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七章 帰参

十六.覚悟

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 霜の降る十二月。
冬暁ふゆあかつきの空の下で、焔羅ほむらが刀を振るっていた。
どんなに雑念を払っても、翔隆を斬り捨てるという想像が出来ない。
何度か空を切った後で刀を雪に突き刺して、柄に額を付けて溜め息を吐く。
〈駄目だ……このままでは駄目だ…〉
なついてくる翔隆が、慕ってくる翔隆が、跳ね除けられない。
焔羅は立ち上がって館に向かった。
そんな焔羅を兄の榻羅とうらが見守り、後に続いた。

 館では、京羅が書と睨み合っていた。
そこに来て焔羅は敷いてあった畳に寝転がった。
「焔羅…?」
京羅が声を掛けても、焔羅は背を向けて寝ている。
「…どう……」
言い掛けて榻羅とうらが入って来たので目を合わせる。
京羅が首を傾げ〝何があった?〟と目で尋ねると、榻羅は肩をすくめて苦笑いをする。
この二人には、焔羅の情愛が理解出来ないのだ。
師弟だろうが兄弟だろうが親子だろうが、敵であれば殺すのみ。
それが当然なのだから。
京羅は榻羅とうらに書類を任せて、歩いていく。

 風穴の一つに入ると、京羅は中に声を掛ける。
「モシリ、居るか?」
「これは京羅様、どうなされた」
そう聞くと京羅は苦笑する。
「焔羅の様子がおかしいのだが…何か知らないか」
「何か…と言われましても」
刀剣の師を務めていたとはいえ、長い間離れていた弟子だ。
心情の変化など分かろう筈もない。
「先程、刃で虚空を切っていたが、何も切れないような感じであった。何か心残りでも?」
モシリの長男のスルク(毒という意味のアイヌ語)が言う。
「心残り、か…」
そう言われてやっと思い付くのが、翔隆の事かその家臣か全部なのか。
思い付いてもどうにも出来ないが。

京羅は戻ってから三人衆に己の長男である弓駿ゆみはやを呼ばせに行かせた。
情愛ならば弓駿の方が分かる筈。
そう思い、縁側で弓駿ゆみはやが来るのを待った。

「お呼びでーー…父上、唇が紫に…」
「構うな。それよりも、焔羅が事だ」
「はっ…?」
不思議がる息子に、京羅は自分の知る状況を説明した。
「ーーーで、なんとかならぬか?」
「何とかと申されましても…考えますので、取り敢えず中に入りましょう」
そう言い弓駿ゆみはやは京羅と共に中に入り、温かい火鉢を用意する。
…確かに、焔羅が背を向けて寝ていた。
入って来た時にこちらを見たので、眠っている訳では無かった。
弓駿ゆみはやは父の側に火鉢を置いてから、焔羅の側にも火鉢を置く。
「掻巻でも用意しますか?」
「いや…」
「せめて道服を掛けて下さい。風邪を召されます」
そう言って弓駿ゆみはやは紺色の道服を出して焔羅に掛けた。
 「義成、風邪を引くよ」
そんな仕草でさえも翔隆を思い出す。
焔羅は目元を腕で隠した。
泣きはしないが、しかめている顔を見られたくないのだ。
「………」
弓駿ゆみはやはそんな焔羅を見て少し離れて考える。
恐らく、翔隆と決別しようとしているのだろう。
それは分かったが、自分に何が出来るのか…。
〈それ程までに深く思う相手と敵対するのは、確かに辛いだろう〉
以前、操られていた時もーーー術が解けると同時に、今川館を飛び出して翔隆のもとへ走った、と聞いている…。
拓須からも〝義成が睦月と同じようになっていて困る〟と聞かされていた…。
しかし知っているからといって何が出来ようか?
本人が葛藤しているのに、何か言うのも違う気がする。
そう思うが、京羅ちち榻羅とうらは何かを言って慰めるのを期待している…。
弓駿ゆみはやは考えて静かに溜め息を吐いてから話し掛ける。
「…
「ん…?」
わざわざ〝長〟と呼ばれたので、何か長の用事かと思い焔羅は起き上がってあぐらをかく。
すると弓駿ゆみはやは真っ直ぐ焔羅を見て真顔で言う。
「文を書かれなされ」
「文…なんの?」
「翔隆と一騎討ちをされてはいかがか?」
そう言われて焔羅は驚き眉をしかめるが、弓駿ゆみはやの真面目な顔を見て焔羅は黙って聞く。
すると弓駿ゆみはやが喋る。
「一人思い悩まれるよりは…戦われた方が断ち切れるかと」
そう言うと、焔羅は己の手を見ながら呟く。
「…その方が、覚悟が付くだろうか?」
その言葉に驚いて榻羅とうらが何かを言おうとするのを、京羅が手で制する。
弓駿ゆみはやは真面目にコクリと頷いた。
「一騎討ちか、戦を。皆の前で戦えば、に…覚悟が付くのではないか、と…思います」
弓駿ゆみはやは、懸命に考えてそう言った。
すると焔羅は二・三頷いてから立ち上がり文机に向かう。
それを見て弓駿ゆみはやが一礼して下がろうとすると、焔羅が見てきた。
「気遣い感謝する」
そう焔羅に笑顔で言われて、弓駿ゆみはやは照れながら再び一礼して下がった。
すずりで墨をっている焔羅に京羅が近寄って聞く。
「一騎討ちをするのか…?」
「皆の前で…やったら、迷惑がるだろうか?」
逆に聞かれて、京羅は考えて榻羅とうらを見る。
すると榻羅とうらが手を口元に当てながら答える。
「…長のやる事なのだから、誰も迷惑だとは思わんだろうが…そんな奴は殴って連れて行くから気にするな」
そう言うと、焔羅は微笑する。
こんな仲間が居て心強いーーーそう思う反面、翔隆の置かれる境遇が哀れになる。
誰にも頼れず、年上の者からも頼られ、一人で先頭を歩かされている…。
自分は、歩けば左右前後を誰かが盾として守る。
頼もしい兄や従兄弟達が必ず付いている。
それはとても有り難いのだがーーーでは、翔隆は誰が守るのだろうか…?
実の兄や叔父は何故か狭霧に残り、不知火に戻る気配さえない。
そう考えて、また翔隆を思っている自分に気付いて苦笑する。
〈翔隆にも、誰かが居れば…きっとこんな風には思わなかった筈だ…〉
誰か頼れる者が不知火に居ると分かれば、きっと安心して戦える…。
きっと…恐らくは。
そう思うので、揃えるような文面にする事にした。
互いに狭霧と不知火の強者共を引き連れれば覚悟も出来よう。
焔羅はそう考えて筆を取ったーーー。
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