を使っているわけではなかった。
デルイはアウローとは違い、宙に浮いていない。見た目は小柄な少年といったところだ。服装に似通った部分はあるが顔も違う。人外ということは分かるがそれだけだ。デルイの周囲は他よりも暗くそれ以上は分からない。
「俺の死神はーっ!」
ふらふらとしながらもいつの間にか立ち上がっていた相手の、振り絞(しぼ)った声にアウローが呼応(こおう)する。
「〝死神を殺せる〟んだよーっ!」
「なっ」
油断していた。それは否(いな)めない。それほどまでに相手は弱く、実際今使った力はウォーミングアップにもならない。だからこそ、普段以上に驚いてしまった。それでも間に合うと思っていたからだ。
だがアウローはこれまでで一番早くその体を動かし、疾風のようにデルイへと肉薄していた。
「デルイッ」
叫ぶ。
間に合えと。
だがデルイは間に合わなかった。
肩から袈裟懸(けさが)けにばっさりと斬られ、人間のように血は出ないもののそれが深手だということがまざまざと、切り口から窺(うかが)えた。
「こ……のっ」
松原自身には何の傷もない。だが自分の契約死神が傷付くということは、自分自身にもその傷が何らかの形でフィードバックされるのだ。ただし、それは死神と契約している者だけの間に発生するルールだったが。
それが、死なないはずの死神の死ともなれば、どんなことになるかは自明の理というものだ。おそらくは他の死神より与えられる傷の量も多いことだろう。
松原は倒れ行く死神デルイを掴み、この場から走って逃げた。デルイの意識はまだあったが、失われるのにそう時間はかかりそうになかった。
後ろを振り返る間も惜しんで逃げる。相手の追う気配がないのは契約者がその場を動けないからだろう。
基本的に死神は、憑(つ)いている人から遠く離れることはできない。個体差はあるが松原の知る限り最大で百メートルほど。平均では二十メートルの範囲だ。
ただ、頭の片隅(かたすみ)にでも入れておかなければならないのはそれが契約者による命令を履行(りこう)する範囲、ということだ。死神が命令を聞かずに動くのならかなり離れることもできる。デルイもたまに松原から離れて勝手に行動することがあるし、その時に狙われたら一溜まりもないだろう。
だからできるだけ死神が近くにいる時に戦いを仕掛け、死神が近くにいない時は上手く隠れるのが必要になってくる。隠れると言っても相手に自分が死神と契約していることを悟らせないようにするだけだが。
「助かった……。死神が、本来は憑いた人以外の命を奪わない存在で助かったな」
松原が呟く。
デルイはすでに意識を失って存在を霧散(むさん)させている。最後の最後に契約者を守るために力を使ったのだろう。デルイから自分に来るはずの怪我が軽い。
松原はどこかから飛んできたナイフでデルイと同じような場所をすっぱりと切っている。おかげで傷付けたくないような箇所まで傷を負っているが、この分なら病院の厄介にはならなくて良いだろう。傷の場所も、これなら上に来ている服で十分に隠せる。
「まったく、女の柔肌(やわはだ)によくも傷を付けてくれたわね。デルイが回復したらすぐにでも殺してやるとするか」
いつになったら治るのかも分からなく、また死神が睡眠以外でこうなっていたらどうなるのかは松原も知っている。これから身に降り掛かる不幸への対処を考えなければならない。
死神はその命を刈り取るまでは取り憑いた人間を守り抜く。けれども時が来ていざその命を奪うとなると容赦はない。老衰(ろうすい)で死ぬのは微々たる数だ。大抵は不幸な事故や病気によって一瞬にして、たった一人で死ぬ。死神はその性質上、誰かを巻き込んで殺すなどということはしない。
それは不確定な運命が容易(たやす)く人を死ぬべきでない時に死なせてしまうからだ。小さな綻(ほころ)びも数が増えれば重大な欠陥となり得る。最終的に死すべき時以外に人が死ぬということが横行してしまうことになる。
「死神がいなければ惰弱(だじゃく)な人間は生きられない。そこを突いたのがあの死神、か」
この戦いでの基本は、相手の死神を弱らせた後に自分の死神で相手の命を奪うということだ。死神に人間が死ぬほどの傷を与えても一定値以上は反映されない。また死神はどれほど傷付けられても死ぬことはない。はずだったが例外が今回一つできた。
「しばらくは静かにしてるしかないね。あっちも被害は受けたから数日は動かないと思うけど」
血はまだ滲(にじ)み出てくるが疼(うず)きはなくなった。どくどくと脈打つ心臓の音も今は遠い彼方のものだ。
松原は腰を落ち着けていた場所から立ち上がり、ここからどうやって帰っていくかを思案する。
いくらなんでもこんな姿を他の人に見せるわけにはいかない。
「ま、どうにかなるか」
特に後ろ盾もない彼女にはどこかに車を用意するなどといった手が使えない。まさかタクシーを呼ぶわけにもいかず、自然と取る手は一つだけになる。
「地道にやって行きましょうね」
ふふふ、と寒気の走る怖い顔で松原は壁伝いに手を添えて歩き出す。
太陽はすでに落ち切り辺りは薄暗くなり始めている。地平線の先から漏れてくる光だけが今の地上を照らしている状態だ。
その様子は最後の鎖が解かれ、これから始まる出来事を暗示しているようだった。
すぐに、暗くなっていく未来を。
放課後、今日は部活が休みということで五人全員で帰路に着くことができた。
その時、透は真一にあの保健医の先生について訊こうとしていた。
「ああ、あの人ね。おう、今日あそこを開けてくれたのはあの人だからな。無理言って開けてもらったんだよ。ぜってー物の分かった奴らだからってよ」
あそこが閉められてんのはそういう奴にしか見て欲しくねえからだってよ。
真一がそう言ったことには驚いた。安全性の問題や世論でそうなっていたわけではないのか。
そんな風なことを訊くと真一は、はあ? という顔をした。美浜までもが嘘でしょ、という顔をしていた。
「この学校でそんなジョウシキ、通ると思ってんのか? 皆丸めてゴミ箱ごと焼却してるぜ」
そんな婉曲な表現を使うほどのことか。
透は唇を心なし尖(とが)らせる思いだったが誰もそれには気付きはしなかった。
真一がまた珍妙なことを言ったからだ。
「俺に婚約者がいるって言っただろ? その親類だよ、あの人は。話すようになったのは今年に入ってからだけどよ」
「は? まだ言ってんのあんたは。いい加減にしなさいよね。彼女いないからって妄想してんじゃないわよ」
美浜は腕を組んで真一を睨(にら)んだ。ふざけてんじゃないわよ、的な雰囲気がありありと出ている。
「おまえら……」
信じて。
目をウルウルしたって誰も信じないものは信じない。
むしろ逆効果だ。特に透と美浜には。
ごす、べき。
透の鉄槌(てっつい)が頭を下げさせ美浜の払った腕がちょうど良く真一を地面に叩きつかせた。二つ目の音は主にこれだ。
「ぐわっ、が。て、手加減しろよ」
「したさ。……僕はね」
「もちろん、あたしもね」
もちろん(、 、 、 、)、真一を見下ろす顔はそんなことを正直に信じさせる力はなかった。
「くそ。明里ちゃんと香則ちゃんだけだぜ優しいのはよお」
ふらふらと二人に近付く真一。だがお約束として彼は二人には辿り着けない。
「あうっ」
いつも通り、美浜のカバンがポコリと当たったからだ。今度はちゃんと手加減されている。
そうこうしてふざけてる間に真一との別れ道にまで来た。
「ま、昨日の今日でないとは思うがその、気を付けろよ」
真一の、どこか遠慮がちで心配そうな顔がそっぽを向く。
「ああ、気を付けるさ。あんなのはもうごめんだからね」
まったく、なんて顔をしてるんだ。見てるこっちが気を遣うじゃないか。
「ああ君たち。山崎透クンに香則愛夏サンだっけ? ちょっといいかな。いいよね。うんこっちに来てくれないか」
ふてぶてしい声。大抵の人は剣呑(けんのん)にならざるを得ない声音(こわね)だった。
風体(ふうてい)は、見たままの記者だった。咥えタバコからは煙が燻(くすぶ)り、両手はポケットに入っている。肩から提(さ)げた中位のバッグが腰の辺りで揺れていた。
ばさばさとした髪に無精髭(ぶしょうひげ)が口元を覆(おお)い、粗野な印象を見る人に与えた。目付きはこの上なく――ハイエナだ。
半分だけ意識して、この記者と友人たちとの間に立つ。視線は可能なら相手を焼き殺すほどに能力を込めて。
「いやあ、まさかまた取材することになるなんて思いもしなかったねえ。いやはや、これも縁というものかな。まあ、君と彼女の縁は宜しくないようだけどねえ」
笑っていなかった。目も口も、どこを探しても嘲(あざけ)ってしかいない。どこまでも、相手を貪(むさぼ)り食うことしか考えていない者の目だった。
友好的な笑みを浮かべているようでその実、狡猾(こうかつ)な罠にどうやって嵌(は)めるかを楽しんでいる口。
透が最も嫌いな記者の一人だった。
記者というだけで気分の悪くなる透だったが、個人レベルで嫌っているのは少ない。所詮(しょせん)、群がる記者は鬱陶(うっとう)しく邪魔なだけ。耐えればそれで済むという程度だ。実際はとてもきつかったが。それでも、ましだ。
だがこいつは違う。その言葉で、その筆で、その行動で、そのコネで、まずは取材対象を取材の段階で(、 、 、 、 、 、)貶(おとし)める。
傷口を抉(えぐ)るのではない。掻き乱すのでもない。ただただ千切る(、 、 、)のだ。あるはずのない傷までも。ありとあらゆる方法で。
「大変でさーなあ。こんなに事故が続いてねーえ? いやいや、お嬢さんのことを疫病神とか言ってるわけじゃないんだけどねえ」
嫌な声だ。尻上がりにならない言葉がこれほど神経を逆なでするなんて。それに言っていることも癪(しゃく)に障る。誰が疫病神だって? ふざけるな。お前の方がそうだろうに。
不機嫌を通り越して敵意をばら撒いていることを自覚しながら、透はできるだけ無感情に言葉を募らせる。
「その節はどうも。ですが、今は友人たちとの団欒(だんらん)を楽しんでいる途中ですので、どうぞお引き取りください。それと来るのならせめて一ヶ月以上前に連絡してほしいですね。こちらも色々と準備がありますので」
後で真一と美浜が皮肉と嫌味しか入ってなかったと褒(ほ)めてきたが、嬉しくない。可能な限り接点は潰したかった。できることならこの記憶でさえも消してしまいたい。
「はいねー、嫌われたもんだね。また後で来るから。そんときこそはよろしく願うからねえ?」
最初にどこかの方言のようで、どこの方言でもない無茶な口振りとおかしな抑揚(よくよう)で言ってくる。ただ相手を貶(けな)すことだけのために生まれた言葉遣いだ。
今日のところは接触だけが目当てだったようで、ただ自分がここにいるということを示しただけに過ぎない。必要とあらば暴漢を雇いもする奴だ。それを考えれば今日は考えられないほど穏便に済んだと言っていい。
「ちっ、透ちゃんにしか言わせねーでやんの」
「っとに気に入らないわね。あれでまだましだってんだから、始末に置けないわ」
大また歩きの、それでいて恐ろしく早い移動速度でこちらから離れて行く最悪な記者を見て真一と美浜が怒りを漏(も)らす。
「気にしなくていい。こっちで何とかするから」
皆の安全を考えて言ったことだったが、どうやら不況を買ってしまったらしい。
「ざけんな」
「殴って良い?」
「そんな……」
明里を含めた三人の抗議が耳に痛い。そのうちの二人は人の頭を殴るものだから頭まで痛い。
「勝手に一人で片付けるな。こっちゃ色々と画策してやってんだからよ」
どこから見てもお前で遊んでやるといった顔で真一が体を密着させて言う。
何を巡らしているのかは訊かなかった。訊いても答えないだろうから。それに、訊くのは何となく野暮(やぼ)だと思ったのもある。
果てしなく嫌な予感があったというのが最大の理由だが。
「んじゃな」
そう言って素っ気無く、でもどこか名残惜しげな形で別れる真一。もともとここは真一との別れポイントなのだ。これは必然だ。
本格的な夏も近いこの時期、陽はまだまだ落ちる様子はない。明るい陽の元でさよならを言うのは、どこか変な気がした。
この時はまだ平和だったのだ。あんなことがあっても大事には至らなかったし、仲間たちとわいわい騒ぐことができた。
それが崩れていくのはそう遠くないことで。すでに一歩後ろまでなくなっていたのに気付かなかったのは気付きたくなかったからだ。
始まりはあれで、迫ってきたのはこれで、牙を剥(む)くのはそれだったというのに。
危険を知らせる欠片は見ていたのに、それを枠(わく)に嵌めなかったのは自分だ。それだけはどうしたって誰のせいじゃない。完璧なまでに自分のせいだった。
もし謝れるのなら、今この時に戻って謝りたい。本当に、すまないと。
★☆★☆★
「〝絢爛たる災禍の聖祭〟(ゴルゲオウスイービルライツ)。通称、聖祭」
誰に語るでもなく、静かに、けれども具(つぶさ)に、メロディを奏でるように流れるその声。
閑散(かんさん)とした郊外のどこか。登校時や通勤時には人が多いのかもしれないが、それも表通りから外れたここにば意味はない。そうそう人がここに来ることはない。
「〝参加者〟(アテンダンス)と呼ばれるこの聖祭の主役たちは、本来なら見えるはずのない物が見える」
それが死神という存在。
そしてそれは静謐(せいひつ)な空気を纏(まと)っていた。この時までは。
夕日が地平線へと堕ちる数瞬前。黄昏(たそがれ)の時。世界が光から闇へと変わる瞬間。
冷たい光が暖かい闇を作り出す。
「〝どこまでも逆を行く死神〟。それが私の契約死神」
口に咥えたシナモンスティック(、 、 、 、 、 、 、 、 、)を利き手である右手で取る。まだ口にしてそれほど時間の経っていないそれを、だらりと腕を垂(た)らす途中で握り潰(つぶ)す。手の間からは折れた残骸が見えた。
服装は学校での姿と変わらない。変わったのはその雰囲気だけだ。
「見付けたよ。ここ最近の事件事故は、そちらさんがやったんでしょ? ねえ。……何とか言いなさい」
溢(あふ)れ出る感情の波。それは正確に相手へと叩き付けられた。
「うちの生徒にまで手を出してさあ。分かってんの? 力手に入れて有頂天になる馬鹿に教え子の命散らす資格なんてないんだよ」
ただでさえ鋭い目が、今は獲物を狩る寸前のように恐ろしい。
「何正義面してんの? 三十過ぎのおばさんが。怖気(おぞけ)の走ること言ううんじゃねえっつの。あれか? ワタシハエラインデスってこと言いたいってやつ」
それを感じないのか、侮(あなど)っているのか、言われた金と茶の二色に染めた髪の男がけらけらと哄笑(こうしょう)する。
腰に下げたメタリックシルバーのチェーンがかちゃかちゃと鳴る。
その横に、静かに付き従う影がある。
「なあアウロー。確か聖祭ってのはこういう奴全員を消せば勝ちなんだよなあ。ならよう、ここらでちょいと俺らの実力を世間に知らしめてみようじゃねえか。今までみたいな真似(まね)っこは止めてな」
身長は七十センチほど。身に纏(まと)う服はぶわりと広がった見たこともない物。手に持つのは定番の鎌。体の大きさに合わせてはあるがそれでも大きい。
極め付けはその顔。明らかに人のそれではない顔は、よくある骸骨(がいこつ)姿でなかったのが幸いか。
まるで厚化粧をしてできたピエロに似た、けれどピエロのような見る者に緩みを与える仕上がりではない。こちらを見る目は細い。子供のようないでたちのクセに、空に浮いているという一点がその印象を吹き飛ばす。
「はっ、そっちは出さなくて良いのかよ。そんな毛ほどの力だけしか出さなくて、この俺に勝てるとでも思ってんのかよ! 行け。アウロー!」
号令と共に突撃を仕掛けるアウローと呼ばれた死神。
「肉弾戦主体か。こういうのは上手く扱えばかなり曲者(くせもの)なんだけど、ね」
松原の顔は冷たい。けれどそこに笑みを浮かべて余裕を表す。
「デルイ。仕留めろ」
松原が口を開いた、その瞬間。
空間が裂ける(、 、 、 、 、 、)。
そしてそれごと斬られたのは死神アウロー。掠(かす)り傷だが痛手ではある。
「ちっ」
腕を斬られたアウローを一時退避(たいひ)させ、金茶の男は毒吐く。
「もう一度だ。打(ぶ)ち殺せ!」
「実力の差が分からないなんてね。思ったより呆気ないね。まあそれで良いんだけどさ」
空気が収束していく。それまで拡散(かくさん)していた空気が、デルイの能力で圧縮(あっしゅく)される。
大気はその性質上、常に存在量を平均値にしようとする。そのため空気はあちこちへと動き広がっていく。デルイはその理(ことわり)を逆にしたのだ。
一箇所に集まった空気は厚い壁にも鈍器にもなる。敵の死神はそれに弾き飛ばされた。
そして大気の移動により風もまたその場に起こる。
希薄になった空気の穴を埋めようと、更に離れた周りから風が流れて来る。その勢いはどんどんと強まり、遂には暴風となって辺りを襲う。
「この程度のことで終わるのよ。あんたはそのぐらいの力しか持ってないってわけ。分かった?」
冷たく言い放つ彼女の周りだけが風の影響を受けずに残っている。吹き荒れた風を先に集めた空気でもって相殺したのだ。これにはかなりの技巧が必要だろう。
「く……」
飛び散った何かの破片や石が体中に当たり、また自身も吹き飛ばされて衝撃を受けていた相手は、体を動かすのもやっとだ。一番酷いのは彼の死神が斬られた所と同じ部分だ。一番大きな傷ができている。
「は、ははっ。見せたな。俺に、死神を見せたな!」
狂ったような笑いを見せるそいつの目は、まさしく狂喜に染まっていた。
松原の傍(かたわ)らには先程までなかった死神デルイの姿がある。デルイは最初の一撃を喰らわすために周囲に潜(ひそ)んでいただけで、決して姿を隠す能力を使っているわけではなかった。
デルイはアウローとは違い、宙に浮いていない。見た目は小柄な少年といったところだ。服装に似通った部分はあるが顔も違う。人外ということは分かるがそれだけだ。デルイの周囲は他よりも暗くそれ以上は分からない。
「俺の死神はーっ!」
ふらふらとしながらもいつの間にか立ち上がっていた相手の、振り絞(しぼ)った声にアウローが呼応(こおう)する。
「〝死神を殺せる〟んだよーっ!」
「なっ」
油断していた。それは否(いな)めない。それほどまでに相手は弱く、実際今使った力はウォーミングアップにもならない。だからこそ、普段以上に驚いてしまった。それでも間に合うと思っていたからだ。
だがアウローはこれまでで一番早くその体を動かし、疾風のようにデルイへと肉薄していた。
「デルイッ」
叫ぶ。
間に合えと。
だがデルイは間に合わなかった。
肩から袈裟懸(けさが)けにばっさりと斬られ、人間のように血は出ないもののそれが深手だということがまざまざと、切り口から窺(うかが)えた。
「こ……のっ」
松原自身には何の傷もない。だが自分の契約死神が傷付くということは、自分自身にもその傷が何らかの形でフィードバックされるのだ。ただし、それは死神と契約している者だけの間に発生するルールだったが。
それが、死なないはずの死神の死ともなれば、どんなことになるかは自明の理というものだ。おそらくは他の死神より与えられる傷の量も多いことだろう。
松原は倒れ行く死神デルイを掴み、この場から走って逃げた。デルイの意識はまだあったが、失われるのにそう時間はかかりそうになかった。
後ろを振り返る間も惜しんで逃げる。相手の追う気配がないのは契約者がその場を動けないからだろう。
基本的に死神は、憑(つ)いている人から遠く離れることはできない。個体差はあるが松原の知る限り最大で百メートルほど。平均では二十メートルの範囲だ。
ただ、頭の片隅(かたすみ)にでも入れておかなければならないのはそれが契約者による命令を履行(りこう)する範囲、ということだ。死神が命令を聞かずに動くのならかなり離れることもできる。デルイもたまに松原から離れて勝手に行動することがあるし、その時に狙われたら一溜まりもないだろう。
だからできるだけ死神が近くにいる時に戦いを仕掛け、死神が近くにいない時は上手く隠れるのが必要になってくる。隠れると言っても相手に自分が死神と契約していることを悟らせないようにするだけだが。
「助かった……。死神が、本来は憑いた人以外の命を奪わない存在で助かったな」
松原が呟く。
デルイはすでに意識を失って存在を霧散(むさん)させている。最後の最後に契約者を守るために力を使ったのだろう。デルイから自分に来るはずの怪我が軽い。
松原はどこかから飛んできたナイフでデルイと同じような場所をすっぱりと切っている。おかげで傷付けたくないような箇所まで傷を負っているが、この分なら病院の厄介にはならなくて良いだろう。傷の場所も、これなら上に来ている服で十分に隠せる。
「まったく、女の柔肌(やわはだ)によくも傷を付けてくれたわね。デルイが回復したらすぐにでも殺してやるとするか」
いつになったら治るのかも分からなく、また死神が睡眠以外でこうなっていたらどうなるのかは松原も知っている。これから身に降り掛かる不幸への対処を考えなければならない。
死神はその命を刈り取るまでは取り憑いた人間を守り抜く。けれども時が来ていざその命を奪うとなると容赦はない。老衰(ろうすい)で死ぬのは微々たる数だ。大抵は不幸な事故や病気によって一瞬にして、たった一人で死ぬ。死神はその性質上、誰かを巻き込んで殺すなどということはしない。
それは不確定な運命が容易(たやす)く人を死ぬべきでない時に死なせてしまうからだ。小さな綻(ほころ)びも数が増えれば重大な欠陥となり得る。最終的に死すべき時以外に人が死ぬということが横行してしまうことになる。
「死神がいなければ惰弱(だじゃく)な人間は生きられない。そこを突いたのがあの死神、か」
この戦いでの基本は、相手の死神を弱らせた後に自分の死神で相手の命を奪うということだ。死神に人間が死ぬほどの傷を与えても一定値以上は反映されない。また死神はどれほど傷付けられても死ぬことはない。はずだったが例外が今回一つできた。
「しばらくは静かにしてるしかないね。あっちも被害は受けたから数日は動かないと思うけど」
血はまだ滲(にじ)み出てくるが疼(うず)きはなくなった。どくどくと脈打つ心臓の音も今は遠い彼方のものだ。
松原は腰を落ち着けていた場所から立ち上がり、ここからどうやって帰っていくかを思案する。
いくらなんでもこんな姿を他の人に見せるわけにはいかない。
「ま、どうにかなるか」
特に後ろ盾もない彼女にはどこかに車を用意するなどといった手が使えない。まさかタクシーを呼ぶわけにもいかず、自然と取る手は一つだけになる。
「地道にやって行きましょうね」
ふふふ、と寒気の走る怖い顔で松原は壁伝いに手を添えて歩き出す。
太陽はすでに落ち切り辺りは薄暗くなり始めている。地平線の先から漏れてくる光だけが今の地上を照らしている状態だ。
その様子は最後の鎖が解かれ、これから始まる出来事を暗示しているようだった。
すぐに、暗くなっていく未来を。
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